後宮画師はモフモフに愛される ~白い結婚で浮気された私は離縁を決意しました~

上下左右

文字の大きさ
19 / 39
第三章

第三章 ~『事件発生と冤罪』~

しおりを挟む

 朝の光が窓から差し込み、雪華せっかはゆっくりと目を覚ます。静寂を破るような鳥のさえずりを聞きながら体を起こすと、昨日行われた展示会の興奮がまだ残っており、胸の奥がじんわりと熱を帯びていた。

(夢に一歩近づきましたね)

 身支度を整えて、画房に向かう雪華せっかの足取りは軽い。展示会のおかげで雪華せっかの評判は広がり、『才能ある画師』として定着したからだ。

 口元が緩むのを抑えながら、雪華せっかは回廊を進む。すれ違う女官たちが初対面にも関わらず、微笑みかけてくれるのも、展示会での結果があってこそだ。

(正式に女官になったのは正解でしたね)

 自らの選択は正しかったと再認識した雪華せっかは、画房の前まで辿り着く。いつものように元気良く扉を開くと、そこに広がっていたのは非日常の光景だった。

 画房の中を宦官たちが慎重な手つきで調査していた。机の上に置かれた筆や墨を入念に確認している。

 時折、低い声で指示を交わす声が響き、そのたびに張り詰めた空気が一層重くなっていった。

(……何が起きたのでしょうか?)

 雪華せっかは周囲を見渡すと、取り調べを受けている紫蘭しらんの姿を見つける。険しい顔つきで、眼の前に座る宦官を睨んでおり、普段の落ち着きある態度を完全に失っていた。

紫蘭しらん様!」

 雪華せっかが声をかけると、紫蘭しらんの顔に華が咲いたような笑顔が浮かぶ。その声に反応して取り調べをしていた宦官も振り返る。その人物は雪華せっかのよく知る男であり、礼房れいぼうで働く静慧せいけいだった。

雪華せっかか……」
静慧せいけい様、いったい何が起きているのですか?」
「実は昨晩、ある事件が起きてな。その事件の担当を俺がすることになった。そしてその容疑者として疑われているのが紫蘭しらんだ」

 つまり宦官たちが画房を調査しているのは、事件の手がかりを得るためだと、静慧せいけいは語る。

「どのような事件が起きたのか聞かせてくれますね?」
「断るのは簡単だが、画房で働く雪華せっかにも関係する話ではあるか……良いだろう。教えてやる。昨晩、方逸ほういつという男が毒殺された」
「ど、毒ですか……」

 方逸ほういつは展示会にいた男で、紫蘭しらんの元恋人でもある。その彼が命を落としたという現実に実感が湧かなかった。

「あ、あの、確かに紫蘭しらん様は元恋人かもしれません。ですが、それだけで容疑者にするのは……」
「もちろん、理由はそれだけじゃない……昨晩、紫蘭しらん方逸ほういつの部屋を訪れている。さらに口論している声を聞いたやつもいる。疑うには十分すぎる根拠があるから容疑者になっているんだ」
「ほ、本当なのですか、紫蘭しらん様?」

 雪華せっかが問いかけると、紫蘭しらんは深く息を吸い込み、迷いのない声で答える。

「訪問と口論は事実よ。でも誓って殺してないわ。信じて、雪華せっか!」
「もちろん信じます。だから事件当日、何が起きたのか話してください」

 そこから無実の証拠を見つけられるかもしれない。そう伝えると、紫蘭しらんは意を決したように口を開く。

「実は方逸ほういつから何度も復縁を求められていたの。私はその度に断ったけど、それでも諦めなくて……でも最後に一度だけ食事をしてくれれば、もう私のことは忘れるからと約束してくれたの」
「それで彼の部屋を訪れたのですね」
「ええ、でもその言葉を信じた私が愚かだったわ。彼は諦めるつもりなんてなかったの」

