BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

41.ルメロ殿下

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「おい、そこの亜人。今の言葉をもう一度言ってみろ」
「い、いや。俺は何も……」
「あ? 俺にはゴブリンがどうこうとか言っていたように聞こえたが」

 そう言って剣を抜いた兵士が、レミの仲間だと思われる亜人の集団へと近付いていく。
 ただ、兵士が詰問している相手はさきほど先頭に立って言い争っていた亜人ではなく、後ろに隠れている亜人のようだ。
 どうやらその亜人が集団の中に隠れて兵士の癇に触るようなことを言ったらしい。おそらく侮蔑的な言葉でも口にしたのだろう。
 激高した兵士が腰の剣を抜いたことにより、その場は一瞬で凍り付いた空気になり、周りに居たほかの亜人たちが少しずつ後ずさりする様子が見られた。

「ゴルドンさん……」

 と、俺のすぐそばに居たレミからそんな呟きが聞こえてくる。

「そのゴルドンってのはどっちのほうだ? 先頭に立って兵士と話していた男性か? それとも後ろに隠れているほうか?」
「その……後ろのほうに居る方です」
「先頭に居たほうは皆を代表して話していたようだが、普段からそういう立場だったとか?」
「はい。マルカさんは白狼族のまとめ役みたいな感じですね」
「なるほどな」

 俺とレミがそんな会話を交わしている間にも、眼前に見える状況は切迫している様子があった。 
 関係のない亜人がじりじりと後退していったため、シリィとゴルドン、マルカの3人だけがその場に取り残され、周囲から浮き彫りになる。そして、その場所へと剣を持った兵士がゆっくり近付いていく光景が俺の目には映っていた。

「お、俺はそんなこと言ってねえ。いや、その……そんなことは言っておりません」
「嘘を吐くな! 元はゴブリンだったくせに偉ぶりやがってと言っていたのを、俺はしっかりとこの耳で聞いたからな」

 兵士のその言葉に、ブンブンと首を横へ振るゴルドン。
 多少距離があったので俺には聞こえなかったが、近くに居たシリィの苦々しい表情を見るかぎりでは、その兵士がデタラメを言ってイチャモンをつけているわけでもなさそうな感じ。
 その証拠に、すぐさまマルカがその場へと這いつくばると、兵士に対して許しを請い始めていた。

「申し訳ございません。長旅の疲れと先行きへの不安から、皆少しばかり感情的になっているのかと。この者にはあとで良く言い聞かせておきますゆえ、今回ばかりは何卒お許し下さい」
「ふーん。感情的になってつい口が滑った、と」
「いえ、そういうことではなく……」
「あのな、お前ら亜人が陰でなんて言っているのかなんて、こちとら承知の上なんだ。お前ら亜人からすると、人間ってのはゴブリンがたまたま進化しただけなんだってな」
「……っ! けっしてそのようなことは」

 伏せたままの状態で兵士に謝罪し、必死にこの場を取り繕うとするマルカ。
 だが、その謝罪を兵士が受け入れる様子もなく、つかつかとゴルドンのほうへと歩み寄っていく。
 ただ、その様子を傍観していた俺たちと目が合うと、一旦後ろを振り返り、ほかの兵士に話しかけていた。

「ロイド隊長、やってもよろしいですか?」
「そうだな。アンドリュース伯爵様から、グラン領内の風紀を保つために何人か見せしめに切り捨ててよいとのお許しはいただいてある。仕方あるまい」
「というわけだ。大人しくしとけば、命までは無くさなかったのにな」
「だが、ほどほどにしておけよ」
「ええ、わかっています。あまりやり過ぎると、こっちもあとで死体の片付けが面倒になるだけなので」

 ロイド隊長と呼ばれた男とさきほどの兵士が俺たちにも聞こえるような声でそんなことを言っていた。
 ただ、このやり取り自体、ジェネットの外からやってきた何者かもわからない俺たちに対しての外聞を憚っただけで、亜人以外に誰も居なかったら問答無用で切り捨てていたのかも知れない。
 そう思えるほど、ふたりのやり取りが俺には白々しく聞こえていた。

「お待ちを! 何卒、何卒ご慈悲を! 目障りならば、我らはこの場からすぐに立ち去りますので」
「慈悲ねえ……。だが、それもそうかも知れねえな。たとえ汝の敵であろうと慈悲を示せとイシュテオール様も仰せられているからな」
「では――」
「ああ。あまり苦しまないよう一刀のもとに斬り伏せてやるさ」

