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第三章
第三章 ~『現場検証と密室の謎』~
しおりを挟む昼下がりの太陽が照らす中、雪華は紫蘭の無実を証明するため、単身で宦官たちの宿舎へと向かっていた
静慧が同行していないのは、取り調べで画房から離れるわけにはいかないからだ。紫蘭を救えるかどうか自分次第だと、決意を新たにしながら歩みを進める。
(ここが事件の起きた宿舎ですか……)
後宮の端に位置する宿舎は、漆喰で塗られた白の外壁と灰色の屋根瓦が無骨な印象を与えていた。
入口には武装した宦官が無言で警備しており、警戒するように周囲を睨んでいる。その視線の先には野次馬たちが集まり、ひそひそと声を交わしていた。
「ここで毒殺事件が起きたそうだぜ」
「恐ろしいよな」
「痴情のもつれが原因なんだってさ」
好奇心を抑えきれない者たちが小声で話し合っている。顔を寄せ合いながら、互いの知識を継ぎ足すように盛り上がっていた。
ふと、そんな時、雪華は人混みの中で見覚えのある姿を見つける。玲瓏が野次馬の中で佇みながら、興味深げな視線を向けていたのだ。
(玲瓏様がなぜ……)
亡くなった方逸と玲瓏は特別な仲のように見えた。だが彼女は悲しくて泣くでもなく、犯人に怒りをぶつけるでもなく、ただ呆然と佇んでいた。
やがて、玲瓏はその場から立ち去る。心の中に言語化できない違和感を残していると、見知った人影が近づいてきた。
「やぁ、雪華。ここにいたんだね」
「承徳様、どうしてここに?」
「雪華が事件に関わっていると静慧から聞いてね。手助けにきたのさ」
承徳は余裕のある笑みを浮かべると、懐から書類を取り出す。
「それに静慧から許可証を預かっている。これさえあれば滞りなく、中に入れるはずさ」
承徳は入口前で警備をしている宦官たちに許可証を提示する。それを確認した彼らは、敬礼してから道を開けた。
その様子を眺めていた野次馬たちが一斉にざわつき始める中、彼の後に続く形で雪華は宿舎の中に足を踏み入れる。
(承徳様はいったい何者なのでしょうか……)
宦官たちの反応や、事件現場に足を踏み入れる許可を与えられたことといい、只者でないのは間違いない。
だが雪華はその疑問を投げかけない。今は好奇心を満たすよりも先に、事件を解決し、紫蘭の無実を証明する方が優先だったからだ。
階段を登り、三階に辿り着いた雪華たちは廊下を進む。ある部屋の前まで辿り着くと、承徳は扉を開いた。
事件が起きた現場は中央に木製のテーブルと椅子が置かれ、部屋の端には寝台が置かれていた。
「死体は既に運び出された後のようですね……」
部屋の中を見渡してから、雪華はそう結論づける。
「でもどこで亡くなったかは分かっている。寝台の上で毒の入った酒を飲んで、命を落としたそうだ」
「どうしてそれを?」
「静慧から事前に事件の情報を聞いておいたんだ。これで多少は君の役に立てるだろう?」
「さすが承徳様。とても助かります」
現場を見ても情報がなければ推理できないことも多い。承徳の情報は謎を解く上で欠かせない存在だった。
「毒を盛られた酒杯はこれかな……」
承徳が床に目を留めて、静かに呟く。視線の先には小さな酒杯が横たわっていた。
(美しい酒杯ですね……)
洗練された造りの酒杯は目を奪われるほど美しい。それは単なるガラス製ではなく、外側に梅の花が立体的に彫り込まれている。
花びらの一枚一枚が驚くほど精巧に表現されており、光が当たると、そこに咲いているかのように輝いて見えた。
(この匂い……梅ですね)
彫りだけでなく、酒杯の周囲には、かすかな梅の香りが漂っていた。溢れている液体に近づいてみると、甘酸っぱい香りが広がることから、酒杯の中身は梅酒で間違いないだろう。
雪華は他に手がかりがないかと周囲を見渡し、あることに気づく。
