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第三十三話 黒雲が去ったあとの静けさ
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「さあ、渡してもらおうか。二代目のそなたが打った〝継承作品〟を」
マサムネに向かって左手を差し出す黒づくめの男。
そんな黒づくめの男を見て、伊織は思わずマサミツを強く抱き締める。
(この人……普通の人間じゃない)
最初、伊織は黒づくめの男が魔物ではないかと疑った。
明らかに右腕がないことや、蛇のような酷薄した表情などが理由ではない。
全身に纏っていた異様な気配であった。
四十代ほどの外見だったが、まるで黒づくめの男の気配は死人のそれである。
とても人間とは思えない冷気が全身から放出されていたのだ。
「お断りいたします」
しんと静まり返った中、静寂を切り裂くように言ったのはマサムネである。
「〝継承作品〟はあくまでも店を存続させる証明のために打った刀です。誰であろうとお売りするわけにはいきません。それに父の刀を求められているのなら、技量の乏しい私の刀などに満足しないでしょう」
黒づくめの男は目つきを鋭くさせた。
「満足するかせぬかはこちらで判断するゆえ、そなたは余計なごたくなど並べずにさっさと〝継承作品〟の刀を持ってくればいいのだ」
黒ずくめの男は威圧するように要求したが、マサムネは断固として首を縦に振らなかった。
ただひたすらに「お断りします」の一点張りである。
このマサムネの態度に苛立った黒ずくめの男は、こめかみに青筋を浮かべながら左手を動かした。
左腰に差していた小刀の柄を、小指側の逆手でおもむろに掴む。
そして今まさに黒鞘から白刃が飛び出ようとした直後、
「待たれよ」
と、武蔵が黒づくめの男の前に立ちはだかった。
黒づくめの男の動きがぴたりと止まる。
「どなたかは存ぜぬが、お主の言動はあまりにも目に余る。店主が売らぬと言っている以上、ここは大人しく引き下がるのが客というものであろう」
このとき、武蔵は左手の親指で大刀の鯉口を切っていた。
もしも黒づくめの男が引き下がらない場合、ここで一戦交えるつもりだったに違いない。
「そなたは? 拙者と同じ、大倭のサムライと見受けるが」
「宮本武蔵と申す」
黒づくめの男は「知らん名だな」と鼻で笑った。
「お主が誰であろうと構わん。たとえ同郷の者とはいえ、余計な口出しは無用に願いたい。そなたも刀を魂と見立てたサムライならば、異国の地で刀を失ったサムライの気持ちは痛いほどよく分かるだろう」
武蔵は黒づくめの男の垂れた右袖をじっと見る。
「失礼だが、その五体でさらに刀を求めるのはいささか酷ではないのか?」
伊織は武蔵の言わんとすることが理解できた。
右腕がない黒づくめの男にとって、本来は小刀一本でも片手での扱いは難しいだろう。
ただし、小刀一本ならば練習次第で片手でも十分に身を守れるはずだ。
けれども、これが大刀となるとまったく話は変わってくる。
黒づくめの男の利き腕が左手だったにせよ、片手で二尺三寸五分(約七十センチ)の定寸刀の扱いなど困難である。
ましてや三尺(約九十センチ)という長さの刀は、たとえ両手でも振るには技術がいるのだ。
「それこそ、そなたには関係のないことだ」
黒づくめの男は柄から左手を離すと、武蔵からマサムネに視線を移した。
「まあいい、今日のところは出直すとしよう……だが、そなたが継承作品を売ると言うまで拙者は何度でも来るぞ」
「何度来られようと私の返事は変わりませんよ」
「そなたの言い値で良いと言ってもか?」
「金の問題ではありません。これは鍛冶師としての面子の問題です」
などとマサムネが堂々と言い放ったときだ。
伊織の懐からマサミツが飛び出し、黒ずくめの男に向かったのである。
「とうたんがダメって言ったらダメなの! もう帰って!」
