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第三十二話   隻腕の来訪者とマスターピース

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「ホンマにおっちゃん……親方は亡くなったんか?」

 ルリの問いに青年はうなずく。

「流行り病にかかって体調を崩してからはあっという間でした。それからは息子の私が父のあといで、この店を切り盛りさせていただいております」

「ならば、お主は二代目というわけか」

 武蔵が尋ねると、青年は「申し遅れました」と深々と頭を下げた。

「マサムネ・ビゼンと申します」

 青年の名前を聞いて、武蔵は「マサムネにビゼンか」と微笑びしょうを浮かべた。

 マサムネは正宗、ビゼンは備前と書くのだろうか。

 兵法者である武蔵にとって、どちらの名前も非常に馴染なじみ深いものだった。

 こちらの世界ではどうなのかは知らないが、自分のいた時代で正宗と言えば相模国さがみのくに(神奈川県)の刀工のことである。

 一方の備前は正宗よりも名が通っていた、備前国びぜんのくに(岡山県南東部)の刀工だ。

 正式な名は備前長船びぜんおさふねであり、兵法者の間ではあまりにも多くの刀を数打ち(大量生産)していたことで有名であった。

 そして武蔵が舟島で死合った佐々木小次郎の刀も、この備前長船の刀工の一人であった長光ながみつの作だということはあとで知ったことである。

(佐々木小次郎……か)

 備前びぜん長船おさふね長光ながみつの名を思い出したせいか、武蔵の脳裏に悪夢の一部がまざまざと蘇ってくる。

 ――覚えておれ……この、佐々木小次郎……たとえ、この世で……朽ち果てようと……来世で魔人に生まれ変わり……必ず貴様を打ち果たしてくれる。

 呪いの言葉を吐きながら息絶えた、巌流がんりゅう・佐々木小次郎。

 あのときは運よく自分が生き残ったものの、三尺(約九十センチ)の長刀ながだちを自在に操れた剣才には今思い出しても身震いするほどだ。

 正直なところ、来世で生まれ変わっても小次郎の相手はしたくなかった。

 ましてや、魔人に生まれ変わった小次郎と死合うなど背筋が凍る。

(小次郎殿……どうか来世では、ただの人として世を謳歌おうかしてくれ)

 などと武蔵が宿敵の来世に思いをせたときだ。

 ルリが「それは気の毒やったな。せやけど、うちらも客として来てんねん」とマサムネに右手を差し出した。

「さっきも言うたけど、うちらは親方が打った刀を三本ほしいんや。親方が死んでしもうたんなら、息子のあんたが適当に見繕みつくろってくれんか?」

「申し訳ありません……それは出来ないのです」

「何でや? いくら客を選ぶうても、肝心の親方が死んでしもうたんなら仕方ないやないか。あんたも刀が売れなんだら商売上がったりやろ」

 マサムネは「そうではありません」と小さく息を吐いた。

「父の打った刀をお売りしようにも、もう手元には一振りたりとも残ってはいないのです」

「どういうことだ?」

 事情を訊いたのは武蔵である。

「父の遺言です」

 マサムネは落ち着いた声で事情を説明していく。

「生前、父は自分が認めた人間にしか刀を売りませんでした。大倭国やまとこくの刀は折れにくい反面、曲がりやすいのが特徴です。それこそ、きちんと刃筋を通して斬る技量がなければ、せっかく命を削ってまで打った刀が単なるガラクタに成り果てる。それが父にはどうしても我慢できなかったらしく、必ず刀を求める客の技量を確かめてから売っていたのですが……」

 マサムネは表情を暗くさせて言葉を続ける。

「流行り病にかかって自分の死期を悟ったとき、父は自分が死んだら刀を鍛冶師ギルドに進呈しんていするよう私に言いました。鍛冶師ギルドの幹部は父のような職人気質かたぎの人たちばかりですから、その人たちの目に適った人間ならば自分の刀を使うに相応しいと思ったのでしょう」

「せやったら、鍛冶師ギルドに行けば親方の刀が手に入るんやな?」

「いえ、もう遅いと思います。聞いたところによれば、刀を進呈した直後に噂を聞きつけた名のある剣士たちがこぞって鍛冶師ギルドにやってきたそうですから」

「……っちゅうことは、ホンマにここには親方が打った刀はないんか」

「はい……父が打った刀はこの店には一振りたりともありません。おそらく、もう鍛冶師ギルドにも」

 ですが、とマサムネは表情を明るくさせた。

「この店には私が鍛えた刀以外の武器が一通り揃っています。よろしければ値段を勉強させていただきますので、ゆっくりと見ていってください」

 武蔵はぐるりと店内を見渡し、壁や棚に並んでいた武器を眺める。

「鋼の材質から焼き入れ、鍛え方まで俺の知る刀とは異なる得物ばかりだ。これらがすべて悪いとは言わんが、やはり刀でなくては俺の円明流の技には到底耐えられぬだろうな。それに、やはり弟子には剣ではなく刀をやりたい」

