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第二章 聖教の黒炎、ドミニクの狂信
第26話:マルシャンの火刑とイザボーの絶望
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夜明けの薄明かりが、王都ボルドーの石畳を冷ややかに照らし始めた頃、中央広場には既に異様な熱気と、それとは裏腹の、息詰まるような恐怖の空気が渦巻いていた。
広場の中央には、前夜のうちに急ごしらえで組み上げられた、黒々とした不気味な火刑台が、まるで地獄の祭壇のように聳え立っている。その周囲を、聖堂騎士団の銀色の鎧と、レジナルド公爵配下の黒狼兵団の黒い鉄兜が、死神の群れのように、幾重にも取り囲み、厳重な警戒態勢を敷いていた。
どこからともなく、蟻のように王都の民衆が集まり始めていた。その顔には、野次馬的な好奇心、そして自分たちの無力さへの諦めが、複雑に混じり合って浮かんでいる。
「おい、本当にやるのか…? あの大商人マルシャン様を火炙りにするなんて…」
「静かにしろ! ドミニク審問官様に聞かれたら、お前だってどうなるか分からんぞ!」
「だが、マルシャン様が異端者だったなんて…にわかには信じられん…。あの方は、いつも貧しい者たちに施しをなさっていた慈悲深いお方だったはずだ…」
「いや、ドミニク審問官様は、神の聖なる代理人だ。あの方がそう仰せなら、間違いなどあるはずがないのだ…。我ら凡俗の民には、神の深遠なるお考えなど、到底理解できぬものよ…」
「恐ろしい…恐ろしいことだ…こんなことが許されるなら、明日は我が身かもしれぬ…誰が、いつ、異端者として告発されるか、分かったものではない…」
様々な憶測と不安、そして密告への恐怖が疫病のように囁き声となって広場を覆い、重苦しく、そして息苦しい空気がその場を支配していた。人々は、これから目の前で繰り広げられるであろう、血塗られた見世物にある種の倒錯した期待と、生理的な嫌悪感を抱きながら、固唾を飲んでその瞬間を待ち構えていた。
やがて、広場の片隅にある重い扉が軋むような音を立てて開かれた。そして、二人の屈強な聖堂騎士に両脇を固められ、家畜のように引きずられてくる一人の男の姿があった。
ジャン=ピエール・マルシャン。かつて王都ボルドーでその名を知らぬ者はいなかった。慈悲深く、そして敬虔な大商人。だが、今の彼の姿は、もはや人間の尊厳さえも奪われたかのような、無残で、痛ましいものだった。
鎖に繋がれたその体は、度重なる拷問によって骨と皮ばかりに痩せこけ、その顔には無数の痣と乾いた血の痕が生々しく残り、虚ろな瞳はもはや何の光も宿していない。彼は、聖堂騎士たちに引きずられながらも、時折、最後の力を振り絞って、周囲の民衆を見回し、何かを訴えようとするかのように、その乾いた唇を微かに動かしていた。
火刑台の上で、彼は太い柱に縛り付けられた。その瞬間、マルシャンは、まるで最後の力を振り絞るかのように、その虚ろだった瞳に、一瞬だけ理知的な光を取り戻した。そして、集まった民衆に向かって、そして天に向かって、その魂の底からの叫びを上げた。
「私は無実だあっ! 断じて、断じて異端者などではない! 私は生涯、全能なる創造主を敬い、聖教の聖なる教えを忠実に守り、そしてこの愛すべきアキテーヌの民を愛し、その繁栄のために、我が力の全てを尽くしてきたつもりだ! 私を異端者と断罪する者たちこそ、神の聖なる名を騙り、自らの卑しい欲望のために無実の人々を陥れる、偽善者であり、地獄から遣わされた悪魔の手先に他ならぬ!」
その声は嗄れてはいたが、聞く者の心を揺さぶるような、悲痛なまでの切実さに満ちていた。
「天にまします全能なる創造主よ! なぜ、このような不正と暴虐を、この地上にお許しになるのですか! このアキテーヌに、もはやあなたの正義の光は、一片たりとも届かないというのですか! …ああ、イザボーお嬢様…どうか…どうか、ご無事で…そして、いつか必ずや、このアキテーヌの暗く深い闇を…!」
その悲痛な叫びは、無情にも、近くにいた聖堂騎士の一人が振り下ろした槍の柄によって、鈍い音と共に強引に黙殺された。マルシャンの口からは、新たな血がどっと流れ落ち、その言葉はもはや意味を成さなかった。
その時、火刑台の前に、異端審問官ドミニク・ギルフォードがゆっくりと進み出てきた。その手には、血で汚れたかのような深紅の聖書が高々と掲げられ、その顔には、神が乗り移ったかのような狂信的な恍惚の表情が浮かんでいる。
「聞け! アキテーヌの民よ!」
ドミニクの声は、その場にいる全ての者の耳に、そして魂に、呪いのように響き渡った。
「今、汝らの目の前で、神の聖なる炎が、このアキテーヌの地に巣食う、忌まわしき異端の穢れを焼き尽くし、その汚れた魂を、永遠に慈悲深く送り届けんとしておるのだ! このジャン=ピエール・マルシャンなる男は、その莫大な富に驕り高ぶり、神を忘れ、あろうことか悪魔と契約を結び、この聖なる王国を呪詛し、我らが敬愛する国王ギヨーム陛下の暗殺までも企てた!万死に値する許されざる大罪人である!」
ドミニクのその狂信的なまでの自信に満ちた態度と、その瞳に宿る異常なまでの輝きは、恐怖に支配された一部の民衆の心を、いとも簡単に捉えてしまう。
「このような異端者を、この聖なる地に放置すれば、神の恐るべき怒りが、このアキテーヌ全土に下り、疫病が蔓延し、飢饉が訪れ、そして、古の伝承に語られる、あのヘルマーチャーのような忌まわしき災厄までもが、再びこの地に蘇るであろう! 我ら聖教は、神の聖なる代理人として、断固として異端を根絶し、このアキテーヌの地を、聖なる炎によって、完全に浄化する! 汝らもまた、自らの魂の救済のために、周囲に潜む異端の兆候を、決して見逃してはならぬ! 些細な疑いでも、我ら聖教に報告する義務があるのだ! さもなくば、汝らもまた、この哀れな男と同じ運命を辿り、永遠に続く地獄の苦しみをその身をもって味わうことになるであろうぞ!」
ドミニクのその言葉は、恐怖の呪文のように民衆の心に深く刻み込まれ、彼らを支配し、そして密告と不信という名の毒の種を、アキテーヌの隅々にまで容赦なく蒔き散らした。
一部の、恐怖に狂った狂信的な民衆は、獣のように叫び始めた。
「異端者を燃やせ!」
「神の正義を執行しろ!」「ドミニク審問官様万歳!」
その狂乱の叫びは、世界の終わりの合唱のように、不気味に広場に響き渡った。
*
ドミニクは、その民衆の熱狂的な反応に満足げに頷くと、サディスティックな悦びを隠しきれない表情で、火刑台の下にうず高く積み上げられた薪に松明の火を放つよう、傍らに控える聖堂騎士に合図を送った。
乾いた薪は、地獄の業火を待ち望んでいたかのように、瞬く間に激しく燃え上がり、黒々とした不吉な煙と共に、紅蓮の炎が天へと昇っていく。
炎は、マルシャンの体を容赦なく包み込み始めた。彼の肉が焦げるおぞましい音と、鼻を突く異臭が、広場に充満する。
マルシャンの、もはや人間のものではない、最後の、そして最も悲痛な絶叫が、王都ボルドーの鉛色の空に甲高く響き渡った。
集まった民衆の多くは、そのあまりの惨状に恐怖し、顔を覆い、あるいは目を背け、中にはその場で気を失う者さえいた。
しかし、その地獄のような光景から、決して目を逸らさず、恍惚としたどこか神々しいまでの法悦の表情を浮かべ、燃え盛る炎を、そして苦しみ悶えるマルシャンの姿を、一心に見つめている者がいた。異端審問官ドミニク・ギルフォード、その人である。
彼の目には、マルシャンのその想像を絶する苦しみは、罪深き魂が聖なる神の炎によって浄化され、神の絶対なる正義が、この地上に完璧に執行される、この上なく神聖で、そして美しい光景として映っていたのだ。彼の唇には薄気味悪い笑みが確かに浮かんでいた。彼は、この瞬間、自らが神そのものになったかのような、倒錯した全能感に酔いしれていた。
*
聖教の薄暗い地下牢。
イザボー・エレオノール・ド・ヴァロワは、遠く中央広場の方角から聞こえてくる、民衆の狂乱した喧騒と、時折その中に混じって響いてくる、聞き覚えのあるマルシャンの絶叫。そして風に乗って微かに漂ってくる、肉の焼けるおぞましい匂いに全身を恐怖で震わせていた。彼女は今、何が起こっているのかを痛いほど、そして残酷なまでに正確に理解していた。
やがて一人の冷酷な顔つきの牢番が、彼女の独房の前に立ち、面白い見世物でも見てきたかのように、嘲るような声で告げた。
「よう、ヴァロワの姫様よ。残念だったな。お前様が命がけで助けようとしていた、あの強欲な大商人マルシャンは、今頃地獄の炎で、それはそれは良い具合に、こんがりと焼かれている頃だろうよ。いやあ、なかなか見応えのある『ショー』だったぜ。次は、あんたの番かもしれんな。それとも、隣の独房で、ションベン漏らして泣き喚いている、あの色男のアルマン卿が先かな? ひゃひゃひゃ!」
牢番のその下衆な笑い声が、イザボーの鼓膜を不快に震わせた。
彼女は、その言葉を聞き、目の前が真っ暗になるような、底なしの絶望感に襲われた。
(マルシャン殿が…! あの優しかったマルシャン殿が、あんな惨たらしい、そして屈辱的な死に方を…!)
彼女の心の中では、摂政レジナルド・ド・ヴァランスと、異端審問官ドミニク・ギルフォードへの、制御できないほどの、激しく、そして暗い憎悪の炎が燃え盛っていた。それは、マルシャンの体を無慈悲に焼き尽くした現実の炎よりも、遥かに熱く、そして遥かに暗く救いのない炎だった。
(マルシャン殿…! あなたのその無念、このイザボーが、決して、決して忘れはしない…! レジナルド…ドミニク…そして、この狂った、救いのない世界…! 必ず、必ずやお前たちに血の代償を、それも何倍にもして払わせてみせる…! このヴァロワの全てを、この私の魂の全てを賭けて…!)
彼女の美しい紫色の瞳は、とめどなく溢れ出る涙で濡れていたが、その奥には、もはや人間的な感情を超越したかのような、氷のように冷たく、そして鋼のように硬質な、復讐の女神そのもののような、恐ろしいまでの光が宿っていた。
彼女はもはやただの悲劇のヒロインではない。彼女は、復讐の化身となることをその魂に固く誓ったのだ。
*
ジャン=ピエール・マルシャンの公開火刑は、王都ボルドーの民衆に計り知れないほどの恐怖と、そして聖教に対する、拭い去ることのできない深い不信感を植え付けた。異端審問官ドミニク・ギルフォードの狂信的な権威は、摂政レジナルド公爵という、より強大で冷酷な権力者の後ろ盾もあって、もはや誰にも止めることができない、恐るべき暴走機関車のように見えた。
地下牢に囚われたイザボー・エレオノール・ド・ヴァロワと、隣の独房で完全に正気を失いかけているアルマン・ド・モンフォール卿の運命もまた、風前の灯火のように、揺らめいていた。
広場の中央には、前夜のうちに急ごしらえで組み上げられた、黒々とした不気味な火刑台が、まるで地獄の祭壇のように聳え立っている。その周囲を、聖堂騎士団の銀色の鎧と、レジナルド公爵配下の黒狼兵団の黒い鉄兜が、死神の群れのように、幾重にも取り囲み、厳重な警戒態勢を敷いていた。
どこからともなく、蟻のように王都の民衆が集まり始めていた。その顔には、野次馬的な好奇心、そして自分たちの無力さへの諦めが、複雑に混じり合って浮かんでいる。
「おい、本当にやるのか…? あの大商人マルシャン様を火炙りにするなんて…」
「静かにしろ! ドミニク審問官様に聞かれたら、お前だってどうなるか分からんぞ!」
「だが、マルシャン様が異端者だったなんて…にわかには信じられん…。あの方は、いつも貧しい者たちに施しをなさっていた慈悲深いお方だったはずだ…」
「いや、ドミニク審問官様は、神の聖なる代理人だ。あの方がそう仰せなら、間違いなどあるはずがないのだ…。我ら凡俗の民には、神の深遠なるお考えなど、到底理解できぬものよ…」
「恐ろしい…恐ろしいことだ…こんなことが許されるなら、明日は我が身かもしれぬ…誰が、いつ、異端者として告発されるか、分かったものではない…」
様々な憶測と不安、そして密告への恐怖が疫病のように囁き声となって広場を覆い、重苦しく、そして息苦しい空気がその場を支配していた。人々は、これから目の前で繰り広げられるであろう、血塗られた見世物にある種の倒錯した期待と、生理的な嫌悪感を抱きながら、固唾を飲んでその瞬間を待ち構えていた。
やがて、広場の片隅にある重い扉が軋むような音を立てて開かれた。そして、二人の屈強な聖堂騎士に両脇を固められ、家畜のように引きずられてくる一人の男の姿があった。
ジャン=ピエール・マルシャン。かつて王都ボルドーでその名を知らぬ者はいなかった。慈悲深く、そして敬虔な大商人。だが、今の彼の姿は、もはや人間の尊厳さえも奪われたかのような、無残で、痛ましいものだった。
鎖に繋がれたその体は、度重なる拷問によって骨と皮ばかりに痩せこけ、その顔には無数の痣と乾いた血の痕が生々しく残り、虚ろな瞳はもはや何の光も宿していない。彼は、聖堂騎士たちに引きずられながらも、時折、最後の力を振り絞って、周囲の民衆を見回し、何かを訴えようとするかのように、その乾いた唇を微かに動かしていた。
火刑台の上で、彼は太い柱に縛り付けられた。その瞬間、マルシャンは、まるで最後の力を振り絞るかのように、その虚ろだった瞳に、一瞬だけ理知的な光を取り戻した。そして、集まった民衆に向かって、そして天に向かって、その魂の底からの叫びを上げた。
