悪役毒妃の後宮心理術 ~現代日本で心理士だった私、後宮乙女ゲームの悪役に転生しましたが、原作知識とカウンセリングで破滅フラグを回避します~

ともボン

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第8話   破滅フラグの前触れ

「安仁さん!」

 寧寧ちゃんは勢いよくテーブルを叩いて立ち上がると、安仁さんをキッと睨みつける。

「ここにおられるのは本物の風心さまです! 侍女のあたしが言うのですから間違いありません! まさか、安仁さんはここにおられる風心さまが替人たいじんだとおっしゃるのですか!」

(たいじん?)

 聞き慣れないその響きに、胸の奥がざわついた。

 どんな漢字を書くのかはわからなかったが、話の流れやニュアンスから日本で言うところの影武者と同じ意味の言葉だと勝手に認識する。

 同時に私の背中にどっと冷や汗が流れ出てきた。

(ちょっと待って。もしかして安仁さんは私が偽物の蘇風心だとわかったの?)

 しかし、私はすぐに心中で首を左右に振った。

 ありえない。

 ここが『後宮遊戯』という乙女ゲームの世界だと知っているのは私のみ。

 しかも安仁さんは未だ登場していない正ヒロイン――倭魅美と関わり合いのない一般のキャラクターのはずだ。

 そんなモブキャラが私を転生者だと見抜けるはずがない。

 とはいえ、安仁さんが意味深な言葉を吐いたのも事実。

 そんなことを考えていた私の目の前では、安仁さんと寧寧ちゃんが視線を交錯させている。

 私は内心おろおろしながら二人を交互に見る。

 寧寧ちゃんは怒った顔で鼻息を荒げていたが、一方の安仁さんの表情は波紋一つない湖畔のように無表情だった。

 やがて安仁さんは小さく息を吐き、ゆっくりと私に視線を移す。

「誤解を抱かせてしまったのなら謝罪します。わたしは何も目の前におられる風心妃さまが替人かどうかという話をしたかったわけではありません。ただ、少し風心妃さまご自身がおっしゃったことに疑問を持ったのです」

 私は固唾を呑んで安仁さんの言葉に耳を傾ける。

「今ほど風心妃さまはこうおっしゃられました。「昨日までの私はあなたたち侍女を困らせる言動をしていた」と」

 安仁さんは続ける。

「次に「今日からは違う。神に誓って金輪際、侍女を困らせることは絶対にしないと誓う」とおっしゃられた。これは一体どういうことでしょう? まるで昨日までの風心妃さまと、この場にいるあなたさまは別人であることをご本人が示唆しているように聞こえたのですが」

(す、すごい……まるで名探偵みたい)

 やはり安仁さんは私が転生者だと見抜いたわけではなかった。

 けれども、一宦官とは思えないその記憶力と洞察力に惚れ惚れしてしまった。

 ただ、冷静に状況を鑑みて私が影武者と疑われているのも事実。

 どこに破滅フラグが転がっているか原作知識がない以上、誰であろうと疑いの目は晴らしておいて損はない。

 いや、むしろ晴らしておくべきだ。

「面白いお方ですこと」

 私は屈託のない笑みを安仁さんに見せた。

「安仁さん、私はどこからどう見ても本物の蘇風心ですよ。それはそこにいる寧寧も認めています。それに先ほど言ったのは、あくまでも寧寧の今後の働きを妨げないための忠告に過ぎません」

 私は真っ向から安仁さんの視線を受け止める。

「侍女というのは主人の機嫌を窺うのも仕事の一つ。ですが、それが恐怖の域まで達してしまったのならば普通に働くのも困難になってしまう。私はそれをようやく昨日に悟ったのです」

 私は精いっぱいの言い訳をしてみせた。

 半ば本心も含まれているが、これで少しは安仁さんからの疑いが薄まるはず。

「なるほど……それで侍女の不安を少しでも取り除くために先ほどのような口上を述べた、というわけですか」

「いかにも」

 私がうなずくと、室内はしんと静まり返った。

 開け放たれた窓からは、前髪を揺らすほどの柔らかな風が入ってくる。

 突如、安仁さんは勢いよく立ち上がった。

「……感服したぞ」

 安仁さんは両腕を組んで嬉しそうに口角を上げた。

「四夫人ともあろう高位な身分の妃でありながら、末端の侍女に対しても慈愛を以て接する行動は実に見事。そなたは未来の国母になるべき資格を持っている」

 私は瞬きを忘れ、口を半開きにしたままポカンとなった。

 あれ? 目の前にいるのは本当に安仁さんよね?

