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第7話 本物と偽物の蘇風心
後宮内の病院である養心殿に辿り着くと、私は堂々たる正門を見上げて感嘆する。
もちろん心の中でね。
今の私は徳妃という高貴な身分。
そんな妃が「うわ~、すご~い! 日本の武家屋敷みたい!」なんて軽口を叩くわけにはいかない。
だって私の後ろには安仁さんと寧寧ちゃんがいるんだもの。
でも、それぐらい高揚するほど養心殿は立派な建物だった。
汚れ一つない白壁に黒瓦の屋根。
煌びやかさを競うように存在している他の建物とは違い、ここには地味だが静謐な雰囲気が満ちていた。
私は周囲に視線を巡らせる。
正門脇の白壁の前には薬草の鉢がずらりと並び、青々とした葉が風にそよいでいた。
私は他の二人に気取られないように、そっと匂いを嗅いだ。
微風に乗って薬草の匂いとは別に、漢方薬の独特の香りが鼻腔の奥をじんわりと刺激する。
長く嗅いでいると顔をしかめてしまうが、どこか安心できる匂い――病を癒す力が漂っているかのような、そんな不思議な空気が養心殿を包んでいる。
両目を閉じると、今にも薬研で薬草を挽いている医官たちの姿が浮かぶようだ。
「風心妃さま、中へ入りましょうか」
安仁さんは私の真横に来ると、太陽のような笑みを向けてくる。
「――――ッ」
思わず私は顔を逸らした。
嫌だからではない。
むしろ逆だった。
安仁さんの微笑みに、胸の奥を熱くさせてしまった自分がいる。
「どうかいたしましたか?」
安仁さんが小首をかしげると、私は「な、何でもありません!」と声を荒げてしまった。
「お待ちください、安仁さん。いくらあなたが帝の側仕えの宦官とはいえ、風心さまは徳妃さまなのですよ。あなたとは身分が違いすぎるということをお忘れなく」
寧寧ちゃんは私と安仁さんの間に入ると、プンプンと怒りながら安仁さんにビシッと人差し指を突きつける。
それでも安仁さんは笑みを絶やさず、静かに拱手した。
「……確かに侍女のおっしゃられるとおり。風心妃さま、どうか数々のご無礼をお許しください」
と、安仁さんが頭を下げたときだ。
「お前たち、そこで何をしている!」
養心殿の中から白衣を着た三人の医官たちが現れた。
私たちの会話が騒がしかったのだろう。
だが、医官たちは私を見るなり石像のように硬直した。
「ま、まさか……蘇徳妃さまであられますか!」
医官たちは驚愕の声を上げるなり、その場で拱手しながら片膝をつく。
「いかにも、こちらは徳妃であられる風心妃さまです。医官長の蘭鳳瞬どのに用事があって参られました。どなたか鳳瞬どのにお取次ぎをお願いいたします」
私の代わりに寧寧ちゃんが医官たちに事情を説明する。
「大変に失礼いたしました。どうぞ中へお入りください……おい、ただちに鳳瞬さまをお呼びしてくるのだ」
三十代と思しき丸顔の医官が、十代後半ほどの細身の若い医官たちに命令する。
「かしこまりました!」
「た、ただちに!」
細身の若い医官たちは駆け足で殿内へと戻っていく。
「さあさあ、どうぞこちらへ」
そして丸顔の医官は私と寧寧ちゃんを案内しようとしたが、一緒についてきた安仁さんを見て眉根をひそめた。
「お前は関係ないだろ。どこの部署の宦官かは知らんが、さっさと自分の仕事場へと帰れ」
丸顔の医官は安仁さんに向かって犬でも追い払うように「しっしっ」と手首を振る。
私は一瞬ムッとしたが、ここで怒鳴り散らすわけにはいかない。
なので私は丸顔の医官の前にズイッと立ち、暗い笑みを浮かべつつ全身から怒りのオーラを放つ。
「よいのです。こちらの方も鳳瞬どのに用事があるとのことですので、こうして護衛も兼ねてここまで同行していただいた次第。ですので私たちのようにこの方も迎え入れてはくれませんか?」
私の怒気を鋭敏に察したのだろう。
丸顔の医官は一瞬だけ言葉を失い、すぐに脂汗をにじませながら「と、徳妃さまがそうおっしゃられるのでしたら」と震える声で安仁さんの同行も許してくれた。
うん、やっぱり何事も会話が大事。
♦♦♦
私たちは養心殿の奥の部屋へと案内された。
案内されたのは応接間の代わりの部屋らしく、他の部屋と違って漢方薬などの匂いはあまりしない。
中央に大きなテーブルと椅子が四脚置かれた簡素な部屋である。
ここへ来るまでに見て来た部屋では、大勢の医官たちが薬研を挽いていたり薬の調合をしていた。
他にもうつ伏せにした半裸の男性をベッドに寝かせ、その半裸の男性を囲んでいた医官たちが鍼《はり》を打ったり色々な個所をマッサージしていた。
私は心理学専門だったのであまり詳しくはないが、古代中国において医術というと漢方や鍼灸、そして按摩などのマッサージだったというのは知っている。
こういうところは後宮風・乙女ゲームとして設定が練られていたのだろう。
私が今まで見て来た部屋の様子を思い出していると、この部屋まで案内してきた医官は背中が見えるほど深々と頭を下げた。
「それでは、蘇徳妃さま。今すぐ鳳瞬さまをお呼びしてきます。このように質素な部屋で大変に申し訳ありませんが、どうぞごゆるりとおくつろぎくださいませ」
そう告げた医官は機敏な動きで振り返ると、そのまま逃げるように退室していく。
このとき、私はハッとした。
(まさか、これも破滅フラグに繋がるなんてないわよね?)
