悪役毒妃の後宮心理術 ~現代日本で心理士だった私、後宮乙女ゲームの悪役に転生しましたが、原作知識とカウンセリングで破滅フラグを回避します~

ともボン

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第9話   生と死を分ける弁明

 これは予想外の展開だった。

 まさか将来のために医術を学ぼうとしたことが、かえって破滅フラグを招いてしまうとは夢にも思わなかった。

 もちろん、これが破滅フラグなのかは原作知識がないのでわからない。

 ただ、この状況が非常にマズいことだけは肌感覚でわかる。

 背筋に氷柱を押し付けられたような冷たさをゾクゾク感じた。

 でも、よく考えたらそうなるわよね。

 私は古代中国の歴史はあまり詳しくなかったけど、もう少し自分の転生した立場を考えていればこの展開は想像できたはずだ。

 古代中国の後宮は皇帝にとっては楽園。

 だが、その楽園は妃たちにとって自分が帝に見初められて皇后になるかどうかで将来が決まってしまう地獄でもある。

 他にも後宮内では妃同士の命をかけた権謀術数が渦巻き、権力闘争に負けた妃は筆舌に尽くしがたい結末を迎えることも多かったはず。

 この『後宮遊戯』の世界観は義妹いわく「なんちゃって中華風後宮ファンタジー」の世界観だと笑っていたが、製作陣はゲームを作るにあたって絶対に古代中国の歴史を参考にしているだろう。

 いくら表向きは「なんちゃって中華風後宮ファンタジー」だったとしても、物語に没入させる細部のリアリティがなければプレイヤーは納得しない。

 だとしたら、やはり私の現状はかなり危険だった。

 実際の古代中国の後宮ではどのような悲惨な事件があったのかはよく知らないが、こうしたちょっとした誤解で命を奪われた妃は少なくなかったはずだ。

 そして、製作陣が『後宮遊戯』の裏設定に史実の後宮で起こった事件の要素を入れていたとしたら……。

(やばい! このままだと本当に「風心妃は毒を盛って皇帝を殺そうとしている」なんて噂が後宮内に飛び交いかねない!)

「風心妃さま、お答えしていただきたい。どうしてあなたは妃なのに医術を学ぼうとしたのです?」

 鳳瞬さんからの疑いの眼差しが痛い中、私は無表情を貫きながらも背中の冷や汗はダラダラだった。

 同時に私は最大限に悟った。

 返答によっては確実に破滅フラグが立ってしまう、と。

 しかし、私は正確な破滅フラグの回避方法を知らない。

 ここに義妹がいれば破滅フラグを回避してくれる方法を教えてくれるだろうが、そうでない以上は自分でこの場を切り抜けるしかない。

(どうする? どうすればいいの?)

 押し黙ること数秒。

 私は三人の視線を全身に受けながら、ふとこれまでの人生を走馬灯のようによみがえらせた。

 幼少時代の実父から受けたトラウマ。

 家族療法で私と実母の心をカウンセリングで救ってくれた心理士。

 自分も心理士を目指すため、必死で勉強した大学と大学院時代の思い出。

 大学院を卒業してからは新米の心理士として、日々クライエントさんの心の悩みを解決する方法を模索していた一昨日までの私――。

 そうだ。

 私は前世では臨床心理士としてクライエントさんの心の悩みを聞いてきた。

 その中で相手との信頼をもっとも損なうのは嘘をつくことだ。

 今の場合は「なぜ風心妃は医術を学びたいのか?」という鳳瞬さんの問いに、私が「何となく興味が出たから」とか「何となく自分で薬を作ってみたくなったから」など嘘をつけば一発で鳳瞬さんに見抜かれる。

 鳳瞬さんの医者としての知識や技量は相当なもの。

 その洞察力と観察眼は現代日本の心理士と比べても遜色ない。

 ほぼ間違いなく嘘をつけば必ず見抜かれる。

 元臨床心理士として、私はそう判断した。
 
 では、どうすれば現状を打破できるのか?

