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第三章
第三章 ~『優遇された部屋』~
しおりを挟む馬車がゆっくりと後宮の門前にたどり着く。雪華は窓から見える壮麗な建物を眺めながら、胸の奥に少しの緊張が走るのを感じる。
幾度も通ったことのある場所ではあるが、その威厳ある雰囲気にどうしても慣れることができなかった。
馬車から降り立った雪華は、見知った顔の男に会釈する。堅成という名の門番で、堂々とした体つきと、整った顔立ちが目を引く。背筋の伸びた姿勢は一見すると威厳を感じさせるが、雪華が訪問者だと気づくと、愛想を浮かべる。
「話は聞いている。正式な女官として働くんだってな」
「今日から同僚になるわけですね」
「よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
雪華は頭を下げる。彼の落ち着いた物腰に、雪華の緊張はほぐれていった。
「買手知ったる仲ではあるが、一応、俺も門番だ。積荷の確認はさせてもらうぜ」
「どうぞ。ただ馬車の中にシロ様がいるので気をつけてくださいね」
「シロ?」
「子供の狼です」
堅成が馬車の中を覗き込むと、柔らかな白の毛並みを持つ子狼が丸まっていた。
「許可は取っているのか?」
「いえ、ただ以前にも妲己様に頼まれて、連れてきたことがありますから。問題ないと思っていました」
「俺が非番の日だな……」
堅成は悩むように唸り声をあげるが、シロの姿を見つめて口元を緩ませる。
「まぁ、いいか。まだ子供だしな」
狼といえども、幼いその姿は愛嬌に溢れている。堅成もその魅力に気を緩めたのか、連れ込むことに反対しなかった。
それからも手際よく荷物の検査を始め、後宮に持ち込んで問題ないかを確認していく。
やがて、検査を終えて、堅成は満足そうに頷く。
「問題なし。すべて持ち込み許可品の範囲内だ」
「なら通らせていただきますね」
「宿舎の場所は分かるのか?」
「いえ……」
「ついでだからな。案内してやる」
「良いのですか?」
「これから同僚になるんだ。遠慮するな」
「では、お言葉に甘えますね」
雪華は堅成に先導される形で門を超える。馬車に乗るように指示されなかったのは、宿舎がここから近いからだろう。
荷物を抱え、シロを連れた雪華の眼の前には広大な敷地が広がっており、庭園では緑と美しい花々が彩りを添えている。
敷地を進むごとに、荘厳な建物が次々と姿を現していき、しばらくして、ある一角で堅成は足を止める。
「ここが雪華の宿舎だ」
目の前に現れたのは、他の宿舎と比べて一際立派な建物だった。高くそびえる門に小さな中庭、屋根には装飾が施され、細部にまで気を配られていた。
「これほど立派な宿舎が用意されるとは思いませんでした」
「驚くのはまだ早い。中に入ればもっと驚くぞ」
雪華は宿舎の中を案内される。広い廊下はゆったりとした造りになっており、両側に小さな採光用の窓が並んでいる。自然の光が柔らかく差し込んでいるため、心地よい雰囲気に包まれていた。
廊下を進み、階段を登ると、重厚な扉の前に辿り着く。最上階の角部屋だった。
「ここが雪華の部屋だ」
堅成によって開かれると、待っていたのは高い天井だった。淡い灰色の漆喰で塗られた壁は上品な印象を与え、大窓からは後宮を見渡せる作りになっている。
部屋の中央には長机が置かれ、整然と筆や墨が並べられている。隅には寝台が置かれ、フカフカの寝具が敷かれていた。
「素敵な部屋ですね」
「この宿舎の中だと、一番人気の部屋だからな」
「もしかして妲己様が配慮してくれたのでしょうか?」
雪華が控えめに尋ねると、堅成は静かに首を横に振る。
「贔屓ではないから、安心しろ。後宮では、一芸に秀でた者は他の女官よりも優遇されることが多くてな。画師としての才能を認められた結果、この部屋が割り当てられただけだ」
もちろん女官としての常識の範囲内ではあると、堅成は続ける。眺めの良い最上階で角部屋ではあるものの、豪華絢爛とはいえない。少しばかりの贅沢として、雪華はありがたく優遇を受け取ることにする。
「それと直属の上司は太妃様になるそうだ」
「それはありがたいですね」
口うるさい上役がいなければ、絵を描くことに専念できる。国で一番の画師になるという夢を追いかけるために最適な環境を妲己は用意してくれたのだ。
「高額の給金も出るし、羨ましくなる待遇だな」
「堅成様の給料は安いのですか?」
「門番だからな。市井の男たちと比べれば恵まれているが、裕福とは程遠いな」
もっと出世したいと堅成は闘志を燃やす。上昇志向の高さを微笑ましく感じていると、大窓の外を飛ぶ鳥の存在に気づく。
(リア様も到着したようですね)
カナリアのリアは雪華が飼っている小鳥であるが、馬車の中にいるよりも空を飛ぶのが好きなため、雪華を後から追いかけてきたのだ。
リアは嬉しそうに雪華に語りかける。その言葉は堅成には鳥が鳴いているようにしか聞こえないが、雪華はその内容をはっきりと理解できた。
「堅成様、出世のチャンスかもしれませんよ」
「どういうことだ?」
「実は怪しい男が外壁をよじ登ろうとしているようでして……これを阻止できれば、給料アップに繋がるのでは?」
雪華はリアから聞いた情報をそのまま堅成にも伝える。だが彼は信じられないと、疑念を表情に浮かべる。
「どうして怪しい男がいると分かったんだ?」
「それは……」
リアから聞いたと伝えても信じてもらえないだろう。答えに窮したまま、雪華がジッと窓の外を見つめていると、納得したように堅成が頷く。
「もしかして視力が良いのか?」
「は、はい、実はそうなんです」
「へぇ~、それは凄い特技だな……よし、雪華が俺を騙すはずがないからな。信じてみるよ。もし成果が出たら、今度、飯でも奢るから期待していてくれ」
「楽しみにしています」
去っていく堅成を見送ると、雪華は微笑む。ここから新生活が始まるのだと、胸を高鳴らせるのだった。
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