悪役毒妃の後宮心理術 ~現代日本で心理士だった私、後宮乙女ゲームの悪役に転生しましたが、原作知識とカウンセリングで破滅フラグを回避します~

ともボン

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第4話   華秦国を統べる皇帝

 時刻は夜――。

 場所は皇帝の政務室と寝所がある天玄殿てんげんでんの庭。

 すでに寝静まっている者たちが大半の後宮内において、華龍瑛か・りゅうえいこと俺は日課である武術の鍛錬をこなしていた。

 鋭い踏み込みから連続した直突きを放ち、続いて半円の軌道を描いた回し蹴りを眼前の仮想敵手に向かって繰り出す。

 直後、颯爽と振り返って跳躍した。

 すかさず右足と左足による、二連蹴りを別の仮想敵手に向かって叩き込む。
 
 二連蹴りから重力を感じさせない動きで着地した俺は、ここからが本番とばかりに間を置かず様々な攻撃を放っていく。

 突きや蹴りはもちろんのこと、肘打ちや膝蹴り、果ては手の甲や掌といった部位を駆使した攻撃などだ。

 しかし、俺は安易な打ち方や蹴り方はしていない。

 一つ一つの攻撃に気を込めており、当たれば身体内部に深く衝撃が浸透するよう意識している。

 そして、この動きの大半は我流ではない。

 幼少の頃から親しくしており、今は後宮内の警備・取り締まり・治安維持を務める禁衛殿きんえいでんの武官――趙虎月から武術を習っている。

 見る人間が見れば分かるだろう。

 今の俺の動きが達人の指導を受けていながらも、独自の工夫や経験を反映させていることに。

 どれほどの時間が経っただろうか。

 俺は一通りの鍛錬を終えると、そのまま肩幅ほどの広さで平行に立ち、ゆっくりと呼吸を整える。

 と、ほぼ同時に後方から声をかけられた。

「こんな夜更けに人知れず鍛錬とは熱心ですね、主上しゅじょう……ですが、あまりご無理をされると明日の朝議ちょうぎに差し支えますよ」

 振り返ると、そこには虎月と同じく親しい間柄の蘭鳳瞬がいた。

「今は他に誰もいない。余――いや、俺のことを主上しゅじょうではなく大家たーちゃ(だんなさま)と呼んでくれないのか?」

 俺は近くの樹木の枝に吊るしていた絹布タオルを取って汗を拭う。

「どこかの国の皇帝が宦官に変装して後宮をうろつくのをおやめになるのなら、喜んで大家とお呼びしますよ。安仁どの」

 うっ、と俺は言葉を詰まらせた。

 そんな俺に構わず、鳳瞬はどっと肩を落としながら言葉を紡ぐ。

「まあ、大家と呼ぶのはともかく……昼間のことは何です?」

 鳳瞬はキッと視線を鋭くさせてたずねてくる。

「一体、何のことだ?」

 俺はわざととぼけてみせた。

 もちろん、鳳瞬が何を言いたいかなどよくわかる。
 
 伊達に幼少の頃から家族同然に付き合ってきたわけではない。

「おとぼけになさらないでください! 玉照宮での一件です!」

「わかっている……すまなかったな。まさか、あんな大事になるとは思っていなかったんだ」

 俺は鳳瞬に小さく頭を下げる。

 本来、皇帝の立場の俺が臣下――それも国の最高医療機関・太医局たいいきょくの下部組織である養心殿の医官長に頭を下げるなどしてはならない。

 だが、今は皇帝よりも一人の友人として鳳瞬と向き合っている。

 鳳瞬もそれは十二分に理解している身だ。

 とはいえ、さすがに昼間のことに対して一言あったのだろう。

「……あのときは肝が冷えすぎて取れるかと思いましたよ。玉照宮の侍女から風心妃が頭を打って意識を失ったと聞いただけで心臓がとまるかと思ったのが、いざ現場へ駆けつけてみれば宦官の振りをしているあなたがいたのですから」