 紫蘭しらんは目を伏せると、膝の上で手を強く握りしめる。昨夜のことを思い出してか、苦々しい表情を浮かべる。

「食事を終えても、方逸ほういつは諦めるどころか、私がいないと生きていけないと縋り付いてきたわ。だから私はもう構わないで欲しいとはっきり伝えて、そこから口論になったの」

 その時の大声を聞かれたのだろうと、紫蘭しらんは続ける。静慧せいけいはそんな彼女の証言に耳を傾けながら記録を残していたが、整理を終えたのか重々しく口を開く。

「それで?」
「その後、すぐに部屋を出たわ。話しても無駄だと悟ったから……だから毒なんて盛ってないの。信じて!」

 紫蘭しらんの言葉が画房に反響する。縋るような声は嘘を吐いているようには思えなかった。

「あの、自殺ということはないでしょうか?」

 雪華せっかが問いかける。復縁を持ちかけたが、断られた悲しみで命を絶った。そう考えれば辻褄が合うからだ。

「俺は違うと思う。あの男をよく知っているが、振られたくらいで死を選ぶような奴ではない」
「私も同感よ。言葉が羽のように軽いから、私と復縁できないと生きていけないという言葉もただの脅し文句よ」
「そうですか……」

 自殺でないなら、他殺ということになる。伝え聞く性格を考えると、方逸ほういつは遊び人のようだし、他に恨んでいる者がいてもおかしくはない。

「他に訪問者はいなかったのですか?」
「いない。あの部屋は壁が薄くて、来訪があれば、両隣の住人がすぐに気づくからな」
「では証言者たちが口裏を合わせている可能性は?」
「限りなく低いだろうな。なにせ動機がない。だが紫蘭しらんには復縁を迫られたくないという動機がある」
「なるほど……事情は理解できました……」

 紫蘭しらん以外に部屋を訪れた者がおらず、被害者は自殺するような性格でもない。そして彼女には命を奪うだけの動機がある。疑われるのも仕方のない状況だった。

(なんとか無実を証明しないとですね)

 心の中でそう誓っていると、外から大きな足音が響いてきた。画房の扉が勢いよく開かれ、踏み込んできたのは、以前、雪華せっか呂晃りょこうを無理矢理に結婚させようとした張狂ちょうきょうだった。

 緊張感に包まれる中、張狂ちょうきょうはずかずかと歩み寄り、静慧せいけいの眼の前で立ち止まる。

「遅いぞ、静慧せいけい! なにをやっている!」

 張狂ちょうきょうは腕を組んで、大声で怒鳴りつける。だが静慧せいけいは怯まない。

「丁寧に取り調べをしているんだ。時間がかかるのは当然だ」
「そんな必要はない。状況証拠から見ても、犯人は紫蘭しらんで決まりだ。さっさと、こいつを牢屋にぶち込んで、仕事を終わらせろ!」

 早く帰りたいんだと、張狂ちょうきょうは続ける。自分勝手な都合で犯人扱いする彼に反論するべく、雪華せっかが口を開く。

「それは聞き捨てなりませんね」
「お、お前は、あの時の!」

 雪華せっかの顔を見て、張狂ちょうきょうは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。妲己によって成敗された苦々しい記憶が蘇ったからだろう。

紫蘭しらん様が犯人だと決まったわけではありません」
「状況証拠を考えてみろ。この女が怪しいのは誰が見ても明らかだ」
「怪しいだけです。決定的な証拠はありませんよ」
「それはそうだが……」

 張狂ちょうきょうの喧嘩腰な態度に屈することなく、雪華せっかは一歩前へ出る。

紫蘭しらん様は将来有望な画師として後宮に招かれています。もしこれが冤罪だった場合、その責任は重大です。それでも尚、張狂ちょうきょう様は証拠もないのに紫蘭しらん様が犯人だと決めつけますか?」
「そ、それは……」