 答えはわからない。

 だから答えがわからない以上、私がするべきことは一つ。

 意を決した私は、ゆっくりと口を開いた。

「私が医術を学びたい理由……それはこの後宮から離れることがあったとき、生家のある西方で弱き人々を救いたいと思ったからです」

 そう、私がするべきことは本音を嘘偽りなく伝えることだ。

「な、何ですって?」

 あまりにも返ってきた答えが意外だったのだろう。

 鳳瞬さんは先ほどよりも目を剥いて驚愕している。

 もちろん、安仁さんもだった。

 それでも私は落ち着いた口調で言葉を紡ぐ。

「私は昨日、後ろにいる侍女のおかげで死というものを意識するようになりました。それまでの私は甘やかされた環境で育ち、自身で口にするのもなんですが死というものを考える必要がありませんでした」

「それはそうです。あなたは西方の門閥貴族の出自なのですから、生死のことなど考える必要はない」

 鳳瞬さんの言葉に私は首を振って否定した。

「いいえ、むしろ逆です。私は死を強く意識したことで、高貴な出自の人間ほど死について深く考える必要があると思いました。人間は完璧な生き物ではありません。どれだけ高貴な生まれでも、どれだけ貧しい生まれでも死ぬときは死ぬのです。ですが、高貴な出自の人間と貧しい出自の人間では決定的に違うことがあります」

「風心妃さま、その違いとは?」

 前のめりで質問してきたのは安仁さんだ。

「それは力です。高貴な出自の人間は富を持っている者が多い。そして富を持つ者は総じて多くの人々を従える力を持つ一方、多くの人々を救える力も持っているということ。私も貴族の生まれなのでよくわかります。富を持つ人間には相応の責任と義務を果たす必要がある……私はようやくその天啓を得たのです」

 私は思考をフル回転させながら何とか現状を乗り切ろうと口を動かす。

「もしも私が帝に見初められたのなら、この精神で以て帝が治められる国家の安寧のために心身を捧げることは覚悟しております。けれども、もしも帝の寵愛が別の妃の方に向けられたのなら、私は喜んで身を引きます。この後宮から去り、生家へと戻って弱く苦しんでいる者たちの救済に人生を捧げるつもりです」

 一息で言い切った私は、呼吸を整えてそっと両目を閉じる。

(さあ、どうなる?)

 私は心臓をバクバクさせながら全員の反応を待った。

 少なくとも私は嘘はついていない。

 正ヒロインの倭魅美が現れたときは喜んで身を引くばかりか、私は倭魅美と攻略対象者をくっつかせるために全力を出すつもりだ。

 問題は前半部分の帝に見初められたらの部分。

 話を聞く限り、今の皇帝は誰の妃の元へも通っていない。

 それどころか、どんな理由からか素顔を隠している不思議な皇帝だった。

 原作知識があればその理由もわかるのだろうが、あいにくと原作知識に乏しい私には見当もつかない。

 とはいえ、皇帝が誰の妃の元へも通っていないのは事実。

 要するに現状では私が皇帝に見初められる可能性は限りなく低い。

 しかも私が転生した蘇風心の異名は〝悪役毒妃〟である。

 この異名はゲーム外で通じるものだったから、実際の『後宮遊戯』の中において私のことは〝悪女〟もしくは〝毒妃〟の異名で悪評が広まっているに違いない。

 そして、その悪評は皇帝の耳にも確実に届いているだろう。

 だとすると、そんな悪評の高い妃を皇帝は見初めるだろうか?

