後宮画師はモフモフに愛される ~白い結婚で浮気された私は離縁を決意しました~

上下左右

文字の大きさ
25 / 39
第四章

第四章 ~『思いがけない再会』~

しおりを挟む

 街を包む空が茜色に染まり始め、日没が迫っていることを告げていた。建物の影が浮かび上がり、その中で佇む人々の姿は、どこか幻想的である。

 風は少し冷たくなり、昼間の活気に包まれた空気が静寂に変わっている。屋台は閉める準備を始めており、屋台主たちの笑い声や、常連客とのやりとりが耳に届いた。

「夕暮れの街も悪くないね」
「風情がありますよね」

 雪華せっか承徳しょうとくと共に石畳の道を歩く。二人は遠くを見据えながら、一日の出来事を思い出して口元に笑みを湛えていた。

「楽しい一日でしたね」
「こんなに充実した休日は、私にとっても初めてだったよ。雪華せっかと過ごせたおかげだね」

 その言葉には飾り気のない感謝が込められており、雪華せっかの胸にじんわりとした温かさが広がっていく。

 気づけば足音も軽やかになっており、隣を歩く承徳しょうとくもその様子に気づいたのか、微笑みながら歩調を合わせてくれる。

 やがて、二人は通りの角を曲がる。するとミステリアスな雰囲気に包まれた女性が客を待つ屋台が目に入る。

 二十代中頃ほどの女性は端正な顔立ちだが、その目元はどこか鋭さが感じられた。黒を基調とした外套に包まれ、首元では真珠のネックレスが輝いている。

 彼女の前には小さな台が置かれ、その上に黒布が広げられている。布の中央には木箱があり、一匹の蛇が静かに顔を覗かせていた。

「無料で構わないから、占いを試してみない?」

 占い師が柔らかな声で語りかける。その声音にはどこか誘惑するような響きが含まれており、その眼差しはまっすぐに二人を捉えている。

「占いですか……」
「この子があなたたちの運命を見通してくれるの」

 占い師の手が滑らかに動き、木箱の中の蛇に触れる。すると飼い主の期待に応えるようにトグロを巻いて、高く頭をもたげた。

「やってみる価値はあるかもね……」

 承徳しょうとくが占い師をジッと見つめながら、穏やかな声でそう呟く。その言葉の意外性に雪華せっかは驚きで目を見開く。

承徳しょうとく様は占いを信じないタイプだと思っていました」
「普段ならね。でも彼女なら当たるかもしれない」

 承徳しょうとくの声にはどこか確信めいた響きが含まれていた。

(何か根拠があるのでしょうね……)

 承徳しょうとくを信頼し、雪華せっかは占い師の提案に乗る。

「では始めるわね」

 了承を受け取った占い師は丸みを帯びた小さな石を幾つか取り出し、布の上に並べていく。それぞれの石には象形文字が刻まれており、光を受けて僅かに艶を放っている。

「この子があなたたちの未来を導くわ」

 占い師が手を軽く振ると、蛇が幾つかの石をかすめながら進み、やがて二つの石の間で静止する。

 占い師はそれを見て微笑み、優しく頷く。

「お告げが出たわ。二人の相性は抜群よ。お互いを支え合い、高め合う関係を築ければ、素晴らしい未来が待っているわ」

 その言葉に雪華せっかは少し頬を赤らめ、承徳しょうとくは静かに微笑む。二人の間に柔らかな空気が流れた。

「あの、もう一つ占ってくれませんか?」
「構わないわよ。何を占って欲しいの?」
「私が画師として成功できるかどうかを知りたいのです」

 その願いを聞いた占い師は眉間に皺を寄せる。それまで穏やかだった表情が険しさを帯び、それを感じ取った蛇が木箱の中に帰っていった。

「画師がお嫌いなのですか?」

 雪華せっかの問いに占い師は目を伏せる。小さく息を吐いて冷静になると、雪華せっかを見据えた。

「……画師そのものが嫌いなわけではないわ。ただ私が世界で最も嫌いな女が画師なの」

 その声には神秘的な雰囲気を吹き飛ばすほどの重々しさが含まれていた。

「私も知っている人でしょうか?」
「画師の界隈では有名なはずよ。なにせ後宮に招かれるほどの才人だもの」
「――ッ……もしかして、紫蘭しらん様ですか?」
「あの女を知っているの!」
「同僚ですから」

