悪役毒妃の後宮心理術 ~現代日本で心理士だった私、後宮乙女ゲームの悪役に転生しましたが、原作知識とカウンセリングで破滅フラグを回避します~

ともボン

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第6話   正体不明の謎の宦官

 私は寧寧ちゃんを連れて後宮内の病院――養心殿へと向かって歩いている。

 侍女頭の水連さんには行き先を伝えていない。

 水連さんに「どちらへ行かれるのですか!」と詰め寄られたときは、「寧寧とお花を摘みに」とだけニッコリ答えて玉照宮を後にしてきた。

 昨日の件を蒸し返されるのは避けたかったからだ。

 それに昨日は寧寧ちゃんが一晩中ずっと頭を冷やしてくれていたおかげで、後頭部の痛みはもうすっかり消えていた。

 まあ、コブはまだ残っているけど問題ないでしょう。

 そう自分に言い聞かせながら、私は目的地へと歩を進めていく。

 目的の場所は寧寧ちゃんから聞いているし、その寧寧ちゃんも同行しているので迷子になることはないだろう。

(それにしても本当に凄い光景ね)

 私は努めて冷静に蘇風心を演じているが、心の中では現代日本人である好奇心を抑えることができないでいた。

 大海原のような青空の下、視界に広がっているのはTHE・古代中国の宮内といった風景だったからだ。

 綺麗に整備された石畳の地面。

 朱塗りの柱に支えられた正方形や長方形の独特の建物。

 茶色などの地味な服を着て働いているのは下働きの下女らしく、寧寧ちゃんのような妃に仕える侍女たちは同じ麻服でも仕える主人を表す色の服を着ている。

 たとえば本物の風心は水色を基調とした衣服を着ていたので、寧寧ちゃんたち侍女も水色の衣服を着ることで自分が誰に仕える侍女なのかを暗に知らしめる効果があったりとかだ。

 そして後宮内の衣服については他にも寧寧ちゃんから聞いている。

 私がインナーとして着ている服は「じゅ」といい、足先まで隠すほどのひらひらのスカートのことは「くん」というらしい。

 そんな今の私は皇后の次に立場のある上級妃――貴妃きひ淑妃しゅくひ徳妃とくひ賢妃けんひと呼ばれる四夫人の一人の徳妃だったため、花柄の金の刺繍が入った大袖の上衣を羽織っている。

 頭に差している何本もの金細工のかんざしもそうだ。

 これは四夫人の一人だと周囲に知らしめるアイテムとして、屋外に出るときは絶対に差していなければならないと寧寧ちゃんは口を酸っぱくして言っていた。

 自分としては違和感があって正直なところ嫌だったのだが、これでも私は郷に入りては郷に従えの精神が宿る元日本人だ。

 後宮を出るという確固たる目的もあるため、とりあえず今は本物の風心をきちんと演じなければならない。

 そう、倭魅美と攻略対象者の誰かが結ばれて幸せになるまで――。

 などと考えながら歩いていると、私とすれ違う人たちはすぐに道を譲って頭を下げてくる。

 下女や他の妃の侍女たちはもちろんのこと、頭に幞頭《ぼくとう》という黒布の帽子をかぶり、藍色の衣服を着た宦官と呼ばれる男性も同じだ。

 宦官たちは袖の中で両手を重ね、胸の前で掲げる独特の礼――拱手はいしゅをしながら深々と頭を下げてくる。

 宦官かんがん

 こうしてみると男性にしか見えないが、実際は後宮で働くにあたり男性器を切除した元男性だという。

 先ほど寧寧ちゃんから説明を受けたときは衝撃を受け、同時にある人を思い出して少し心が憂鬱になった。

 この世界で初めて目覚めたとき、私を優しく介抱してくれた安仁さん。

 あの人も子孫を残せない宦官だった。

 そして男性器を切除した宦官は総じて女性的な雰囲気になるらしい。

 たとえば声が高くなったり、仕草が女性っぽくなったり、筋肉がつきにくくなって丸みを帯びた体型になるというのだ。

 これは去勢によって体内のホルモンバランスが崩れたからだろう。

 しかし、安仁さんは他の宦官とは何かが違った。

 私は昨日の安仁さんのことを思い出す。

 安仁さんはそこまで声も高くなく、私の身体を支えてくれていた両腕からはガッシリとした筋肉の強さが感じられた。

 あのときの安仁さんの温かさは今でも身体が覚えている。

 前世では実父のトラウマと心理士の勉強をするために忙しく、結局は一度も男性とちゃんとした恋愛をせずに終わってしまったので、身体が勝手に安仁さんを拒絶するかと思った。