などと考えたものの、さすがにそれはないと判断した。
私がさっきしたのは名も知らない医官に安仁さんを馬鹿にされた怒りを間接的にぶつけただけで、しかも医官に罰を与えるようなことは口にしていない。
私は少しの不安を抱きながらも、寧寧ちゃんに引かれた椅子に座った。
後宮内は私が思ったよりもずっと広く、この部屋まで歩いてきただけで足が棒のように疲れてしまった。
「お疲れのようですね、風心妃さま。まあ、それも無理ないこと。玉照宮からここまで自分の足で歩いてくるのは四夫人の方では辛かったでしょう」
安仁さんは自分で椅子を引くと、さも当然のように私の隣に腰を下ろす。
すると寧寧ちゃんが「安仁さん!」と怒声を上げた。
「何をやっているんですか! 恐れ多くも風心さまのお隣の席に堂々と座るなんて無礼にも程がありますよ! それこそ、お隣に座る資格があるのは帝だけです!」
「……こ、これは失礼いたしました!」
安仁さんは慌てて立ち上がると、私に拱手して謝罪する。
「いえ、いいのです。あなたも歩いてきて疲れていたのでしょう。寧寧も遠慮せずに座っていいのよ」
「で、でも……」
本当は寧寧ちゃんも疲れているのだろうが、自分から安仁さんに注意した手前、「じゃあ、遠慮なく」と座れなくなったのだろう。
そこで私は考えた。
「では、二人とも私の対面の席に座って」
私は二人に空いている椅子に座るよう促す。
「鳳瞬どのが来るまで私と世間話をしましょう。それならいいわよね?」
安仁さんと寧寧ちゃんは互いに顔を見合わせる。
私が何を言っているのか理解できない様子だ。
「別に特別な意図はないわ。少し暇を潰そうと言っているだけよ」
さあ、と私は柔和な笑みで再び椅子に座るように促した。
「それでは失礼いたします」
慇懃に頭を下げた安仁さんは、私の正面に落ち着いた様子で座った。
それを見た私は素直に感心する。
(すごい人ね。こうも堂々と四夫人の前に座るなんて、やっぱり皇帝の側仕えをしている宦官は度胸と胆力が違うわ)
一方、寧寧ちゃんは侍女だからか中々座ろうとしない。
「寧寧、どうしてそんなに頑なに拒むの?」
「え? そ、それは……」
両目を泳がせながらモジモジしている寧寧ちゃん。
いくら徳妃である私の許可があるとはいえ、同じ目線の席に座るのは失礼に値するということは何となく私でもわかる。
でも、ここには他に安仁さんしかいないのだ。
安仁さんはたまに宦官とは思えない言動を取ることはあるものの、侍女の行動を周囲に言いふらすような性格の持ち主ではない。
それは寧寧ちゃんも感じていたようだが、それでも寧寧ちゃんは「やはり侍女が主人と同じ席に座るわけにはいけません」と断ってくる。
そんな寧寧ちゃんを見て、私はある仮説に辿り着いた。
もしかして、本物の風心はこうやって表向き優しく接する振りをして侍女に何か罰を与えていたのかもしれない。
悪役毒妃と呼ばれていた蘇風心のことだ。
今の私のように侍女に優しい言葉をかけながら、それを鵜呑みにした侍女に対して「この無礼者、嘘に決まっているでしょう!」と悪態や折檻をしていた可能性は十分にある。
寧寧ちゃんは後宮に来たばかりの新人の侍女だったから、折檻まではいかなくても先輩の侍女から裏で色々と話を聞いていたのだろう。
風心妃の優しさは偽りだ、と。
もしも本当だとしたら、まさに悪役キャラそのもの。
でも、今の私は本物の蘇風心じゃない。
現代日本で臨床心理士として働いていた私こと山田ゆいが、本物の蘇風心の中に転生した――いわば偽物の蘇風心。
「寧寧、昨日までの私はあなたたち侍女を困らせる言動をしていたかもしれない。でもね、今日からは違うわ。神に誓って約束する。金輪際、あなたたち侍女を困らせることは絶対にしないと誓う」
私は真剣な表情で続ける。
「だから怖がらず席に座りなさい。ずっと立ちっぱなしだと疲れるでしょう」
ねえ、と私は顔をほころばせる。
やがて寧寧ちゃんに私の思いが伝わったのだろう。
「ありがとうございます。そ、それでは……」
寧寧ちゃんは半ばビクビクしながらも安仁さんの隣に座る。
このとき、私はふと懐かしさを覚えた。
静寂と清潔感のある部屋の中、テーブルを挟んで心の悩みを抱えたクライエントさんと向かい合う。
臨床心理士として毎日のように行っていたカウンセリングのときのようだ。
「風心妃さま、一つよろしいでしょうか?」
私が顔を向けると、安仁さんは静かに私を見つめていた。
「ええ、構いませんよ」
私は何の躊躇もなく了承する。
(さっそく暇つぶしの会話を切り出してきたのかな?)
などと最初はウキウキしたが、安仁さんの両目を見て私の高揚感はゆっくりと下がっていった。
安仁さんの瞳の中には、何かを訝しむような光が宿っていたからだ。
そして、安仁さんは思いもよらぬ言葉を投げかけてきた。
「恐れながら申し上げます。今のあなたは本当に風心妃さまなのですか?」
「――――え?」
私の思考は一瞬で停止した。
もちろん心の中でね。
今の私は徳妃という高貴な身分。
そんな妃が「うわ~、すご~い! 日本の武家屋敷みたい!」なんて軽口を叩くわけにはいかない。
だって私の後ろには安仁さんと寧寧ちゃんがいるんだもの。
でも、それぐらい高揚するほど養心殿は立派な建物だった。
汚れ一つない白壁に黒瓦の屋根。
煌びやかさを競うように存在している他の建物とは違い、ここには地味だが静謐な雰囲気が満ちていた。
私は周囲に視線を巡らせる。
正門脇の白壁の前には薬草の鉢がずらりと並び、青々とした葉が風にそよいでいた。
私は他の二人に気取られないように、そっと匂いを嗅いだ。
微風に乗って薬草の匂いとは別に、漢方薬の独特の香りが鼻腔の奥をじんわりと刺激する。
長く嗅いでいると顔をしかめてしまうが、どこか安心できる匂い――病を癒す力が漂っているかのような、そんな不思議な空気が養心殿を包んでいる。
両目を閉じると、今にも薬研で薬草を挽いている医官たちの姿が浮かぶようだ。
「風心妃さま、中へ入りましょうか」
安仁さんは私の真横に来ると、太陽のような笑みを向けてくる。
「――――ッ」
思わず私は顔を逸らした。
嫌だからではない。
むしろ逆だった。
安仁さんの微笑みに、胸の奥を熱くさせてしまった自分がいる。
「どうかいたしましたか?」
安仁さんが小首をかしげると、私は「な、何でもありません!」と声を荒げてしまった。
「お待ちください、安仁さん。いくらあなたが帝の側仕えの宦官とはいえ、風心さまは徳妃さまなのですよ。あなたとは身分が違いすぎるということをお忘れなく」
寧寧ちゃんは私と安仁さんの間に入ると、プンプンと怒りながら安仁さんにビシッと人差し指を突きつける。
