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最終話 永遠の愛を誓います
気がつくと、私は神奈川の実家の前に立っていた。
もちろん、現実の世界ではない。
私はすぐに理解した。
ここは悪夢――いや、私の中にある精神世界の中だ、と。
時刻は夜。
しんしんと雪が降っている。
でも、寒さはまったく感じない。
当たり前だ。
ここは山田ゆいとあの人物が共有している偽りの世界なのだから。
「ふ、風心妃……ここは一体どこなんだ?」
私はハッとして隣を見る。
隣には安仁さんこと華龍瑛が周囲を見渡しながら激しく動揺していた。
あの不思議な手鏡の力に巻き込まれたのである。
狼狽えるのは当然のことだ。
では、私のほうはどうか?
戸惑っていないと言えば嘘になるが、華龍瑛ほどパニックになっているかと言われれば「ノー」である。
何となくこんな展開を予想していた自分がいた。
「陛下、ここは日本という国です。そして、目の前の家屋は私の生家でございます」
華龍瑛は鳩が豆鉄砲を食らった顔で見つめてくる。
「日本? それは大陸のどこにある国だ?」
「華秦国のある大陸には存在しません。似ていると言えば魅美妃のお生まれの倭国でしょうが、その国とは似て非なる国なのです」
華龍瑛は無言のまま頭上に疑問符を浮かべている。
それはそうだろう。
ゲームのキャラに現代日本のことを話しても伝わるはずがない。
しかし、これは純然なる事実だった。
確かに私は何の因果か義妹がプレイしていた後宮版・乙女ゲームの『後宮遊戯』の世界に転生してしまった。
しかも転生相手は悪役毒妃の異名を持つ蘇風心。
「……たった一週間ほどでしたが、もう何か月も経ったような感じがあります」
私は率直な思いを口にする。
本当に短い間に色々なことがあった。
でも、今はまだそれらの思い出を懐かしむときではない。
こうして蘇風心の身体のまま実家の前に現れたということは、まだ自分にはやるべきことが残っているということに違いない。
そして、そのやるべきことには心当たりがあった。
私は「陛下」と華龍瑛に顔を向ける。
「ご混乱されているとは思いますが、これからもっと心を揺さぶることが起きると思います。ですが、この場所から元の世界に戻るには避けては通れません。それでも私を信じてついてきていただけますか?」
「風心妃……」
私の真剣な眼差しを華龍瑛はまっすぐ受け止めてくれた。
「正直なところ、お前が何を言っているのかわからない。だが、その顔つきから尋常ならざる事態に陥っているのはよくわかった」
華龍瑛はこくりとうなずく。
「いいだろう。どこへなりとも一緒にいってやる。その代わり条件がある」
「条件ですか?」
「ああ……その皇帝に対する言葉遣いはやめてくれ。呼び名も陛下でなくていい。お前には皇帝ではなく安仁として接してもらったときが一番心地よかった」
ドクン、と心臓が高ぶった。
「でも、それでは無礼にあたります」
「今は誰も見ていない。だから今だけは俺を皇帝ではなく安仁として見て接してくれ」
その言葉を聞いて私の体温は一気に上がった。
「ええ……わかったわ」
私は赤く染まった頬を見られるのが恥ずかしかった一方、ここまで来たら後戻りできないことも感覚でわかったため、先に玄関扉の前へと移動していく。
「安仁さん、行きましょう。この中に本人がいるはずよ」
私は扉の取っ手を掴み、顔だけを振り向かせる。
「本人?」
私は首を縦に振った。
「専属侍女の寧寧をたぶらかし、魅美妃に禁制品のおしろいを渡すように命じた張本人」
私は扉をゆっくりと開け、勝手知ったる我が家へと足を踏み入れる。
華龍瑛こと安仁さんは黙って私の後をついてくる。
土足のまま廊下を進んでリビングの前に辿り着き、私はごくりと生唾を飲み込みながらリビングへと入る。
「へえ……まさか、二度もここへ来るなんてね」
以前のときはリビングに他の家族たちの死体が転がっていたが、今はリビングには一人しか存在していなかった。
私と同じ顔と衣装を着た、本物の蘇風心である。
「こ、これは……風心妃が二人?」
安仁さんは私と本物の風心を交互に見る。
「あら? 今日は偽物の私以外にも来ているの?」
本物の風心は安仁さんを睨みつける。
「見知った顔ね……確か帝の側仕えと言っていた宦官」
「宦官ではない」
安仁さんはきっぱりと言い放つ。
「俺の名は華龍瑛。華秦国の皇帝だ。安仁という名は仮名にすぎん」
「な……」
本物の風心は目を剥いた。
「お前が陛下だと……そんな馬鹿な」
「嘘じゃないわよ。あなたならこの人の着ている服でわかるはずでしょ?」
そう、安仁さんが着ている服は皇帝しか着用を許されていない特別な服だ。
本物の四夫人の一人だった蘇風心にはわかるだろう。
「……確かに。でも、どうして陛下が宦官のフリをして後宮内をうろついていたの?」
本物の風心の問いに答えたのは安仁さんだった。
「それはここにいるもう一人の風心妃には話した。だが、お前には話してやらん。侍女をたぶらかし、禁制品のおしろいを何も知らなかった魅美妃に渡すような非道な妃にはな」
「安仁さん……」
「皆まで言うな。こうして二人を見比べてよくわかった。あそこにいるもう一人の風心妃がすべての元凶なのだろう? 養心殿の医官を買収して禁制品のおしろいを入手し、何も知らなかった侍女に命じて魅美妃へ渡すよう命じたのだ」
「そうですわ」
本物の風心は簡単に自白した。
「ですが、それも当然の権利です。その女は私の身体を奪い取り、この私の魂をこのような不可解な場所へと閉じ込めた。そして私は理解した。その女の気力が衰えているときは何とか表の世界に出られるものの、すぐにそれも不可能になると」
だから、と本物の風心は悪鬼のような形相でニヤリと笑う。
「いっそのこと、その女もろとも心中しようと考えましたのよ。ありがたいことに考える時間は十分にありました。それに養心殿に禁制品のおしろいが保管されていたことは運良くその女を通じて知ることができたので、あとは表の世界に出られたときに計画を実行したまでのこと」
私はかっとなり、頭に血が上った。
「あなた、それをすることで寧寧ちゃんと魅美妃の命まで奪いかねないことになるとは考えなかったの!」
はっ、と本物の風心は鼻で笑った。
「たかが侍女の命ぐらい何だというの? それに寧寧は私の高貴な身体に傷をつけたのだから死罪は当然。倭魅妃も汚らしい異国の妃だというのに、私と同じ上級妃として後宮に迎え入れられた。そんなことは朝廷が許してもわたくしが許さない」
「…………」
私は言葉を失った。
こうして精神世界で会うのは二度目だったが、以前よりも凶悪さが増しているような気がする。
「吐き気がする」
私の続きの言葉は安仁さんが引き継いでくれた。
「お前は夜叉だ。人を人とも思わない邪悪なる存在。お前のような女は現世に存在してはならん」
「その通りです」
私はずいっと一歩前に出て、本物の風心に真正面から言い放った。
「あなたのような人はたとえゲームの中であろうと存在してはいけない。私は元臨床心理士だけど、あなたのような人の心は癒せないわ」
この一言で本物の風心の雰囲気が一変した。
怒髪天をつく、とはまさにこのことだった。
本物の風心はあまりの怒りで長髪が天井に向かって逆立っていく。
同時に端正だった顔つきが醜く歪んだ。
「黙っていればよくもわたくしを虚仮にするような暴言を……許さない!」
直後、本物の風心はダンッと床を蹴って跳躍した。
天井付近まで跳びながら、半円を描きつつ私に向かって襲い掛かってくる。
「今度こそ息の根を止めてあげるわ!」
私の脳裏に以前の出来事が浮かんだ。
この精神世界で本物の風心に首を絞められたときのことを。
ひっ、と私は息を呑んだ。
あまりの恐怖に身体が言うことを聞いてくれない。
だが、そんな私の盾になってくれる人がいた。
安仁さんは私の前に瞬時に移動してくると、本物の風心から守るように立ちはだかってくれたのだ。
それだけではない。
「この悪鬼め!」
安仁さんは天井から落ちて来た本物の風心を、両手を突き出すことで受け止めた。
そして相手を突き飛ばすと、瞬時に間合いを詰めて凄まじい武術の腕前を披露したのだ。
連続したパンチや縦横無尽の軌道を描くキック。
さらに肘打ちや掌底打ちを繰り出していく。
「ごはっ!」
数秒の間に苛烈な猛撃を食らった本物の風心は、大量の吐しゃ物を吐き出して後退する。
その隙を安仁さんは見逃さなかった。
「地獄へ返れ!」
裂帛の気合一閃。
安仁さんは床全体を揺らすような踏み込みから、全体重を乗せたストレートパンチを本物の風心の腹部へと叩き込む。
ドンッ!
耳朶を打つ衝撃音とともに、本物の風心は糸で引っ張られるように後方へと吹き飛ばされる。
本物の風心は大型テレビと接触し、その大型テレビから発せられた謎の大量の電気によって感電状態となった。
「ひぎゃあああああああ」
本物の風心の断末魔がリビングに轟き、やがて塵芥《ちりあくた》のように存在が消えていった。
可哀想という感情はほんの少しだけあった。
けれども、彼女がしてきた行為は他人の命を奪う行為。
それは決して許されることではない。
「お前には色々と聞きたいことがある」
安仁さんは一息つくと、私にたずねてきた。
「ただし、それもこの奇妙な場所から出られたらの話だ」
「ごめんなさい。ここから抜け出せる方法を私は――」
知りません、と答えようとしたときだ。
私と安仁さんは無傷だった大型テレビに意識を向けた。
いつの間にか大型テレビの画面には文字が表示されていた。
『ポイント消費時に妨害行為がありましたが、現在は正常に機能いたします。一度だけ半径二メートル圏内にいる人間の記憶を保ったままセーブポイントまで時間が巻き戻ります。実行しますか?』
画面には大きく「はい」と「いいえ」の文字も浮かんでくる。
「安仁さん、色々と聞きたいことがあるとおっしゃいましたよね?」
私は自分から安仁さんの手を取った。
「私の言葉を信じてくれますか?」
「むろんだ」
安仁さんはそっと手を握り返してくれた。
ゲームのキャラであってゲームのキャラではない。
握り返してくれた手からは本物の生命の熱をひしひしと感じる。
「では、一緒に帰りましょう。そして、私がすべてを打ち明けたら」
私と安仁さんは二人で歩きながら大型テレビに歩を進めていく。
そして手を伸ばせば画面に触れられる距離まで来たときだ。
「私を愛してくれますか?」
安仁さんの答えを聞かず、私は画面に表示されている「はい」を押した。
直後、画面からはすべてを真っ白に染めるほどの閃光が迸り、重力が消えるような浮遊感を感じた。
気がつくと、私と安仁さんは元の『後宮遊戯』の世界に戻っていた。
しかし、ただ戻ってきたわけではない。
私は周囲をゆっくりと見渡す。
視界には蘇風心の自室の光景が広がり、鳳瞬さんや寧寧ちゃん、水連さんなどの侍女たちがいた。
もちろん、そこには安仁さんもいた。
皇帝の衣服ではなく、まだ正体を明かしていないときの宦官服のままで。
安仁さんは非常に驚いていたが、それでも動揺するほどではなかった。
精神世界で起こったことに比べれば今の状況はまだマシだったに違いない。
一方の私は嬉しさで胸が張り裂けそうだった。
「皆さん、申し訳ないですけど退出してください」
私はこの場にいた者たちに凛然と告げた。
「ですが、そちらの宦官とは少し話したいことがありますので、あなたはこの場に残るように」
安仁さんはハッとすると、慌てて拱手をして「はい」と了承してくれた。
鳳瞬さんや水連さんたちは中々聞き入れてくれなかったが、私が強くお願いすると渋々と退室していった。
やがて自室には私と安仁さんだけが残った。
「まったく、お前といると退屈というものをしないな」
安仁さんは心がとろけるほどの笑みを浮かべる。
「約束したとおり、お前には色々と聞きたいことがある。だが、それは四夫人の蘇風心にではない。俺の――皇帝の正式な妃となってだ」
「それってつまり?」
「ああ、お前を妻に娶る。異論は認めない」
安仁さんは近づいてくると、私にすっと右手を差し出してきた。
その目には純然たる強い輝きが宿っていた。
嘘偽りではない本気の目の輝き。
「はい。わかりました。けれど、一つだけ伺いたいことがあります」
私は安仁さんこと華龍瑛の手を取った。
「私を末永く愛してくれますか?」
華龍瑛は安仁さんとして、皇帝として、一人の男性として答えてくれた。
「約束しよう。お前だけを生涯を通して愛する、と」
そう告げた華龍瑛は、ぐっと私を引き寄せて抱きしめてくれた。
「私もあなたと永遠の愛を誓います」
私の両目から流れた熱い涙が頬を伝う。
(そうか、私はこのために生きてきたんだ)
ここが乙女ゲームの世界で現実世界に帰れるかどうかや、独りで生きていくための努力をするかどうかなど、もはや今の私には何の関係もなかった。
私は一人の女として、この人と愛し合って生きていくのだ。
いつまでも、ずっと――。
〈了〉
もちろん、現実の世界ではない。
私はすぐに理解した。
ここは悪夢――いや、私の中にある精神世界の中だ、と。
時刻は夜。
しんしんと雪が降っている。
でも、寒さはまったく感じない。
当たり前だ。
ここは山田ゆいとあの人物が共有している偽りの世界なのだから。
「ふ、風心妃……ここは一体どこなんだ?」
私はハッとして隣を見る。
隣には安仁さんこと華龍瑛が周囲を見渡しながら激しく動揺していた。
あの不思議な手鏡の力に巻き込まれたのである。
狼狽えるのは当然のことだ。
では、私のほうはどうか?
戸惑っていないと言えば嘘になるが、華龍瑛ほどパニックになっているかと言われれば「ノー」である。
何となくこんな展開を予想していた自分がいた。
「陛下、ここは日本という国です。そして、目の前の家屋は私の生家でございます」
華龍瑛は鳩が豆鉄砲を食らった顔で見つめてくる。
「日本? それは大陸のどこにある国だ?」
「華秦国のある大陸には存在しません。似ていると言えば魅美妃のお生まれの倭国でしょうが、その国とは似て非なる国なのです」
華龍瑛は無言のまま頭上に疑問符を浮かべている。
それはそうだろう。
ゲームのキャラに現代日本のことを話しても伝わるはずがない。
しかし、これは純然なる事実だった。
確かに私は何の因果か義妹がプレイしていた後宮版・乙女ゲームの『後宮遊戯』の世界に転生してしまった。
しかも転生相手は悪役毒妃の異名を持つ蘇風心。
「……たった一週間ほどでしたが、もう何か月も経ったような感じがあります」
私は率直な思いを口にする。
本当に短い間に色々なことがあった。
でも、今はまだそれらの思い出を懐かしむときではない。
こうして蘇風心の身体のまま実家の前に現れたということは、まだ自分にはやるべきことが残っているということに違いない。
そして、そのやるべきことには心当たりがあった。
私は「陛下」と華龍瑛に顔を向ける。
「ご混乱されているとは思いますが、これからもっと心を揺さぶることが起きると思います。ですが、この場所から元の世界に戻るには避けては通れません。それでも私を信じてついてきていただけますか?」
「風心妃……」
私の真剣な眼差しを華龍瑛はまっすぐ受け止めてくれた。
「正直なところ、お前が何を言っているのかわからない。だが、その顔つきから尋常ならざる事態に陥っているのはよくわかった」
華龍瑛はこくりとうなずく。
「いいだろう。どこへなりとも一緒にいってやる。その代わり条件がある」
「条件ですか?」
「ああ……その皇帝に対する言葉遣いはやめてくれ。呼び名も陛下でなくていい。お前には皇帝ではなく安仁として接してもらったときが一番心地よかった」
ドクン、と心臓が高ぶった。
「でも、それでは無礼にあたります」
「今は誰も見ていない。だから今だけは俺を皇帝ではなく安仁として見て接してくれ」
その言葉を聞いて私の体温は一気に上がった。
「ええ……わかったわ」
私は赤く染まった頬を見られるのが恥ずかしかった一方、ここまで来たら後戻りできないことも感覚でわかったため、先に玄関扉の前へと移動していく。
「安仁さん、行きましょう。この中に本人がいるはずよ」
私は扉の取っ手を掴み、顔だけを振り向かせる。
「本人?」
私は首を縦に振った。
「専属侍女の寧寧をたぶらかし、魅美妃に禁制品のおしろいを渡すように命じた張本人」
私は扉をゆっくりと開け、勝手知ったる我が家へと足を踏み入れる。
華龍瑛こと安仁さんは黙って私の後をついてくる。
土足のまま廊下を進んでリビングの前に辿り着き、私はごくりと生唾を飲み込みながらリビングへと入る。
「へえ……まさか、二度もここへ来るなんてね」
以前のときはリビングに他の家族たちの死体が転がっていたが、今はリビングには一人しか存在していなかった。
私と同じ顔と衣装を着た、本物の蘇風心である。
「こ、これは……風心妃が二人?」
安仁さんは私と本物の風心を交互に見る。
「あら? 今日は偽物の私以外にも来ているの?」
本物の風心は安仁さんを睨みつける。
「見知った顔ね……確か帝の側仕えと言っていた宦官」
「宦官ではない」
安仁さんはきっぱりと言い放つ。
「俺の名は華龍瑛。華秦国の皇帝だ。安仁という名は仮名にすぎん」
「な……」
本物の風心は目を剥いた。
「お前が陛下だと……そんな馬鹿な」
「嘘じゃないわよ。あなたならこの人の着ている服でわかるはずでしょ?」
そう、安仁さんが着ている服は皇帝しか着用を許されていない特別な服だ。
本物の四夫人の一人だった蘇風心にはわかるだろう。
「……確かに。でも、どうして陛下が宦官のフリをして後宮内をうろついていたの?」
本物の風心の問いに答えたのは安仁さんだった。
「それはここにいるもう一人の風心妃には話した。だが、お前には話してやらん。侍女をたぶらかし、禁制品のおしろいを何も知らなかった魅美妃に渡すような非道な妃にはな」
「安仁さん……」
「皆まで言うな。こうして二人を見比べてよくわかった。あそこにいるもう一人の風心妃がすべての元凶なのだろう? 養心殿の医官を買収して禁制品のおしろいを入手し、何も知らなかった侍女に命じて魅美妃へ渡すよう命じたのだ」
「そうですわ」
本物の風心は簡単に自白した。
「ですが、それも当然の権利です。その女は私の身体を奪い取り、この私の魂をこのような不可解な場所へと閉じ込めた。そして私は理解した。その女の気力が衰えているときは何とか表の世界に出られるものの、すぐにそれも不可能になると」
だから、と本物の風心は悪鬼のような形相でニヤリと笑う。
「いっそのこと、その女もろとも心中しようと考えましたのよ。ありがたいことに考える時間は十分にありました。それに養心殿に禁制品のおしろいが保管されていたことは運良くその女を通じて知ることができたので、あとは表の世界に出られたときに計画を実行したまでのこと」
私はかっとなり、頭に血が上った。
「あなた、それをすることで寧寧ちゃんと魅美妃の命まで奪いかねないことになるとは考えなかったの!」
はっ、と本物の風心は鼻で笑った。
「たかが侍女の命ぐらい何だというの? それに寧寧は私の高貴な身体に傷をつけたのだから死罪は当然。倭魅妃も汚らしい異国の妃だというのに、私と同じ上級妃として後宮に迎え入れられた。そんなことは朝廷が許してもわたくしが許さない」
「…………」
私は言葉を失った。
こうして精神世界で会うのは二度目だったが、以前よりも凶悪さが増しているような気がする。
「吐き気がする」
私の続きの言葉は安仁さんが引き継いでくれた。
「お前は夜叉だ。人を人とも思わない邪悪なる存在。お前のような女は現世に存在してはならん」
「その通りです」
私はずいっと一歩前に出て、本物の風心に真正面から言い放った。
「あなたのような人はたとえゲームの中であろうと存在してはいけない。私は元臨床心理士だけど、あなたのような人の心は癒せないわ」
この一言で本物の風心の雰囲気が一変した。
怒髪天をつく、とはまさにこのことだった。
本物の風心はあまりの怒りで長髪が天井に向かって逆立っていく。
同時に端正だった顔つきが醜く歪んだ。
「黙っていればよくもわたくしを虚仮にするような暴言を……許さない!」
直後、本物の風心はダンッと床を蹴って跳躍した。
天井付近まで跳びながら、半円を描きつつ私に向かって襲い掛かってくる。
「今度こそ息の根を止めてあげるわ!」
私の脳裏に以前の出来事が浮かんだ。
この精神世界で本物の風心に首を絞められたときのことを。
ひっ、と私は息を呑んだ。
あまりの恐怖に身体が言うことを聞いてくれない。
だが、そんな私の盾になってくれる人がいた。
安仁さんは私の前に瞬時に移動してくると、本物の風心から守るように立ちはだかってくれたのだ。
それだけではない。
「この悪鬼め!」
安仁さんは天井から落ちて来た本物の風心を、両手を突き出すことで受け止めた。
そして相手を突き飛ばすと、瞬時に間合いを詰めて凄まじい武術の腕前を披露したのだ。
連続したパンチや縦横無尽の軌道を描くキック。
さらに肘打ちや掌底打ちを繰り出していく。
「ごはっ!」
数秒の間に苛烈な猛撃を食らった本物の風心は、大量の吐しゃ物を吐き出して後退する。
その隙を安仁さんは見逃さなかった。
「地獄へ返れ!」
裂帛の気合一閃。
安仁さんは床全体を揺らすような踏み込みから、全体重を乗せたストレートパンチを本物の風心の腹部へと叩き込む。
ドンッ!