 けれど、私の身体は安仁さんを拒まなかった。

 それどころか、むしろ積極的に受け入れたかった自分がいたのだ。

(あれは安仁さんが宦官だったからなのかな……)

 でも、安仁さんからは中性的な印象をまったく受けなかった。

 それこそ本当の男性のような感じがしたのだが、水連さんたちの反応を見るに安仁さんはやはり宦官なのだろう。

 そんな安仁さんが宦官ということは、この『後宮遊戯』の世界において重要な人物ではないと判断できる。

 当然だった。

 本来の『後宮遊戯』の目的は、正ヒロインの倭魅美わ・みみとなって蘭鳳瞬、趙虎月、陳燕青、華龍瑛の誰かと恋仲になってハッピーエンドを迎えること。

 事実、攻略対象者の一人である鳳瞬さんは宦官ではない。

 それは寧寧ちゃんにも確認したから間違いなかった。

 まだ会ったことはないが、皇帝である華龍瑛や趙虎月、陳燕青などのキャラも生殖機能のある男性なのだ。

 そうでなくては乙女ゲームとして破綻してしまい、プレイヤーも正ヒロインの倭魅美に感情移入できずゲーム自体の評価も低くなるはず。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 私の頭に浮かんだのは『後宮遊戯』の攻略対象者たちではない。

 攻略対象とは無関係で、この世界で初めて身体が触れた異性の存在。

「安仁さんは宦官なのか……」

 私は安仁さんの顔を思い出しながらボソリとつぶやく。

 と、そのときだった。

「風心妃さま」

 ドクン、と心臓が心地よく跳ねた。

 いつの間にか、目の前には拱手をしている安仁さんが立っていたのだ。
 
 考え事に熱中していたせいで安仁さんがいるのに気づかなかったのだろう。

「あ、安仁……」

 さん、と続けようとした私はハッとした。

 そうだ、今の私は四夫人の一人の蘇風心なのだ。

 この華秦国には皇太后も皇后も不在なので、実質的に後宮内では皇帝の次に四夫人が偉いことになっている。

 その四夫人の私が一宦官に「さん」づけはマズい。

 こういうちょっとしたことが破滅フラグに繋がる可能性もある。

 なので私は徳妃らしく毅然とした目上の立場の人間として声をかける。

「あら、あなたは確か安仁だったわよね。昨日は気を失った私を介抱してくれてありがとう。おかげで頭部の怪我は大事にならずにすみました」

「それは大変に結構なことです。余……わたしも風心妃さまのご無事を懸念しておりましたが、大事ないと知って安堵いたしました」

 このとき、私は「おや?」と思った。

 ほんの一瞬、耳に届いた〝余〟という響き。
 
 聞き間違いだろうか。

 それは古代の皇族などが使っていた格調高い一人称だったような気がする。

 他にも安仁さんと対面していてわかったことがある。
 
 安仁さんの低く澄んだ声には、妙に人を従わせる威厳があった。

 私がじっと安仁さんを見つめていると、安仁さんは「あっ」と声を漏らした。

「これは失礼。一宦官が徳妃の往来を邪魔し、あろうことか気安く声をかけるなど大変に不躾なことをいたしました。どうかお許しください」

 安仁さんはにこやかな笑みと口調で謝ると、すっと身体を横にどける。

 何だろう?