マサミツは黒づくめの男の目の前で怒りの声を上げる。
「二代目殿の息子か?」
黒づくめの男はマサミツを見下ろしながら、口の端を鋭角に吊り上げた。
それだけではない。
黒づくめの男は開いた左手を、ゆっくりとマサミツに突き出したのである。
「マサミツ!」
マサムネとタエが叫んだのと、伊織が床を蹴ってマサミツに疾駆したのはほぼ同時だった。
伊織は黒づくめの男の左手がマサミツに触れるよりも早く、後ろからマサミツを抱きかかえて後方に跳ぶ。
「ほう……女子にしては身体が利く。乱波(忍者)か?」
「俺の弟子だ」
そう言ったのは武蔵であった。
「お主、その童(子供)に何をしようとした?」
武蔵は大刀を抜き放つと、その切っ先を黒づくめの男に突きつける。
ふっ、と黒づくめの男は小さく笑った。
「安心せい。何もせぬわ」
黒づくめの男は颯爽と振り返り、そのまま出入口の扉のほうへと歩いていく。
「二代目殿、拙者は必ずそなたの継承作品の刀を手に入れるぞ」
そう言い残して黒づくめの男は店の外へと出て行った。
しかし、このとき武蔵たちは聞き取れなかったのである。
黒づくめの男が最後に「どんなことをしてもな」と呟いていたことを。
ほどしばくして、大きく息を吐いたルリがマサムネに尋ねる。
「えらい気色悪い男やったな。まるで迷宮に出る屍食鬼か悪霊鬼みたいな雰囲気やったで。ここには、あんな得体の知れん客もぎょうさん来るんか?」
「とんでもない。あのようなお客さんは初めてです」
そう言うとマサムネは、マサミツを抱えていた伊織に深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。あなたがマサミツを守ってくださらなかったら、今頃マサミツがどうなっていたのか分かりません」
武蔵は大刀を鞘に納め、同意するように小さく頷く。
「うむ、確かにあの男の放つ〝気〟は尋常ではなかった。言動はともかく佇まいや軸の強さを見ても、間違いなく剣の奥に達している兵法者だ……しかし、そうでありながら童(子供)に手を出そうとするとは見下げ果てた男よ」
武蔵の言葉に伊織も心の底から同意した。
同時に伊織は、黒づくめの男の去り際の言葉を思い出す。
「あのう……あの男が言っていた継承作品の刀っていうのは?」
やがて伊織は何気ない疑問を口にした。
「そうや、二代目はん。あんたさっき刀は一振りたりともこの店にないって言うとったけど、継承作品とかいう刀はあるんやな。何で最初っから教えてくれんかったんや?」
「それは……」
ルリの若干の怒りを含んだ指摘にマサミツが言い淀むと、「店主殿が気に病むことではない」と武蔵が横から口を挟んだ。
「刀があることを匂わせれば、それを欲しがる人間が出てくるからであろう。それこそ、あの黒づくめの男のようにな。先代が名工だったならばなおのこと……どちらにせよ、今の店主はお主なのだ。他人にどう言われようとも売りたくないものは売らなくても良いし、見せたくないものは見せなくても良い」
「でもな、オッサン。せやったら、せっかくここまで刀を買いに来たのに手ぶらで帰るんか? 他にも刀を扱っとる店はあるにはあるが、それでも親方の打った刀の質には到底及ばへん代物ばかりや。それこそ他の店の刀なんぞ、とてもオッサンの技量にはついていけへんと思うで」
「そんなに他の店の刀はひどいのか?」
「うちよりも二代目はんのほうが知ってるんとちゃうか?」
ルリがマサムネを見ると、武蔵も釣られてマサムネを見た。
「あまり他の店の商品にケチをつけたくはないのですが、わずかでも曲がりやねじれのある刀を堂々と大倭国の名品として扱っている店は確かにあります。この国では刀自体が珍しい刀剣ですからね」
マサムネからこの国における刀事情を聞いた伊織は、あの黒づくめの男がこの店に固執する理由が何となく分かった気がした。
一流の剣術の使い手ならば、曲がりやねじれのない刀を求めるのは普通である。
