16 / 39
第三章
第三章 ~『彫師と画師の対立』~
しおりを挟む雪華は持ち込んだ荷物を、ひとつひとつ丁寧に片付けていく。部屋の隅に置かれた収納棚に筆や墨などの画材を仕舞うたびに、この部屋が少しずつ自分の居場所になっていくような感覚を抱く。
荷物が少ない分、片付けはすぐに終わる。少しの休息をとると、次は画房に向かうために静かに立ち上がった。
画師としての役目が始まることに胸の高鳴りを感じながら、雪華は画房へと足を向ける。
回廊を進み、長い廊下を幾つも越えた先に、画房の入り口が見えてきた。雪華は深呼吸をしてから、重厚な木製の扉に手をかける。
「失礼します」
ゆっくり押し開け、画房に足を踏み入れる。精緻な木彫りの装飾が施された高い天井と柔らかな自然光に包まれた空間が出迎えてくれる。
壁には数々の水墨画が掛けられており、牡丹の華を繊細に描き出した花鳥画や女官たちの姿を写した肖像画など、どの絵にも気品が漂っていた。
(素敵な絵ですね)
雪華が飾られた絵に魅入られていると、ふいに背後から柔らかな声が響く。
「この絵に興味があるの?」
振り返ると、そこには自分と同じ年頃の小柄な女性が立っていた。丸みを帯びた輪郭に、艶やかな黒髪が肩にかかるように整えられている。
淡い紫の上着には銀糸で精緻な刺繍が施されており、その色合いが透明感のある白い肌を映えさせていた。
「あなたは?」
「同僚になる紫蘭よ。この絵を描いた画師でもあるわ」
その言葉に雪華が驚きの表情を浮かべると、紫蘭は優しく笑みを浮かべる。
「私たちは仲間であると同時にライバルでもあるわ。これからは切磋琢磨し合って、互いを高めていきましょう」
「ライバルなんてそんな……まだまだ私は未熟者ですから。勉強させてもらいます」
雪華は率直な気持ちを口にしたが、紫蘭は軽く肩をすくめる。
「謙遜しなくてもいいわ。画師として後宮に採用された時点で、凡夫でないことは保証されているもの」
「本当に私は……」
雪華は謙遜の言葉を重ねるが、それに対して、紫蘭は手をパンと叩く。
「そうだわ、あなたの実力を見せてくれないかしら」
紫蘭の視線の先には作業台が据えられており、側に置かれた丸机には筆や墨が揃えられている。
絵を描いて欲しいと望まれていると知り、雪華は作業台の前に設置された椅子に腰掛ける。すると、それに呼応するように、窓の外からカナリアが舞い込み、華麗な羽ばたきで雪華の肩に軽やかに止まる。
「その子鳥は?」
「私の家族のリア様です」
雪華がリアを優しく撫でると、嬉しそうにくちばしを軽く開けて、雪華の指と戯れる。その仕草から雪華とリアの深い絆が垣間見えた。
「ではリア様の絵を描かせていただきますね」
雪華は深呼吸をすると、それに合わせるようにリアが目の前の机の上へと移動する。モデルとなってくれたリアに感謝しながら、静かに筆を走らせていく。
繊細な羽毛の質感、柔らかに見える翼の形、そして愛らしい瞳の輝きを一心に描き出していく。
筆が動くたびに、リアの姿が紙の上に浮かび上がっていく。微細な陰影が施され、軽やかな美しさと生命力が見事に表現されていた。
紫蘭は目を見開き、言葉を失ったようにその絵に魅入られる。表情には感嘆が浮かんでいた。
「これほどの才能とはね……礼房に飾られている馬の絵もあなたが描いたものね?」
「ご覧になられたのですね」
「あれほどの傑作だもの。まさかあの絵を描いた天才画師とライバルになるとは思わなかったけどね」
紫蘭は一呼吸置くと、雪華に向かって手を差し伸べる。
「これから一緒に腕を磨いていきましょうね」
「はい、よろしくお願いします」
雪華はその手をしっかりと握り返し、目を輝かせる。切磋琢磨できる環境は成長の起爆剤となる。これからの画師としての生活に期待していると、急に画房の扉が開かれる。
「失礼するわね」
冷たい声と共に入室してきたのは、鋭い眼差しをした一人の女性だった。不敵な笑みを浮かべる表情には、傲慢さが垣間見えた。
体格は華奢だが、佇まいに威圧感がある。纏ったその暗い衣装は、冷徹な性格が映し出されているかのようだった。
「相変わらず辛気臭いところね」
「あなたは?」
「私は玲瓏。彫師よ」
雪華が問うと、玲瓏と名乗った女性は鼻を鳴らす。その声には棘が混ざっており、言葉の節々に軽蔑が滲み出ていた。
「雪華、あまり構わない方が良いわよ。面倒な性格の持ち主だから」
「聞こえているわよ、紫蘭!」
「ついでに地獄耳。だからいつも苦労させられているの」
紫蘭は肩をすくめて、うんざりとした口調で返す。その声も聞こえていたのか、玲瓏の眼光がより鋭さを増した。
「まぁいいわ。今日の用件は紫蘭じゃないもの」
「なら何しに来たのよ?」
「新人が配属されたと聞いたから、顔を見に来てやったのよ」
玲瓏は雪華を値踏みするように上から下まで視線を移動させる。その眼差しには軽蔑の色が混ざり、口元には冷笑が浮かんでいた。
「やっぱり画師の新人なだけあって冴えないわね。改めて彫師の方が優れていると実感できたわ」
「随分な自信ですね」
「紙に描いた絵は脆いもの。でも彫刻は違うわ。石や木に刻まれたものは永遠に残る。皇族の偉大さを後世に伝えていくのに彫刻は最も適しているの!」
玲瓏の饒舌は止まらない。一歩雪華に近づくと、視線をぶつける。
「さらに私たち彫師は、彫刻のような鑑賞品以外にも、食器を始めとした生活用品にも美を施してきたわ。絵しか描けない画師とは違う。私たちこそが本物の芸術家よ」
玲瓏の辛辣な言葉に、雪華の胸にじわりと怒りが湧き上がる。だが決して感情的にはならずに、心を静めながら玲瓏をまっすぐ見返すと、静かな声で応じた。
「確かに彫師の仕事は素晴らしいです。ただ絵にも価値はありますよ」
玲瓏は一瞬、面食らったように目を細めて、唇を微かに動かす。だがすぐに驚きは冷笑に変わる。
「彫刻に勝っている部分があるとでも?」
「絵は墨の濃淡で動きを表現しやすいですから。風が草木を揺らす瞬間や動物たちの動きをより細かく再現できるのは長所だと考えています」
雪華の説明に反論できないからか、玲瓏は黙り込む。そのまま追撃を加えるように、彼女は言葉を重ねる。
「その長所は私を招いてくれた太妃の妲己様も理解されているはずです。でなければ、画師を採用するはずがありませんから」
