冷血

あとみく

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侵入1

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 店でありったけの食料品をかごに入れ、ついでにラベルを引きちぎったマイバッグを肩に掛け「これに入れますから」とレジに出した。
 店員の暗そうな女は「ご協力ありがとうごさいます・・・」とかごに手をつけたが、不審に思っていることは態度に表れていた。それでもなるべくお客様を平等に扱おうと平静を装っており、俺の方もじっと威圧しながらレジを待った。
「お会計は・・・」
「これでお願いします。いつも、頼まれてるので、大丈夫です」
 何が大丈夫なんだか分かりはしない。犬のカードを使ったことなどないし、そもそもろくに買い物すらしたことがないのだ。学のそれはすでに使用停止にされているかもしれなかったが、しかし、処理は月曜になる可能性もあり、試す価値はあった。
「はい、それでは、暗証番号を・・・」
 教えられた四桁を入力し、グリーンの光がともる。もし使用不可なら暗証番号以前で引っかかるのだろうし、これは読みが当たったとみていいだろう。
「ありがとうございました」
「どうも」
 言われたとおり、台に移動して商品をかごからバッグに詰め直す。まったく、商品が逃げない、わめかない、腐らないというのは画期的なことだ。
 そして、円柱形の缶、袋、長方形の箱などを綺麗に詰めるのに夢中になっていたのに気づき、はっとして、あとは無理矢理押し込んで外に出た。缶も袋も箱も、バッグも、かごも、そして商品の中身も、いったいどこの誰がどうやって作っているのか、俺は何もかも知らない。それでも、たった一枚のカードで(しかも、提示するだけ!)俺はそれを自分のものにしている。まったく、こんなことじゃ、俺の狩った鼠には俺の所有権とやらがあるやら、ないやら。
「遅かったな、どうした」
「いや、何でもない。普通に使えた」
「しっ、声が大きい」
 学はさっと周りをうかがって声をひそめた。買い物は俺から言い出したことではあるが、わけのわからないルールや理屈の海を渡るのは大変そうだ。
 そうして手筈どおりいったん別れ、翌夕方に合流することとなった。小手先の目くらましではあるが、学のカードを俺が使うことで、拾ったカードでネコババする囮になり、学の居場所をくらまそうというのだ。学は「そんな不名誉をかぶる必要はない」などとのたまったが、俺にとったら、使えるものを使っただけ。俺自身が感じていない苦痛を味わう必要も味わえる道理もない。仕事をするだけの人生にそもそも何の名誉があるものか。

 あっちにせっつかれ、こっちにせっつかれしながらようやく寝床を決め、荷物を上着の中にすっぽり隠して丸まった。盗られて困るものなどない人生だったから、何かを抱えて眠るというのは新しい気分だ。青い顔で獲れる獲物も見送る学には必要なものかもしれないが、しかしどんなに抱えたって所詮は一時的な物資でしかない。今日盗られても明日盗られても、今度めでたく食い終わっても、その後はまた仕事、仕事の日々が続くだけ。早いか遅いかの差ならもはやどうでもいい。だから、「抱える」気分はやはり上辺だけに終わり、俺は手ぶらで歩き続ける。
 ――それでも、ゴトゴトと袋の中でがたつく「商品」たちの音を聞き、重さを感じると、これを常に切らさないよう抱え続け、そのための仕事をし続けてきた学のことを思った。意味合いとしては俺のそれと変わらないのだろう。結局は仕事、仕事、そして死。学の社会は複雑さを取り入れることで見かけの安定を得ているが、それは根本的な安心ではなく、社会ごと壮大に気を紛らわしているに過ぎない。ただ、気を逸らしてどうでもいいことを考え続けることが是か非かといえば、時に是にもなろう。食わなければ死ぬという問題を直視し続けることで得られる実も少ないのだ。
 そういえば、いつだったか、どこかの偏屈ジジイが『かもめの某』という話をしていた。飛ぶのが好きで、飛ぶことばかり追求して食うことまで放棄した鳥の話。その時は自爆テロの話でもしてるのかと思ったが、ここへ来てなぜだか、その話が発する蒸気のような温度と湿気を妙に感じるようになった。何がどう、ということはないが、学の背中にそれを感じたのかもしれない。否、学の背中を見ながら歩き続ける俺が、何かの拍子に、あるいは蓋然的に、その領域へ踏み込んだのかもしれない。
 ――行けない所へ行きたい。
 きっとただ、それだけなのだ。
 行けない所は<行けない>所なのだから行ける道理もないのだが、しかし、かつて存在した<人類>とやらがそれを為したという伝説が残っている以上、可能性はあるんだろうと思う。あのジジイは「そいつらと共存してたってのは眉唾もんだよ」と、戦争はあったと言いながらそれを起こした張本人たちの存在を否定するような因果律の中で生きていたわけだが、それでも生きていけるからには、それはその程度の因果だということだ。
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