「だからこうして謝っている……のだが」

 俺は歯切れ悪く言いながら汗を拭っていく。

 事の発端は今日の昼間。

 四夫人の一人である徳妃が住む玉照宮で起こった出来事である。

 あの騒動が起こる前、俺は皇帝としての政務をひと段落させ、宰相たち重臣の目を盗んで後宮へと赴いていた。

 何か目的があったわけではない。

 いつもと同じ、気晴らしと罪悪感を薄めるためだった。

 宦官の安仁になったときだけは、俺は国を統べる皇帝の責務から一時的でも解放され、過去の忌まわしい記憶を忘れることができる。

 今日もそうだ。

 風に流される雲のように後宮内をうろつこうとしていた矢先、ちょうど通りかかった玉照宮から数人の侍女が慌てて養心殿のほうへ駆けていく姿が見えた。

 このとき、俺の直感が明確に働いた。

 玉照宮で何かあったな。

 俺は好奇心に負け、一宦官に変装していることも忘れて玉照宮へと入った。

 玉照宮の中は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。

 慌てふためいていた侍女たちの会話を聞くと、どうやら新米の侍女が風心妃を突き飛ばして気絶させたらしい。

 となると、件の場所は妃の部屋か。

 俺は半年前に皇帝になってからというもの、徳妃の住む玉照宮どころか他の三夫人の宮にも一度たりとも通ったことはない。

 なので玉照宮の内部構造にはうとかったものの、四夫人の宮は先代皇后が住んでいた宮とほぼ同じ構造だったことが幸いした。

 俺は早足で妃の部屋へ急ぐと、そこには泣きじゃくる侍女と「大」の字で床に仰向けに倒れていた風心妃がいた。

 そこから先は宦官の安仁として風心妃の安否を確認したのだが、意識を取り戻した風心妃の性格が一変していたり、侍女頭が宦官に変装していた俺にも罰を与えようとしたりと大騒ぎになった。

 結局は風心妃が騒ぎの中心だった侍女を専属侍女に指名し、鳳瞬が侍女頭たちをなだめてくれたので後宮外に一連の騒動が漏れることはなかったが、それでも騒ぎが起こったことには変わりない。

 しかも騒ぎの中心に皇帝の俺がいたのだから、医官長の鳳瞬としては胃が痛む騒動だっただろう。

 などと考えていると、鳳瞬は自身を落ち着かせるためか深呼吸する。

「いいですか、わたくしは何も大家が憎くて言っているわけではありません。いくら普段はここにお籠りになってお顔を隠しているとはいえ、即位されたばかりの皇帝がよりにもよって宦官に化けて後宮内をうろつくことを趣味にされているなど……もしも下々の者に事の経緯が知れたらどうなるとお思いですか?」

「どうなる?」

「皇帝としての品位と威厳に傷がつきます」

 俺は鼻で笑った。

「あのような大それた真似をして皇帝に即位した俺に、今さら品位や威厳を求めるなどおかしなものだな」

 鳳瞬はハッとしたあと、おもむろに表情が曇った。

「大家がなされたことは国を――民たちのために行ったこと。それは民たちも、そしてわたくしたちもわかっていることです。どうか己を責めるのはおやめください」

「別に責めてはいない。俺はこの国のことを憂い、相応の覚悟をもって実行したのだ……ただ、身体というのは正直なものだな。どうやら俺自身が考えるよりも罪悪感があったらしい。おかげで俺はどの妃の宮にも通えなくなった」

「大家……」

「けれど、だ。その罪悪感を薄めるために、皇帝ではなく宦官の安仁として昼間に後宮をうろついていれば珍妙な出来事に出遭える。今日の風心妃の一件などまさにそれだった。まさか、裏では徳妃ではなく〝毒妃〟と呼ばれていた風心妃が、あのような寛大な心と気丈な性格の持ち主だったとは……やはり噂は尾ひれがつくのだな」