「うぐっ……で、でも……」
玲瓏は反論したくても反論できない。画師の役割を否定するのは、採用した皇族の決断を軽んじることに繋がるからだ。
「発言が誤っていたと認めて頂けますね?」
雪華は柔らかな微笑を浮かべて問いかけると、玲瓏は悔しげに口元を強く引き結ぶ。
「わ、私はあなたを許さないから!」
吐き捨てるように叫ぶと、玲瓏は苛立たしげに身を翻して、足早に画房を後にした。足音は廊下からでも響き渡り、そのたびに床を力強く踏みしめるような音が続く。
玲瓏が去り、部屋に静寂が戻ると、紫蘭がにこやかに笑いながら、雪華の方に顔を向ける。
「やり返してくれ、ありがとう。スカッとしたわ!」
「私も黙ってばかりはいられませんでしたから」
「あなたとなら上手くやっていけそうね」
「同感です」
紫蘭は親しげに雪華の肩を叩く。二人の間には信頼が生まれ、心が弾むのだった。
41
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。
夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。
辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。
側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。
※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する
3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
婚約者である王太子からの突然の断罪!
それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。
しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。
味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。
「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」
エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。
そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。
「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」
義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜
咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。
もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。
一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…?
※これはかなり人を選ぶ作品です。
感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。
それでも大丈夫って方は、ぜひ。
婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました
かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」
王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。
だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか——
「では、実家に帰らせていただきますね」
そう言い残し、静かにその場を後にした。
向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。
かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。
魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都——
そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、
アメリアは静かに告げる。
「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」
聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、
世界の運命すら引き寄せられていく——
ざまぁもふもふ癒し満載!
婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!
地味だと婚約破棄されましたが、私の作る"お弁当"が、冷徹公爵様やもふもふ聖獣たちの胃袋を掴んだようです〜隣国の冷徹公爵様に拾われ幸せ!〜
咲月ねむと
恋愛
伯爵令嬢のエリアーナは、婚約者である王太子から「地味でつまらない」と、大勢の前で婚約破棄を言い渡されてしまう。
全てを失い途方に暮れる彼女を拾ったのは、隣国からやって来た『氷の悪魔』と恐れられる冷徹公爵ヴィンセントだった。
「お前から、腹の減る匂いがする」
空腹で倒れかけていた彼に、前世の記憶を頼りに作ったささやかな料理を渡したのが、彼女の運命を変えるきっかけとなる。
公爵領で待っていたのは、気難しい最強の聖獣フェンリルや、屈強な騎士団。しかし彼らは皆、エリアーナの作る温かく美味しい「お弁当」の虜になってしまう!
これは、地味だと虐げられた令嬢が、愛情たっぷりのお弁当で人々の胃袋と心を掴み、最高の幸せを手に入れる、お腹も心も満たされる、ほっこり甘いシンデレラストーリー。
元婚約者への、美味しいざまぁもあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる