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5 猫殺し
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明るく楽しいハズの夕餉は通夜のように静まり返っている。
テレビから聞こえる笑い声と、箸と茶碗のぶつかる音だけが静かに響く。
「おかわり……やっぱ、自分で入れる」
沈んだ美子への働きかけとしておかわりを要求しかけたミサキだったが、悲壮感ただよう母に用事を押しつけることに気付いて、自分でよそいに立つ。
(暗い……!)
意味もなく大声を出してやろうか、とミサキは思った。
こうなった原因は分かっている。
2週間ほど前から、美子がパートの帰りに猫の世話をしているというのは本人から聞いている。
家事に支障なく、金銭的にも負担にならない範囲で――と言い訳っぽく説明されたが、ミサキには特に反対する理由はなかった。
むしろ動物の命を粗末にしないという母のスタンスは好きだったし、そもそもそんな母に育てられたワケだから、嫌悪感を持つハズがなかった。
「何かあったのか?」
幸治がミサキに耳打ちした。
「さあ……」
彼女は知らないふりを振った。
いわゆる地域猫活動と呼ばれるものだとミサキは知ったのだが、幸治にはこの件は伏せていた。
彼は生粋の動物嫌いだったから、妻がそんな活動をしていると分かれば、いい顔はしないと思ったのだ。
実際、小動物の類は画面越しに観るのも駄目なようで、その種の番組が始まると視線を逸らしているのを彼女は知っている。
「きっと調子が悪いんだよ」
言ってから、自分はウソはついていないとミサキは自分に言い聞かせる。
帰宅した美子がひどく憔悴しているのを見てとったミサキは、それとなく理由を訊ねた。
はじめこそ言葉を濁していた美子だが、隠すことにもいくらか疲れていた彼女は起こったことをそのまま伝えた。
「殺されたらしいの。残酷なやり方で」
彼女がこの事実を知ったのは、及川奈緒を通してだった。
三日坊主で終わると思っていた美子が活動を続けていることで奈緒も見直し、それなりに親しい付き合いができるようになっていた。
そうした矢先での出来事だっただけに、美子にはショックが大きかった。
「虐待ってことだよね、それ」
静かに憤るミサキに、美子は頷いた。
しかしこれは控えめな表現だ。
「なんでそんな残酷なことができるの?」
「猫が嫌いな人とか……そういうことをする人も世の中にはいるのよ」
そう珍しい話ではない。
報道されているものだけでも、何匹も虐待した末に殺したという輩もいれば、里親を名乗って殺すために保護された猫を引き取る者もいる。
その方法もさまざまで、床に叩きつけるとか四肢をはさみで切断するというものから、中毒を起こす食べ物や薬品を与えるというケースもある。
「犬や猫を虐待するような人はね、いつか動物じゃ満足できなくなって、最後は人間を手にかけるものなの。だからそうなる前に捕まえなくちゃいけないの」
美子が恐れるのはこれだった。
特に子どもが狙われる事件は後を絶たない。
抵抗されにくいか、たとえされても力の弱い小学生が標的にされることが多いが、中学生だって未成年という意味では同じだ。
ミサキはさして体格が良いほうでもないから、犯人に目をつけられる可能性もある。
「そういう問題じゃないじゃん」
だが当の娘は考え方が少し違った。
「人間に向かうからとか関係ないよ。それじゃ動物虐待はOKみたいに聞こえるんだけど?」
「どういうこと?」
「だからぁ、人間がどうかじゃなくて、虐待自体が駄目なワケでしょ? お母さんの言い方だと、人間を殺すのはNGだけど、動物までならOKってことになっちゃうんだよ」
「………………」
「じゃあ聞くけど。その動物虐待してる奴ってのがさ、絶対に人間には危害を加えません、って約束したら無罪? 百匹殺しても? 人間は一人も殺してないから許されんの?」
ミサキの言い分を彼女はすぐに理解できなかった。
前提として人間とそれ以外の動物を区別していたから、動物への殺傷がやがて人間に及ぶという考え方はできても、そもそも動物虐待の時点で人間に対してしたときと同じようには捉えられなかったのだ。
そういう発想が無かった、というほうが適切だ。
「人間と動物は違うから……」
「あたし、そういうの嫌いだな。なんか勝手な感じがする」
そこまで言われ、美子は自分が何を考えているのか分からなくなった。
公園で殺された猫の死骸が見つかったと聞いた時、彼女はたしかに痛ましいと思ったし、ショックも感じていた。
カラスに啄まれて死んだ仔猫に対しては後ろめたさが強かったが、こちらは人為的な死だったために多少の怒りも湧いていた。
だがその一方、どこかには人間でなくてよかった、という安堵もあった。
もっと言えば、その猫が普段、自分たちが世話をしている個体ではなかったことに胸を撫で下ろしたのも事実だった。
野良猫だからかわいそうだとか、面倒を見てやる、という独善的な考えばかりが先走り、立ち止まってみれば動物の命を軽視していたのではないか、と。
美子は思った。
及川奈緒はどう考えているのだろうか。
彼女はずっと前から活動していたが、始めた当初と今とでは違うのだろうか。
「そうね……ミサキの言うとおりかもしれないわね……」
初めて味わう娘との対立を避けたくて、美子は心にもないことを言った。
呉谷家の異変は幸治にとっても息苦しい。
美子はその日によって感情の波があったが、今日ほど極端に針が振れることはなかった。
何かよほどのことがあったのだろうと推察できるが、尋ねたところで妻も娘も答えてはくれない。
「知ってるんだろ?」
こういう時、ミサキが反抗期を迎えていなくてよかった、と思う。
美子がひそかにダイエットに励んでいた時も、結局失敗してヤケ食いし、元より体重が増えた時もミサキは教えてくれた。
それは自分ではどうにもできないから、お父さんが慰めてあげて、という母親想いのメッセージだった。
「よく分かんない」
これは教えてあげるわけにはいかない。
幸治は妻が密かに地域猫活動をしていること自体を知らないのだから、不要な諍いの種になりそうなのは、ミサキにも分かっていた。
「そうか……」
平時なら何かと気を揉み、妻の不安や悩みを取り除いてやるのだが、彼にもそこまでする精神のゆとりはない。
彼もまた、ある事態に直面していた。
最近、毎日のようにかかってくる電話がある。
要望や苦情のおかげでちいき課は成り立っていて、その声を無視することは課の存在意義を失くし、つまりは職を失うことになるから対応しないワケにはいかない。
が、少なくとも幸治にとっては頭の痛い問題だった。
〈東公園での猫への餌やりをやめさせろ〉
匿名の電話だが受けた音無によれば、70代くらいの男だという。
はじめこそ温厚な調子で相談という体だったが、日を経るにつれて語気が荒くなり、強い調子での要望、果ては要求に変わってきたという。
高圧的で攻撃的な口調に、彼女はすっかり怯えてしまった。
物言いが苛烈で電話をかけてくる時間帯もまちまちだったため、誰かが事務所にいるときは音無に代わって電話番を引き受ける始末だった。
面倒そうな事案で悪質クレーマーとして処理したいところだが、意見そのものは真っ当なものであるため、無下に扱うこともできない。
となると働きかけをしなければならないが、幸治は他者との摩擦が殊の外、苦手だった。
些細な口げんかさえ避ける傾向があり、意見がぶつかろうものなら、自分が正しいと思っていても引っ込めてしまう押しの弱さがある。
猫への餌やりというものがどういうものかを彼は知らないが、やめさせろということは、件の人と衝突するという意味になる。
問題の公園は以前、赤座と解決した注意書きの看板の件と同じ場所で、そのよしみでこの一件も幸治が引き受けることになりそうだった。
(田沢か野瀬にまかせよう。僕には荷が重すぎる)
目下の悩みは、如何にして回避するか、であった。
テレビから聞こえる笑い声と、箸と茶碗のぶつかる音だけが静かに響く。
「おかわり……やっぱ、自分で入れる」
沈んだ美子への働きかけとしておかわりを要求しかけたミサキだったが、悲壮感ただよう母に用事を押しつけることに気付いて、自分でよそいに立つ。
(暗い……!)
