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第九章 八月の長い夜
糠に釘、豆腐にかすがい(5)
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『お、おばあちゃん、そう言えば「賽の河原」って他にも子どもいるんやろ? 会うてきたん? どうやった?』
場の空気にいたたまれなくなった菜穂子は、祖母に「さっちゃん」絡み以外の話題をとりあえず振ってみた。
『そうやねぇ……』
さりげない八瀬青年の誘導で、祖母は既に子どもたちの様子を見学してきている。
その過程で「さっちゃん」に偶然再会したわけで、祖父は何となく「気に入らない」と言う表情をしているが、この際無視させて貰うことにした。
『赤ん坊から十歳ちょっとの子まで、思たより色んな子がいて驚いたわ』
『えっ、赤ん坊?』
『それは、そうやろう。流産になった子かているんやさかいに。ただまあ、その子らは河原で石を積むも何もないから、優先的に地蔵菩薩様が次の道へ連れて行くようなことを案内してくれたお人が言うてはったえ。大体、話せて歩けるようになったあたりから、なんやかんやとあるみたいやな』
『なんやかんや……』
って、なんだ。
そんな菜穂子の疑問を読み取ったのは、祖父母ではなく八瀬青年だった。
『意思を持って話せるようになれば、行動に善悪も出てきますし、それは審議の対象になりえますよ。生者の世界では未成年の犯罪は大人よりも緩い刑罰になるようですが、十王庁ではそういうことはしません。まあある意味、賽の河原にいることは若干の優遇と言えなくもないですが、世間で思われているほど地蔵菩薩様も緩くはないですよ?――さすがに十歳未満で凶悪犯罪をやらかす子は滅多にいませんから、慈悲のお方と思われてはいるようですが』
『へえ……おばあちゃんは、その地蔵菩薩様にはもうお会いしたん?』
好奇心から尋ねてみれば、祖母はぶんぶんと首を横に振った。
『今はまだ、ただの見学者やさかいに。そんなん会われへんよ。毎日来てはるわけでもないみたいやし』
『ふーん……』
『そんなもん、志緒は別に会わんでもええわ』
賽の河原で「先生」になるという選択肢を未だ認めていない祖父は、ふいとそっぽを向いている。
不敬だと言われないか、菜穂子の方がちょっと心配になったくらいだが、これにも八瀬青年が『大丈夫ですよ』と苦笑を浮かべた。
『貴女のお祖父様は、十王様がたにも終始あんな感じだったようですから。ただ、お祖母のことをお願いする時だけは、土下座して頼み込んでいたようなので、どの王様がたも強くは言えなかったようですね。……うちの閻魔王様しかり、ですが』
『『……っ』』
八瀬青年の方に揶揄いの意図はなく、ただ淡々と事実を示しただけという風にも見えたが、祖父母の方はそうではなかったようだ。
互いに表情の選択に困ったかのように、あらぬ方向を向いていた。
『まあもともと、小学校でも色んな子がいたんやろうし、先生出来そう? なんて聞くのは野暮やったかな』
友達の、家庭教師のバイト話を聞いているだけでもなかなかに大変そうだったのだから、十人十色の生徒たちを前にしての授業ともなれば、その苦労はなかなかのものだろう。
多分そのあたりは、菜穂子の「先生」と言う職業に対してのイメージは祖父寄りじゃないかと思う。
ただ当の祖母が「やりたい」と願うのであれば、果たしてそれを「苦労」と呼んでもいいものなのか。
それは祖母の幸せにはならないのだろうか。
それぞれが考える「幸せ」のギャップを、どう埋めるのか。
夫婦の在り方と言う、十代の大学生が考えるには存外難しいことを、菜穂子は突きつけられている気がした。
『……とりあえず、続きは明日にしましょうか』
『え?』
八瀬青年の思いがけない声に、菜穂子はふと顔を上げた。
『さすがに、そんなにすぐ秦広王筆頭補佐官から返事は来ないでしょう。僕とか貴女のお祖母さま、お祖父さまはいくらでも待てますが、貴女には一度戻って貰わないと。朝になっても起きないとなれば親御さんが心配される』
『えっと……また、ここに来られるんですか?』
『ええ。7日の六道まいりから、13日のお盆の入りまでの間は篁様が昔通られたところも通りやすいですから。お盆に入ってしまうと、今度は迎え火までまた出入りがしにくくなる。本来であれば、御魂にはそれぞれの実家に戻って貰う日程言うことになりますから。で、迎え火が終わったら今度はお孫さんの方に来て貰うのに差し障りが出てきます。そう考えると……存外、余裕はないんですけどね』
それでも、その「さっちゃん」の身内次第で祖父母の判断の後押しになるんじゃないか。
八瀬青年はそう考えたようで、菜穂子も、それはそうかも知れないと思った。
『おまえまで、そんな頻繁に来んでもええわ』
『そうえ、菜穂子。二度と帰れへんとか、将来菜穂子がこっちに来るようなことになった時に、何か影響あったりしたら、おばあちゃんらがいたたまれへんよ』
祖父母は、祖父母なりの心配を見せてくれている。
けれど、菜穂子はもう少し祖父母と話をしていたかったのだ。