そしてこの店の先代が名工として評判が高かったのならば、その息子である二代目の打った刀を求めるのは当たり前のことだ。
おそらく黒づくめの男は他の店の刀よりも、マサムネが店の存続のために打った証明品の刀のほうがはるかにまともだと判断しているのだろう。
「さて、そうなると困った。刀は欲しいものの、さすがに曲がりやねじれのある刀はいらん。さりとて、もう手に入る場所がないとなるとな……」
などと武蔵が難しい顔をして低く唸ったときだ。
「どうしてお客様たちは刀をお求めなのですか? そちらの方の刀もそうですが、あなたもすでにお腰に立派な大小刀をお持ちのようですが?」
マサムネはルリの仕込み杖と、武蔵の大小刀の二振りを見て訊いた。
「欲しいのはうちやなくて、そっちの嬢ちゃんとオッサンのほうや。三本のうち二本は嬢ちゃん用、そんで残りの一本はそこのオッサン用や」
意味が分からないとばかりに小首を傾げたマサムネに対して、武蔵は「俺のは見せたほうが早いな」と小刀をすらりと抜いて見せた。
ギガントエイプに叩き折られた小刀をである。
「この通り、あいにくと鞘に納めているだけでな。正直、これではまったく使えぬ代物よ」
武蔵が折れた小刀に苦笑すると、マサムネは小刀を見せてほしいと願い出た。
「構わんぞ」
と、武蔵は折れた小刀をマサムネに手渡す。
「これは何かを斬った際に折れた痕ではありませんね」
「いかにも、その小刀は魔物に叩き折られたのだ」
「魔物に?」
「まあ、昨日の今日やさかい。まだ、噂ぐらいしか立ってへんと思うけど」
なぜかルリは得意げな顔を浮かべながら、昨日のキメリエス修道院での出来事をマサムネに説明していく。
「まさか、あなたたちは当事者だったのですか!」
事情を聞いたマサムネは飛び上がるほど驚いた。
「おいおい、まだ一日しか経ってないんやで。それなのに、もう修道院の一件はこんなところにまで知れ渡っているんか?」
マサムネは大きく頷いた。
「キメリエス修道院にも出入りしている仕入れ業者たちがあちこちで触れ回っていますよ。そしてこれはあくまでも聞いた話なのですが、その一件に関わった冒険者たちの等級が試験なしで上がったそうです」
マサムネは折れた小刀を食い入るように見つめる。
「なるほど……あなたがたはやはり冒険者でしたか。しかも私たちと同じ大倭国の出身ならば、異国の剣よりも故郷の刀を求めるのは当然ですものね」
「いや、俺と伊織はどちらも――」
違うと、武蔵が本音を漏らそうとしたときだ。
「そ、そうなんや。うちは大倭国の人間とは違うけど、こっちの二人は大倭国の出身でバリバリの冒険者なんやで。だから、この二人にはどうしても刀がいるねん。なあ、本当にこの店には継承作品とかいう以外の刀はないんか?」
武蔵が話せば本筋に辿り着けなくなるとルリは思ったのだろう。
やや強引に話を進めたルリに、伊織は機転と頭の良さを改めて感じた。
口や態度こそお世辞にも良いとは言えないルリだったが、状況を的確に読むことや会話を成立させるための話術の高さには舌を巻くほどである。
「先ほども申し上げましたが、継承作品以外の刀はすべて材料に溶かしてしまいました。これは本当です。嘘ではありません」
「誰も嘘などと思っておらん。なあ、店主殿。だったら、そのますたー何とかという刀だけでも見せていただくことは可能か?」
「継承作品を? ですが……」
「むろん、あの黒づくめの男のように売れとは言わん。俺も刀を使う兵法者だ。純粋にお主の打った刀に興味があるだけのことよ」
マサムネが思案顔になると、横からタエが「見せるだけならいいんじゃない?」と言った。
「刀を使ったことのない素人じゃないんだし、その刀を見てもこの人が一流の剣使いであることはアンタにも分かるでしょう。お義父さんが生きていたら、きっとこの人には自分の刀を売っていたはずよ」
一拍の間を空けたあと、マサムネは「お見せするだけなら」と了承する。