 雪華せっかの回答に、占い師は怒りで歯を食いしばる。震える手を台に叩きつけると、殺意を込めた視線を彼女に向ける。

「ここから今すぐ立ち去りなさい!」

 突然の態度の変化に雪華せっかは戸惑う。彼女の肩に承徳しょうとくがそっと手を置き、首を横に振った。

「帰ろうか」
「そうですね」

(因縁が気になりますが、話を聞ける雰囲気でもありませんからね)

 雪華せっかは頷いて、占い師の元から去る。背中越しに隠そうともしない怒りを感じ取ったが、振り返ることはしなかった。

 夕焼けが二人の影を長く伸ばし、足元で静かに揺れる。屋台から少し離れたところで、雪華せっかはふと立ち止まって、小さな声で切り出した。

承徳しょうとく様は先程の占い師をご存知なのですか?」
雪華せっかはさすがだ。よく見ているね。彼女――邪蓮じゃれんは後宮内でも有名人だからね」
「ということは、女官なのですか?」
「ああ。だから紫蘭しらんとの確執もそこで生まれたのかもね」

 同じ職場で働いているのだ。揉め事があったとしても不思議ではない。だがそれとは別にある疑問を抱く。

「どうして、女官でありながら街で占いをしているのでしょうか?」
「そういう者は少なからずいるよ。小遣い稼ぎや、経験のためなど理由は様々だろうけどね」
邪蓮じゃれん様はきっと後者ですね」
「街に出て、多様な人々と接することで、自分の技術や感覚を磨いているのだろうね」

 後宮だけだと占う相手も限られるが、街なら老若男女を占える。料金が無料だったのも、邪蓮じゃれんが金目的ではないからだろう。

 そのような考え事をしていたからか、雪華せっかは不意に人とぶつかってしまう。よろめいて倒れそうになるが、承徳しょうとくがとっさに腕を伸ばして支えてくれる。

「不注意で失礼致しました」

 起き上がった雪華せっかは謝罪を口にする。だがその視線の先にいたのは、見覚えのある仇敵の顔だった。

「趙炎様……」
雪華せっか!」

 趙炎もぶつかった相手が雪華せっかだと分かり、驚きで眉を顰める。

雪華せっかがどうしてこんなところに?」
「私は街の散策をしていただけです。趙炎様こそ、どうしてここに?」
「俺は仕事で買い付けだ」
「お仕事ですか?」

 雪華せっかと別れた後、どこで何をしているのか気にはなっていた。その問いに、趙炎は喉を鳴らして笑う。

「聞いて驚け。実は後宮に拾われてな。男として大事なモノは失ったが、俺は権力者になったんだ。雪華せっかのような客人とは違う。正式な宦官だぞ」
「そうですか……」
「驚かないのか?」
「私も正式に女官として働くようになりましたから」
「なんだとっ!」

 趙炎は目を見開いて、驚きと怒りを混ぜた声をあげる。顔を赤く染めながら、唇を震わせた。

「だ、だが、俺より立場は下だろ?」
「それは分かりませんが……」
「ふん、そうに決まっている。もし後宮で見つけたら、虐めてやるから覚悟しろよ」

 物騒な発言に雪華せっかは表情を曇らせるが、隣りにいた承徳しょうとくが軽く笑い声をあげる。

「いや、失敬。あまりに君が愚かでね」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味さ。雪華せっかは後宮に招かれている。後宮内でも一目置かれる立場だ。一方、君の名は聞いたことがない。幹部候補や実力者なら名前は自然と広がるものさ。つまり現時点では雪華せっかの方が君より遥か上ということさ」

