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枠外2
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時折、学の規則的な鼻息がふっと途切れ、ややあって詰められた息はゆっくりと吐かれた。考えているんだ、と思った。
よく、筋肉バカは筋肉で思考すると言う。
たぶん、音楽バカとかも、音で思考するのだろう。
では隣の学は、いったい何で思考しているだろうか。
そして俺自身はといえば、どうだ。
「思考」という単語を、自分がゆくべき道のレールのようなもの、それも、最初からしつらえられているのではなく、自らの手で継ぎ足し、繋いでゆく梯子みたいなものと考えてみる。たとえば力でそれを打ちつけ、汗をかいてよじ登るか、あるいは音の連なりが次のメロディを作り、その歌でゆく先を照らすか。
俺でいえば、ただ、ぞわりとするような身体感覚――腹の真ん中に風穴があき、目が見開いて手は止まる・・・そんなもので紡がれ、断続的にそれを渡っている。それは何によってもたらされるか。それは時には異物のように浮いた真っ赤な月であり、中空に激しく巻き上げられた色とりどりの落ち葉の柱であり、水面の奇妙な渦であり、植物や昆虫らの細かな造形であり、夜中にパイプを伝う恐ろしい音と振動であり、切った皮膚の隙間から染みでる血液だった。
それらから得るおよそ建設的でない、一足す一が二にもならない感覚を求めて、ふらふらと渡り歩いている。なにぶん、それは鍛えたり上手くなったり積み重ねていくような類のものではないため、梯子を自らの能力で繋いでゆくことは難しい。いやむしろ、自分の手では繋げない、<圧倒的な蓋然性>とでもいうべきものにこそ惹かれているのだから、自分の中でこねくりまわせるようなものをむしろ俺は避けているのだ。
肉を剥ぎ取られた獲物の、体に残る筋繊維。
顔を半分食った後の、そいつの<中身>の断面図。
眠る前に闇に浮かぶそれらの短い映写たちが俺に迫るのは、「何が在るのだ」という問いだ。そこにはいったい何が在り、そして、なぜ俺たちはそういうものを食い続けるのか。霞でも食っていればそのような疑問は訪れるまいに、どうして俺たちはそのようになっているのか、あるいはどうしてそうでないやつらが存在するのか。
・・・そうでないやつらは、<何か>を凝縮した<何か>を自ら精製し、それを摂取して生きている。そして俺たちを<自然>とか<野生>とか<脅威>とか呼んで見下し、排除し、畏れる。呼び方などどうでもいいが、俺たちだって好きでやってるわけじゃない。死ぬまで続く仕事にはうんざりだ。そんなことより、その<何か>とは何なのか、説明する気があるのか、ないのか。
そうして俺の目は今夜も何かいびつなもの、不自然なもの、空恐ろしいものを探し続け、あの感覚に打ち震える静かな覚悟を整えている。学はそのいくつかを――あるいは多くを提供してくれるかもしれない。隣の沈黙は間断なく何かを紡ぎ続けている静けさであり、その梯子は俺よりずっと早く伸び続けている。その目は半分倦んでいるが、紡ぎ続けることに関しては執拗で、忍耐強く、地盤は強固だった。――何せ、月がすっかり昇ってしまうまで身じろぎもせずそうしているのだから。
よく、筋肉バカは筋肉で思考すると言う。
たぶん、音楽バカとかも、音で思考するのだろう。
では隣の学は、いったい何で思考しているだろうか。
そして俺自身はといえば、どうだ。
「思考」という単語を、自分がゆくべき道のレールのようなもの、それも、最初からしつらえられているのではなく、自らの手で継ぎ足し、繋いでゆく梯子みたいなものと考えてみる。たとえば力でそれを打ちつけ、汗をかいてよじ登るか、あるいは音の連なりが次のメロディを作り、その歌でゆく先を照らすか。
俺でいえば、ただ、ぞわりとするような身体感覚――腹の真ん中に風穴があき、目が見開いて手は止まる・・・そんなもので紡がれ、断続的にそれを渡っている。それは何によってもたらされるか。それは時には異物のように浮いた真っ赤な月であり、中空に激しく巻き上げられた色とりどりの落ち葉の柱であり、水面の奇妙な渦であり、植物や昆虫らの細かな造形であり、夜中にパイプを伝う恐ろしい音と振動であり、切った皮膚の隙間から染みでる血液だった。
それらから得るおよそ建設的でない、一足す一が二にもならない感覚を求めて、ふらふらと渡り歩いている。なにぶん、それは鍛えたり上手くなったり積み重ねていくような類のものではないため、梯子を自らの能力で繋いでゆくことは難しい。いやむしろ、自分の手では繋げない、<圧倒的な蓋然性>とでもいうべきものにこそ惹かれているのだから、自分の中でこねくりまわせるようなものをむしろ俺は避けているのだ。
肉を剥ぎ取られた獲物の、体に残る筋繊維。
顔を半分食った後の、そいつの<中身>の断面図。
眠る前に闇に浮かぶそれらの短い映写たちが俺に迫るのは、「何が在るのだ」という問いだ。そこにはいったい何が在り、そして、なぜ俺たちはそういうものを食い続けるのか。霞でも食っていればそのような疑問は訪れるまいに、どうして俺たちはそのようになっているのか、あるいはどうしてそうでないやつらが存在するのか。
・・・そうでないやつらは、<何か>を凝縮した<何か>を自ら精製し、それを摂取して生きている。そして俺たちを<自然>とか<野生>とか<脅威>とか呼んで見下し、排除し、畏れる。呼び方などどうでもいいが、俺たちだって好きでやってるわけじゃない。死ぬまで続く仕事にはうんざりだ。そんなことより、その<何か>とは何なのか、説明する気があるのか、ないのか。
そうして俺の目は今夜も何かいびつなもの、不自然なもの、空恐ろしいものを探し続け、あの感覚に打ち震える静かな覚悟を整えている。学はそのいくつかを――あるいは多くを提供してくれるかもしれない。隣の沈黙は間断なく何かを紡ぎ続けている静けさであり、その梯子は俺よりずっと早く伸び続けている。その目は半分倦んでいるが、紡ぎ続けることに関しては執拗で、忍耐強く、地盤は強固だった。――何せ、月がすっかり昇ってしまうまで身じろぎもせずそうしているのだから。
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