そしてマサムネは武蔵へ小刀を手渡すと、武蔵は「ぜひとも頼みたい」と小刀を受け取って鞘に戻した。
「では、こちらへどうぞ」
マサムネは武蔵たちにカウンターの奥へと誘った。
どうやら継承作品という刀は別の場所に保管しているらしい。
意気揚々とマサムネについていく武蔵。
その後ろからルリもついていき、いざ自分もと伊織が武蔵たちの背中を追おうとしたときだ。
「ねえたん、一緒にお外で遊ぼう」
と、マサミツが伊織に話しかけてきた。
「え~と、ごめんね。お姉ちゃんも一緒に行かないと……」
「や~だ! 一緒に遊んで! 刀の話なんてつまんない!」
これには伊織も頭を抱えてしまった。
子供と遊ぶのは苦でもないが、今は武蔵たちについていきたい。
伊織も幼少の頃から剣に親しんできた人間だ。
武蔵と同様、異世界の刀工が打った刀に非常に興味がある。
「マサミツ、わがままを言うんじゃない! お客様が迷惑しているだろう!」
店内に響き渡るほどのマサムネの怒声に、マサミツは喉が裂けんばかりの大声で泣くことによって反論した。
しかもマサミツは伊織の衣服の一部を強く握り、離そうと思っても離れないほどの癇癪を見せたのだ。
ふと伊織の脳裏に、年の離れた弟の姿が浮かんでくる。
弟は時代劇や武術に興味がなかったので、よく自分が祖父と時代劇を観ていたときや、叔父に武術を習っていると今のマサミツのように癇癪を起されたものだ。
ましてや内気で自分から友達を作りにいく性格ではなかったため、年の離れた姉に何かと構ってもらいたかったのだろうと今さらながらに思い出してしまった。
マサミツも似たような感じなのかもしれない。
もしかすると、近くに遊び相手の友達すらいないのではないかと伊織は思った。
「いいよ。じゃあ、お姉さんと一緒に遊ぼうか」
「ほんと! ほんとに僕と遊んでくれるの!」
「うん、私でよければ」
伊織がマサミツの頭を優しくなでると、武蔵は「良いのか?」と訊いてきた。
「私は全然いいですので、お師匠様はどうぞ刀を見てきてください」
伊織はマサミツに視線を合わせ、「どこで遊ぼうか」と満面の笑みを浮かべた。
「じゃあさじゃあさ、ねえたんには僕の遊び場を教えてあげる。こっちだよ」
マサミツは伊織の腕を引っ張るなり、店の外へと猛然と走り始めた。
「おい、外で遊ぶのは構わへんけど、あんまり遠くへは行くんやないで。さっきも言うたが、ここは異人街なんやからな」
ルリの心配の声に、伊織は「分かった」と答えてマサミツと店の外へと出る。
だが、このときの伊織は知る由もなかった。
このマサミツを思って取った何気ない行動が、すでに戦場へと誘う一歩になっていたことに――。
マサムネに向かって左手を差し出す黒づくめの男。
そんな黒づくめの男を見て、伊織は思わずマサミツを強く抱き締める。
(この人……普通の人間じゃない)
最初、伊織は黒づくめの男が魔物ではないかと疑った。
明らかに右腕がないことや、蛇のような酷薄した表情などが理由ではない。
全身に纏っていた異様な気配であった。
四十代ほどの外見だったが、まるで黒づくめの男の気配は死人のそれである。
とても人間とは思えない冷気が全身から放出されていたのだ。
「お断りいたします」
しんと静まり返った中、静寂を切り裂くように言ったのはマサムネである。
「〝継承作品〟はあくまでも店を存続させる証明のために打った刀です。誰であろうとお売りするわけにはいきません。それに父の刀を求められているのなら、技量の乏しい私の刀などに満足しないでしょう」
黒づくめの男は目つきを鋭くさせた。
「満足するかせぬかはこちらで判断するゆえ、そなたは余計なごたくなど並べずにさっさと〝継承作品〟の刀を持ってくればいいのだ」
黒ずくめの男は威圧するように要求したが、マサムネは断固として首を縦に振らなかった。
ただひたすらに「お断りします」の一点張りである。