『――ううん。また八瀬さんに明日呼んで貰うわ。だって、二人に会いたいもん』
だから、そう言って笑ってみせた。
場の空気にいたたまれなくなった菜穂子は、祖母に「さっちゃん」絡み以外の話題をとりあえず振ってみた。
『そうやねぇ……』
さりげない八瀬青年の誘導で、祖母は既に子どもたちの様子を見学してきている。
その過程で「さっちゃん」に偶然再会したわけで、祖父は何となく「気に入らない」と言う表情をしているが、この際無視させて貰うことにした。
『赤ん坊から十歳ちょっとの子まで、思たより色んな子がいて驚いたわ』
『えっ、赤ん坊?』
『それは、そうやろう。流産になった子かているんやさかいに。ただまあ、その子らは河原で石を積むも何もないから、優先的に地蔵菩薩様が次の道へ連れて行くようなことを案内してくれたお人が言うてはったえ。大体、話せて歩けるようになったあたりから、なんやかんやとあるみたいやな』
『なんやかんや……』
って、なんだ。
そんな菜穂子の疑問を読み取ったのは、祖父母ではなく八瀬青年だった。
『意思を持って話せるようになれば、行動に善悪も出てきますし、それは審議の対象になりえますよ。生者の世界では未成年の犯罪は大人よりも緩い刑罰になるようですが、十王庁ではそういうことはしません。まあある意味、賽の河原にいることは若干の優遇と言えなくもないですが、世間で思われているほど地蔵菩薩様も緩くはないですよ?――さすがに十歳未満で凶悪犯罪をやらかす子は滅多にいませんから、慈悲のお方と思われてはいるようですが』
『へえ……おばあちゃんは、その地蔵菩薩様にはもうお会いしたん?』
好奇心から尋ねてみれば、祖母はぶんぶんと首を横に振った。
『今はまだ、ただの見学者やさかいに。そんなん会われへんよ。毎日来てはるわけでもないみたいやし』
『ふーん……』
『そんなもん、志緒は別に会わんでもええわ』
賽の河原で「先生」になるという選択肢を未だ認めていない祖父は、ふいとそっぽを向いている。
不敬だと言われないか、菜穂子の方がちょっと心配になったくらいだが、これにも八瀬青年が『大丈夫ですよ』と苦笑を浮かべた。
『貴女のお祖父様は、十王様がたにも終始あんな感じだったようですから。ただ、お祖母のことをお願いする時だけは、土下座して頼み込んでいたようなので、どの王様がたも強くは言えなかったようですね。……うちの閻魔王様しかり、ですが』
『『……っ』』
八瀬青年の方に揶揄いの意図はなく、ただ淡々と事実を示しただけという風にも見えたが、祖父母の方はそうではなかったようだ。
互いに表情の選択に困ったかのように、あらぬ方向を向いていた。
『まあもともと、小学校でも色んな子がいたんやろうし、先生出来そう? なんて聞くのは野暮やったかな』
友達の、家庭教師のバイト話を聞いているだけでもなかなかに大変そうだったのだから、十人十色の生徒たちを前にしての授業ともなれば、その苦労はなかなかのものだろう。
多分そのあたりは、菜穂子の「先生」と言う職業に対してのイメージは祖父寄りじゃないかと思う。
ただ当の祖母が「やりたい」と願うのであれば、果たしてそれを「苦労」と呼んでもいいものなのか。
それは祖母の幸せにはならないのだろうか。
それぞれが考える「幸せ」のギャップを、どう埋めるのか。
夫婦の在り方と言う、十代の大学生が考えるには存外難しいことを、菜穂子は突きつけられている気がした。
『……とりあえず、続きは明日にしましょうか』
『え?』
八瀬青年の思いがけない声に、菜穂子はふと顔を上げた。
『さすがに、そんなにすぐ秦広王筆頭補佐官から返事は来ないでしょう。僕とか貴女のお祖母さま、お祖父さまはいくらでも待てますが、貴女には一度戻って貰わないと。朝になっても起きないとなれば親御さんが心配される』
『えっと……また、ここに来られるんですか?』
『ええ。7日の六道まいりから、13日のお盆の入りまでの間は篁様が昔通られたところも通りやすいですから。お盆に入ってしまうと、今度は迎え火までまた出入りがしにくくなる。本来であれば、御魂にはそれぞれの実家に戻って貰う日程言うことになりますから。で、迎え火が終わったら今度はお孫さんの方に来て貰うのに差し障りが出てきます。そう考えると……存外、余裕はないんですけどね』
それでも、その「さっちゃん」の身内次第で祖父母の判断の後押しになるんじゃないか。
八瀬青年はそう考えたようで、菜穂子も、それはそうかも知れないと思った。
『おまえまで、そんな頻繁に来んでもええわ』
『そうえ、菜穂子。二度と帰れへんとか、将来菜穂子がこっちに来るようなことになった時に、何か影響あったりしたら、おばあちゃんらがいたたまれへんよ』
祖父母は、祖父母なりの心配を見せてくれている。
けれど、菜穂子はもう少し祖父母と話をしていたかったのだ。
『――ううん。また八瀬さんに明日呼んで貰うわ。だって、二人に会いたいもん』
だから、そう言って笑ってみせた。
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