 そう言って兵士が剣を大上段に振りかぶると、腰を抜かして動けなくなったらしいゴルドンに向かって振り下ろしていた。

「がああっ!!!」

 静まり返ったその場に痛ましい叫びが響く。
 その叫びとともに、周囲には真っ赤な鮮血が飛び散っていた。
 
 が、斬られたのはゴルドンではなく、ゴルドンを庇うように兵士との間に割って入った別の亜人だった。

「きゃああああああ」
「マルカ!」

 その光景に白狼族の集団からは悲鳴が上がり、倒れたマルカの元へ慌てて駆け寄るシリィの姿が見える。
 俺のすぐそばでは、ラウフローラがレミとプッチを自分の元に引き寄せ、その光景を見せないようにしていたが、さすがに亜人たちの悲鳴までは消せない。
 小刻みに震えているプッチの姿からしても、幼いプッチにも何が起きたのかわかったみたいだ。

 ただ、遠目に見たかぎりでは致命傷には至らなかったように思える。
 本来であれば腰を抜かしたゴルドンに対して振り下ろされていたはずの剣。
 確かに肩に当たった刃がマルカの皮膚を斜めに斬り裂いていたが、出血量から見ても傷はそこまで深くなさそうな感じがする。おそらく急に間合いが変わったことで、しっかりと力がかからなかったのだろう。
 といっても、あくまで今すぐ命に別条がないというだけで、けっこうな傷であることには違いなさそうだが。

 ただ――、

「どうやらお前から死にたいみたいだな」
「待って。悪口を言ったのはそこのゴルドンで、マルカのほうは何も言っちゃあいないんだ」
「そんなことはわかっている。だがな、最初に連帯責任だと言ったはずだぞ。むろん、そっちのやつにもきちんと責任を取って死んでもらうから安心するといい」
「そんな……。頼むよ、何でもあんたらの言うとおりにするからさ。お願いだから見逃しておくれよ」
「女。邪魔だてするようなら、お前も同じ目に遭うことになるぞ」
「ぐっ……大丈夫だ。シリィ、お前は後ろに下がっていろ」
「何言ってんだ、マルカ。その傷のどこが大丈夫だってんだい」
「うっ、うう……シリィ。頼むからこれ以上、騒ぎを大きくしないでくれ。そ、それと万が一のときは……皆のことを、た、頼む」
「マルカ……」

 ――兵士のほうには蛮行を止める気がまったくない様子。

 いくら武器を持っていないとはいえ、近くには300人前後の亜人の仲間が居る。
 そいつらに一斉に襲い掛かられたら、城門前に居る兵士だけでは防ぎようがないはずだ。
 だが、そんな事態にはけっしてならないとでも考えているのか、兵士にはまるで気にした様子がなかった。

「どうする、兄さん?」

 ふとラウフローラが俺にそんなことを尋ねてくる。
 そのラウフローラの言葉が兵士の行動を止めに入るかという意味だということは俺にもすぐに理解できた。
 ただ、他国の冒険者に過ぎない俺の言葉をマガルムークの兵士が聞き入るはずもなく、要らぬ軋轢《あつれき》を生むだけだろう。
 にもかかわらずラウフローラがそんなことを聞いてきたということは、何らかの騒ぎを起こすか、武力を用いてでも無理やり止めに入るかということを聞きたかったのだろう。

 ラウフローラと付近に隠れているアケイオスのふたりで協力すれば、城門前の兵士どころか、ジェネットの町全体を制圧することも容易いはずだ。
 その行動の結果どうなるかはさておき、可能か不可能かで言えば可能だろう。
 俺とラウフローラは顔を変えているので、暴れるだけ暴れて逃げ出せばいいだけ。
 のちのちになって、マガルムークの兵士たちがエルセリアから来たという冒険者を血眼になって探したところで、そんなやつはどこにも居ないという寸法だ。
 その場合、ラァラや白狼族の連中も一緒に連れて逃げ出さなければならないだろうが。

「可哀そうだが、ここは黙って成り行きを見守ったほうがいいかもな」

 現在目の前で行われている行為があまりにも一方的で非道だとは思っていたし、俺が亜人たちに対して多少同情的だったことは確かだ。
 あらぬ疑いをかけられ村を追われたり、日常的に差別を受けている様子を知った俺がそんな感情を抱くのはそこまでおかしな話でもないはず。

 だが、そこに至るまでにどういう歴史や経緯があって、人間と亜人との間に対立が起きたのか詳しく知らないくせに、一方に肩入れするのはあまりにも浅慮過ぎる。
 この世界の人間と敵対しないような形で、亜人のほうに肩入れするという話ならまだしも、現時点で無闇矢鱈に敵を作るような真似は避けたいところだ。
 当然、ラウフローラもそんなことは承知のはずで、一応確認のために聞いただけだとは思うが。

「どうにか、あの兵士の気が変わってくれればいいのだけれど……」

 厳しい身分制度のある社会だ。一般市民にはどうしようもないこともある。
 ラァラも目の前の状況をどうすることもできないようで、悲痛な面持ちを浮かべて言葉少なにそう呟いただけだった。

 が、そのとき。
 どこからか兵士たちを詰問するような声が聞こえてくる。

「貴様ら、そこでいったい何をしておる!」
「ん? なんだあ?」

 その声の持ち主に、その場に居た全員の視線が一斉に集まっていた。

「ル、ルメロ殿下! あ、いや。これはその……」

  後ろを振り向いて声がしたほうを確認した途端、慌てた様子で居住まいを正し始めるロイド。
 ただ、ロイドがルメロ殿下と呼んだのは詰問した男性ではなく、どうやらもうひとりの若い男性のほうらしかった。
 ほかの兵士も同じようにすぐさま直立不動の姿勢を取り、殿下と呼ばれた男に向かって敬礼する姿が見える。

 マルカに剣を向けていた当の兵士ですら、すぐに剣を仕舞い直して居住まいを正していたぐらいだ。
 怒声を発した男の隣に佇んでいる若い男性が、かなりの身分の人物であることは間違いない。
 そもそも殿下というのは一般的に王族に対して用いられる呼称のはず。まあ、翻訳の精度の問題で、殿下という言葉自体に齟齬がある可能性もなくはないが。
 ただ、王族がこんな場所に居るという情報を掴んでいない俺にとってはまったくといっていいほど寝耳に水の話。
 第2王子シアードのように運よく難を逃れた王族の生き残りは、マガルムーク北東部に位置するスウェイン領を頼り、そこに一時的な拠点を構えているという話だったからだ。

「ラァラ、あれが誰なのか見当が付くか?」
「いいえ。殿下なんて呼ばれるようなお方と接する機会なんて私のような平民にはないもの。この国の王様ですら、近くでお顔を拝見したことがないぐらいだから」
「それじゃあ、王族がここグラン領に身を寄せているとか、そういった類いの話を聞いたことは?」
「そもそもルメロ殿下というお名前に心当たりがまったくないのよね。大きな声では言えないけど、私がディーディーと一緒でこの国の生まれではないことも関係しているとは思うけれど」
「ああ、そうだったな。ラァラなら何か知っているかと思い、ちょっと聞いてみただけだ」

 色々な場所を旅しているラァラのことだ。何らかの情報を得ているかも知れないと期待したのだが。
 さすがに王族や貴族なんかに知り合いは居ないか。

 俺とラァラがそんな会話を交わしている間に、ルメロは護衛らしい男を引き連れて兵士たちのすぐそばまでやって来ていた。

「ここの責任者は君かね? 何があってこういう状況になったのか、詳しく話してもらおうか」
「はっ、ルメロ殿下! 我々が城壁内に入る人間の検問をしていたところ、入場に制限があることを不満に思った一部の亜人が突如暴れ始めまして。こちらの言うことを聞かずに抵抗してきたため、已む無く制圧したという次第であります!」
「なるほど」
「う、嘘だ! 俺たちは暴れてなんかいねえ! そいつらが一方的にこんな酷いことをしてきやがったんだ」
「黙れ、この野郎っ!」

 多少なりとも話の通じる相手が来たと思ったのか、咄嗟に申し立て始めたゴルドンの身体を、近くに居た兵士が思いっきり蹴り上げる。
 だが、その行為を見ていたルメロのほうは眉をひそめただけで、乱暴を働いた兵士に対して何か言おうとはしなかった。

「こう言っているようだけど?」
「私の言葉は信用していただけず、亜人などの言葉を信用なされるのですか?」
「そういうわけではないけど、どうも最近、門衛が少しばかり職務に忠実過ぎるのではないかという話を耳にしたのでね」
「我々が職務に忠実なことに何か問題でも?」
「亜人といえどマガルムークの民草に変わりあるまい。多少の手心を加えてもいいのではないかと思っただけさ」
「アンドリュース伯爵様から直々に、厳しく取り締まるよう厳命されております。いかに殿下といえど、伯爵様の為さりように水を差すような真似はお控えになられたほうがよろしいかと」
「貴様! 殿下に対して何たる言い草か!」