「この部屋に鍵は掛けられていたのですか?」
「亡くなった時は密室だったそうだ」
「そうですか……」
死体が発見されたのも、職場に来ない方逸の様子を気にした同僚が、宿舎の管理人に頼んで鍵を開けてもらったことで発覚したのだという。
「その管理人が犯人である可能性はないのでしょうか?」
「静慧も調べたそうだが、殺す動機がないそうだ」
「そうですか……」
交流のない相手に毒を盛る理由はない。だからこそ動機もあり、唯一の訪問者である紫蘭が容疑者として疑われているのだ。
(もっと情報があれば……)
紫蘭の無実を証明するために眼の前の酒杯が重要だとは感じていたが、それだけではすべてを解明するに足りない。
雪華は心の中で焦燥を募らせる。そんな時だ。部屋の窓から羽音が鳴り、カナリアがその場に飛び込んできた。
「リア様、どうしてここに……」
雪華の肩の上に降り立つと、嘴を耳元に近づけて囁く。雪華にだけ理解できるメッセージは、事件の謎を解く大きな手がかりだった。
(展示会の後、方逸様と玲瓏様が一緒にいた……)
たまたま空を飛んでいたリアが、女官宿舎の前で二人が話しているのを見かけたのだという。
「ありがとうございます、リア様。これで真相に一歩、近づきました」
そう伝えると、リアは一声鳴いてから羽を軽く広げる。まるで『役目を果たした』と言わんばかりの堂々とした様子で、雪華の肩から体を浮かせ、宙へと舞い上がった。
羽ばたきの音を響かせながら、青空に溶け込んでいく。その様子を見送ると、雪華は表情を引き締めて、承徳を見据える。
「承徳様に一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「玲瓏様と方逸様との関係をご存知ですか?」
「知っているとも。二人は恋人関係だったそうだ。もっとも方逸はいろんな女性に手を出すような男だから、破局寸前だったそうだけどね」
「そうですか……」
「それがどうかしたのかい?」
「いえ、展示会では仲睦まじげな様子でしたから」
「それは変だね。揉め事が絶えない関係だと聞いていたけれど……」
あの時の振る舞いが、疑いの目を逸らすための演技だとしたら。そう考えると、納得できることがあった。
(もし玲瓏様が犯人だとしたら、動機は痴情のもつれでしょうか……紫蘭様に絡んでいたのも、恋人を取られそうになった嫉妬からの行動だとすれば説明も付きます)
だが部屋を訪れてはいない。どんなトリックで毒を飲ませたのか。その謎を解かなければ、玲瓏が犯人だと決めつけることはできない。
雪華は眉を寄せると、部屋の中を慎重に見渡す。
ふと、目に留まったのは、テーブルの上に置かれた陶器の酒杯だ。青白磁の色合いで、高級感が漂っている。
中には小さい液体が揺れており、微かに樹の実のような香ばしい匂いが漂っていた。
「これは紹興酒ですね」
「方逸は強い酒が好きだったようだからね」
「この青白磁の酒杯もお気に入りだったようですね」
よく見ると、使い古した痕がある。長年、愛着を持ち続けてきた証拠だ。
「でも不思議だね。新品のガラスの酒杯があるのに、それでもこの青白磁の酒杯を使うとはね……」
「紹興酒は温めることも多いですから。使い分けているのでしょうね」
そう口にした瞬間、雪華の頭の中に閃きが走る。
「承徳様はどうしてガラスの酒杯が新品だと分かったのですか?」
「そこに木箱が落ちていたからね」
承徳の目線の先には、包装の痕が残る木箱が転がっている。ここにガラスの酒杯が入っていたのは間違いない。
「なるほど、そういうトリックでしたか……」
「なにか分かったのかい?」
「謎はすべて解けました」
真相へと辿りつた雪華は自信に満ちた表情で微笑むのだった。
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