 そう言うと武蔵はマサムネに顔を向けた。

「しかし、いまいち解せぬ。なぜ、ここにはお主の打った刀がないのだ? これだけの得物を造る技量があるのならば、刀の一振りや二振りお主にも打てるだろう」

「あいにくと、私には父ほどの刀を打てる技量がありません。これまで私なりに何振りも打ってきたのですが、ことごとく父に否定されました。私には大倭国やまとこくの刀工としての才がなかったのでしょう。なので今の私は刀を打っていませんし、これからも打つ気はありません」

「でも、刀を打たないと生計が立たないんじゃないですか?」

 伊織の言葉にマサムネは「そうでもありませんよ」と笑みを浮かべた。

「私には大倭国やまとこくの刀工としての才はありませんでしたが、その代わりにこの国の刀剣鍛冶としての才はあったみたいでしてね。おかげさまで、今では迷宮ダンジョンに潜る冒険者の皆様にも懇意こんいにしていただいている――」

 ほどです、とマサムネが伝えようとしたときだ。

「とうたーん!」

 と、元気で間延びした声がどこからか聞こえてきた。

 武蔵は声のしたほうに視線を移す。

 マサムネが姿を現したカウンターの奥から、小袖を着た一人のわらべ(子供)が飛び出してきた。

 年は四、五歳ほどだろうか。

 健康そうな黒髪黒目の男のわらべ(子供)である。

「こら、マサミツ。勝手に店に入ってくるなといつも言っているだろう」

 そう注意したマサムネの足に、マサミツと呼ばれたわらべ(子供)は満面の笑みで抱き着いていく。

「もしかして、あんたの息子さんか?」

 ルリが訊くとマサムネは「息子のマサミツです」と首を縦に振った。

「ごめんね、アンタ。ちょっと目を離した先に、この子ったら勝手に飛び出して行っちゃって」

 遅れてカウンターの奥から一人の女も出てきた。

 マサムネと同じ二十代半ばほどだろうか。

 背中まで伸ばした黒髪に、マサムネとは対照的なぱっちりとした目をしている。

 そして着ている衣服は作務衣ではなく、ゆったりとした小袖姿であった。

「マサムネさんの奥さん……ですか?」

 伊織が尋ねると、マサムネは「妻のタエです」と三人に紹介する。

「中々に立派な体格をしておられる奥方だな」

 武蔵は妻と紹介されたタエという女性を見て呟いた。

 タエの背丈は武蔵と同じく六尺(180センチ)もあり、横幅にいたっては力士のような堂々とした体格をしていたのだ。

 それによく見ると、マサムネと同様に両手には火傷や切り傷の痕が見られた。

「もしや、これらの得物は奥方と一緒に打っているのか?」

「ええ……と言っても妻は研ぎが専門なのです」

 マサムネは気恥ずかしそうに言った。

「ですが鍛えの腕前も確かなので、今では夫婦で共同制作した物をお売りさせていただいております」

「ほう……」

 武蔵は物珍しそうな目をタエに向ける。

 戦国の世において、鍛冶場への女の立ち入りは厳しく戒められていた。

 なぜなら古来より鉄は女を嫌うとされ、鍛冶の神が女神の金屋子神かなやごかみだからという逸話から来ていたからだ。

 だが、それは武蔵が生きていた時代の常識である。

 この異世界においては事情が異なるのかもしれないが、どちらにせよ今の武蔵たちには刀が手に入らないという問題のほうが大きかった。

「とうたん、この人たち誰? 悪い人?」

 武蔵が難しい顔をしていたせいだろうか、マサミツはやや怯えた表情で武蔵を見ている。

「違うよ。この人たちはお客様だ。ほら、お前もきちんとご挨拶しなさい」

「う、うん」

 マサミツは三人の前にやってくると、照れくさそうな顔のまま頭を下げた。

「初め、まして、マサミツ、ビゼン、です」

 緊張しているのか口調こそたどたどしかったが、それでも初めて会う人間の前でも動じずに名乗れる度胸に武蔵は将来の期待を覚えた。

「あのオッチャンの孫か……あんまり面影はないけどな」

 ルリは両膝を折り曲げると、マサミツと同じ目線の高さを作った。

 するとマサミツはあご先に人差し指を置きながら、たどたどしい足取りでルリの元へ近づいていく。

 やがてマサミツはルリの前で立ち止まり、じっとルリの胸元を凝視する。

「何や、ボウズ。うちの豊満なボディが気になるんか」

 ルリは口の端を吊り上げると、マサミツに向かって両手を広げて見せた。

「どら、このルリ様が抱っこしたろう。ほれ、遠慮せずに来いや」

 しかし、マサミツはルリの胸をぽんぽんと叩いて何かを確認した途端、急にがっくりとうな垂れてそっぽを向いてしまった。

