百日紅の咲く場所で、あの日私達は死んだ

ミカン♬

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3 笑うラリッサ

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「両親は認めてくれませんでした。申し訳ありません」

 サロンでリュシアンは、情けない気持ちで頭を下げていた。

 ヘンリー・ロンブル侯爵はゆっくりと息を吐く。
 そのため息に、怒りが混じる。

「我が娘の、何が足りないというのだ」

「お父様、それでも私はリュシアンを愛しているの」

 震える声。
 涙を浮かべるシルビーに、侯爵の心臓が締めつけられる。
 この子が泣く理由など、この世から消してしまいたいと本気で思う。

「同意など不要だ。婚姻は私が認める。リュシアンは今日から、ここに住みなさい」

 決断は早かった。
 愛ゆえの、盲目な決断。

「はい、有難うございます!」

 リュシアンの顔がぱっと明るくなる。
 その安堵が、侯爵には誠実に見えた。

 侯爵夫人が、ゆるやかに微笑む。
 その笑みは甘く、どこか艶を帯びている。

「良かったわね。リュシアンが婿入りすれば、この家も安泰ね」


「ああ、私の手伝いをしっかり頼んだよ」

「お任せください」

「リュシアンの部屋を用意しなきゃ! 後で一緒に決めましょうね」

 弾むシルビーの声に、皆がつられるように笑う。

 庶子として肩身の狭い思いをしてきた娘が、ようやく祝福される。
 そう信じた。

 シルビーは侯爵家の恩恵を受けて当たり前。

 未来は明るく、疑いようもなく幸福だと。

 家族は笑っていた。

 ――この瞬間までは。


 団らんの空気を裂くように、老執事モリーが姿を現した。

「旦那様、ラリッサお嬢様がお呼びです」

「何だと⁉ 私を呼びつけるなどと、生意気な」

 侯爵の顔に浮かぶのは、露骨な嫌悪。

 ラリッサ。
 シルビーを虐げ、父を軽蔑し、正義を振りかざす娘。
 亡き前妻に似すぎた、あの目。

「全く、あの女にそっくりだ! 用があるならここに来るよう伝えろ!」

 “あの女”。

 その言葉に、モリーの背筋がわずかに強張る。
 彼は、亡き奥様に仕え続けた男だった。
 その誇りを胸に、いまもこの屋敷に残っている。

 ──入り婿殿の分際で。

 怒りを飲み込み、淡々と告げる。

「バンシオン伯爵夫人もご一緒にお待ちです」

「は?」

 それは前妻の妹の名。

「旦那様、お急ぎください」

「いったい何の用だ?
 ふん、待たせておけばいい。挨拶にも来ないで、失敬な!」

 侯爵は動かない。
 自分が呼ばれる立場であることを、決して認めたくないように。

 それに。
 バンシオン伯爵夫人は、最後まで自分の婿入りを、前妻に反対し続けた女。
 その確執で、前妻と夫人は疎遠になっていた。

(今さら訪れたのはなぜだ?)

 不安になりつつも、彼は動かなかった。

 モリーは深く一礼し、静かに退いた。


 一方、執務室では。

 重厚な机の上に書類が広げられている。
 インクの匂いが、空気を張りつめさせていた。

 ラリッサはペンを置いた。

「これで終わったわ」

 向かいには、ウィロー・バンシオン伯爵夫人。
 その隣に次男のサイラス。

 ラリッサが待ちわびた二人。


「本当に後悔しないのね?」

 ウィローの問いは優しく、重い。


「ラリッサ、まだ間に合うぞ?」

 ラリッサは、懸念する従兄を見つめ、ゆっくりと口角を上げた。
 サイラスにはそれが、泣きそうな顔に見えた。

「後はお任せするわね。私はこんな家、さっさと逃げ出したいの」

 軽い口調。
 けれど、長年溜め込んだ痛みが滲んでいる。

 そこへ執事のモリーが戻る。

「お待ちいただくよう、言われました」

 ラリッサの目が、冷たく細まる。

「そう。まだ分かってないのね、あの男は。この書類を貴族院に届けて、急いで」

 署名入りの紙の束を差し出す。

「かしこまりました」

 モリーが出て行くと椅子を引く音が、静かな部屋に響いた。

 ラリッサは立ち上がる。

 まだ逃げるわけにはいかない。

「終わらせるわ」


 *


 サロンの扉が、悲鳴のような音を立てて開いた。

 次の瞬間、使用人たちがなだれ込んでくる。

 整えられていたはずの空気が、一瞬で乱れた。

「なんだ! 出て行け!」

 今まで侯爵の怒声は、絶対の力を持っていた。
 けれど今日は違った。

 誰一人として足を止めない。

 使用人たちは無言のまま、家族四人を取り押さえる。

 腕をねじ上げられ、豪奢な絨毯の上で体勢を崩すその姿は、昨日までこの屋敷の主だった面影はない。

 シルビーと夫人は恐れて声も出せない。

 リュシアンは状況を理解しようと必死だった。
 怒鳴り散らせば解決する問題ではないと、本能が告げている。

「説明をしてください」

 その声だけは、かろうじて理性を保っていた。

 そして。

 静かな足音が、場の中心へと近づく。

 ラリッサだった。

 彼女は騒ぎの中、まるで舞踏会の主役のように微笑んだ。

「説明? 今日、私は18歳になったの。この国の法律で一人前とみなされ、侯爵家の主になった。後見人の干渉は不要なの」

「ふざけるな! 私はお前の父親だ」

 声は怒りで震える。
 だがラリッサの瞳には、敬意も、愛情も見えない。

「その母娘を家に連れて来た時点で、親子の縁など切ったわ。貴方達はただの邪魔ものよ」

 言葉は冷酷だ。
 しかし、彼女はずっと、家族の中心から追い出される側だったのだ。

 シルビーが叫ぶ。

「私はお姉様の、血を分けた妹じゃないですか!」

「父親の面倒を最後まで見ると、約束したはずだ!」

 侯爵が怒鳴るが、縋る声に近い。

 ラリッサは小さく肩をすくめた。

「それは、アナイスお姉様が言ったことよ。私は関係ないわ。さあ、追い出しなさい!」

 完全な決別だった。

 使用人たちは迷わない。
 力づくで家族を引きずり出していく。

 サロンに残ったのは、乱れた椅子と、踏みにじられた家族の威厳、そして——

 笑うラリッサだけだった。

 

 
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