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第二十三話   現れた大森林の悪魔

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 武蔵は左横にいたゴブリンに鋭い突きを繰り出した。

 左手に持っていた大刀の切っ先が、ゴブリンの喉に深々と突き刺さる。

(残り八匹――)

 武蔵は大刀を瞬時に引き抜いた。

 すると今度は右横から別のゴブリンが襲いかかってきた。

 もちろん、武蔵はまったく動じずに対処する。

 流れるような動きで右手に持つ小刀を振るう武蔵。

 右横から襲ってきたゴブリンは、顔面を斜めに斬りつけられて悲鳴と血しぶきを上げた。

(残り七匹――)

 武蔵は前方に固まっていた三匹のゴブリンに向かって疾走しっそうすると、両手に持っていた大刀と小刀を同時に操って斬りつけていく。

 夕闇を切り裂くように銀色の閃光が走った。

 三匹のゴブリンは顔面や首を一瞬で斬られて絶叫ぜっきょうする。

(残り四匹――)

 武蔵はあっという間に五匹のゴブリンを戦闘不能にしたあと、無傷で残っていた四匹のゴブリンをそれぞれ視認した。

 無傷のゴブリンたちは全身を小刻みに震わせ、何かを懇願こんがんするような目で武蔵を見つめている。

 その目は武蔵もこれまでに何度も見てきた。

 どうか自分だけは助けてくれ、と心の中で思っている目だ。

「魔物が人間に命乞いをする気か?」

 武蔵がたずねてもゴブリンたちは何も答えない。

 そもそも人の言葉を喋れないのだろう。

 武蔵は口元についていた返り血を舌で舐め取り、ゴブリンたちをにらみつけながら地面に吐き捨てた。

「心底、あきれたわ。最後の一匹になろうとも向かってくる気概きがいがあるのならばまだしも、よもやここに来て自分たちだけでも助かりたいなどと……」

 言い終える間もなく武蔵は動いた。

 一番近くにいたゴブリンとの間合いを詰めるや否や、頭頂部から腹部にかけて〝唐竹割からたけわり〟にする。

 それだけでは終わらない。

 武蔵はゴブリンの脳漿のうしょう臓物ぞうもつが地面に落ちる前に移動した。

 今度は二匹で固まっていたゴブリンに近づくと、武蔵は右脇に揃えて構えた二刀を水平に薙ぎ払ったのである。

 武蔵の二刀薙ぎが二匹のゴブリンの顔と首を切断した。

「残るはお主だけだ」

 武蔵は足元に転がっていたゴブリンの生首を払い蹴り、無傷で残っていた最後の一匹に向かって大刀の切っ先を突きつける。

 すると最後のゴブリンは持っていた手斧を捨て、慌てて反転するなり一目散に森へと駆け出していく。

(魔物ではなく、ただの獣であったか)

 逃げ去る最後のゴブリンの背中を見て、武蔵は大きな落胆の息を吐いた。

 武蔵の人並以上の健脚けんきゃくならば追おうと思えば追えなくもないが、すでに夜のとばりが降り始めて暗くなりかけている。

 それにゴブリンたちの本質は、闇に生きる忍びの者だと武蔵は判断した。

 ならば不用意に森の中まで追ってしまえば、思いがけないしっぺ返しを食らうかもしれない。

 もしかすると、戦いに参加しなかった別の仲間がいるという可能性もある。

 だからこそ、武蔵は追わずに仕留めることに決めた。

 武蔵は順手に持っていた小刀を逆手に持ち直すと、全身の筋肉を躍動させて小刀をゴブリンに向かって投げつけた。

 小刀は大気を切り裂きながら飛んでいき、二間にけん(約6.6メートル)は離れていたゴブリンの背中に深く突き刺さる。

 それは飛刀術ひとうじゅつと呼ばれる技法であった。

 本来ならば手軽で確実な棒手裏剣でするところを、武蔵は奥の手の一つとして大刀や小刀でも出来るように修練をしていたのだ。

 武蔵は最後のゴブリンに近寄ると、まず大刀で後頭部を突き刺して絶命させ、背中に突き刺さっていた小刀を引き抜いた。

「普通の獣ならばとっくに逃げておったぞ」

 そう呟いた武蔵は大刀と小刀を勢いよく振って血を少しでも落とすと、次にふところから和紙を取り出して血刀に付着していた血を拭い落としていく。

 同時に武蔵は〈吉岡〉の状態をゆっくりと解いていった。

 解くと言っても特別な儀式や言葉などはいらない。

 ただ、吉岡一門との乱戦の情景じょうけいを消すだけでよかった。

 ふっ、と心身が軽くなって意識が穏やかになる。

〈吉岡〉の状態が完全に解かれ、普段の状態に戻った証であった。

 しかし、いつもならば〈吉岡〉を使ったあとはもっと疲れが押し寄せてくるはずなのだが、今回は〈吉岡〉の状態を解いてもあまり疲れを感じない。

(まさか、この異世界の〈気〉のせいなのか?)