 そしてマサミツはルリから伊織へと目線を移し、今度は伊織の胸元を食い入るように見つめる。

「え? 私?」

 伊織が両膝を折り曲げてマサミツと同じ目線の高さを作ると、マサミツはぱっと表情を明るくさせて伊織の胸元へと飛び込んだ。

「こ、こいつは……」

 ルリは伊織の胸の中で嬉しそうな表情を浮かべていたマサミツを見て、小さい身体をわなわなと震わせて一本だけ立てた人差し指をマサミツに突きつける。

「間違いない! このボウズはあのオッチャンの孫や!」

「何を今さらたわけたことを言っている。先ほどそう紹介されただろうが」

 などと武蔵が口にしたときだ。

 出入口の扉のベルが鳴り、「ごめん」と一人の人間が店内へと入ってきた。

「この店のあるじはおられるか?」

 出入り口に立っていたのは、武蔵と同じ着物と袴姿の男である。

 蛇を思わせる顔立ちに、短めに切り揃えられている黒髪。

 身体つきは武蔵と違って病的なほど痩せている細身であった。

 しかも全身が黒ずくめなのだ。

 髪の色、着物の色、袴の色、そして左の腰帯こしおびに一本だけ差さっている小刀のつかさやも黒色である。

(この男……只者ただものではないな)

 武蔵の兵法者としての勘が危険だと発している。

 それほど黒ずくめの男が纏っている気配は異常だった。

 まるで死人のような冷たい気が全身から放出されているのだ。

「い、いらっしゃいませ」

 最初は男の姿を見てあっけに取られていたマサムネだったが、すぐに我に返ると商売人の笑みを作って頭を下げる。

「本日はどういったモノをご希望ですか?」

「刀を一振りいただきたい」

 黒ずくめの男は低い声で言った。

「だが曲がりやねじれなどはむろんのこと、研ぎにムラがある刀などは論外だ。ただし大丁子乱おおちょうじみだれだろうと小丁子乱こちょうじみだれだろうと、刃文はもんの種類は問わん。そして出来れば三尺(約九十センチ)の刀が良いのだが、なければ二尺三寸五分(約七十センチ)の定寸刀じょうすんとうでも良い」
 
 やや早口でまくし立てた黒ずくめの男に、マサムネはどう返答してよいか困っていた。

 それは何となく武蔵にも理解できる。

 この店に刀がないという事実を知っているとは別に、黒ずくめの男の身体的特徴のことをマサムネは憂慮ゆうりょしたのだろう。

 隻腕せきわんであった。

 黒づくめの男の右腕はなく、右袖の部分が身体に寄り添うように垂れている。

 懐に右腕を入れているのではなく、間違いなく右腕そのものがない。

 そんな黒づくめの男が、刀をほしいと申し出てきたのだ。

 マサムネが困惑するのも当然であった。

「こちらのお客様たちにも申し上げたのですが、この店にはもう父の打った刀は一振りたりともありません」

 マサムネは黒ずくめの男に、武蔵たちと同様の説明をした。

「なるほど、そなたの言いたいことは分かった」

 事情を知った黒づくめの男は帰るのかと思いきや、マサムネに対して「では、二代目であるお主の打った刀をもらおうか」と左手を差し出してくる。

 マサムネは苦笑しながら首を左右に振った。

「申し訳ありませんが、私の打った刀などもございません。店内を見ていただいたら分かるように、父が他界してから私はこの国の刀剣鍛冶として商売をさせていただいております。以前は試作として何振りかは私も刀を打ちましたが、今ではすべて材料へと溶かしました」

あるじ拙者せっしゃたばかるなよ」

 黒づくめの男の瞳に怪しい輝きが宿る。

拙者せっしゃが何も知らずにこの店に来たと思うのか。鍛冶師ギルドにキヨマサ・ビゼン殿の刀がないことなどとうに知っているわ。だからこそ、鍛冶師ギルドに認められた二代目のお主の元へと足を運んだのだ」

 マサムネはぎくりと身体を強張らせた。

「確かにこの店にはキヨマサ殿の打った刀はないであろう。お主が試作として打った刀を材料として溶かしたということも本当やもしれん」

 だがな、と黒づくめの男は語気を荒げて二の句をつむぐ。

「それでも、この店に刀が一振りもないということは嘘であろう。少なくとも大刀と小刀の二振りは必ずあるはずだ。お主が鍛冶師ギルドに認められて、この店を継いでいることがその証拠よ」

 黒づくめの男は左手をずいっと差し出してくる。

「さあ、渡してもらおうか。二代目のそなたが打った〝継承作品マスターピース〟を」
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