それでも安仁さんは笑みを絶やさず、静かに拱手した。
「……確かに侍女のおっしゃられるとおり。風心妃さま、どうか数々のご無礼をお許しください」
と、安仁さんが頭を下げたときだ。
「お前たち、そこで何をしている!」
養心殿の中から白衣を着た三人の医官たちが現れた。
私たちの会話が騒がしかったのだろう。
だが、医官たちは私を見るなり石像のように硬直した。
「ま、まさか……蘇徳妃さまであられますか!」
医官たちは驚愕の声を上げるなり、その場で拱手しながら片膝をつく。
「いかにも、こちらは徳妃であられる風心妃さまです。医官長の蘭鳳瞬どのに用事があって参られました。どなたか鳳瞬どのにお取次ぎをお願いいたします」
私の代わりに寧寧ちゃんが医官たちに事情を説明する。
「大変に失礼いたしました。どうぞ中へお入りください……おい、ただちに鳳瞬さまをお呼びしてくるのだ」
三十代と思しき丸顔の医官が、十代後半ほどの細身の若い医官たちに命令する。
「かしこまりました!」
「た、ただちに!」
細身の若い医官たちは駆け足で殿内へと戻っていく。
「さあさあ、どうぞこちらへ」
そして丸顔の医官は私と寧寧ちゃんを案内しようとしたが、一緒についてきた安仁さんを見て眉根をひそめた。
「お前は関係ないだろ。どこの部署の宦官かは知らんが、さっさと自分の仕事場へと帰れ」
丸顔の医官は安仁さんに向かって犬でも追い払うように「しっしっ」と手首を振る。
私は一瞬ムッとしたが、ここで怒鳴り散らすわけにはいかない。
なので私は丸顔の医官の前にズイッと立ち、暗い笑みを浮かべつつ全身から怒りのオーラを放つ。
「よいのです。こちらの方も鳳瞬どのに用事があるとのことですので、こうして護衛も兼ねてここまで同行していただいた次第。ですので私たちのようにこの方も迎え入れてはくれませんか?」
私の怒気を鋭敏に察したのだろう。
丸顔の医官は一瞬だけ言葉を失い、すぐに脂汗をにじませながら「と、徳妃さまがそうおっしゃられるのでしたら」と震える声で安仁さんの同行も許してくれた。
うん、やっぱり何事も会話が大事。
♦♦♦
私たちは養心殿の奥の部屋へと案内された。
案内されたのは応接間の代わりの部屋らしく、他の部屋と違って漢方薬などの匂いはあまりしない。
中央に大きなテーブルと椅子が四脚置かれた簡素な部屋である。
ここへ来るまでに見て来た部屋では、大勢の医官たちが薬研を挽いていたり薬の調合をしていた。
他にもうつ伏せにした半裸の男性をベッドに寝かせ、その半裸の男性を囲んでいた医官たちが鍼《はり》を打ったり色々な個所をマッサージしていた。
私は心理学専門だったのであまり詳しくはないが、古代中国において医術というと漢方や鍼灸、そして按摩などのマッサージだったというのは知っている。
こういうところは後宮風・乙女ゲームとして設定が練られていたのだろう。
私が今まで見て来た部屋の様子を思い出していると、この部屋まで案内してきた医官は背中が見えるほど深々と頭を下げた。
「それでは、蘇徳妃さま。今すぐ鳳瞬さまをお呼びしてきます。このように質素な部屋で大変に申し訳ありませんが、どうぞごゆるりとおくつろぎくださいませ」
そう告げた医官は機敏な動きで振り返ると、そのまま逃げるように退室していく。
このとき、私はハッとした。
(まさか、これも破滅フラグに繋がるなんてないわよね?)
