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9.今までのツケを一括払い、する?
しおりを挟む出方を窺いつつ、しばらく印南のところに居候して、和馬より優先する男ができたと思わせる。
入念なるミーティングの結果、印南と私が計画したのは言っちゃなんだけどよくある手だった。
チェックアウトの時間まで、目一杯のんびりしたあと、キャリーを引きずりながら印南の家まで向かう。
しかし、この段になっても、私は納得したわけではなかった。
印南を利用するっていうのがねぇ。ひっかかるんだよねぇ。
私の足取りが重いことに気づいたのか、それとも往生際が悪いこともお見通しなのか。
片眉を上げて、印南が「他に男ができたっていうのが一番別れるのに手っ取り早い方法だろ」と再度言い聞かせてくる。
「少なくとも、俺はお前の“僕ちゃん”よりも男として劣っているとは思ってないからな。相手として不備はないはずだ」
サラッと言っているので流しそうだが、自信満々な上に悪意が感じられる発言だ。主に、和馬に対して。
まあ、私側の印南にしてみれば和馬の所業は呆れるばかりなんだろう。
普段は、こうした毒は思っていても表に出さずに自分の内で収める奴だから、意外というかなんというか、やっぱり意外だ。
「その、私に他に男がっていうのもね、こっちの性格がわかってる和馬に対して信憑性がないような気がするのよ」
立てた人差し指で印南と私を順番に指して、引っかかりの一つを説明する。
印南は当然のように肩をすくめた。
「お前が、すぐ次って考えられるような女じゃないってのは俺も知ってる。とにかく馬鹿正直な口は閉じて、ややこしい事態になったら俺に任せておけ」
「ええぇ……。それはそれで不安があるんだけど……」
借りを作ったあとが怖いという意味で。
「贅沢言うな。まず別れるのが優先だろう」
またしてももっともなことを言われて、私は撃沈。
ブツブツと口の中だけで文句を言って、印南におとなしくついて行く。
「あのさぁ、印南ん家に行くのはいいんだけど、寝るとこあるの?」
同衾とか言うんだったら考え直させてもらうぞ。昨夜の調子でやられちゃ身体が持たねぇ。
「2DKだから余裕はあるな。荷物置き場になってるロフトがあるから、そこを片付けてお前のエリアにしたらいい」
「おおっ、ロフト? いいねぇ楽しそう!」
興味を引かれコロッと態度を変えた私に、印南が「現金な奴」とぼやく。
だってロフトとか屋根裏部屋とか隠し部屋とか、一種のロマンだろう!
「隠し部屋は普通ない……まあいいか」
――来る気になるならそれで。
印南は投げやり気味に独りごちて、キャリーケースを私の手から取り上げる。
空になった手を振りながら、一歩先を行く男の背中を眺めた。
どうしたものかな、と思いながら。
鈍感な女を気取るほど、無邪気でもなく、可愛いげのある性格もしていない。
印南が私の行動パターンを熟知しているのと同じで、こっちだってそれなりにコイツのこと理解している。
だから、どうしよう、だ。
そうして少しばかりの間、頭を悩ませ私が出した結論は、
(別にハッキリ言われたわけじゃないんだからスルーで!)
というなんの解決にもならないものだった。
それでいい。それがいい。
今朝起きたときに決めたように。
今は、恋だの愛だのなんて、考えたくないのだから――
「千葉」
「わかってるー」
うるさく鳴り続ける携帯を取り上げて、発信者の名前を見て眉をしかめる。
和馬だったら出ないでおこうと思ったけれど、違う相手からだった。
嫌な予感を覚えつつ、通話ボタンを押した。
「――もしもし?」
まり奈? と訊ねてくる声は実家の兄。
私の電話にかけてきて私以外の誰が出るっつーの、というお約束は呑み込んだ。
「どうしたの、何用?」
兄嫁でなく兄自身が私に連絡を取るなどと、一年に一回あるかないかという頻度なので、珍しいこともあるものだ。
甥たちへのクリスマスプレゼントはすでに兄嫁経由で渡しているので、催促ではないはず。
『あー、俺じゃなくてだな。……お前、和とケンカしたって?』
一瞬で、自分の目が据わるのがわかった。
私が唐突に不穏な気配を漂わせたことを察し、印南が足を止める。
それを視界に収めながら、私の唇に笑みが刻まれる。
ほうほう。
そうですかそちらに行きやがりましたか。クリスマスにはしゃぐ幼子がいる家に、男と女のドロドロを持ち込みやがりましたか。
「――ケンカなんてしてないわよ?」
言葉だけは穏やかに、私は兄に答えた。
そう、喧嘩はしていない。
三下り半を叩きつけてやっただけだ。喧嘩などする余地もない。
『よく言う、声がこわいっつうの……、和が女の子と一緒にいるところを見たんだって? ヤツに女の子が寄ってくるなんていつものことじゃないか。和も反省してるし、仲直りして――』
「黙れ。ボケたこと言ってるとモぐわよ」
考えの足りない無神経な兄の発言を、私は問答無用で遮った。
おそらく、というかおそらくも何も、和馬から都合のよいことしか聞いていないのだろう。十の年の差もあり、兄の和馬に対しての印象は児童の頃から変わっていない。
いつまでも、可愛い和馬のままで時間が止まっているのだ。
自分にも返ってくる思い込みをまざまざと見せつけられ、嫌になってくる。
『……と、とりあえず替わるな?』
私のとりつく島もない受け答えに戦いた兄が、止める間もなくそう言って。
『まりなちゃん……! よかった、出てくれて』
一日ぶりの男の声が、私の表情を消した。
和馬からの電話に出たわけじゃない。実家経由とはやってくれるわね、予想してたけど。何が良かっただ、この――、
無言のまま思わず脳内で禁止用語を連発していると、横から出てきた手が私の携帯を奪う。
「失礼。“和馬”くん?」
ハッとした時にはもう、印南が愛想の良い営業モードの声で、向こう側に呼びかけていた。
「俺が誰かって? 名前を言ってわかるの。ああ、そうだな――昨夜から、『まり奈』とずっと一緒にいる男だって言えば、一番わかりやすいか?」
ヒイイィ! 直球に挑発しやがった――!!
印南に名前呼びされると裏がありそうで気持ち悪い!
ぶるぶる震える私の頭を小突きつつ、一言二言あちらとやり取りを交わした印南は、通話を切った瞬間とてもあくどい笑みを浮かべた。
「てっとり早く行くか」
……どこにだ。
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