 承徳しょうとくの正論に趙炎の顔が真っ赤になる。悔しさを噛みしめると、それ以上の言葉を発することなく、その場から逃げ去ってしまう。

「あれで良かったのでしょうか?」
「無礼者にはあれくらいして構わないさ」
「まぁ、そうですね。あの人には以前、酷い目に合わされましたから」
「酷い目?」

 承徳しょうとくの問いに、雪華せっかはありのままに過去の出来事を話す。その話を聞くに連れて、彼の表情は険しくなり、瞳に怒りが浮かんでいった。

「もし何かされそうになったら、私が力になるから。いつでも頼ってほしい」
承徳しょうとく様がいてくれれば百人力ですね」

 彼の頼もしさに雪華せっかの心は少し軽くなる。

 夕焼けが街並みを照らす中、二人は再び歩き出す。雪華せっかの胸の内からは不安が消え、その足取りはいつも以上に軽くなるのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

reva
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

悪役令嬢、記憶をなくして辺境でカフェを開きます〜お忍びで通ってくる元婚約者の王子様、私はあなたのことなど知りません〜

咲月ねむと
恋愛
王子の婚約者だった公爵令嬢セレスティーナは、断罪イベントの最中、興奮のあまり階段から転げ落ち、頭を打ってしまう。目覚めた彼女は、なんと「悪役令嬢として生きてきた数年間」の記憶をすっぽりと失い、動物を愛する心優しくおっとりした本来の性格に戻っていた。 もはや王宮に居場所はないと、自ら婚約破棄を申し出て辺境の領地へ。そこで動物たちに異常に好かれる体質を活かし、もふもふの聖獣たちが集まるカフェを開店し、穏やかな日々を送り始める。 一方、セレスティーナの豹変ぶりが気になって仕方ない元婚約者の王子・アルフレッドは、身分を隠してお忍びでカフェを訪れる。別人になったかのような彼女に戸惑いながらも、次第に本当の彼女に惹かれていくが、セレスティーナは彼のことを全く覚えておらず…? ※これはかなり人を選ぶ作品です。 感想欄にもある通り、私自身も再度読み返してみて、皆様のおっしゃる通りもう少しプロットをしっかりしてればと。 それでも大丈夫って方は、ぜひ。

婚約破棄されたので聖獣育てて田舎に帰ったら、なぜか世界の中心になっていました

かしおり
恋愛
「アメリア・ヴァルディア。君との婚約は、ここで破棄する」 王太子ロウェルの冷酷な言葉と共に、彼は“平民出身の聖女”ノエルの手を取った。 だが侯爵令嬢アメリアは、悲しむどころか—— 「では、実家に帰らせていただきますね」 そう言い残し、静かにその場を後にした。 向かった先は、聖獣たちが棲まう辺境の地。 かつて彼女が命を救った聖獣“ヴィル”が待つ、誰も知らぬ聖域だった。 魔物の侵攻、暴走する偽聖女、崩壊寸前の王都—— そして頼る者すらいなくなった王太子が頭を垂れたとき、 アメリアは静かに告げる。 「もう遅いわ。今さら後悔しても……ヴィルが許してくれないもの」 聖獣たちと共に、新たな居場所で幸せに生きようとする彼女に、 世界の運命すら引き寄せられていく—— ざまぁもふもふ癒し満載! 婚約破棄から始まる、爽快&優しい異世界スローライフファンタジー!

地味だと婚約破棄されましたが、私の作る"お弁当"が、冷徹公爵様やもふもふ聖獣たちの胃袋を掴んだようです〜隣国の冷徹公爵様に拾われ幸せ!〜

咲月ねむと
恋愛
伯爵令嬢のエリアーナは、婚約者である王太子から「地味でつまらない」と、大勢の前で婚約破棄を言い渡されてしまう。 全てを失い途方に暮れる彼女を拾ったのは、隣国からやって来た『氷の悪魔』と恐れられる冷徹公爵ヴィンセントだった。 ​「お前から、腹の減る匂いがする」 ​空腹で倒れかけていた彼に、前世の記憶を頼りに作ったささやかな料理を渡したのが、彼女の運命を変えるきっかけとなる。 ​公爵領で待っていたのは、気難しい最強の聖獣フェンリルや、屈強な騎士団。しかし彼らは皆、エリアーナの作る温かく美味しい「お弁当」の虜になってしまう! ​これは、地味だと虐げられた令嬢が、愛情たっぷりのお弁当で人々の胃袋と心を掴み、最高の幸せを手に入れる、お腹も心も満たされる、ほっこり甘いシンデレラストーリー。 元婚約者への、美味しいざまぁもあります。

処理中です...