 もし冤罪なら責任を負う覚悟があるのかと、雪華せっかは問う。詰め寄られた張狂ちょうきょうは一瞬口を開け、声が詰まったように黙り込む。室内に沈黙が訪れる中、彼の表情には動揺が浮かんでいた。

「お、俺はこの事件の担当じゃない。責任者は静慧せいけいだ。だから……後は任せた!」

 その言葉だけ残すと、張狂ちょうきょうは早足にその場を去る。彼の後ろ姿が画房から消えると、空気の重さだけが残る。そんな中、静慧せいけいは眉間に皺を寄せながら口を開いた。

「同僚が迷惑をかけたな」
「いえ……」
「ただあいつの言う事にも一理ある。現時点で決定的な証拠はないが、状況だけなら紫蘭しらんが犯人で決まりだからな」

 紫蘭しらんはその言葉に反応して顔をあげるが、反論する余裕はないのか黙り込んでいた。だが瞳で『私は犯人ではない』と訴えている。

 静慧せいけいはその視線を受け止め、柔らかな口調で言葉を重ねる。

「だからこそ無実を証明するためには、真犯人の特定が必要だ」
「なら私に殺害現場を見せてくれませんか?」

 雪華せっかが提案すると、まっさきに驚いたのは紫蘭しらんだった。

雪華せっか、どうしてあなたが?」
「同僚のピンチですから。助けたいのです。それに容疑者の紫蘭しらん様では殺害現場を調査する許可を与えられないでしょうから……」

 当事者だと証拠隠滅の恐れがある。実際にするとは思っていないが、不要な疑いを招かないためにも紫蘭しらんが現場を訪れるべきではない。

「どうでしょうか、静慧せいけい様?」
「分かった。雪華せっかなら許可しよう」
「本当ですか!」
雪華せっかの観察力は頼りになるからな。それに……雪華せっかが困っているなら、なるべく便宜を図って欲しいと太妃様からも頼まれている」
「妲己様が……」
「もちろんこれは贔屓ではない。太妃様が働きぶりを評価したからこそだ」

 実力で勝ち取った優遇だと、静慧せいけいは補足する。それでも雪華せっかは妲己に心の中で感謝を送り、紫蘭しらんを見据える。

「必ず、無実の証拠を見つけてきます」
雪華せっか……頼んだわ」

 紫蘭しらんは目を潤ませながら、震える声で呟く。雪華せっかは期待に応えてみせると、強い決心を抱くのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました

かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」 王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。 だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか—— 「では、実家に帰らせていただきますね」 そう言い残し、静かにその場を後にした。 向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。 かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。 魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都—— そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、 アメリアは静かに告げる。 「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」 聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、 世界の運命すら引き寄せられていく—— ざまぁもふもふ癒し満載! 婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!

地味だと婚約破棄されましたが、私の作る"お弁当"が、冷徹公爵様やもふもふ聖獣たちの胃袋を掴んだようです〜隣国の冷徹公爵様に拾われ幸せ!〜

咲月ねむと
恋愛
伯爵令嬢のエリアーナは、婚約者である王太子から「地味でつまらない」と、大勢の前で婚約破棄を言い渡されてしまう。 全てを失い途方に暮れる彼女を拾ったのは、隣国からやって来た『氷の悪魔』と恐れられる冷徹公爵ヴィンセントだった。 ​「お前から、腹の減る匂いがする」 ​空腹で倒れかけていた彼に、前世の記憶を頼りに作ったささやかな料理を渡したのが、彼女の運命を変えるきっかけとなる。 ​公爵領で待っていたのは、気難しい最強の聖獣フェンリルや、屈強な騎士団。しかし彼らは皆、エリアーナの作る温かく美味しい「お弁当」の虜になってしまう! ​これは、地味だと虐げられた令嬢が、愛情たっぷりのお弁当で人々の胃袋と心を掴み、最高の幸せを手に入れる、お腹も心も満たされる、ほっこり甘いシンデレラストーリー。 元婚約者への、美味しいざまぁもあります。

処理中です...