BYOND A WORLD

四葉八朔

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第1章

71.深い霧の中で

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 ◆

「あの野郎。いつまで待たせんだよ」

 マガルムーク北部へと続く、街道と呼べるかは甚だ疑問な一本道。
 そこは単に通行人が踏み均した結果偶然作られた道でしかなかった。
 だが、マガルムーク北部にある王都ドガまでほぼ真っすぐと伸びており、迷うことなく王都ドガまでたどり着ける交通の要であることも間違っていない。
 そういったわけで本来であれば人の往来もけっして少なくないはず。

 ただし、つい先日まで戦場だった場所を通ることにもなる。
 戦乱のさなか、その街道を北上しようとする人間は珍しく、現在は人通りが少ないのも当然のことであるように思えた。
 商人たちでさえいまのところは王都ドガへの輸送を控えているぐらいだ。
 ここに居る亜人たちも、ほかに行く当てがなかったせいで王都に向かっているだけで、足取りが重そうに見えるのも無理からぬ話だった。
 それに、あらかたの人間はもう避難済みなのか。北から南へ下ろうとする避難民の姿もほとんど見かけなかった。

「案外、戦争に行くのが嫌で逃げ出したのでは?」
「あいつはマクシミリアン侯爵への手土産に、道中に存在する村々の様子を観察しにいくと言って出掛けたんだぞ。それなのに急に怖気付いたって言うのか?」
「だがよお。昨晩、ミルの村の様子を見てくると言って出ていったままそれっきりじゃねえか。さすがに帰ってきてもいい頃合いのはずだろ?」
「ちっ、ジータのやつ。一晩中いったい何してやがんだ」
「なあなあ。今ふと思ったんだが、この辺はまだシアード王子の勢力下なんだよな。もしかして官憲に捕まったんじゃねえか? 亜人の一部がマクシミリアン侯爵に味方しているっていうのは周知の事実なんだ。ジータのことを密偵か何かだと勘違いしてもおかしくねえ」

 ジータは密偵まがいのことをしにミルの村へ向かったはずなのに、その亜人はまるで相手が勝手に勘違いしたとでも言いたげな様子。
 亜人という種族のせいで謂れのない罪を着せられているとでも言わんばかりに、激しく口元を尖らせていた。

「言われてみれば、確かにその可能性はあるな」
「どうするよ、ゴルドン? 本当に捕まっていたら助けるのは難しいかも知れないが、一応遠くからでも覗きに行ってみるか?」
「うーむ。この中にミルの村出身のやつは?」
「たしか居ないはずだぜ」
「そうか。かといって、仲間をこのまま黙って見捨てるわけにもいかねえ。何人か俺に付いてこい。様子を見に行くぞ」

 そう言って周りに居た亜人を引き連れ、ミルの村がある方向に向かって歩き始めるゴルドン。
 その場に残った亜人たちからすれば、さぞや仲間想いの言葉に聞こえたことだろう。
 が、ゴルドンとしては今使える手駒が減るのは困るというだけだ。
 特にジータはゴルドンのことを兄貴と慕っており、ゴルドンのことをもり立ててくれる貴重な存在。あっさりと手放してしまうには惜しい人材だった。

「俺たちはどうすればいいんだ?」 
「さあな。ゴルドンが帰ってくるのを待つしかあんめえ。というか、ランガの姿も見当たらないよな? まさかランガのやつまでジータに付いていったのか?」
「いや。さっきベンのやつに聞いたら、ランガは気付いたら姿が消えていたっていう話だ。あいつは図体のわりに臆病だからな。それこそ逃げ出したのかも知れん」
「まじか。俺はそのランガに誘われて、こっちのグループに合流したんだが……」
「え? お前もか?」
「そう言うってことはお前もかよ。ジェネットの町に避難していたとき、ゼウルって野郎と喧嘩になったことがあってな。その仲裁にランガのやつが現れたってわけよ。そのことが切っ掛けで仲良くなったんだが」
「俺っちの場合は賭け事をしていて気が合ったって感じだな。結局はお前と同じようにランガに誘われてゴルドンに付いていくことになったけどな」

 ジータだけでなく、ランガも居なくなったと聞いて、その場に残った亜人たちが騒ぎ始める。

「お前はどうなんだよ。ブルース」
「俺はジータに誘われた口だな。ジータのやつ、どこからかラーヴァ酒を調達する手段を持っていたらしくてな。ちょくちょく酒を恵んでもらっていたのさ」
「まじか。こんな状況でよくまあ酒なんか手に入れられたもんだな」
「ああ、本当にどこから手に入れてきたのか。聞いてもまったく教えてくれねえんだからよお。俺以外にも何人かジータに酒をたかっていたみたいだしな」
「というかよお、どうやらここに集まった連中の大半はジータかランガのどちらかに声をかけられたって話らしいな。寄りにも寄って、そのふたりがぷっつり行方を眩ませちまったんだからよお」
「どうするよ、お前ら。もしふたりが居なくなっちまっても、このままゴルドンの兄貴に付いていくつもりか?」
「そうするしかねえだろ。今更どの面下げてイオス様のところへ戻るっていうんだ。そもそも、あっちはもうとっくにどこか違う場所へ行っちまってるだろうが」
「だけど、俺はゴルドンの兄貴の言う戦争に参加するってのがどうしてもなあ。何となく雰囲気に流されてここまで付いてきちまったけど……」
「実をいうと俺もなんだわ。臆病なランガですら戦争に参加する気になったっていうのに、ここで俺が尻込みすんのもどうなんだってな」

 このとき亜人たちの顔に現れていた感情は、不満というより不安だろう。
 ゴルドンに付いてきたはいいが、戦争に参加する気はない。ジータやランガを始め、周りのやつらがゴルドンに付いていくと言ったので自分も――そういう亜人が多そうな様子。
 その場に残された亜人たちの顔には、この先本当にゴルドンに付いていって大丈夫なのかどうか、迷っている様子がありありと浮かんでいた。

 ◆

 ジータとランガの姿がないとゴルドンたちが気付く半日ほど前の話。
 ミルの町から南に下った先にある森と、大断崖地帯の堺に位置する廃墟では、すっぽりとすべてを覆い隠すような深い霧の中に、薄っすらと3つの影が揺れ動いていた。

 どうやらその3つの影は地面から何かを持ち上げ、どこかへ運ぼうとしているらしい。
 よく見れば3つの影のうちのひとつはアケイオスらしく、運ばれているのは黄虎族のシリィのようだった。
 おそらく薬で眠らされているのだろう。
 まるで荷物のように運ばれているというのにシリィは身じろぎもせず、すぐ近くに停めてあった貨物輸送船の中へと運ばれていく。
 
 だが、残りのふたつの影は途中でゴルドンと一緒に離脱し、この場に居るはずがないジータとランガの姿だった。

「ゴルドンたちを戦争に誘導するのは、少しだけやり過ぎだったのではないか?」

 貨物輸送船から戻ってきたアケイオスが、軽々と別の亜人の身体を持ち上げながら、ジータに話しかける。
 ただ、そのジータの口から聞こえてきたのは明らかに女性の声だった。

『レッドの判断よ。“ゴルドンに戦争に参加する度胸なんかないはずだ。今は気が大きくなって調子に乗っているだけだろうよ。いざとなれば引き返すに決まっているさ。仮に俺の予想が外れてあいつらが戦争に参加したとしても、そこまで面倒見るつもりはない。今は不穏分子を排除するほうが優先だからな”ですって』
「了解した。レッドがそう判断したのなら異論はない。ウーラ、隠れ里のほうの準備は?」
『万全よ。予定外に大規模になってしまったけれど、のちのち人を増やすことを考えれば先に拡張しておいたほうが正解でしょうね。それと隠れ里を囲うように侵入防止用の結界も設置しておいたわ。あとは港町ポートラルゴ北の港湾建設予定地まで地下輸送路を繋げるだけ。といっても、隠れ里付近はすでに完成済みよ。ポートラルゴ方面がまだどうなるか決まっていないので、今のところ手付かずってだけ』
「結界か。こうしてまったく違う場所まで誘導したのだ。隠れ里の位置が露見する可能性は極めて低いように思うが?」
『外部からの侵入だけでなく、内部の人間の行動を制限するためでもあるわ。亜人たちが裏切らないという確証が持てるまでは隠れ里から外に出さないそうよ』
「ふむ。やはりある程度まで亜人たちにバラしてしまうということか?」
『ええ、そうね。この世界のレベルに合わせて畜産や農業をやらせても意味がないもの。もちろん古代文明の技術や魔導具という形で誤魔化すつもりだけど』
「そのほうがこいつらのためにもなるな。それでエルセリア王国の使者との話し合いのほうは?」
『好感触ってところかしら。いずれにせよジークバード伯爵がこの話に乗り気である以上、さしたる障害にはならないと思っていいでしょうね。我々が想定していたより、ジークバード伯爵の中央への影響力が大きいみたいだし』

 そんな会話が交わされている最中も、アケイオス、ジータ、ランガの3人が黙々と亜人を貨物輸送船の中に運んでいく。
 むろんこの人工の霧が晴れないかぎり、亜人たちが覚醒することはない。
 明日の朝、亜人たちが目覚めたときには、こことはまったく違う隠れ里の風景が目に映っているという寸法だった。

「何とかこの便で全員輸送できそうだな」
『意識があればかなり窮屈な想いをしたでしょうけどね。まあ、ちょっとだけ我慢してもらいましょう』
「ジータとランガはこれでお役御免か?」
『ええ。自動機械にまだ余裕があるとはいえ、ポートラルゴのほうでこれからたくさん使用することになりそうだからね。隠れ里であなたと亜人たちを降ろしたあと、格納庫で別人になって戻ってくることにするわ』
「承知した」