(……私が皇帝だったら見初めないわね)

 そう、つまり私が皇后になる確率は万に一つもない。

 ところが原作ではここからが本番とばかりに本物の蘇風心が動き出すという。

 本命の皇帝もそうだが、他の攻略対象者たちにも好意を持たれた倭魅美に激しく嫉妬した本物の風心は、悪しき手練手管てれんてくだを使って倭魅美の恋路を邪魔するものの、結果的にはすべてが裏目に出て最後には断罪される。

 この流れからわかることは、倭魅美と敵対するから破滅フラグが立つということ。

 言い換えれば倭魅美と仲良しになれば破滅フラグは立たないと言い切れる。

 けれども、この後宮内においてはどこに厄介事の種がばらまかれているかわかったものではない。

 たとえ倭魅美と仲良しになったとしても、他の三夫人が本物の蘇風心ばりの悪女と化して、倭魅美と敵対関係になる確率も決して低くないはず。

 その過程で私も巻き込まれることも十二分に考えられる。

 だから私は倭魅美が攻略対象者の誰かと恋仲になったあとは、何か理由を作って後宮から出るつもりだ。

 さすがの破滅フラグも『後宮遊戯』の舞台設定である後宮から出てしまえば無効になるだろう。

(……というか、そう信じないと行動できないのよね)

 私が心中でため息を吐くと、

「驚きました。まさか、風心妃さまはこの華秦国の繁栄のためにそこまでお考えになっていたとは……」

 と鳳瞬さんは後頭部が見えるほど深々と頭を下げてきた。

「風心妃さま、これまでのご無礼をお許しください。そして、あなたのおっしゃられることは正しい。帝の寵愛を受けた妃は国家安寧のために身を捧げ、たとえ帝の寵愛を受けることが叶わなくても国のためにできることはあります」

 今のあなたのように、と鳳瞬さんは微笑んだ。

 その笑顔はとろけるほど甘く、普通の女性ならば一発で恋に落ちてしまうほどの破壊力があった。

 でも、今の私は鳳瞬さんの笑顔を見ても心はあまり動かなかった。

 なぜなら、鳳瞬さんよりも心がときめく笑顔の持ち主がいたから。

 私はちらりと安仁さんに視線を移す。

 安仁さんは腕を組んでいた状態から、右手の人差し指と親指で自身のアゴをつかんで難しい表情をしていた。

 視線も私たちを見ていない。

 顔をやや下に向けて何やら考え込んでいる。

 一方の鳳瞬さんは「ですが」と表情を引き締めた。

「今回のあなたの発言は少し性急だと言わざるを得ません。あなたが医術を学びたいとおっしゃられるのも、帝があなたを立后りっこうしないと半ば決めつけたゆえの独断ですよね? これはいけない。あなたは四夫人のお一人であられる徳妃なのですよ。ならば、帝の寵愛を受けるようご自身で努力すべきです」

 私は心の中で「うぐっ!」と表情を歪めた。

 鳳瞬さんに言われたことは、あまりにも的確な正論パンチだったからだ。

「確かに鳳瞬どののおっしゃるとおり。私はあまりにも死を強く意識したことで、色々と誤解を生む発言をしてしまったようです。大変に申し訳ありません」

 私は素直に謝罪する。

「いえ、お気になさらず。わたくしも風心さまのお心の一旦が知れて嬉しい限りです。どうでしょう? 医術を教えることはできませんが、せっかく養心殿に足を運んでいただいたのです。わたくしたち医官の仕事場を見学していかれますか?」

 これはどうなの?

 話の流れから破滅フラグは回避されたんじゃない?

 少なくとも鳳瞬さんの全身からは剣呑な雰囲気は放たれていない。

 むしろ春風のような心地よさが漂ってくる。

(うん、これはひとまず最悪な事態は回避したわよね)

 私は胸の奥で大きく安堵の息を吐くと、「それはぜひとも見学させてください」とにこやかな笑みを浮かべた。

 そのときである。

 ブルブルブル。

 腰帯に差していた手鏡が震えたのだ。

 この震えはまさか――。

 私はそっと手鏡の中を覗き込む。

 手鏡には以下の文字が浮かんでいた。

『心のケア度・30/100』。
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