【完結】その最強の暗殺者は〈黒師子〉と呼ばれた ~医者と騎士と暗殺者の三重生活をしている俺(20)、今日も世直しのため異端者どもを鍼殺する~

岡崎 剛柔

文字の大きさ
27 / 39

第二十七話  レオ・メディチエールの裏の顔 ⑦

しおりを挟む
「始まったか」
「そうね。ここまで聞こえるほどだもの。始まったに違いないわ」

 過去に薔薇の修道院と謳われていた廃修道院の庭園には、鬱蒼と生い茂る雑草に混じって何本もの樹木が植えられていた。

 そのため廃修道院の周囲を覆っていた外壁と同じぐらいの高さに成長している樹木に登ると、廃修道院の正門部分から風に乗って流れてくる鬨の声がよく聞こえる。

 現在、レオとシェンファは樹木の中に身を潜めていた。

 何本もの樹木の中でも取り分けて枝葉の数が多い樹木だ。

 たとえ根元に第三者が通り過ぎたとしても、枝葉の中に隠れている人間の存在など発見できないだろう。

 それほどレオとシェンファの気配の消し方は見事の一語に尽きる。

 一定の領域にまで達した武術家は自分の身体から溢れる気を手足のように操作できるというが、レオとシェンファはまさに一定の領域にまで足を踏み込めた武術家であった。

 それだけではない。

 気の操作に長けた武術家には、拳法のけの字も知らない素人には考えも及ばない様々な術を行使できた。

「そろそろ行くか。これだけ時間が経てば修道院内を警備していた人間たちも正門へと向かっただろうからな」

 頭巾の奥で呟いたのはレオである。

「まったく、高徳な職業である医者が聞いて呆れるわよ。まさか、金で雇った浮浪者たちを囮に使うなんて普通の人間が考えることじゃない」

 などと悪態を吐いたのはシェンファだ。

 レオが身体を預けている枝とは反対側の枝に平衡を崩さず佇んでいる。

「そうさ。私は普通の人間じゃない。特に〈黒獅子〉に扮している今はな」

 苦笑交じりにレオが返答した直後である。

 レオは廃修道院の二階に相当する高さの枝から飛び降りた。

 建物の二階に相当する高さから飛び降りる。

 常人ならば捻挫か悪ければ骨折を伴う危険な行為以外の何物でもなかった。

 それでもレオに負傷は見られない。

 地面に着地する寸前に両足の底に意識を集中し、地面を何度か転がって衝撃を分散させたのだ。

 レオは優雅に立ち上がると、背中や尻などに付着した土を払い落とす。

 そして目立った汚れを一通り払い落としたときだ。

 先ほどまで自分が身を隠していた樹木の中から勢いよくシェンファが飛び出した。

 しかも地面に着地してからではなく、空中で身体を回転させて地面に着地するという離れ技を見せてである。

(やはり、この娘の功夫は凄まじいな。十六歳という若さで軽功まで修得しているとは将来が恐ろしい)

 自分と違ってふわりと地面に着地したシェンファに対し、レオは戦慄にも似た肌の粟立ちを全身で感じた。

 軽功とはシン国武術に伝わる跳躍術の一種だ。

 レオも幼少期に祖父のコシモから軽功の基礎だけは鍛練させられたが、本場のシン国で培ったシェンファの軽功とは雲泥の開きがあった。

 当然と言えば当然である。

 レオが徹底して習わされたのは医術と武術であり、軽功などの跳躍術や硬功夫などの剛体術の修得は二の次だった。

 また異国で医術と武術を会得したコシモもすべての技を習ったわけではない。

 生前、レオはコシモからシン国の武術家たちの逸話を幾つか聞かせられていた。

 家屋の屋根から屋根へ颯爽と飛び移り、空を仰ぐほどの高さを誇るという宮殿の壁でさえ平原のように走ったと言われる武術家たちの逸話をである。

 とある軽功が得意だった武術家などは、あまりにも有名になった軽功のために師匠から「軽功を悪用したら私が自らお前を殺しに行くぞ」と戒められ、その武術家は師匠に殺されないため一生足に怪我を負った芝居をして余生を送ったという。