 今の謝罪もどこか台本を読んでいるかのように嘘っぽかった。

 それでも私は本心を漏らさず、「いいえ、構いませんよ」と小さく首を振る。

「あなたは私の命の恩人です。宦官だろうと何だろうと、それは紛れもない事実。あなたが私を介抱してくれたときの優しさは今も覚えています。本当にありがとう」

 これは掛け値ない本心だった。

 水連さんなどは安仁さんの処罰も口うるさく進言してきたが、私は今と同じ言葉を吐いて安仁さんの行動をすべて不問にしたのである。

 命の重みを知る人には優しさで返す。

 私が二十七年間の人生で実践してきた座右の銘であり、実父の件で家族療法を行ってくれた心理士から学んだことでもあった。

「…………」

 一方、安仁さんは鳩が豆鉄砲を受けたような顔になった。

「どうしました?」

 私がたずねると、安仁さんは「い、いえ」と慌てて表情を戻す。

「徳妃ともあろう高貴なお方が、わたしのような宦官風情に随分とお優しい言葉をかけてくれるので大変に驚きました……あっ、これも失礼にあたりますね」

 私は袖を口元に持ってきてクスリと笑う。

「おかしなお方。でも、あなたのような方は嫌いではありませんよ。いずれ正式に何かお礼をしたいと思っていますし」

 その言葉を聞いたとき、安仁さんの目の色が変わった。

「誠に礼をしていただけるのですか?」

 安仁さんはピンと背筋を伸ばし、子供が初めておもちゃをもらったような嬉々とした顔つきになる。

「え……ええ。具体的にどのような礼をするかは考えていませんが」

 安仁さんはしばし無言になると、両目の瞳を強く輝かせた。

「……風心妃さま。差し支えなければ、これからどちらへ向かわれるかお聞きしてもよろしいですか?」

 私は頭上に疑問符を浮かべた。

 どうして安仁さんはそんなことを訊いてくるのだろう?

 それに自分で宦官と徳妃の立場うんぬんの話をしていたのに、安仁さんは私に対して妙にフランクなのも気になってきた。

 安仁さんは立場などをあまり重視しない宦官なのだろうか。

(それとも安仁さんは特別な宦官なの?)

 などと考えた直後だった。

「あのう……安仁さんはどこの部署で働いている方なのですか?」

 ずっと無言だった寧寧ちゃんが口を開く。

「すみません、少し気になってしまって……」

「何が気になったのですか?」

「だって安仁さんは昨日、自分は用事がある場所に向かう途中に私の悲鳴を聞きつけ、玉照宮に入ったとおっしゃっていましたよね? でも風心さまを始め四夫人が住まわれている宮は後宮の奥にあって、他の建物とは離れた場所にありますよ。それなのに玉照宮を通って行ける場所なんて、それこそ帝がおられる大玄殿ぐらいしか……」

「はい、そうです。わたしは大玄殿に用があったのです。なぜなら、わたしは大玄殿で帝にお仕えしている宦官ですので」

 安仁さんは顔色一つ変えず即座に答えた。

「まあ、そうだったんですか!」

 寧寧ちゃんは口元を掌で隠すようにして驚きの声を上げた。

「ですが、これ以上は四夫人の方といえどもお話しできません。申し上げられるとすれば、わたしは帝のおられる大玄殿で働いている宦官……とだけお伝えいたします。ですので、これ以上の詮索はどうかご遠慮願いたく存じます」

「そうだったの」

 私は大きくうなずいて納得した。

 なるほど、安仁さんは皇帝――華龍瑛がいる大玄殿で働いている宦官だったのか。

 どおりで口調や態度が堂々としているはずだ。

 安仁さんは咳ばらいを一つすると、「話を戻しますが、風心妃さまはこれからどちらに?」とあらためて訊いてくる。

 安仁さんの正体もわかったことで、私は今度こそ迷わずに応えた。
 
「鳳瞬どのに会いに養心殿へ向かう途中です」

「鳳瞬……どのに? やはり今も頭部に痛みがあるのですか?」
 
「そうでありませんが、個人的に鳳瞬どのとお話ししたいことがありまして」

 私がそう告げると、安仁さんは一拍の間を空けたあとに口角を上げた。

「それは奇遇ですね。わたしもちょうど鳳瞬どのに個人的な用事があるのです。風心妃さま、よろしければ養心殿までわたしもご同行してもよろしいでしょうか?」

 私は内心で大きく首をひねった。

 いくら帝の側仕えの宦官とはいえ、四夫人に対してここまで気さくな態度を取る宦官なんているのだろうか。

(もしかして……これもゲームの仕様なのかな?)

 私は数秒間だけ考えたが、どれだけ考えても答えは浮かばない。

 やがて私は勝手に答えを導き出した。

 安仁さんは破滅フラグと関係なさそうだからいいわよね、と。

「構いませんよ。では、私を護衛するという形で一緒に行きましょうか」

 こうして私たち三人は養心殿へ向かったのだった。
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