 両目を閉じなくとも鮮明に思い出せる。

 四夫人という立場の妃が、己の身体に傷をつけた新米の侍女の粗相を堂々と許すとは思わなかった。

 しかも驚くべきことに、その新米侍女を己の専属侍女にすることで他の侍女たちを見事に黙らせてしまうとは見事の一語に尽きた。

「その風心妃のことなのですが、今日のことは非常に不可解でした。わたくしは後宮内で四夫人を始めとして、他の九嬪きゅうひんの方々の検診をしている身です。これまで風心妃の検診をしたことはありますが、今日の風心妃は風心妃ではない印象を受けました」

「どういうことだ?」

「そのままの意味です。あまり声を大にしては言えませんが、風心妃の評判は最低と言っても差し支えないほど悪いです。わたくしのような医官にも不遜な態度を取るなど当たり前。周囲の侍女たちにも些細なことで悪態と毒舌を吐き、心身を病んで親元に帰された侍女も多くいたとか」

「風心妃は西方の門閥貴族もんばつきぞくの娘だったな」

 門閥貴族とは、官吏試験である三科挙さんかきょ医挙いきょ武挙ぶきょ文挙ぶんきょ)を受けずに親の官職を世襲する貴族のことだ。

 この華秦国では地方に多く存在し、三科挙が正式に導入された今でも地方では科挙官僚と門閥貴族は政権をめぐって小競り合いが絶えない。

 鳳瞬は軽く周囲を見回すと、俺にしか聞こえない声量で告げてくる。

「はい、風心妃も典型的な門閥貴族の娘でした。ですから、今日の風心妃の変わりように驚いたのです。あれはまるで平民の娘のような……」

 ふむ、と俺はあごをさすった。

「何度も訊くが、本当に風心妃の頭部の傷は大事ない怪我なのだな?」

「それは医官としてはっきりと申し上げられます。意識を取り戻した風心妃の態度や喋り方を見ても、頭部内に深刻な損傷を負っている形跡は見られません。頭部を打ちつけたときにできたコブも冷やしていれば元に戻るはずです」

「つまり、頭部の怪我が原因で性格が一変したわけではないのか」

 俺は無意識に低く笑っていた。

「大家、いかがされました?」

「いや、少し風心妃に興味が出てきただけだ」

「まさかとは思いますが、これを機に風心妃にお近づきになるつもりで?」

「駄目か?」

「いえ、駄目ではありません。むしろ華秦国の皇帝として妃の元へお通いになられるのは非常に喜ばしいことです。ただし――」

 鳳瞬は真剣な顔つきになると、懐から子袋を取り出した。

 それだけではない。

 腰帯に吊るしていた水の入った瓢箪《ひょうたん》を突きつけてくる。

「それならば今日もしっかりとこの薬を飲んでいただきますよ」

 俺は顔を背けて舌打ちする。

「その薬は苦くて不味い」

「古来より良薬は苦し、と申します。たとえ大家がどう思われようが、こればかりはきちんと飲んでいただかなくては国が滅びます」

「わかったわかった。あとでちゃんと飲む」

「なりません。今、わたくしの目の前でしっかりと飲んでいただきます。あなたが密かに薬を捨てていたことはわかっているのですよ」

(くそっ、そこまで突き止めていたのか)

 じっと見つめてくる鳳瞬に根負けした俺は、子袋と瓢箪を勢いよく奪い取った。

 子袋の中を空けると、無数の丸薬が入っている。

 俺の|を治療するという特別な薬。

「飲めばいいのだろう飲めば」

 俺は一つの丸薬を取り出して口に含んだ。

 そして瓢箪に入っていた水を飲み、一気に丸薬を胃の中へ流し込む。

(ああ……やはり苦くて不味い)

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