 武蔵は自分の身体を覆っている、温冷おんれいのない黄金色の〈気〉を改めてながめる。

 冷静になって見ると、不思議以外の何物でもなかった。

 どういう原理でこのような力が働いているのかさっぱり分からない。

 とはいえ、武蔵も日頃から鍛錬を欠かさない兵法者である。

 特に幼少の頃のみ武術の手解きをうけた父――新免無二しんめんむにの他に師を持たなかった武蔵にとって、強くなるにはどんなことでも自分で工夫・研究・鍛錬してみる以外になかった。

 しばし考え込んだあと、武蔵は呼吸を整えて強く念じてみた。

 この黄金色の〈気〉を、自分の身体から徐々に広げていくという念をである。

 直後、武蔵の全身を覆っていた黄金色の〈気〉に明らかな変化があった。

 武蔵の念に呼応するように、黄金色の〈気〉が徐々に広がり始めたのである。

 そして武蔵を中心に、炎が燃え広がるように動き出す黄金色の〈気〉。

 やがて黄金色の〈気〉を一間いっけん(約3.3メートル)まで広げたときだ。

「くっ!」

 武蔵は思わずうめき声を上げ、すぐに黄金色の〈気〉を元に戻るように念じた。

 黄金色の〈気〉はすぐに最初の間隔まで縮まる。

(これはいかん――)

 と、武蔵は闇雲に試しては駄目だと察した。

 この黄金色の〈気〉を普段の〝気〟を広げる感覚でするとどうなるかと思い、物は試しに黄金色の〈気〉を肌感覚で広げてみたのだが、そのあまりの痛みの反動に声を上げてしまった。

 強烈な頭痛である。

 黄金色の気を三尺(約90センチ)間隔で広げるほどに頭痛が襲ってきたのだ。

 それでも何とか一間いっけん(約3.3メートル)までは耐えられたものの、これ以上の距離を広げるとあまりの頭痛に失神する恐れもあった。

「やはり、黄姫ホアンチー殿に聞くのが……」

 早いな、と武蔵が口にしようとしたときだ。

 武蔵は不思議な黄金色の〈気〉に魅了されたことと、ゴブリンたちとの乱戦の高揚こうようのせいもあり、もう一つ重要なことがあったことを忘れていた。

 オークの存在である。

 武蔵は最後のゴブリンが逃げ込んだ大森林へと顔を向けた。

「妙だな。なぜ、が来ない?」

 そうである。

 今回の討伐任務の対象はゴブリンとオークだ。

 しかし、周囲を見渡してもオークという魔物の姿は見られなかった。

 当然ながら地面で死んでいるゴブリンたちの中にもいるはずがない。

 武蔵は事前にゴブリンだけではなくオークの特徴も聞いていたので、見れば必ず判別はできるはずであった。

 聞くところによるとオークという魔物は豚や猪に似た顔をしており、ゴブリンとは違って身の丈が七尺(2.1メートル)以上、貫目かんめ(体重)は五十三かん(約200キロ)はある巨漢だという。

 となれば、ゴブリンよりも圧倒的に足が遅いのは分かる。

 だが、ゴブリンたちと戦い始めて四半時(約三十分)以上が経っても大草原に現れないのはおかしいのではないか。

 などと思った武蔵だったが、魔物の事情など分かるはずもなかった。

 ともかく、この場にオークが一匹もいないという事実を受け止めるしかない。

「一度、戻るか……」

 オークが来る来ないは別として、もっとも厄介なゴブリンはあらかたほうむることはできた。

 まだ息があるゴブリンも多数いるが、放っておけばそのうち出血多量で死ぬのは間違いない。

 となれば、修道院に戻って今後のオークに対する策を練ったほうがいいだろう。

 武蔵は小刀だけをさやに納めると、半死のゴブリンたちをぐるりと見渡した。

「その前に念のためとどめを刺しておくか。万が一、という場合もあるからな」

 首を斬られているゴブリンの死は確実だが、手首を落としただけのゴブリンはその気になれば逃げることも可能だ。

 ただし身体の一部を失ったことで重心が乱れ、まともに身体を動かして逃げることはできないだろう。

 それでも野に生きる獣の生命力は馬鹿にできない。

 特にそれが魔物と呼ばれる類ならばなおさらであった。

 武蔵はとりあえず近くにいる半死のゴブリンたちに歩み寄り、慎重にとどめを刺そうと大刀を持つ手に力を込めた。

 そのときである。

 ザザンッ――。

 不意に武蔵の耳に異様な音が聞こえてきたのだ。

 武蔵は異様な音が聞こえてきた方向へ顔を向けた。

「何だ?」

 大森林の方から武蔵に向かって〝何か〟が飛んでくる。

 あまりにも遠すぎて目視ではうまく判別できない。

 なぜなら、その〝何か〟は木々よりもはるかに高い場所から大きく弧を描きながらこちらに飛んで来たのだ。
 
 武蔵は両目を細めて空中の〝何か〟の正体を突き止めようとした。

 どんどんこちらに飛んでくる〝何か〟を見つめていた武蔵は、その〝何か〟がある一定の距離まで飛んで来たときに度肝を抜かれた。

 人である。

 正確には力士のような体格の人が、武蔵に向かって飛んで来たのだ。

(まずい――)

