【完結】前略、閻魔さま~六道さんで逢いましょう~

渡邊 香梨

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第六章 遠い音楽

赤い紙

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『だって、おじいちゃん。おばあちゃんと、ちゃんとはなししたことある?』

 まあ「昭和の男」どころか「大正の男」な祖父に、あまり期待は出来ないのだが。

『今さら何をちゃんとはなしせえ言うんや』

 案の定、祖父は眉をひそめている。

『え、だってさ、小学校の先生やろ? 今みたいに大学で教員免許取るんと違って、女子高等師範学校とか言うところに行かんと取れへん資格やったって聞いてるけど』

 そもそも両親の時代くらいまでは、高卒で就職する道の方が、大学に行くそれよりも広い道だったと聞いている。

 父も母も高校卒業後、今ではそれなりに名の知れた旅行会社に就職していて、そこでの職場恋愛から結婚している。

 大学における教員養成が科目として必須になったのは、戦後の教育改革以後の話だと言う。

 田舎で兄弟姉妹の多い家庭に生まれた祖母は、実家の家計を助ける意味でも手に職をつけねばと考え、自分が憧れた小学校の先生を目指したようなのだ。

 当時の師範学校というところは、男女共に学費は無料、全寮制で衣食住に関わるほとんどが支給されていたらしい。

 だからある意味、菜穂子の「東京一人暮らし」に関しても、祖母自身は過保護な反対をしなかったくらいだ。

 そうして程々の年齢になり、祖母の姉妹が皆嫁ぎ先を決めたところで、親が顔見知りだった縁で、祖父との婚約が成立している。

 寿退職の準備をしなくては――となっていたところに赤紙招集があり、退職の話はいったん保留。
 終戦後に祖父が帰還してくるまで、再び「先生」を続けていたのだ。

『……そうや。家のために苦労して資格を取って、学費タダやから言うて実家に仕送りもして。朝から晩まで働き通しやったって志緒アレの親は言うてたわ。はよ嫁にしてもろて、実家いえのことはもう考えんでええように、幸せにしてやってくれって』

 祖父の側から聞く初めての結婚にまつわる話に、菜穂子どころか八瀬青年もちょっと興味深げだった。
 なるほど、と呟いている声が菜穂子の耳にも届いていた。

 どちらにしても古い時代の男性らしく、かなり俺様要素が強い。ただ、強いとは思うが祖父は祖父なりの想いがあったと言うことなんだろう。

『そやけど、俺が赤紙なんぞ受け取ってしもたさかいに、結婚が先送りになった。お国の為に頑張ってきて下さい言うて送り出されはしたけど、俺はその頃区役所に就職してなしやったから、何とはなしに世間の報道程に日本が有利やない言うのは察せられとった。もしかしたら一緒になれへんかも知れん――俺もそうやったけど、深町の家も高辻の家も、口には出さんなりに思てたとは思う』

 それでも国からの強制命令である以上はどうしようもない。
 いつかは帰る、必ず帰ると、信じて東南アジアの戦地を移動していたらしい。

『まあ、結果的に敗戦間近での出征やったんは、運が良かったんかもしれん。こんなこと言うたら、同じ戦地で命を落とした同胞には申し訳がたたんのやけど』

 そうポツリと言葉を洩らした祖父の表情かおは、一瞬せつなげに歪んでいた。

『そやけど、俺は日本に戻れた。戻れたから、いの一番に志緒アレとこへ行った。それは、そうやろう。俺の婚約者や。俺が幸せにしてやるて高辻のご両親にもちこうたんや。戦地にいた分、倍以上に幸せにしてやらなと思たんや』

『おじいちゃん……』

『言うても、戦後復興期言うのは思てた以上に大変やった。本当ほんまは兄貴がおって、深町の家を継ぐはずやったのに、兄貴は出征から戻って来んかった。気楽な次男の嫁のはずが、いきなり深町本家の嫁にならなあかんようになったし、俺も深町の家を支えられるだけの稼ぎを得られるよう、役所での仕事を増やさなあかんかった』

 そう言えば、と菜穂子は祖父母宅の仏壇の上に飾られている遺影を思い起こした。
 祖父のお兄さん、と祖母に教わった写真があったような気がする。

 おじいちゃん、本当ほんまはこの家の跡取りやなかったんよ――とも確かに聞いた気がする。

 曾祖父だけはギリギリ菜穂子の記憶にあるものの、それ以外の血縁関係者は既に故人としての認識で、あまりハッキリとは覚えていなかったのだが。

『しかも俺が死ぬ直前は、透析や。週に何度も病院に付き添わなあかんようになって、そのうち自分の足も悪くしてた。ロクに旅行にも連れて行ってやれんかった。菜穂子おまえらが家族旅行や言うてどこなと出かけてるのは、俺は本当ほんまは心苦しかった』

 ああ……と、菜穂子は胸がキリリと締め付けられた。

 旅行会社勤務の両親は、確かに小さい頃から菜穂子を時々旅行に連れて行ってくれた。

 おじいちゃんの透析がある、おばあちゃんの足のこともある――と、祖母は笑って「行ってらっしゃい」と言ってくれていたけれど。

 また、どっか行くんか。仕方しゃあない奴ややっちゃなぁ――と、祖父も苦笑いで見送っていたけど。

 その度に、祖父の胸には後悔とやるせなさが降り積もっていたのか。

『そやからな。三途の川を渡ったんなら、もうええやろうと思たんや。もうなんもせんでええ。極楽浄土とやらでのんびり過ごしたらええ。行く資格がない言うなら、俺が何を引き受けてでも作ってやる。もうこれ以上志緒アレを働かすな。おまえは、そう思わへんのか。おばあちゃんに、ゆっくりして欲しないんか』

『……それは……』



 口惜しいことに、菜穂子はすぐに反論することが出来なかった。
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