このマサムネの態度に苛立った黒ずくめの男は、こめかみに青筋を浮かべながら左手を動かした。
左腰に差していた小刀の柄を、小指側の逆手でおもむろに掴む。
そして今まさに黒鞘から白刃が飛び出ようとした直後、
「待たれよ」
と、武蔵が黒づくめの男の前に立ちはだかった。
黒づくめの男の動きがぴたりと止まる。
「どなたかは存ぜぬが、お主の言動はあまりにも目に余る。店主が売らぬと言っている以上、ここは大人しく引き下がるのが客というものであろう」
このとき、武蔵は左手の親指で大刀の鯉口を切っていた。
もしも黒づくめの男が引き下がらない場合、ここで一戦交えるつもりだったに違いない。
「そなたは? 拙者と同じ、大倭のサムライと見受けるが」
「宮本武蔵と申す」
黒づくめの男は「知らん名だな」と鼻で笑った。
「お主が誰であろうと構わん。たとえ同郷の者とはいえ、余計な口出しは無用に願いたい。そなたも刀を魂と見立てたサムライならば、異国の地で刀を失ったサムライの気持ちは痛いほどよく分かるだろう」
武蔵は黒づくめの男の垂れた右袖をじっと見る。
「失礼だが、その五体でさらに刀を求めるのはいささか酷ではないのか?」
伊織は武蔵の言わんとすることが理解できた。
右腕がない黒づくめの男にとって、本来は小刀一本でも片手での扱いは難しいだろう。
ただし、小刀一本ならば練習次第で片手でも十分に身を守れるはずだ。
けれども、これが大刀となるとまったく話は変わってくる。
黒づくめの男の利き腕が左手だったにせよ、片手で二尺三寸五分(約七十センチ)の定寸刀の扱いなど困難である。
ましてや三尺(約九十センチ)という長さの刀は、たとえ両手でも振るには技術がいるのだ。
「それこそ、そなたには関係のないことだ」
黒づくめの男は柄から左手を離すと、武蔵からマサムネに視線を移した。
「まあいい、今日のところは出直すとしよう……だが、そなたが継承作品を売ると言うまで拙者は何度でも来るぞ」
「何度来られようと私の返事は変わりませんよ」
「そなたの言い値で良いと言ってもか?」
「金の問題ではありません。これは鍛冶師としての面子の問題です」
などとマサムネが堂々と言い放ったときだ。
伊織の懐からマサミツが飛び出し、黒ずくめの男に向かったのである。
「とうたんがダメって言ったらダメなの! もう帰って!」
マサミツは黒づくめの男の目の前で怒りの声を上げる。
「二代目殿の息子か?」
黒づくめの男はマサミツを見下ろしながら、口の端を鋭角に吊り上げた。
それだけではない。
黒づくめの男は開いた左手を、ゆっくりとマサミツに突き出したのである。
「マサミツ!」
マサムネとタエが叫んだのと、伊織が床を蹴ってマサミツに疾駆したのはほぼ同時だった。
伊織は黒づくめの男の左手がマサミツに触れるよりも早く、後ろからマサミツを抱きかかえて後方に跳ぶ。
「ほう……女子にしては身体が利く。乱波(忍者)か?」
「俺の弟子だ」
そう言ったのは武蔵であった。
「お主、その童(子供)に何をしようとした?」
武蔵は大刀を抜き放つと、その切っ先を黒づくめの男に突きつける。
ふっ、と黒づくめの男は小さく笑った。
「安心せい。何もせぬわ」
黒づくめの男は颯爽と振り返り、そのまま出入口の扉のほうへと歩いていく。
「二代目殿、拙者は必ずそなたの継承作品の刀を手に入れるぞ」
そう言い残して黒づくめの男は店の外へと出て行った。
しかし、このとき武蔵たちは聞き取れなかったのである。
黒づくめの男が最後に「どんなことをしてもな」と呟いていたことを。
ほどしばくして、大きく息を吐いたルリがマサムネに尋ねる。
「えらい気色悪い男やったな。まるで迷宮に出る屍食鬼か悪霊鬼みたいな雰囲気やったで。ここには、あんな得体の知れん客もぎょうさん来るんか?」
「とんでもない。あのようなお客さんは初めてです」
