後宮画師はモフモフに愛される ~白い結婚で浮気された私は離縁を決意しました~

上下左右

文字の大きさ
17 / 39
第三章

第三章 ~『大型犬と承徳との再会』~

しおりを挟む

 日が西に傾き、夕陽の柔らかな光が画房に差し込んでいる。

 部屋全体が朱に染められた空間で、雪華せっかは最後の一筆を慎重に書き入れ、一枚の水墨画を完成させる。描き終えた達成感から小さく息を漏らした。

「終わったの?」
「はい。よろしければ見てみますか?」
「お手並み拝見といこうかしら」

 紫蘭しらん雪華せっかの後ろから絵を眺める。それは九尾の狐を描いたもので、九本のしなやかな尾が舞い上がるように広がっていた。

 尾の一本一本が墨で濃淡を加えられ、躍動しているかのような立体感がある。神聖な存在としての威厳が紙の上から伝わってきた。

 紫蘭しらんは絵をジッと見つめると、称賛の拍手を送る。

「凄いわね。まるで生きているような迫力があるわ」
「最近、動きの大きい絵も練習中でして……妲己様にも上手くなったと褒められるんですよ」
「これだけの作品だもの。当然の評価ね……特に九尾の狐は縁起物としての需要も高いから、欲しがる人は多いでしょうね」

 称賛を素直に受け入れ、雪華せっかは自信を顔に滲ませる。画師として自分の作品に誇りを抱いているからこその表情だった。

(絵が完成しましたし、今日は部屋に戻るとしましょう)

 使用した筆を布で拭き取り、片付けを終えた雪華せっかは立ち上がって、紫蘭しらんに頭を下げる。

「私は先に失礼しますね」
「お疲れ様、また明日ね」

 紫蘭しらんが手を振りながら見送ってくれる。雪華せっかもまた挨拶を返し、画房を後にする。

 外に出ると、空は夕焼けに染まり、徐々に夜の藍色が広がり始めていた。冷たい空気が漂う中、廊下の向こう側に見知った小さな影を見つける。

「シロ様! 迎えに来てくれたのですね!」

 子狼のシロが雪華せっかの元へと駆けてくる。嬉しそうに耳をぴんと立てて、尻尾を振る姿は愛らしく、雪華せっかはしゃがみ込んでシロを抱きかかえた。

 ふわふわとした毛並みの感触とぬくもりが冷えた手に心地よく伝わってくる。彼女の腕にすっぽりと収まったシロは、雪華せっかの胸元に顔を埋め、甘えるように小さな声を出した。

「せっかく、迎えに来てくれましたから。一緒に散歩していきましょうか」

 提案を受け入れるように、シロは尻尾の振りを強くする。ふわふわと揺れる白い尻尾が喜びを物語っていた。

 雪華せっかはシロをそっと下ろして、並んで歩く。尻尾を振りながら、周囲を見渡すシロの動きが微笑ましく、雪華せっかの心は自然と和んでいった。

 やがて、以前、雪華せっかが訪れた庭園へと辿り着く。薄暗くなったことで、緑が落ち着いた色合いに染まっている。

 そんな中、長椅子に腰掛ける青年が空を見上げている姿を目にする。その人物は忘れようもない、後宮に入るようにと雪華せっかの背中を押してくれた承徳しょうとくだった。

 黄金の髪は薄暗くとも輝いており、澄んだ瞳は透明感を増している。雪華せっかが近づくと、彼も存在に気づいたのか、柔らかい笑みを浮かべた。

「久しぶりだね。それと聞いたよ。正式に後宮で女官として働くことを決めたようだね」
承徳しょうとく様のおかげで決心できました」
「私はたいしたことはしていないさ。家族から離れても夢を追いかける覚悟を持てたのは、雪華せっかに勇気があったからだよ」

 承徳しょうとくとの会話には自然と心が満たされていく不思議な感覚があった。その感覚に浸っていると、彼がシロを見据える。

「その子供の狼は?」
「私の家族のシロ様です。可愛いでしょう?」
「とてもね……頭を撫でてもいいかな?」
「もちろんです」

 許可を得た承徳しょうとくがゆっくりとシロに手を伸ばし、頭をそっと撫でる。

 シロはその心地よさに目を細めてから、甘えるように彼の手にすり寄る。シロの小さな耳がピクリと動き、尻尾が軽やかに揺れていた。

承徳しょうとく様は相変わらず動物がお好きですね」
「人と違って、身分で人を判断したりしないところも魅力的だからね」
「身分ですか?」
「あ、いや、こちらの話さ」

 承徳しょうとくはどこか哀愁を含ませた笑みを浮かべる。雪華せっかの心に小さな疑問と興味を残したが、それ以上問うのは控える。彼が話したくなれば、自然と会話に出てくるだろうと判断したからだ。