 はっと我に返った武蔵は、その場から瞬時に離れた。

 しばらくすると、武蔵が元いた場所に飛来した人が落下する。

 直後、落下した場所で半死になっていたゴブリンたちが悲鳴を上げて絶命した。

 潰されたゴブリンたちの頭部や手足が千切れ飛んでいく。

「こ、これは……」

 武蔵はおそるおそる飛来した人の正体を確かめる。

 飛来した正体は人間ではなかった。

 豚や猪の顔にそっくりな、力士のような体格をした魔物であったのだ。

 おそらく、これがオークと呼ばれる魔物に違いない。

 そして当然ながら飛来したオークも絶命していた。

 けれども、よく見ればおかしな点がある。

 オークは地面に落下した衝撃で死んだのではないようだ。

 なぜなら、異様な力で首を捻じ曲げられた形跡があったからである。

「どういうことだ?」

 と、武蔵が本音を漏らしたときであった。

 大森林から次々と異様な音ととも、〝何か〟の塊がこちらに飛んできたのだ。

 武蔵は的確に〝何か〟が飛来する地点を見極めながら移動していく。

 時間差で飛んでくる〝何か〟の正体はすべて同じであった。

 オークである。

 やがて武蔵とゴブリンが戦った場所に、首を捻じ曲げられた十匹のオークが落下した。

 武蔵は必死で避けたので無事だったが、それこそまだ息のあったゴブリンたちはオークに潰されてどんどん死んでいったのである。

 それだけではない。

 武蔵が異常な死に方をして飛んで来たオークに混乱する中、大森林からはザザンッと木々の葉を掻き分けて一匹の魔物が飛び出してきた。

『ウキャキャキャキャキャキャキャキャ――――ッ!』

 ぞくりと、武蔵の全身の毛が異常なほどに逆立った。

 腹の底まで響く鳴き声を上げながら現れた一匹の魔物。

 それは身の丈が十六尺(約5メートル)はあろう巨大な猿だったのだ。

 むろん、普通の猿では絶対にない。

 十六尺(約5メートル)ほどの巨大な体躯たいくもさることながら、白と黒のまだら模様の毛に加えて、額には〝鬼〟を髣髴ほうふつさせる一本の短い角が生えていたのである。

『面倒ナ奴ラカラ遠ザカッテミレバ、美味ソウナ匂イガスルジャネエカ……ケド、オ前ジャナイナ。オ前ハ硬クテ、臭クテ、マズソウ。ダケド、人間ノクセニ少シハ強ソウ。ドウシテ? ドウシテ? ウキャキャキャキャッ!』

 人語を話す巨猿に対して、武蔵は奥歯をぎしりときしませた。

(こやつ、恐ろしく強い)

 ゴブリンなどとは比較できない、凄まじいほどの膂力りょりょくを感じる。

 闘わなくとも十二分に分かった。
 
 この人語を話す巨猿がオークたちの首をねじり曲げて殺し、その死体を軽々と大森林からこの場所へ放り投げてきたのだ。

 理由など武蔵には知るよしもなかった。

 この巨猿が何者で、どうしてオークを殺して放り投げてきたのかは分からない。

 ただ、一つだけはっきりとしていることがある。

(こやつだ――)

 武蔵は目の前に現れた巨猿がそうだと確信した。

(こやつが異世界そのものだ!)

 ゴブリンなどの強さに拍子抜けした武蔵にとって、目の前の巨猿こそが自分の求めた異世界の強敵なのだとはっきりと分かった。

『オ? オ? ル気? 俺トル気? ウキャキャキャッ、馬鹿ナ人間ダ! オ前ノ勝チ目ナンテ無イノニ! ウキャキャキャ――――ッ!』

 武蔵は大刀を左下段に構えると、一対一用の最強の状態――〈佐々木〉を使うことを決意した。

「せいぜい、ほざいていろ。すぐにその口を利けなくしてやるわ」

 舟島で決闘した佐々木小次郎との一戦が怒涛どとうの如くよみがえってくる。

 そして〈佐々木〉を使った武蔵は巨猿に向かって突進しようとしたが、肝心の巨猿は武蔵本人ではなく武蔵の背後をじっと見ている。

『ウキャキャキャキャキャ――――ッ! アソコダ! アソコカラ美味ソウナ匂イガスルゾ!』

 巨猿は嬉しそうな鳴き声を発すると、驚異の身体能力で武蔵の頭上を一気に飛び越えた。

「いかん!」

 これには武蔵も戸惑いを隠せなかった。

 自分の頭上を飛び越えた巨猿が、キメリエス修道院へと疾走したからだ。

 その体躯からは想像もできないほどの速度で巨猿は遠ざかっていく。

 武蔵も巨猿の後を追うように全力で駆け出した。

 しかし、ゴブリンやオークの死体が散乱しているので、上手く走ることができない。

「くそっ!」

 武蔵はそれでも一刻も早く巨猿の後を追うため足を動かす。

 自分が辿り着く前に、伊織たちが無事でいることを祈りながら――。
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