 あなたのほうこそ急に人格と口調が変貌したんですけど大丈夫?

 しかも上から目線なのは完全にアウトでは!?

 だって私は皇后に次ぐ四夫人の一人で、あなたは皇帝の側仕えといえども一宦官なんでしょう?

 だったら今の態度はマズいんじゃない?

 私はおそるおそる寧寧ちゃんをちら見する。

「む~~~~~~」

 寧寧ちゃんは両頬をフグのように膨らませ、きつく目眉を吊り上げていた。

(ああ……完全に怒っちゃってる)

 安仁さんのこれまでの言動はまだ許容範囲だったのだろうが、さすがの今の態度と言い方は失礼の上限を大幅に超えていた。

 中身が現代日本人の私はまだ許せるものの、寧寧ちゃんにしてみれば自分の主人が格下の身分の者に見下されたように感じただろう。

 これはもしや鉄拳が炸裂してしまうのか。

 でも、寧寧ちゃんに誰かを殴らせるわけにはいかない。

 そして安仁さんにも殴られてほしくなかった。

(ど、どうしよう……)

 と、私が内心ハラハラしたときだ。

「風心妃さま、大変お待たせいたしました! もしや頭部の傷が悪化したのですか!」

 重苦しい雰囲気を切り裂く、鳳瞬さんの切迫した声が聞こえた。

     ♦♦♦

「こ、これは……一体何事ですか?」

 部屋に入ってくるなり、鳳瞬さんは私たちを見渡して唖然とした。

 無理もない。

 徳妃が侍女と宦官を連れ、何のアポイントもなく養心殿に押しかけて来たのである。

 私が鳳瞬さんの立場だったとしたら、予約もなしに病院に来てカウンセリングをしてくれと頼む非常識なクライエントさんのように感じただろう。

 しかも、なぜか侍女が宦官をふくれっ面で睨みつけているのだ。

 何の事情も知らない鳳瞬さんからしてみれば、頭上にいくつのも疑問符が飛び交っていてもおかしくない。

 では、こんなときに私はどうすればいいのか。

 子供のように動揺してアワアワする?

 それとも顔を逸らして無視を決め込む?