耳朶を打つ衝撃音とともに、本物の風心は糸で引っ張られるように後方へと吹き飛ばされる。
本物の風心は大型テレビと接触し、その大型テレビから発せられた謎の大量の電気によって感電状態となった。
「ひぎゃあああああああ」
本物の風心の断末魔がリビングに轟き、やがて塵芥《ちりあくた》のように存在が消えていった。
可哀想という感情はほんの少しだけあった。
けれども、彼女がしてきた行為は他人の命を奪う行為。
それは決して許されることではない。
「お前には色々と聞きたいことがある」
安仁さんは一息つくと、私にたずねてきた。
「ただし、それもこの奇妙な場所から出られたらの話だ」
「ごめんなさい。ここから抜け出せる方法を私は――」
知りません、と答えようとしたときだ。
私と安仁さんは無傷だった大型テレビに意識を向けた。
いつの間にか大型テレビの画面には文字が表示されていた。
『ポイント消費時に妨害行為がありましたが、現在は正常に機能いたします。一度だけ半径二メートル圏内にいる人間の記憶を保ったままセーブポイントまで時間が巻き戻ります。実行しますか?』
画面には大きく「はい」と「いいえ」の文字も浮かんでくる。
「安仁さん、色々と聞きたいことがあるとおっしゃいましたよね?」
私は自分から安仁さんの手を取った。
「私の言葉を信じてくれますか?」
「むろんだ」
安仁さんはそっと手を握り返してくれた。
ゲームのキャラであってゲームのキャラではない。
握り返してくれた手からは本物の生命の熱をひしひしと感じる。
「では、一緒に帰りましょう。そして、私がすべてを打ち明けたら」
私と安仁さんは二人で歩きながら大型テレビに歩を進めていく。
そして手を伸ばせば画面に触れられる距離まで来たときだ。
「私を愛してくれますか?」
安仁さんの答えを聞かず、私は画面に表示されている「はい」を押した。
直後、画面からはすべてを真っ白に染めるほどの閃光が迸り、重力が消えるような浮遊感を感じた。
気がつくと、私と安仁さんは元の『後宮遊戯』の世界に戻っていた。
しかし、ただ戻ってきたわけではない。
私は周囲をゆっくりと見渡す。
視界には蘇風心の自室の光景が広がり、鳳瞬さんや寧寧ちゃん、水連さんなどの侍女たちがいた。
もちろん、そこには安仁さんもいた。
皇帝の衣服ではなく、まだ正体を明かしていないときの宦官服のままで。
安仁さんは非常に驚いていたが、それでも動揺するほどではなかった。
精神世界で起こったことに比べれば今の状況はまだマシだったに違いない。
一方の私は嬉しさで胸が張り裂けそうだった。
「皆さん、申し訳ないですけど退出してください」
私はこの場にいた者たちに凛然と告げた。
「ですが、そちらの宦官とは少し話したいことがありますので、あなたはこの場に残るように」
安仁さんはハッとすると、慌てて拱手をして「はい」と了承してくれた。
鳳瞬さんや水連さんたちは中々聞き入れてくれなかったが、私が強くお願いすると渋々と退室していった。
やがて自室には私と安仁さんだけが残った。
「まったく、お前といると退屈というものをしないな」
安仁さんは心がとろけるほどの笑みを浮かべる。
「約束したとおり、お前には色々と聞きたいことがある。だが、それは四夫人の蘇風心にではない。俺の――皇帝の正式な妃となってだ」
「それってつまり?」
「ああ、お前を妻に娶る。異論は認めない」
安仁さんは近づいてくると、私にすっと右手を差し出してきた。
その目には純然たる強い輝きが宿っていた。
嘘偽りではない本気の目の輝き。
「はい。わかりました。けれど、一つだけ伺いたいことがあります」
私は安仁さんこと華龍瑛の手を取った。
「私を末永く愛してくれますか?」
華龍瑛は安仁さんとして、皇帝として、一人の男性として答えてくれた。
「約束しよう。お前だけを生涯を通して愛する、と」
そう告げた華龍瑛は、ぐっと私を引き寄せて抱きしめてくれた。
「私もあなたと永遠の愛を誓います」
私の両目から流れた熱い涙が頬を伝う。
(そうか、私はこのために生きてきたんだ)
ここが乙女ゲームの世界で現実世界に帰れるかどうかや、独りで生きていくための努力をするかどうかなど、もはや今の私には何の関係もなかった。
私は一人の女として、この人と愛し合って生きていくのだ。
いつまでも、ずっと――。
〈了〉
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しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
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※AI画像を使用しています。
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