 氷山の一角に過ぎないシン国武術の一つ――軽功でさえシン国にはかような逸話が多く残っているのだ。

 ならばレオがシェンファに油断しないのは道理と言えた。

 今は同じ目的のために共同戦線を敷いているものの、所詮はシェンファも異国からの余所者である。

 一歩間違えれば自分に鋭い牙と爪を剥く女虎になることだろう。

 しかし、とレオは思う。

「巨漢に受けた怪我はまだ痛むだろう? あまり無茶をするな」

「う、うるさいわね。自分の身体のことは自分が一番よく知って……痛たたたた」

 技量はあるとはいえシェンファはまだまだ子供だった。あまり派手な動きをすれば昼間に巨漢から受けた怪我が痛み出すなど分かるだろうに。

 それでも普段からシェンファは内功の鍛練を怠っていないのだろう。

 腹部に感じる痛みを体外に吐き出すように深く長く息を吐く。

 痛みを抑えたシェンファは「よし、もう大丈夫」と腹部を弄った。

「ねえ、ところで意気揚々と敵陣に乗り込んできたからには何か策があるんでしょう?」

 シェンファは腹部を弄りつつ訊いてきた。

「策か……ふむ、これといって特にない。だが、強いて挙げるのなら見敵必倒だな」

「つまり、片っ端から見つけた敵を倒し捲くるのが策ってことね」

「さすがはシン国の武術家だな。飲み込みが早くて助かる」

 口元を押さえて低く笑った後、レオは敵の本陣である廃修道院に視線を移した。

 廃修道院の敷地面積はサン・ソルボンス修道院よりも一回りは小さい。

 長年、激しい風雨に晒されていた外観は黒ずんでいた。

 また修道院自体は中庭を挟んでロの字型になっており、北側の主回廊を通じて大聖堂へと移動できる仕組みになっている。

 ちなみに南側の正門では小規模な戦の真っ最中だ。

 今から四半刻(約三十分)前に雇った浮浪者たちが各々武器を持って正門に襲撃を掻けたのである。

 正門前に篝火を焚いて陣を張っていた〈戦乱の薔薇団〉は泡を食っただろう。

 無理もない。

 何の前触れもなしに浮浪者たちが大挙して襲ってきたのだ。

 たとえ素手の格闘術に長けた暗殺者たちだろうとも混乱は必死。

 もちろん、そうなるようにレオは浮浪者たちを懐柔したのだが。

「ふ~ん、じゃあ別に同行する必要はないわけね。だってそうでしょう? 要は首領のストラニアスという奴をとっ捕まえればいいんだから」

 廃修道院の東側――食堂の壁が目の前に広がる庭園の中、両手を腰に添えて仁王立ちしていたシェンファが語気を強めていった。

「確かに別行動する必要はない。だが一人だけ大丈夫か? おそらく院内には首領のストラニアスの他にも腕利きが何人か残っているはずだ」

「だったら尚のこと一緒には行動できないわね。正門に陣を張っていた人間は浮浪者たちに任せるとして、首領ぐらいは私一人の手で捕まえたいわ」

 そう言うとシェンファは食堂の石壁に向かって疾駆。

 十分に助走をつけて壁伝いに二階のテラスへと飛び移った。

 軽功を修得した人間だからこそ可能な動きである。

「じゃあね、レオ・メディチエール先生。いや、今は〈黒獅子〉だったわね。私はこのまま屋根伝いに移動して適当な場所から潜入するわ」

 テラスからレオを見下ろしながら、シェンファは「何だったら私一人に任せてくれていいわよ」と挑発するような捨て台詞を残して去っていく。

 やがて、ぽつねんと一人残されたレオは深々と溜息を漏らす。

「さすがに全部は思い通りにいかないか……」

 正門から聞こえてくるときの声に耳を傾けつつ、レオは落ち着き払った足取りで食堂へと向かった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

公爵令嬢アナスタシアの華麗なる鉄槌

招杜羅147
ファンタジー
「婚約は破棄だ!」 毒殺容疑の冤罪で、婚約者の手によって投獄された公爵令嬢・アナスタシア。 彼女は獄中死し、それによって3年前に巻き戻る。 そして…。

追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。 白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。 しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。 王妃リディアの嫉妬。 王太子レオンの盲信。 そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。 「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」 そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。 彼女はただ一言だけ残した。 「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」 誰もそれを脅しとは受け取らなかった。 だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

Sランク昇進を記念して追放された俺は、追放サイドの令嬢を助けたことがきっかけで、彼女が押しかけ女房のようになって困る!

仁徳
ファンタジー
シロウ・オルダーは、Sランク昇進をきっかけに赤いバラという冒険者チームから『スキル非所持の無能』とを侮蔑され、パーティーから追放される。 しかし彼は、異世界の知識を利用して新な魔法を生み出すスキル【魔学者】を使用できるが、彼はそのスキルを隠し、無能を演じていただけだった。 そうとは知らずに、彼を追放した赤いバラは、今までシロウのサポートのお陰で強くなっていたことを知らずに、ダンジョンに挑む。だが、初めての敗北を経験したり、その後借金を背負ったり地位と名声を失っていく。 一方自由になったシロウは、新な町での冒険者活動で活躍し、一目置かれる存在となりながら、追放したマリーを助けたことで惚れられてしまう。手料理を振る舞ったり、背中を流したり、それはまるで押しかけ女房だった! これは、チート能力を手に入れてしまったことで、無能を演じたシロウがパーティーを追放され、その後ソロとして活躍して無双すると、他のパーティーから追放されたエルフや魔族といった様々な追放少女が集まり、いつの間にかハーレムパーティーを結成している物語!

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜

のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、 偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。 水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは―― 古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。 村を立て直し、仲間と絆を築きながら、 やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。 辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、 静かに進む策略と復讐の物語。

処理中です...