 もちろん、どれも違う。

「鳳瞬どの」

 一呼吸置いた私は、毅然とした態度で立ち上がった。

 そしてお腹の前で両手を重ね、必要以上にへりくだらないよう小さく頭を下げる。

「まずは突然押しかけてきた非礼を詫びさせてください。本当に申し訳ありませんでした。そして、おかげさまで傷の具合もだいぶ良くなっております」

 これこそ私が取るべき行動の最善手だった。

 まずは先手を打って鳳瞬さんに謝罪する。

 こうすることによって安仁さんと寧寧ちゃんの間で勃発しそうだった争いを未然に防ぎ、かつ二人の意識を私に集中させてうやむやにするという手だ。

 事実、それは功を奏したようだ。

 寧寧ちゃんも侍女の端くれ。

 主人が場を取り繕う発言をしたことで、怒りをぐっと堪えて再び椅子に座った。

 ただ、安仁さんを射殺すような目で睨みつけてはいるけど。

 そんな寧寧ちゃんに構わず、鳳瞬さんは大きな安堵の息を吐く。

「それは結構なことです……ですが、一つ解せないことがあります。どうしてこちらに安仁どのがおられるのですか?」

 鳳瞬さんは私から視線を外し、自然体で佇んでいた安仁さんを何度もちら見する。

 侍女の寧寧ちゃんはともかく、宦官の安仁さんがなぜここにいるのか疑問だったのだろう。

 それだけではない。

 鳳瞬さんは明らかに安仁さんを見て動揺していた。

 私は前世では大学と大学院で心理学を専攻し、社会人になってからは臨床心理士として多くのクライエントさんのカウンセリングを行ってきた。

 その経験から相手の言動や仕草で何を考えているのかが直感でわかってしまう。

 今の鳳瞬さんは安仁さんを格上の存在として見ている。

 それもただの格上の存在としてではない。

 まるで直属の上司がいきなり訪ねてきたような驚きぶりだった。

 私は小首をかしげる。

 でも、鳳瞬さんは養心殿のトップの医官長のはずよね。

 だとしたら、鳳瞬さんよりも上の存在というと……。

「安仁さんは個人的に鳳瞬さまに用があるみたいですよ!」

 寧寧ちゃんが怒気を込めた口調で言い放つ。

 そういえば寧寧ちゃんも記憶力が抜群に良い。

 昨日、安仁さんが玉照宮に入ってきたときのことも正確に覚えていたのだ。

 となると、これは安仁さんが特別に記憶力が良いのではなく、この世界の人たちは識字率が低いことで記憶力が現代の日本人よりも上という設定なのかもしれない。

 まあ、それはともかく。

「安仁どのがわたくしに個人的な用?」

 鳳瞬さんはわずかに面を食らったような感じになったが、数秒後には「ああ……そうでした」と引きつった笑いを浮かべた。

「個人的なことなので申せませんが、確かにわたくしは安仁どのと会う約束をしておりました。いけませんね、このところ眠りが浅いせいでしょうか」

「お医者さまなのに不眠気味なのですか?」

 私がたずねると、鳳瞬さんは「お恥ずかしい限りです」と表情を曇らせる。

「医者の不養生ではないのですが、どうにも最近は個人的な悩みがつきませんので、たとえ養心殿の薬でも眠りが浅くなってしまっているのです」

 鳳瞬さんはなぜか安仁さんに鋭い視線を向けた。

 すると安仁さんは視線を躱すように顔をさっと逸らす。

「安仁どのとの個人的な話はあとにするとして……風心妃さま、昨日の怪我のことでないのなら本日はどのようなご用でこちらに?」

 私は「とりあえず座っても?」と訊くと、鳳瞬さんは「もちろんです」と先に座るよう促してきた。

 再び私は椅子に腰を下ろす。

 続いて鳳瞬さんが椅子に座った。

 その間に寧寧ちゃんは足早に私の後方に移動してくる。

 目的の相手が来た以上、侍女としての立場をわきまえたのだろう。

 一方の安仁さんは宦官としての立場をわきまえず、鳳瞬さんの隣の席に座ろうとした。

「安仁どの、あなたは宦官でしょう? ならば、ここでは大人しく立っていてください」

 鳳瞬さんの静かで威厳が込められた声が響く。

 安仁さんはハッとすると、「こ、これは申し訳ありません」と慌てて鳳瞬さんの後方へ移動する。

 場が整ったことで、私はさっそく本題を切り出した。

「今日は鳳瞬どのにお願いがあって来ました」

 ピリッと張り詰めた空気の中、私は単刀直入に鳳瞬さんにお願いする。

「私に医術を教えてくれませんか?」

 これには鳳瞬さんも瞠目した。

 後方にいる安仁さんも瞳孔を拡大させている。

 今の私には見えないが、真後ろにいる寧寧ちゃんも驚愕していることだろう。

 そんな中、鳳瞬さんは真剣な表情で訊き返してくる。

「なぜ四夫人の徳妃ともあろうお方が医術を学びたいのです? あなたほどの立場の妃ならば、怪我や病気の類を治療したいときには侍女をこの養心殿に走らせればいい。まさか、興味本位で医術を学びたいと思い立ったのですか?」

(まあ、普通はそういう考えになるわよね)

 とはいえ、ここで正直な理由を話すわけにはいかない。

 私は現代日本から蘇風心のキャラの中に転生してきた日本人で、破滅フラグを回避したあとに独りで生きていくために医術を学びたいと告白した日には、それこそ私は気が狂ったと思われて下手をすると隔離部屋に入れられるかもしれない。

 鳳瞬さんは半ば呆れたように首を小さく振る。

「だとしても滅多なことは言わないほうが賢明です。四夫人のお一人ともあろうお方が医術を学びたいと周囲に口にすれば、あなたを敵視している他の妃の方々は「風心妃さまは帝を毒殺する気でおられる」などと曲解して危険な噂を流すかもしれません」

「――――ッ!」

 私は鳳瞬さんの忠告で、いかに自分が危ない橋を渡ろうとしていたかが理解できた。

 確かにそうである。

 高位の立場にいる人間が医術を学びたいと本気で口にした場合、それを聞いた他人がどういう解釈をするのかまでは考えが至らなかった。

 十中八九、鳳瞬さんの言った危険な噂が後宮内に飛び交うだろう。

 そして、それは巡り巡って私の破滅フラグになる可能性が高い。

 私は自分の血の気がどんどん引いていく感覚を味わっていた中、鳳瞬さんは身体をずいっと前のめりにしてくる。

 そのとき、私の本能が最大限の警告音を鳴らした。

「ですが、それが噂でなかった場合は大きく事情が違ってきます。まさかとは思いますが、風心妃さまは帝に対して何かよからぬ考えをお持ちではないでしょうね?」

 待って……これって今まさに破滅フラグが立っちゃった?
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