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第三章 ~『ジルと礼拝堂』~
しおりを挟む夜の帳が落ちた頃、マリアはジルからの呼び出しを受けて深夜の大聖堂を訪れていた。
大聖堂は薄暗いが、彼の居場所はすぐに分かった。ステンドグラスから差し込む光に照らされていたからである。
「来てくれて、ありがとう」
「用件は告白の件ですわね」
「ここなら私たち以外には誰もいない。答えを聞かせて欲しい」
ジルの問いを受け、マリアは真摯な視線を返す。
「その前に聞かせてくださいまし。どうして私を好きになったのですか?」
「それは君の性格が――」
「建前はいりませんわ! 本音を聞かせてくださいまし!」
「ふふ、なるほど。事情を知ったんだね。さすが優秀だ」
マリアの態度から状況を把握したのか、ジルの顔に諦観が浮かんだ。
「教えたのはティアラかな?」
「それとサーシャもですわ」
「本当にすべてを知っているようだね。なら隠すこともない。事実を話そう……君も知っての通り、私はティアラやリーシェラ、他にも色んな人たちから虐められていた」
「嫉妬されたのですわね?」
「子爵の次男のくせに生意気だとね。過ぎたる能力は私を苦しめた。両親からも、なぜ弟のお前が優秀なのだと詰められたものさ」
「ジル様……」
「でもね、そんな私を救ってくれた人がいた。それこそがサーシャだった」
ジルの境遇はマリアと似ていた。優れていても評価されず、不遇な目に遭う日々。そんな彼の心の拠り所こそがサーシャであった。マリアもまたケインに支えられてきたからこそ、彼の気持ちは痛いほどに理解できた。
「私たちは愛を誓い合った。でも君の父――グランド男爵に邪魔されてしまった。必死に抗ったし、両親にも協力を求めたんだけどね、私の愛など価値はないと一蹴されてしまったよ」
「だから諦めたのですか?」
「まさか! 諦めきれなくてね、君に提案したように領地で静かに暮らそうとサーシャにも伝えたんだ。でもね、サーシャは拒絶した。男爵令嬢が家の命令に背くことはできないとね」
「そうですの……」
貴族の令嬢は家同士の結びつきを強くする責務を負っている。家族から冷遇されて育ってきたマリアならともかく、愛されてきたサーシャが、責務を捨てて、家族を裏切る選択を取れるはずがなかった。
「絶望した私は俗世を捨てて教会に入った。月日が失恋を忘れさせてくれるはずだと信じてね。だが君がやってきた。サーシャの姉の君がね!」
「…………」
「しかもだ、グランド男爵が君を教会から追い出し、王子と結婚させようとしているとの情報まで手に入った。これを邪魔してやれば、最高の復讐になる。だから私はグランド男爵に偽の計画を提案した」
「その計画が私との婚約ですわね」
「ああ、偽の計画では教会を共に退会すると同時に、君との婚約を破棄する手筈になっている。でも計画に従う気はない。恨みを果たすため、私は君とそのまま結婚する。そしてグランド男爵の王宮との信頼関係を滅茶苦茶にしてやるのさ」
復讐心に取り憑かれたジルの瞳は狂気を孕んでいた。しかし完全に憎しみに囚われたわけではない。理性の光が僅かに灯っている。
「君には悪いことをしたと思っている。まずは謝罪をさせて欲しい」
「ジル様……」
「だが巻き込んだからには一生尽くすつもりだ。君のために一生を捧げるし、必ず幸せにしてみせる。この言葉に嘘はない。だから改めて伝えよう。私の――妻になって欲しい」
優しい彼が出した不器用な結論だった。首を縦に振れば、きっと彼は幸せにしてくれる。打算で考えるなら、答えは決まっていた。
「魅力的な条件ですわね」
「なら――」
「ですが、お断りしますわ。私は誰かの代わりに愛される人生なんて、まっぴら御免ですもの」
ジルはまだサーシャを愛しているのは明らかであり、代替品として愛されるつもりはなかった。希望を打ち砕かれたジルは、ガックリと消沈するように肩を落とした。
「君も私を拒絶するんだね……」
「ジル様……」
「残念だ。奥の手を使うことになるとはね」
ジルは懐から白銀のナイフを取り出すと、その切先をマリアへと向けた。