「私は無実だあっ! 断じて、断じて異端者などではない! 私は生涯、全能なる創造主を敬い、聖教の聖なる教えを忠実に守り、そしてこの愛すべきアキテーヌの民を愛し、その繁栄のために、我が力の全てを尽くしてきたつもりだ! 私を異端者と断罪する者たちこそ、神の聖なる名を騙り、自らの卑しい欲望のために無実の人々を陥れる、偽善者であり、地獄から遣わされた悪魔の手先に他ならぬ!」
その声は嗄れてはいたが、聞く者の心を揺さぶるような、悲痛なまでの切実さに満ちていた。
「天にまします全能なる創造主よ! なぜ、このような不正と暴虐を、この地上にお許しになるのですか! このアキテーヌに、もはやあなたの正義の光は、一片たりとも届かないというのですか! …ああ、イザボーお嬢様…どうか…どうか、ご無事で…そして、いつか必ずや、このアキテーヌの暗く深い闇を…!」
その悲痛な叫びは、無情にも、近くにいた聖堂騎士の一人が振り下ろした槍の柄によって、鈍い音と共に強引に黙殺された。マルシャンの口からは、新たな血がどっと流れ落ち、その言葉はもはや意味を成さなかった。
その時、火刑台の前に、異端審問官ドミニク・ギルフォードがゆっくりと進み出てきた。その手には、血で汚れたかのような深紅の聖書が高々と掲げられ、その顔には、神が乗り移ったかのような狂信的な恍惚の表情が浮かんでいる。
「聞け! アキテーヌの民よ!」
ドミニクの声は、その場にいる全ての者の耳に、そして魂に、呪いのように響き渡った。
「今、汝らの目の前で、神の聖なる炎が、このアキテーヌの地に巣食う、忌まわしき異端の穢れを焼き尽くし、その汚れた魂を、永遠に慈悲深く送り届けんとしておるのだ! このジャン=ピエール・マルシャンなる男は、その莫大な富に驕り高ぶり、神を忘れ、あろうことか悪魔と契約を結び、この聖なる王国を呪詛し、我らが敬愛する国王ギヨーム陛下の暗殺までも企てた!万死に値する許されざる大罪人である!」
ドミニクのその狂信的なまでの自信に満ちた態度と、その瞳に宿る異常なまでの輝きは、恐怖に支配された一部の民衆の心を、いとも簡単に捉えてしまう。
「このような異端者を、この聖なる地に放置すれば、神の恐るべき怒りが、このアキテーヌ全土に下り、疫病が蔓延し、飢饉が訪れ、そして、古の伝承に語られる、あのヘルマーチャーのような忌まわしき災厄までもが、再びこの地に蘇るであろう! 我ら聖教は、神の聖なる代理人として、断固として異端を根絶し、このアキテーヌの地を、聖なる炎によって、完全に浄化する! 汝らもまた、自らの魂の救済のために、周囲に潜む異端の兆候を、決して見逃してはならぬ! 些細な疑いでも、我ら聖教に報告する義務があるのだ! さもなくば、汝らもまた、この哀れな男と同じ運命を辿り、永遠に続く地獄の苦しみをその身をもって味わうことになるであろうぞ!」
ドミニクのその言葉は、恐怖の呪文のように民衆の心に深く刻み込まれ、彼らを支配し、そして密告と不信という名の毒の種を、アキテーヌの隅々にまで容赦なく蒔き散らした。
一部の、恐怖に狂った狂信的な民衆は、獣のように叫び始めた。
「異端者を燃やせ!」
「神の正義を執行しろ!」「ドミニク審問官様万歳!」
その狂乱の叫びは、世界の終わりの合唱のように、不気味に広場に響き渡った。
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ドミニクは、その民衆の熱狂的な反応に満足げに頷くと、サディスティックな悦びを隠しきれない表情で、火刑台の下にうず高く積み上げられた薪に松明の火を放つよう、傍らに控える聖堂騎士に合図を送った。
乾いた薪は、地獄の業火を待ち望んでいたかのように、瞬く間に激しく燃え上がり、黒々とした不吉な煙と共に、紅蓮の炎が天へと昇っていく。
炎は、マルシャンの体を容赦なく包み込み始めた。彼の肉が焦げるおぞましい音と、鼻を突く異臭が、広場に充満する。
マルシャンの、もはや人間のものではない、最後の、そして最も悲痛な絶叫が、王都ボルドーの鉛色の空に甲高く響き渡った。