などと考えたものの、さすがにそれはないと判断した。
私がさっきしたのは名も知らない医官に安仁さんを馬鹿にされた怒りを間接的にぶつけただけで、しかも医官に罰を与えるようなことは口にしていない。
私は少しの不安を抱きながらも、寧寧ちゃんに引かれた椅子に座った。
後宮内は私が思ったよりもずっと広く、この部屋まで歩いてきただけで足が棒のように疲れてしまった。
「お疲れのようですね、風心妃さま。まあ、それも無理ないこと。玉照宮からここまで自分の足で歩いてくるのは四夫人の方では辛かったでしょう」
安仁さんは自分で椅子を引くと、さも当然のように私の隣に腰を下ろす。
すると寧寧ちゃんが「安仁さん!」と怒声を上げた。
「何をやっているんですか! 恐れ多くも風心さまのお隣の席に堂々と座るなんて無礼にも程がありますよ! それこそ、お隣に座る資格があるのは帝だけです!」
「……こ、これは失礼いたしました!」
安仁さんは慌てて立ち上がると、私に拱手して謝罪する。
「いえ、いいのです。あなたも歩いてきて疲れていたのでしょう。寧寧も遠慮せずに座っていいのよ」
「で、でも……」
本当は寧寧ちゃんも疲れているのだろうが、自分から安仁さんに注意した手前、「じゃあ、遠慮なく」と座れなくなったのだろう。
そこで私は考えた。
「では、二人とも私の対面の席に座って」
私は二人に空いている椅子に座るよう促す。
「鳳瞬どのが来るまで私と世間話をしましょう。それならいいわよね?」
安仁さんと寧寧ちゃんは互いに顔を見合わせる。
私が何を言っているのか理解できない様子だ。
「別に特別な意図はないわ。少し暇を潰そうと言っているだけよ」
さあ、と私は柔和な笑みで再び椅子に座るように促した。
「それでは失礼いたします」
慇懃に頭を下げた安仁さんは、私の正面に落ち着いた様子で座った。
それを見た私は素直に感心する。
(すごい人ね。こうも堂々と四夫人の前に座るなんて、やっぱり皇帝の側仕えをしている宦官は度胸と胆力が違うわ)
一方、寧寧ちゃんは侍女だからか中々座ろうとしない。
「寧寧、どうしてそんなに頑なに拒むの?」
「え? そ、それは……」
両目を泳がせながらモジモジしている寧寧ちゃん。
いくら徳妃である私の許可があるとはいえ、同じ目線の席に座るのは失礼に値するということは何となく私でもわかる。
でも、ここには他に安仁さんしかいないのだ。
安仁さんはたまに宦官とは思えない言動を取ることはあるものの、侍女の行動を周囲に言いふらすような性格の持ち主ではない。
それは寧寧ちゃんも感じていたようだが、それでも寧寧ちゃんは「やはり侍女が主人と同じ席に座るわけにはいけません」と断ってくる。
そんな寧寧ちゃんを見て、私はある仮説に辿り着いた。
もしかして、本物の風心はこうやって表向き優しく接する振りをして侍女に何か罰を与えていたのかもしれない。
悪役毒妃と呼ばれていた蘇風心のことだ。
今の私のように侍女に優しい言葉をかけながら、それを鵜呑みにした侍女に対して「この無礼者、嘘に決まっているでしょう!」と悪態や折檻をしていた可能性は十分にある。
寧寧ちゃんは後宮に来たばかりの新人の侍女だったから、折檻まではいかなくても先輩の侍女から裏で色々と話を聞いていたのだろう。
風心妃の優しさは偽りだ、と。
もしも本当だとしたら、まさに悪役キャラそのもの。
でも、今の私は本物の蘇風心じゃない。
現代日本で臨床心理士として働いていた私こと山田ゆいが、本物の蘇風心の中に転生した――いわば偽物の蘇風心。
「寧寧、昨日までの私はあなたたち侍女を困らせる言動をしていたかもしれない。でもね、今日からは違うわ。神に誓って約束する。金輪際、あなたたち侍女を困らせることは絶対にしないと誓う」
私は真剣な表情で続ける。
「だから怖がらず席に座りなさい。ずっと立ちっぱなしだと疲れるでしょう」
ねえ、と私は顔をほころばせる。
やがて寧寧ちゃんに私の思いが伝わったのだろう。
「ありがとうございます。そ、それでは……」
寧寧ちゃんは半ばビクビクしながらも安仁さんの隣に座る。
このとき、私はふと懐かしさを覚えた。
静寂と清潔感のある部屋の中、テーブルを挟んで心の悩みを抱えたクライエントさんと向かい合う。
臨床心理士として毎日のように行っていたカウンセリングのときのようだ。
「風心妃さま、一つよろしいでしょうか?」
私が顔を向けると、安仁さんは静かに私を見つめていた。
「ええ、構いませんよ」
私は何の躊躇もなく了承する。
(さっそく暇つぶしの会話を切り出してきたのかな?)
などと最初はウキウキしたが、安仁さんの両目を見て私の高揚感はゆっくりと下がっていった。
安仁さんの瞳の中には、何かを訝しむような光が宿っていたからだ。
そして、安仁さんは思いもよらぬ言葉を投げかけてきた。
「恐れながら申し上げます。今のあなたは本当に風心妃さまなのですか?」
「――――え?」
私の思考は一瞬で停止した。
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