後宮画師はモフモフに愛される ~白い結婚で浮気された私は離縁を決意しました~

上下左右

文字の大きさ
18 / 39
第三章

第三章 ~『展示会での才能』~

しおりを挟む

 正式な女官となってからの生活に慣れてきた雪華せっかは、いつものように画房で絵と向き合っていた。

 墨の香りに包まれた静かな空間で、雪華せっかは次の一筆をどこに入れるべきかを見極めるべく唸り声をあげている。

 描いている作品はかつて領内の森で見かけた子鹿の親子だ。母親の優しい眼差しと、それに寄り添う子鹿の仕草を表現するため、慎重に筆を動かしていく。見る者を引き込むような魅力が吹き込まれた瞬間でもあった。

「今回も傑作に仕上がったわね」
「ありがとうございます。紫蘭しらん様の作品も素晴らしいものになりそうですね」

 隣の作業台に目を向けると、そこには紫蘭しらんの描きかけの風景画が広げられていた。上質な紙の上に墨の濃淡が山の特徴を捉えており、完成すれば大作になることを予感させられた。

「まぁね。これは展示会に出す作品だから気が抜けないもの」
「展示会ですか?」
「あ~、そういえば説明してなかったわね。月に一度、後宮で雇われている画師や彫師が合同で作品の展示をするの。後宮で働く女官や宦官たちの娯楽の一環にもなっているから、周囲からの期待も大きいイベントなのよ」
「それは面白そうですね!」

 大勢の人に自分の作品を楽しんでもらえる。国一番の画師となる夢を叶えるためにも、このチャンスを逃したくはなかった。

「私も展示してよろしいでしょうか?」
「もちろんよ。過去に描いた作品でも、展示会までに新しい作品を描くでも構わないわ。皆を驚かせるような傑作を期待しているわね」

 雪華せっかは力強く頷く。彼女はどういうものを展示するのか、心の中で既に決めていたからだ。

(あの絵を形にする時が来ましたね!)

 雪華せっかの胸の奥から熱い情熱が湧き上がってくる。その情景は頭の中で鮮明に描かれている。後は筆を動かすだけだ。

 それから時は過ぎていく。いつもなら数時間で作品を仕上げる雪華せっかだが、今回はいつも以上に細部に力を込めていたせいか、時の流れは早かった。着々と締め切りが迫り、やがて展示会当日を迎えた。

 展示会の会場となる大広間を訪れた雪華せっかは固唾を飲む。

 朝の光が天窓から差し込み、部屋に飾られた彫師たちの作品の陰影を際立たせている。作品も多岐にわたり、木彫りの熊や、漆塗りの箱、細かな模様が施された箸に、装飾の美しい椅子など、彫師の技術と魂が込められた作品ばかりだった。

(私の作品もここに並ぶのですね……)

 雪華せっかも芸術家の端くれである。彫師たちの作品は専門外ではあるが、完成度の高さを感じ取れる感性があった。

(私も負けてはいられませんね!)

 ライバルが手強いほど燃える。雪華せっかが闘志を燃やしていると、見知った人影が近づいてきた。

雪華せっか、おはよう。もう会場にいたのね」
「この日を楽しみにしていましたから」
「その気持ち、よく分かるわ。私も昨日は興奮して眠れなかったもの」

 作品のお披露目は画師にとって最大の喜びだ。展示物を鑑賞しにきてくれた人たちの反応を期待して、興奮を抑えきれずにいた。

紫蘭しらん様の作品はどちらに?」
「入口から少し遠いところにあるの。彫師の方が人数は多いから、どうしても展示場所は不利になるわね」

 彫師は生活で使用するものにも多く関わっている。だからこそ作品数も多く、広いスペースを優先的に与えられていた。

「でも多少の不利は関係ないわ。魅力的な作品はそれを覆すだけの力があるもの」
「ですね」

 それを証明するように、紫蘭しらんの絵の前まで移動すると、大勢の鑑賞客が足を止めていた。

 紫蘭しらんの風景画は、背景にそびえる山々を描き、その印影を墨の濃淡で表現している。山の稜線は薄い墨でぼかされて絵に奥行きを与え、濃い墨で描かれた山肌は岩の質感をリアルに表現していた。

 その絵を見た瞬間、雪華せっかは思わず息をのむ。また驚嘆しているのは雪華せっかだけではない。技術の巧みさを感じ取った鑑賞客たちは、皆、呆然となりながら絵を見つめていた。

紫蘭しらん様はやはり凄い人ですね」
「尊敬するライバルからの称賛は悪くないわね」

 紫蘭しらんは僅かに赤らめた頬を掻く。二人の間に穏やかな空気が流れていると、足音が近づいてくる。

 振り向くと、そこには玲瓏れいろうの姿があった。その瞳には自信が満ちており、口元には微かな笑みが浮かんでいる。

 玲瓏れいろうは絵の前で立ち止まると、少し首を傾げながら紫蘭しらんの絵を一瞥する。そしてフンと鼻を鳴らした。

「この絵の出来は認めてあげてもいいわね」
「ありがとう。でも、あなたに褒められると、なんだか気持ちが悪いわね」
「芸術に嘘は吐けないもの。でもね、上出来だと認めつつも、私の方が上よ。それを今から証明してみせるわ」

 そう口にすると、玲瓏れいろうは部屋の中央に設置された台座の前まで移動する。そこには大きな布で覆われた何かが設置されており、厚手の黒い生地で作品の輪郭さえ見えないように隠されていた。

