錬金術師マリア・ミオヴェルの再婚

ミカン♬

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 ライアンの視界が閉ざされたのは、頭を強く打ったその瞬間からだった。

 外傷性の神経障害。

 失明したライアンは混乱し、深い絶望の底へと落ちていった。

「いやだ……いやだよ……なんで…」

 悲しみが、嗚咽になって溢れ出す。
 涙は止まらず、枕を濡らし続けた。

 
 カリスが病室に駆けつけたとき、マリアは隅の椅子に座り込んでいた。
 まるで魂だけが抜け落ちたみたいに。

 意識が戻った息子に対し――どうすれば良いのか、答えが分からない。

 その顔は、そう語っていた。

「カリス……」

「マリア、大丈夫ですか?」

 聞き慣れた低い声が、張り詰めた精神を少しだけ和らげる。

 その声に、ライアンが反応した。

「靴を当てた、おじさん……」

「そうだ、目が覚めて良かった。ずっと心配していたんだよ?」

 サーラが椅子を運び、カリスはベッドのそばに腰を下ろす。

「僕、痛いし、見えない。どうして?」

 その問いは、大人たちの胸を抉った。


「何があったか、覚えているかい?」

「僕……」

 浮かんだのは、恐ろしいジャックの顔。

「言えない……」

 怯えている。

 カリスはすぐに察し「大丈夫だよ」と言って、落ち着かせた。

「ジャックなら、逮捕してやる。安心して話してごらん」

 優しい、でも力強い。
 ライアンはその声に救いを求めた。

 ――この人は、ママを助けて、パパを倒した凄い人。
 ジャックも倒してくれるかもしれない。

「家が火事になったのは、覚えてる?」

「ううん」

 ライアンは寝込みを襲われて、記憶はない。

 そして、口にする。

「パパは?」

 恐れていた質問。

 病室に、サーラが声をのむ音だけが残る。


「……パパは今、遠くにいて、会えないんだ」

 全部が嘘ではない。
 でもまだ真実を話すには、残酷だとカリスは思った。

「君は、まだソレーヌさんと暮らしたいかい?」

「いやだ!」

 即答だった。
 迷いも、ためらいもない。

「だって、弟じゃない。……パパに言わなきゃ」

 その言葉に、カリスが立ち上がる。

「弟じゃない?」

「うん。ジャックが言った」

 部屋の空気が変わる。

 ライアンは心の重荷を下ろして、息をついた。

「嘘じゃないよ?」

「そうか。教えてくれてありがとう。君はいい子だ」

「靴、投げて……ごめんなさい」

「ママ……ごめんなさい……」

 その謝罪に、カリスはライアンの髪を、無言で撫でた。

「必ず君を守ってあげるよ」

 安心したように、ライアンは眠りに落ちた。

 
 カリスはマリアの手を取る。

「マリア、何を恐れているのですか?」

「私、どうすればいいのか……」

 息子が目覚めた瞬間、マリアは歓喜した。
 命が戻った。それだけで十分だと。

 けれど時間が経つにつれ、それは、マリアを襲った。

 研究しか能のない女。
 ママはいらない。
 パパがいい!
 死んじゃえ!

 過去に投げつけられた言葉が、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 ──息が出来ない……苦しい。

 あのとき、自分は母であることを手放したではないか。

 親権を移し、遺産を放棄させた。
 彼の未来を勝手に変えてしまった。

 カリスは気づいていた。
 マリアが想像以上に深く傷つき、追い詰められていることを。

「大丈夫、何も問題はありません」

 そう言って、彼女を抱きしめる。

「ライアンがイーサンの唯一の息子なら、スウィントン男爵家を継ぐのは彼です。彼の将来は、彼自身が選べばいい」

 軽く言う。
 けれど、込められた意味は重い。

 サーラも歩み寄る。

「ライアン君は、私と姉さんがお世話します。早く、目が見えるように、お姉様は研究に戻って下さい」

 マリアには、言葉にできない、もうひとつの恐れがあった。

 ――今の家族を、ライアンにかき回されたくない。

 守りたい。
 壊したくない。

 ようやく手に入れた穏やかな日々を、もう失いたくなかった。

 ライアンはあまりにも、イーサンに、似ている。

「サーラ、この子は我儘なの……きっと手に負えないわ」

 その不安は、自分の未熟さへの恐れでもあった。

「ディアンナ姉さんは我儘を許しません。きっと厳しく指導してくれますよ?」

 末っ子のサーラは穏やかに返答した。

「私も我儘を言って、よく叱られました」

 そう言って、笑った。

 サーラの後を、カリスが続ける。

「彼はたったの八歳です。やり直すには十分だ。それに、まだ書類は手元にある」

「書類?」

「ええ、ライアンの親権はまだそのまま。イーサンの遺産だって、まだ放棄していないのです」

 マリアはゆっくりとカリスを見上げた。

「だから、問題ありません」

「カリス……愛してるわ。貴方が夫で幸せだわ」

 カリスはキスで返す。自分も同じ気持ちだと。


 マリアには、まだ消えないわだかまりがあった。

 でも。
 
 “やり直す”。

 ライアンだけじゃない。
 自分も。

「今のライアンにはマリアしかいない。だけど、貴方には私達、家族が付いています」

 カリスの言葉に揺るぎはない。

 ──ひとりじゃない。

 その事実が、ゆっくりと胸に広がる。

 救ってくれるのは、いつも彼だった。

「ありがとう。私の夫は、本当に優秀な弁護士さんだわ」

「お褒めに与り、光栄です」

 二人は顔を見合わせ、笑った。


 マリアはようやく理解する。
 母親に戻ることは、過去に戻ることではない。

 愛を乞い、縋る母親には、二度と戻らない。

 息子を支える存在、安全な居場所になろう。

 ただそれだけでいいと。

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