「心配しなくても、傷つけはしない。人質にするだけだ」
「私ではお父様への交渉材料にはなりませんわ」
「いいや、なるさ。君が死ねば王宮との縁談話も頓挫する。君の命を――というより、自分の利益のために、グランド男爵を呼び出すことはできるはずだ。そして殺す。私のすべてを失っても、あの男だけは許さない!」
「馬鹿な真似は止めてくださいまし!」
だが狂気に包まれた彼は自暴自棄になっており、マリアの言葉は届かない。もう駄目かと諦めかけた時、大聖堂の扉が勢いよく開かれた。
「間に合ったようだね」
「ケイン様!」
大聖堂に姿を現したのは、ケインだった。傍にはシロやカイトもいる。助けにきてくれた彼の元へと駆け寄る。
「どうしてケイン様はこの場所を⁉」
「霊獣は契約している聖女の居場所が分かるんだ。それでカイトくんに霊獣の言葉を翻訳してもらってね。ここまで案内してもらったのさ」
「シロ様も、カイト様もありがとうございましたわ」
礼を伝えると、カイトは嬉しそうに頬を描き、シロも「にゃああ♪」と誇らしげな声を返してくれた。
「僕の勘も当たるものだね。あの時、カイトくんを追いかけて正解だったよ」
「そういえば何か用があると仰っていましたわね」
少し用事があるとカイトを追いかけたことを思い出す。その行動には意味があったのだ。
「ダンジョンでシロくんがボロボロになっていただろう。あのダンジョンは教会の関係者しか入れない。つまり聖女か、神父か。どちらかが犯人ということになる」
「聖女ではありませんわね。珍しい毛色の猫がいれば、霊獣として契約しますもの」
ホワイトキャットであるシロと契約したのはマリアだ。他の聖女なら高ポイントをみすみすマリアへ渡すはずがない。
「つまり犯人は神父になるわけだが、これもまた奇妙な話だ。なぜならレア個体を見つけたなら、パートナーの聖女と契約させるはずだからね。でも一人だけ、パートナーの聖女にグレーキャットと契約させた後、改めてダンジョンに潜った男がいたんだ」
「まさかそれは……」
「ジルくんだ。彼は今回の計画のために、シロくんを怒らせた。そして恩を売るために身を呈して庇ったんだ。すべてが自作自演だったのさ」
「そんな……ジル様がそこまでするなんて……」
「彼は優しいけど合理的だ。後でマリアくんが治療することを踏まえて怪我をさせたんだろう。実際、シロくんからもジルくんが手加減していたとの意見を貰っているからね」
「シロ様からも――ッ……そ、それでカイト様の力を借りたのですね……」
「そうさ。この仮説が正しいかどうかを証明するために、霊獣の声を聞けるカイトくんの力が必要だったからね」
霊獣本人の証言に状況証拠もバッチリだ。言い逃れはできないと諦めたのか、ジルの口元から乾いた笑みが零れる。
「ふふ、私の計画も台無しだ」
「…………」
「でもすべて終わったわけではない。君たちを倒して、マリアを人質にさえすれば、まだ挽回できる」
「僕からマリアくんを奪い取れると?」
「能力だけは高いのが自慢ですから」
「そうか……でもね、あまり教師を舐めない方がいい」
ケインは一瞬で間合いに入ると、ジルの腹部に拳をねじ込む。たった一撃で決着はついた。ジルは膝をくの字に曲げて、その場に倒れ込んだ。気絶した彼を見下ろすケイン。明確な決着がついたのだった。
「ケイン様はお強いのですね」
「教会の幹部になると、荒事は日常茶飯事だからね。学生相手に後れを取ることはないよ」
「ケイン様がいてくれて本当に助かりましたわ」
「僕も君を救えてよかった。君にもしものことがあれば僕は――」
ケインはマリアの目を見て心配してくれる。決して、誰かの代わりではない。彼女自身を見据えていた。
「私、やっぱりケイン様をパートナーに選んで正解でしたわ!」
「僕も君のパートナーになれて良かったよ」
二人は窮地を乗り越えた安心感から笑い合う。その声は家族から冷遇されて育ったとは思えないほど、幸せに満ちたものだった。
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