 亜人たち全員を運んだあと、亜人たちの所持していた荷物も一緒に貨物室に詰め込んでいくアケイオスたち。
 そうはいってもたいした量でもない。食料以外はそれぞれ最低限の荷物しか持っていなかったからだ。
 しばらくすると、最初からその場には何もなかったかのように跡形もなく消えてなくなっていた。

 最後に3人も貨物輸送船の中に乗り込む。
 と同時に後部ハッチが閉まり、深い霧の中を貨物輸送船が静かに浮上していった。

 ◆

「姉ちゃん……」

 目をこすりながら起き上がったプッチが、姉であるレミの身体を両手で揺すり始める。
 その小さな瞳に映っていた景色に、プッチは口をぽかんと開き驚きの表情を浮かべたままだった。

「う、うーん。プッチ、もうちょっとだけ……」

 プッチに身体を揺すられたレミが寝ぼけた頭のまま空返事をする。
 昨晩いつの間に眠ったのかレミは覚えていなかった。が、久しぶりにぐっすり眠った気がする。ここまでの道中、寒さのせいでなかなか寝付けず、そのたびにプッチに抱き付いてブルブルと震えていたからだ。
 今朝はそんなこともなく、まるで春の日差しのような暖かさをレミは感じていた。

「姉ちゃん、おうちがいっぱいあるよ」
「そりゃおうちぐらいあるでしょ」
「それにお水が噴き出てる」
「それならお水がたくさん飲めるわね」
「あっちにはお城も見えるよ」
「ふーん、そう。廃墟じゃなく、お城ねえ……。え?」

 プッチのその言葉に昨晩どこで眠りに付いたのかをようやく思い出すレミ。
 青い芝生の上でガバっと起き上がるなり、その視界に入ってきたものはあり得ない光景だった。

「何これ?」

 まず目に入ってきたのは石で出来ていると思われる真っ直ぐで広い道。
 石畳で出来た道ならレミだってまったく見たことがないわけじゃない。といっても長さ数十メートルほどの限定的なものだったが。
 ここまで綺麗で真っ直ぐに整った長い道をレミはこれまで一度も見たことがなかった。
 その道は遥か向こうのほうまで繋がっている様子で、レミの目には終わりがまったく見えなかったほど。

 その道と交差するようにもう1本道が左右へと通っている。
 その両脇には、木造の立派な建物がいくつも並んでおり、ここが街の中であることに気付く。
 ただし、その一軒一軒がレミたちが住んでいたウォルボーの村の村長が住んでいた屋敷と同じぐらいかそれ以上の大きさだろう。
 それに整然とした町並みだ。
 魔物騒動の折に城壁の中で見たジェネットの町並みよりも、こちらのほうが断然綺麗で立派なようにレミには思えた。

 いったいこんな立派なお屋敷に誰が住んでいるのだろうか?
 もしかしてお貴族様のお屋敷がある地区に迷い込んでしまったのではないのかと少しだけ不安になるレミ。

 交差した道の真ん中には噴水もあり、その上部から勢いよく噴出した水が孤を描いて落下し、水面にキラキラと水しぶきが舞い上がっていた。
 王都ドガに噴水というものがあると人伝に聞いていたのでレミも知識としては知っていたが、実際に目にするのはこれが初めて。
 この近くに住めればわざわざ川まで水を汲みに行かなくても済むのに――レミは今にも飛び出していきそうなプッチの身体をぎゅうっと抱きかかえながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

「皆、起きろ。大変だ!」

 と、どこからともなくそんな声が聞こえてくる。
 仲間の亜人の声だ。
 その声にどうやら眠っていた亜人たちも次々と目を覚ましていった様子で、ここはいったいどこなんだと騒ぎ始める声がそこかしこで重なっていた。

 レミもその騒ぎにつられ周囲を見渡すと、自分も含めて皆が広場のようなひらけた場所に居ることに気付く。
 そして背後に見えるのは一際大きな石造りの二階建ての建物。おそらくプッチがお城だと勘違いした屋敷だろう。
 どうやら今居る場所はその屋敷の庭のようで、350人もの亜人が悠々と収容できるほどの広さだった。

 と、その屋敷の中から姿を現し、こちらへと歩いてくる3人組の姿が見える。
 先頭を歩いているのがイオス様だということはレミもすぐに気付いた。が、残りのふたりはこれまでに一度も見たことがない顔だ。しかもそのうちのひとりはどうやら人間の女性らしい。

 ともあれイオスが現れたことにより亜人たちは少しだけほっとしたらしく、その場に跪いて頭を下げ始める。
 その様子に倣ってレミとプッチも頭を下げていた。
 皆、今置かれている状況がどういうことなのかまるでわからず、イオスの発する言葉を黙って待つしかなかったからだ。

「皆、よく来たな。この場所がこの先お前たちの安住の地となる隠れ里エルシオンだ」
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