 ロイドのその言葉に、後ろに控えていたルメロの護衛らしい人物が激高した様子で叫ぶ。
 だが、ルメロのほうは飄々とした様子で護衛を手で制して止めると、ロイドに向かって言葉を返していた。

「勘違いしないで欲しい。私としてもアンドリュース卿のやり方に異を唱えるつもりはないんだ。ただ、あまりにも厳しくし過ぎて、ここに居る亜人が逆賊の側に加担する気にでもなったらマズかろうと心配しているだけなのさ」
「亜人などちょっとでも裏切るような素振りをみせた瞬間、斬り捨ててしまえば問題ないかと」
「さすがにそれは乱暴過ぎやしないかねえ」
「はあはあ……お、お待ちを! 尊きお方に対して、わ、私のような卑しき者が……ぐっ……く、口を開くご無礼をお許し下さい」

 と、それまでシリィに支えられながらぜいぜいと苦し気な呼吸を繰り返していたマルカが声を発し、ルメロとロイドの会話に口を挟もうとする。

「貴様! 下賤な分際で!」
「構わないさ。言いたいことがあるのなら話だけでも聞こうじゃないか」
「ルメロ殿下! かような者の言葉などお耳に入れる必要などございません。亜人風情が分も弁えず、よくもまあ調子に乗りおって」
「まあまあ、ロイド隊長。あまりにもふざけたことを言うようなら、戯言だと思って聞き流すだけさ。それで、いったい何事だい?」
「か、感謝致します。さきほど、こちらの隊長様がおっしゃられていたとおり、我らの中の一部の者が、はあはあ……少しばかり暴走してしまい、無礼を働いたというのが此度の、て、顛末にございます」
「ほう」
「はあはあ……ただ、すべての責はリーダーであるこの私めにあるものと。私めのことは獄に繋げるなり、斬り捨てるなり……す、好きなようにしていただいて構いませんので、何卒ほかの者にはご慈悲を賜りたく」
「マルカ、あんた……」
「だそうだよ。ロイド隊長」
「むう……。初めからこやつらが今のように素直に従っておれば、こちらとしても手を出すような真似までしなかったのですが」
「そうだろうとも。亜人のように無知な民にはときに厳しく接する必要もあるが、けっして慈悲を忘れてはならぬというのが亡き父上から頂いたお言葉でね」
「ほほう、前王陛下のお言葉ですか。さすが含蓄がおありになるというか」
「うんうん。そこの亜人も、これ以上抵抗しないのなら許してやるというロイド隊長の慈悲深い言葉に、さぞや心を打たれたことだろうね」
「そのようなことは言っておりませ――」
「ん?」

 まるでその言葉を遮るように、満面の笑みでロイドに返すルメロ。
 ただ、その笑みにはそれ以上の口答えは許さないとでも言いたげな、おかしな迫力があった。

「いえ……そうですな。亜人どももようやく身の程を知った様子。これ以上、騒ぎ立てぬようなら今回のところは不問と致します」
「というわけだ。今のロイド隊長の言葉はしっかりとこのルメロが聞き届けたからね。今後亜人に対して不当に危害を加えようとする輩が現れた場合、厳罰に処すこともあるので皆も充分に注意してくれ」
「お、お待ちを、ルメロ殿下。私はそこまで言っておりませぬ。アンドリュース伯爵様に何の相談もせず、あまり勝手なことをおっしゃられては」
「卿には私のほうからあとで話しておく。そのことについて君のような立場の者が心配する必要などない。以上だ、わかったら持ち場に戻り給え!」
「うっ……」

 一刀両断に切って捨てるようなルメロの口調に、そのままピタリと押し黙ってしまうロイド。
 その顔はまだ文句を言いたげに多少強張っていたが、さすがに相手が悪いのだろう。それ以上言い返すような真似は諦めた様子で、すごすごとその場を後にしていた。

 と、そんなロイドのことなどもう目に入っていない様子のルメロが、突然こちらのほうを振り向く。

「で、その亜人の子供と君たちはいったいどんな関係なのかな?」

 そんなことを言いながらニコニコとこちらへ近付いてくるルメロ。
 そんなルメロの様子を見て、俺は少しばかり面倒なことになりそうだと口の端を歪ませていた。
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