意味もなく大声を出してやろうか、とミサキは思った。
こうなった原因は分かっている。
2週間ほど前から、美子がパートの帰りに猫の世話をしているというのは本人から聞いている。
家事に支障なく、金銭的にも負担にならない範囲で――と言い訳っぽく説明されたが、ミサキには特に反対する理由はなかった。
むしろ動物の命を粗末にしないという母のスタンスは好きだったし、そもそもそんな母に育てられたワケだから、嫌悪感を持つハズがなかった。
「何かあったのか?」
幸治がミサキに耳打ちした。
「さあ……」
彼女は知らないふりを振った。
いわゆる地域猫活動と呼ばれるものだとミサキは知ったのだが、幸治にはこの件は伏せていた。
彼は生粋の動物嫌いだったから、妻がそんな活動をしていると分かれば、いい顔はしないと思ったのだ。
実際、小動物の類は画面越しに観るのも駄目なようで、その種の番組が始まると視線を逸らしているのを彼女は知っている。
「きっと調子が悪いんだよ」
言ってから、自分はウソはついていないとミサキは自分に言い聞かせる。
帰宅した美子がひどく憔悴しているのを見てとったミサキは、それとなく理由を訊ねた。
はじめこそ言葉を濁していた美子だが、隠すことにもいくらか疲れていた彼女は起こったことをそのまま伝えた。
「殺されたらしいの。残酷なやり方で」
彼女がこの事実を知ったのは、及川奈緒を通してだった。
三日坊主で終わると思っていた美子が活動を続けていることで奈緒も見直し、それなりに親しい付き合いができるようになっていた。
そうした矢先での出来事だっただけに、美子にはショックが大きかった。
「虐待ってことだよね、それ」
静かに憤るミサキに、美子は頷いた。
しかしこれは控えめな表現だ。
「なんでそんな残酷なことができるの?」
「猫が嫌いな人とか……そういうことをする人も世の中にはいるのよ」
そう珍しい話ではない。
報道されているものだけでも、何匹も虐待した末に殺したという輩もいれば、里親を名乗って殺すために保護された猫を引き取る者もいる。
その方法もさまざまで、床に叩きつけるとか四肢をはさみで切断するというものから、中毒を起こす食べ物や薬品を与えるというケースもある。
「犬や猫を虐待するような人はね、いつか動物じゃ満足できなくなって、最後は人間を手にかけるものなの。だからそうなる前に捕まえなくちゃいけないの」
美子が恐れるのはこれだった。
特に子どもが狙われる事件は後を絶たない。
抵抗されにくいか、たとえされても力の弱い小学生が標的にされることが多いが、中学生だって未成年という意味では同じだ。
ミサキはさして体格が良いほうでもないから、犯人に目をつけられる可能性もある。
「そういう問題じゃないじゃん」
だが当の娘は考え方が少し違った。
「人間に向かうからとか関係ないよ。それじゃ動物虐待はOKみたいに聞こえるんだけど?」
「どういうこと?」
「だからぁ、人間がどうかじゃなくて、虐待自体が駄目なワケでしょ? お母さんの言い方だと、人間を殺すのはNGだけど、動物までならOKってことになっちゃうんだよ」
「………………」
「じゃあ聞くけど。その動物虐待してる奴ってのがさ、絶対に人間には危害を加えません、って約束したら無罪? 百匹殺しても? 人間は一人も殺してないから許されんの?」
ミサキの言い分を彼女はすぐに理解できなかった。
前提として人間とそれ以外の動物を区別していたから、動物への殺傷がやがて人間に及ぶという考え方はできても、そもそも動物虐待の時点で人間に対してしたときと同じようには捉えられなかったのだ。
そういう発想が無かった、というほうが適切だ。
「人間と動物は違うから……」
「あたし、そういうの嫌いだな。なんか勝手な感じがする」
そこまで言われ、美子は自分が何を考えているのか分からなくなった。
公園で殺された猫の死骸が見つかったと聞いた時、彼女はたしかに痛ましいと思ったし、ショックも感じていた。
カラスに啄まれて死んだ仔猫に対しては後ろめたさが強かったが、こちらは人為的な死だったために多少の怒りも湧いていた。
だがその一方、どこかには人間でなくてよかった、という安堵もあった。
もっと言えば、その猫が普段、自分たちが世話をしている個体ではなかったことに胸を撫で下ろしたのも事実だった。
野良猫だからかわいそうだとか、面倒を見てやる、という独善的な考えばかりが先走り、立ち止まってみれば動物の命を軽視していたのではないか、と。
美子は思った。
及川奈緒はどう考えているのだろうか。
彼女はずっと前から活動していたが、始めた当初と今とでは違うのだろうか。
「そうね……ミサキの言うとおりかもしれないわね……」
初めて味わう娘との対立を避けたくて、美子は心にもないことを言った。
呉谷家の異変は幸治にとっても息苦しい。
美子はその日によって感情の波があったが、今日ほど極端に針が振れることはなかった。
何かよほどのことがあったのだろうと推察できるが、尋ねたところで妻も娘も答えてはくれない。
「知ってるんだろ?」
こういう時、ミサキが反抗期を迎えていなくてよかった、と思う。
美子がひそかにダイエットに励んでいた時も、結局失敗してヤケ食いし、元より体重が増えた時もミサキは教えてくれた。
それは自分ではどうにもできないから、お父さんが慰めてあげて、という母親想いのメッセージだった。
「よく分かんない」
これは教えてあげるわけにはいかない。
幸治は妻が密かに地域猫活動をしていること自体を知らないのだから、不要な諍いの種になりそうなのは、ミサキにも分かっていた。
「そうか……」
平時なら何かと気を揉み、妻の不安や悩みを取り除いてやるのだが、彼にもそこまでする精神のゆとりはない。
彼もまた、ある事態に直面していた。
最近、毎日のようにかかってくる電話がある。
要望や苦情のおかげでちいき課は成り立っていて、その声を無視することは課の存在意義を失くし、つまりは職を失うことになるから対応しないワケにはいかない。
が、少なくとも幸治にとっては頭の痛い問題だった。
〈東公園での猫への餌やりをやめさせろ〉
匿名の電話だが受けた音無によれば、70代くらいの男だという。
はじめこそ温厚な調子で相談という体だったが、日を経るにつれて語気が荒くなり、強い調子での要望、果ては要求に変わってきたという。
高圧的で攻撃的な口調に、彼女はすっかり怯えてしまった。
物言いが苛烈で電話をかけてくる時間帯もまちまちだったため、誰かが事務所にいるときは音無に代わって電話番を引き受ける始末だった。
面倒そうな事案で悪質クレーマーとして処理したいところだが、意見そのものは真っ当なものであるため、無下に扱うこともできない。
となると働きかけをしなければならないが、幸治は他者との摩擦が殊の外、苦手だった。
些細な口げんかさえ避ける傾向があり、意見がぶつかろうものなら、自分が正しいと思っていても引っ込めてしまう押しの弱さがある。
猫への餌やりというものがどういうものかを彼は知らないが、やめさせろということは、件の人と衝突するという意味になる。
問題の公園は以前、赤座と解決した注意書きの看板の件と同じ場所で、そのよしみでこの一件も幸治が引き受けることになりそうだった。
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