集まった民衆の多くは、そのあまりの惨状に恐怖し、顔を覆い、あるいは目を背け、中にはその場で気を失う者さえいた。
しかし、その地獄のような光景から、決して目を逸らさず、恍惚としたどこか神々しいまでの法悦の表情を浮かべ、燃え盛る炎を、そして苦しみ悶えるマルシャンの姿を、一心に見つめている者がいた。異端審問官ドミニク・ギルフォード、その人である。
彼の目には、マルシャンのその想像を絶する苦しみは、罪深き魂が聖なる神の炎によって浄化され、神の絶対なる正義が、この地上に完璧に執行される、この上なく神聖で、そして美しい光景として映っていたのだ。彼の唇には薄気味悪い笑みが確かに浮かんでいた。彼は、この瞬間、自らが神そのものになったかのような、倒錯した全能感に酔いしれていた。
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聖教の薄暗い地下牢。
イザボー・エレオノール・ド・ヴァロワは、遠く中央広場の方角から聞こえてくる、民衆の狂乱した喧騒と、時折その中に混じって響いてくる、聞き覚えのあるマルシャンの絶叫。そして風に乗って微かに漂ってくる、肉の焼けるおぞましい匂いに全身を恐怖で震わせていた。彼女は今、何が起こっているのかを痛いほど、そして残酷なまでに正確に理解していた。
やがて一人の冷酷な顔つきの牢番が、彼女の独房の前に立ち、面白い見世物でも見てきたかのように、嘲るような声で告げた。
「よう、ヴァロワの姫様よ。残念だったな。お前様が命がけで助けようとしていた、あの強欲な大商人マルシャンは、今頃地獄の炎で、それはそれは良い具合に、こんがりと焼かれている頃だろうよ。いやあ、なかなか見応えのある『ショー』だったぜ。次は、あんたの番かもしれんな。それとも、隣の独房で、ションベン漏らして泣き喚いている、あの色男のアルマン卿が先かな? ひゃひゃひゃ!」
牢番のその下衆な笑い声が、イザボーの鼓膜を不快に震わせた。
彼女は、その言葉を聞き、目の前が真っ暗になるような、底なしの絶望感に襲われた。
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彼女の心の中では、摂政レジナルド・ド・ヴァランスと、異端審問官ドミニク・ギルフォードへの、制御できないほどの、激しく、そして暗い憎悪の炎が燃え盛っていた。それは、マルシャンの体を無慈悲に焼き尽くした現実の炎よりも、遥かに熱く、そして遥かに暗く救いのない炎だった。
(マルシャン殿…! あなたのその無念、このイザボーが、決して、決して忘れはしない…! レジナルド…ドミニク…そして、この狂った、救いのない世界…! 必ず、必ずやお前たちに血の代償を、それも何倍にもして払わせてみせる…! このヴァロワの全てを、この私の魂の全てを賭けて…!)
彼女の美しい紫色の瞳は、とめどなく溢れ出る涙で濡れていたが、その奥には、もはや人間的な感情を超越したかのような、氷のように冷たく、そして鋼のように硬質な、復讐の女神そのもののような、恐ろしいまでの光が宿っていた。
彼女はもはやただの悲劇のヒロインではない。彼女は、復讐の化身となることをその魂に固く誓ったのだ。
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ジャン=ピエール・マルシャンの公開火刑は、王都ボルドーの民衆に計り知れないほどの恐怖と、そして聖教に対する、拭い去ることのできない深い不信感を植え付けた。異端審問官ドミニク・ギルフォードの狂信的な権威は、摂政レジナルド公爵という、より強大で冷酷な権力者の後ろ盾もあって、もはや誰にも止めることができない、恐るべき暴走機関車のように見えた。
地下牢に囚われたイザボー・エレオノール・ド・ヴァロワと、隣の独房で完全に正気を失いかけているアルマン・ド・モンフォール卿の運命もまた、風前の灯火のように、揺らめいていた。
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