そう言うとマサムネは、マサミツを抱えていた伊織に深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。あなたがマサミツを守ってくださらなかったら、今頃マサミツがどうなっていたのか分かりません」
武蔵は大刀を鞘に納め、同意するように小さく頷く。
「うむ、確かにあの男の放つ〝気〟は尋常ではなかった。言動はともかく佇まいや軸の強さを見ても、間違いなく剣の奥に達している兵法者だ……しかし、そうでありながら童(子供)に手を出そうとするとは見下げ果てた男よ」
武蔵の言葉に伊織も心の底から同意した。
同時に伊織は、黒づくめの男の去り際の言葉を思い出す。
「あのう……あの男が言っていた継承作品の刀っていうのは?」
やがて伊織は何気ない疑問を口にした。
「そうや、二代目はん。あんたさっき刀は一振りたりともこの店にないって言うとったけど、継承作品とかいう刀はあるんやな。何で最初っから教えてくれんかったんや?」
「それは……」
ルリの若干の怒りを含んだ指摘にマサミツが言い淀むと、「店主殿が気に病むことではない」と武蔵が横から口を挟んだ。
「刀があることを匂わせれば、それを欲しがる人間が出てくるからであろう。それこそ、あの黒づくめの男のようにな。先代が名工だったならばなおのこと……どちらにせよ、今の店主はお主なのだ。他人にどう言われようとも売りたくないものは売らなくても良いし、見せたくないものは見せなくても良い」
「でもな、オッサン。せやったら、せっかくここまで刀を買いに来たのに手ぶらで帰るんか? 他にも刀を扱っとる店はあるにはあるが、それでも親方の打った刀の質には到底及ばへん代物ばかりや。それこそ他の店の刀なんぞ、とてもオッサンの技量にはついていけへんと思うで」
「そんなに他の店の刀はひどいのか?」
「うちよりも二代目はんのほうが知ってるんとちゃうか?」
ルリがマサムネを見ると、武蔵も釣られてマサムネを見た。
「あまり他の店の商品にケチをつけたくはないのですが、わずかでも曲がりやねじれのある刀を堂々と大倭国の名品として扱っている店は確かにあります。この国では刀自体が珍しい刀剣ですからね」
マサムネからこの国における刀事情を聞いた伊織は、あの黒づくめの男がこの店に固執する理由が何となく分かった気がした。
一流の剣術の使い手ならば、曲がりやねじれのない刀を求めるのは普通である。
そしてこの店の先代が名工として評判が高かったのならば、その息子である二代目の打った刀を求めるのは当たり前のことだ。
おそらく黒づくめの男は他の店の刀よりも、マサムネが店の存続のために打った証明品の刀のほうがはるかにまともだと判断しているのだろう。
「さて、そうなると困った。刀は欲しいものの、さすがに曲がりやねじれのある刀はいらん。さりとて、もう手に入る場所がないとなるとな……」
などと武蔵が難しい顔をして低く唸ったときだ。
「どうしてお客様たちは刀をお求めなのですか? そちらの方の刀もそうですが、あなたもすでにお腰に立派な大小刀をお持ちのようですが?」
マサムネはルリの仕込み杖と、武蔵の大小刀の二振りを見て訊いた。
「欲しいのはうちやなくて、そっちの嬢ちゃんとオッサンのほうや。三本のうち二本は嬢ちゃん用、そんで残りの一本はそこのオッサン用や」
意味が分からないとばかりに小首を傾げたマサムネに対して、武蔵は「俺のは見せたほうが早いな」と小刀をすらりと抜いて見せた。
ギガントエイプに叩き折られた小刀をである。
「この通り、あいにくと鞘に納めているだけでな。正直、これではまったく使えぬ代物よ」
武蔵が折れた小刀に苦笑すると、マサムネは小刀を見せてほしいと願い出た。
「構わんぞ」
と、武蔵は折れた小刀をマサムネに手渡す。
「これは何かを斬った際に折れた痕ではありませんね」
「いかにも、その小刀は魔物に叩き折られたのだ」
「魔物に?」
「まあ、昨日の今日やさかい。まだ、噂ぐらいしか立ってへんと思うけど」