「皆さん、どうぞ、こちらにお集まりください。これより、本日の目玉作品を披露致します」

 玲瓏れいろうの声が大広間に響き渡る。その言葉に興味を惹かれた人々が、中央の台座の周りに集まってくる。

 玲瓏れいろうは布の端を掴むと、観客の期待を高めるためにゆったりとした動きで手を引いた。布が外れた瞬間、周囲からざわめきが起こり、中には感嘆の声を漏らす者もいた。

 台座の上に現れたのは、圧倒するほどの存在感を放つ大迫力の狐の彫刻だった。しなやかな体躯を表現された狐は、今にも動き出しそうな生命感を放ち、鋭い目は前方を見据えている。

 狐の傍らには、同じく彫刻で表現された梅の木が立っていた。幹が力強く音を張り、枝が伸びた先には繊細に刻まれた花が咲いている。

 梅の木はただの背景ではなく、狐との調和を意識した構図で掘られている。力強さと繊細さの対比が作品全体に深みを与え、鑑賞客たちの心を打った。

「なんて見事な……」
「狐がまるで生きているかのようだ……」

 部屋の中にどよめきが広がる中、玲瓏れいろうは傲慢さを含んだ笑みを浮かべる。そんな彼女を称えるように、ひときわ目立つ拍手の音が鳴り響く。それは背が高く、端正な顔立ちをした若い男が発したものだった。

「やるなぁ、さすが玲瓏れいろうだ」
方逸ほういつ、来てくれたのね~」

 玲瓏れいろうは柔らかい声で問いかけると、甘えるように距離を縮める。

玲瓏れいろう様の恋人でしょうか?)

 後宮にいる男は宦官だけだが、それでも恋仲になる者はいる。方逸ほういつと呼ばれた男がそうなのではと疑っていると、紫蘭しらんが眉をひそめていた。

「もしかして、紫蘭しらん様の知り合いですか?」
「まぁね……私の元恋人よ。ただ喧嘩別れしたから。二度と顔を見たくない相手でもあるわ」

 方逸ほういつ玲瓏れいろうは楽しそうに会話を重ねる。それから少ししてから、彼の方は用事があったのか大広間から去っていった。

 その背中を玲瓏れいろうは名残惜しそうに見つめる一方で、紫蘭しらんは睨みつけるように眺めていた。そんな時である。どこからか騒ぎの声が聞こえてきた。

「おい、あっちの絵が凄いらしいぞ」
「見てみようぜ」

 そんな囁きが人々の間で交わされ、台座の前から鑑賞客が消える。わずかに名残惜しむような視線が残るものの、皆、一枚の水墨画の元へと向かった。

 そこにある絵は、全体から温かな雰囲気が漂っていた。

 美しい青年が白い子狼を抱きかかえて、柔らかな笑みを浮かべている。尻尾を振る狼の動きが、墨の濃淡だけで表現されており、今にも飛び出しそうな迫力があった。その一方で、背景に浮かぶ薄い雲は静けさを演出しており、絶妙なバランスで調和されていた。

(やっぱり承徳しょうとく様とシロ様を描いたのは正解でしたね)

 その証拠に水墨画の前に集まった鑑賞客たちは一様に息をのんでいた。誰もが目を奪われ、言葉を失っている。

 そんな中、ある一人の女官が静かに呟く。

「こんなに心に響く絵は初めて……」

 その言葉に同意するように、周りの人々も一斉に頷く。その様子を少し離れた場所から見つめていた玲瓏れいろうは、表情を曇らせていた。

「どう? 私の同僚は凄いでしょう?」

 紫蘭しらんが話しかけると、玲瓏れいろうは鋭い目つきで睨みつける。その敵意ある瞳は雪華せっかにも向けられていた。

「私は紫蘭しらんには負けてないわ……」
「その通りよ。私はあなたに負けた。でもね、雪華せっかの才能は私や玲瓏れいろうより上よ。それは誰よりもこの場の皆が証明しているわ」

 大広間の鑑賞客のほとんどが雪華せっかの絵の前に集まっていた。その事実に玲瓏れいろうは怒りを隠すように歯を食いしばる。

「……覚えてなさい。次は勝つから」

 玲瓏れいろうはそれだけ口にすると、逃げるように大広間を後にする。悔しげな声が小さく反響するのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました

かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」 王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。 だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか—— 「では、実家に帰らせていただきますね」 そう言い残し、静かにその場を後にした。 向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。 かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。 魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都—— そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、 アメリアは静かに告げる。 「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」 聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、 世界の運命すら引き寄せられていく—— ざまぁもふもふ癒し満載! 婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!

地味だと婚約破棄されましたが、私の作る"お弁当"が、冷徹公爵様やもふもふ聖獣たちの胃袋を掴んだようです〜隣国の冷徹公爵様に拾われ幸せ!〜

咲月ねむと
恋愛
伯爵令嬢のエリアーナは、婚約者である王太子から「地味でつまらない」と、大勢の前で婚約破棄を言い渡されてしまう。 全てを失い途方に暮れる彼女を拾ったのは、隣国からやって来た『氷の悪魔』と恐れられる冷徹公爵ヴィンセントだった。 ​「お前から、腹の減る匂いがする」 ​空腹で倒れかけていた彼に、前世の記憶を頼りに作ったささやかな料理を渡したのが、彼女の運命を変えるきっかけとなる。 ​公爵領で待っていたのは、気難しい最強の聖獣フェンリルや、屈強な騎士団。しかし彼らは皆、エリアーナの作る温かく美味しい「お弁当」の虜になってしまう! ​これは、地味だと虐げられた令嬢が、愛情たっぷりのお弁当で人々の胃袋と心を掴み、最高の幸せを手に入れる、お腹も心も満たされる、ほっこり甘いシンデレラストーリー。 元婚約者への、美味しいざまぁもあります。

処理中です...