 それからも雪華せっか承徳しょうとくは会話を重ねる。二人の話が盛り上がっていく中、ふと視界の端に人影が映る。

 その影の正体は彫師の玲瓏れいろうだった。その手には革紐が握られ、その先には大型犬が繋がっている。たくましい体つきと、漆黒の毛並みは、周囲を威圧するような存在感を放っていた。

 さらに玲瓏れいろうの後ろには、数人の女官たちが取り巻きのように控えている。雪華せっかはその立ち振る舞いから、後輩なのだろと直感した。

「また会ったわね」
「私は別に会いたくはありませんでしたが……」
「ふん、口の減らない女ね」

 皮肉交じりの言葉に空気が張り詰める。雪華せっかはその挑発を受け流しながら、玲瓏れいろうが連れている大型犬に目を向ける。

「立派なワンちゃんですね」
「わざわざ外国から取り寄せた犬種なのよ。だからサイズもこの国の犬より一回り大きいの。でも安心しなさい。私が命じない限り、人を襲ったりはしないから」

 その言葉に反応するように、大型犬は低く唸り声を上げる。その声には威圧が込められていたが、雪華せっかはその中に含まれた僅かな怯えを感じ取る。

「もしかして不遇な目にあっているのですか?」

 雪華せっかが問いかけると、「ワン」と答えが返ってくる。常人であれば、その意図を理解できないが、彼女は違う。何が行われてきたのかを把握し、眉間に皺を寄せる。

「躾と称して、ご飯を与えていないそうですね」
「――ッ……ど、どうしてそれを……」

 玲瓏れいろうは不意に言葉を詰まらせると、取り巻きの女官たちに疑いの眼差しを向ける。彼女らは無実だと首を横に振るが、玲瓏れいろうの視線はより険しいものになった。

「取り巻きの方々から聞いたわけではありませんよ。そもそも私が正式に後宮で働くようになったのは今日からですしね」
「ならどうして知っているのよ?」
「動物と接することに慣れているおかげで、声から判別できるのですよ」

 雪華せっかの特技に玲瓏れいろうが驚く中、承徳しょうとくが立ち上がって一歩前に出る。彼は玲瓏れいろうをまっすぐに見つめると、その瞳に鋭い威圧を含める。

「もし君が動物を虐めているとしたら、私も許せないかな」

 その一言には言葉では言い表せないほどの迫力が込められていた。玲瓏れいろうは後退り、連れていた大型犬を手から離す。

 逃げ出した犬の後を追うように、取り巻きの女官たちも互いに視線を交えてから、一斉に駆け出す。

「ど、どこに行くのよ!」

 玲瓏れいろうは焦りの色を隠せないまま、振り返って女官たちに呼びかける。しかしその声で足を止めるものはいなかった。

 犬も後輩たちも姿を消し、残された玲瓏れいろうは、一人ぽつんとその場に立ち尽くす。

「お、覚えてなさい」

 玲瓏れいろうは顔を紅潮させ、悔しさを滲ませながら、その場から立ち去る。去っていく彼女の背中には、屈辱と苛立ちが滲んでおり、いつもよりどこか小さく見えたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました

かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」 王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。 だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか—— 「では、実家に帰らせていただきますね」 そう言い残し、静かにその場を後にした。 向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。 かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。 魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都—— そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、 アメリアは静かに告げる。 「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」 聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、 世界の運命すら引き寄せられていく—— ざまぁもふもふ癒し満載! 婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!

地味だと婚約破棄されましたが、私の作る"お弁当"が、冷徹公爵様やもふもふ聖獣たちの胃袋を掴んだようです〜隣国の冷徹公爵様に拾われ幸せ!〜

咲月ねむと
恋愛
伯爵令嬢のエリアーナは、婚約者である王太子から「地味でつまらない」と、大勢の前で婚約破棄を言い渡されてしまう。 全てを失い途方に暮れる彼女を拾ったのは、隣国からやって来た『氷の悪魔』と恐れられる冷徹公爵ヴィンセントだった。 ​「お前から、腹の減る匂いがする」 ​空腹で倒れかけていた彼に、前世の記憶を頼りに作ったささやかな料理を渡したのが、彼女の運命を変えるきっかけとなる。 ​公爵領で待っていたのは、気難しい最強の聖獣フェンリルや、屈強な騎士団。しかし彼らは皆、エリアーナの作る温かく美味しい「お弁当」の虜になってしまう! ​これは、地味だと虐げられた令嬢が、愛情たっぷりのお弁当で人々の胃袋と心を掴み、最高の幸せを手に入れる、お腹も心も満たされる、ほっこり甘いシンデレラストーリー。 元婚約者への、美味しいざまぁもあります。

処理中です...