なぜかルリは得意げな顔を浮かべながら、昨日のキメリエス修道院での出来事をマサムネに説明していく。
「まさか、あなたたちは当事者だったのですか!」
事情を聞いたマサムネは飛び上がるほど驚いた。
「おいおい、まだ一日しか経ってないんやで。それなのに、もう修道院の一件はこんなところにまで知れ渡っているんか?」
マサムネは大きく頷いた。
「キメリエス修道院にも出入りしている仕入れ業者たちがあちこちで触れ回っていますよ。そしてこれはあくまでも聞いた話なのですが、その一件に関わった冒険者たちの等級が試験なしで上がったそうです」
マサムネは折れた小刀を食い入るように見つめる。
「なるほど……あなたがたはやはり冒険者でしたか。しかも私たちと同じ大倭国の出身ならば、異国の剣よりも故郷の刀を求めるのは当然ですものね」
「いや、俺と伊織はどちらも――」
違うと、武蔵が本音を漏らそうとしたときだ。
「そ、そうなんや。うちは大倭国の人間とは違うけど、こっちの二人は大倭国の出身でバリバリの冒険者なんやで。だから、この二人にはどうしても刀がいるねん。なあ、本当にこの店には継承作品とかいう以外の刀はないんか?」
武蔵が話せば本筋に辿り着けなくなるとルリは思ったのだろう。
やや強引に話を進めたルリに、伊織は機転と頭の良さを改めて感じた。
口や態度こそお世辞にも良いとは言えないルリだったが、状況を的確に読むことや会話を成立させるための話術の高さには舌を巻くほどである。
「先ほども申し上げましたが、継承作品以外の刀はすべて材料に溶かしてしまいました。これは本当です。嘘ではありません」
「誰も嘘などと思っておらん。なあ、店主殿。だったら、そのますたー何とかという刀だけでも見せていただくことは可能か?」
「継承作品を? ですが……」
「むろん、あの黒づくめの男のように売れとは言わん。俺も刀を使う兵法者だ。純粋にお主の打った刀に興味があるだけのことよ」
マサムネが思案顔になると、横からタエが「見せるだけならいいんじゃない?」と言った。
「刀を使ったことのない素人じゃないんだし、その刀を見てもこの人が一流の剣使いであることはアンタにも分かるでしょう。お義父さんが生きていたら、きっとこの人には自分の刀を売っていたはずよ」
一拍の間を空けたあと、マサムネは「お見せするだけなら」と了承する。
そしてマサムネは武蔵へ小刀を手渡すと、武蔵は「ぜひとも頼みたい」と小刀を受け取って鞘に戻した。
「では、こちらへどうぞ」
マサムネは武蔵たちにカウンターの奥へと誘った。
どうやら継承作品という刀は別の場所に保管しているらしい。
意気揚々とマサムネについていく武蔵。
その後ろからルリもついていき、いざ自分もと伊織が武蔵たちの背中を追おうとしたときだ。
「ねえたん、一緒にお外で遊ぼう」
と、マサミツが伊織に話しかけてきた。
「え~と、ごめんね。お姉ちゃんも一緒に行かないと……」
「や~だ! 一緒に遊んで! 刀の話なんてつまんない!」
これには伊織も頭を抱えてしまった。
子供と遊ぶのは苦でもないが、今は武蔵たちについていきたい。
伊織も幼少の頃から剣に親しんできた人間だ。
武蔵と同様、異世界の刀工が打った刀に非常に興味がある。
「マサミツ、わがままを言うんじゃない! お客様が迷惑しているだろう!」
店内に響き渡るほどのマサムネの怒声に、マサミツは喉が裂けんばかりの大声で泣くことによって反論した。
しかもマサミツは伊織の衣服の一部を強く握り、離そうと思っても離れないほどの癇癪を見せたのだ。
ふと伊織の脳裏に、年の離れた弟の姿が浮かんでくる。
弟は時代劇や武術に興味がなかったので、よく自分が祖父と時代劇を観ていたときや、叔父に武術を習っていると今のマサミツのように癇癪を起されたものだ。
ましてや内気で自分から友達を作りにいく性格ではなかったため、年の離れた姉に何かと構ってもらいたかったのだろうと今さらながらに思い出してしまった。
マサミツも似たような感じなのかもしれない。
もしかすると、近くに遊び相手の友達すらいないのではないかと伊織は思った。
「いいよ。じゃあ、お姉さんと一緒に遊ぼうか」
「ほんと! ほんとに僕と遊んでくれるの!」
「うん、私でよければ」
伊織がマサミツの頭を優しくなでると、武蔵は「良いのか?」と訊いてきた。
「私は全然いいですので、お師匠様はどうぞ刀を見てきてください」
伊織はマサミツに視線を合わせ、「どこで遊ぼうか」と満面の笑みを浮かべた。
「じゃあさじゃあさ、ねえたんには僕の遊び場を教えてあげる。こっちだよ」
マサミツは伊織の腕を引っ張るなり、店の外へと猛然と走り始めた。
「おい、外で遊ぶのは構わへんけど、あんまり遠くへは行くんやないで。さっきも言うたが、ここは異人街なんやからな」
ルリの心配の声に、伊織は「分かった」と答えてマサミツと店の外へと出る。
だが、このときの伊織は知る由もなかった。
このマサミツを思って取った何気ない行動が、すでに戦場へと誘う一歩になっていたことに――。
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偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
最強剣士が転生した世界は魔法しかない異世界でした! ~基礎魔法しか使えませんが魔法剣で成り上がります~
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政権争いに巻き込まれた騎士団長で天才剣士のアルベルト・マリノワーナ。
彼はどこにも属していなかったが、敵に回ると厄介だという理由だけで毒を盛られて殺されてしまった。
剣の道を極める──志半ばで死んでしまったアルベルトを不憫に思った女神は、アルベルトの望む能力をそのままに転生する権利を与えた。
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転生した先で剣の道を極めることを心に誓ったアルベルトだったが──転生先は魔法が発展した、魔法師だらけの異世界だった!
剣術が廃れた世界で、剣術で最強を目指すアルベルト──改め、アル・ノワールの成り上がり物語。
※アルファポリス、カクヨム、小説家になろうにて同時掲載しています。
爺さんの異世界建国記 〜荒廃した異世界を農業で立て直していきます。いきなりの土作りはうまくいかない。
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88歳の爺さんが、異世界に転生して農業の知識を駆使して建国をする話。
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飢えを乗り越えた『村』は、王国から狙われることとなる。強大な軍事力を誇る王国に対して、ロッシュは知恵と知識、そして魔法や仲間たちと協力して、その脅威を乗り越えていくオリジナル戦記。
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異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
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2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。
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「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
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