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勘違いの初恋(8)

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「いやぁ小島は全然変わらないな。実は俺、あやなと結婚したんだよ。ここ、あやなの親父さんの店なんだ」

 僕はその名を聞いて急に動機が激しくなった。

「覚えてる? 同じクラスだった西河あやな。普段ならあいつも店に出てるんだけど、今二人目出産した直後で休んでてさ」
「そ、そうなんだ……おめでとう」
 
 西河あやなは、僕にキスしてきたアルファの彼女だった子だ。当時は僕にあんなに攻撃的だったのに、そのアルファとは別れて他の同級生と結婚していたとは――。僕は同窓会も一度も参加したことがなくて何も知らなかった。
 こちらの動揺には気づかず、渡辺は笑顔で話し続ける。

「小島は今どうしてるんだ? あ、待てよ。お前オメガだから産む側なのか。子どもは? 結婚はしてるのか?」
「いや……子どもはいないし、結婚もしてないよ」
「そうなの? 子どもはいいぞぉ可愛いし。まあオメガならフェロモンでアルファの男落とすのも楽勝だろ? お前若く見えるしその気になればすぐ結婚できるよ」

 なぜか親しげにポンポンと肩を叩かれる。渡辺はベータで、同級生の中でも特に僕にキツいことを言ってきたわけじゃない。だけど、いじめの主犯格とも仲が良かったし、何より元凶でもある西川あやなと結婚している時点で僕にとっては親しくしたい人間ではなかった。

「あの、僕これ持っていかないといけないからそろそろ――」
「ああ、そうか引き止めて悪かった。なぁ、今度赤ん坊の顔見に来てくれよ。あやなも喜ぶから」

――赤ん坊の顔を見る? 僕が、西河あやなの?

「でも僕、西河さんに嫌われてるから……」
「え? ああ、そんなの昔のことだろ。あやなもさ、小島がちょっと綺麗な顔してるから羨ましくて言い過ぎたって言ってたよ。別にもう怒ってないって。オメガなんてベータにしてみたら珍しいしちょっかい掛けたくなるんだよ」

 わかるだろ? とまた肩を叩いてくる渡辺に僕は曖昧に頷き返した。

「うん。じゃあ、西河さんによろしく」
「ああ。またな!」

 まるで友人に手を振るかのような渡辺の態度に、自分の笑顔が引きつるのを感じつつ僕は店を出た。しばらく歩いてもまだ心臓がうるさく鳴っていて、額には汗が滲んでいた。

――子どもはいいぞ……フェロモンでアルファの男落とすのも楽勝だろ……すぐ結婚できるよ。
――そんなの昔のことだろ……オメガなんて珍しいしちょっかい掛けたくなるんだよ。

 西河や渡辺は――あのとき僕にひどい言葉を掛けた人たちはとっくに結婚して、出産して、まるで良い人みたいな顔で花屋なんてやってて……当たり前のように幸せそうに暮らしている。別に今更あの頃のことを謝ってほしいだなんて思ったことはなかった。ただ僕だけがあの頃のことをいまだに引きずっていて、当時から時が止まったみたいに動けないでいるだけ……そのことを知って胸が押し潰されそうだった。こんなこと、知りたくなかった。

「はぁ……はぁ……」

 息が苦しい。どうして今日に限ってマスクをしてこなかったんだろう? マスクをしていたら、渡辺が僕に気づくこともなかったのに。
 両手に持ったフルーツの詰め合わせとフラワーバスケットがずしりと重く指に食い込んでくる。呼吸はますます苦しくなり、このまま歩いて地下鉄まで行くことはできなそうだった。僕は遊歩道沿いのベンチを見つけてそこへ座り込んだ。

――あの地獄みたいだと思っていた日々はなんだったんだろう? どうして今更僕にあんなふうに親しげに微笑みかけてくる? どうしてあの頃、もう怒ってないって言って嫌がらせをやめてくれなかったの……?

 涙が頬を伝い顎からぽたぽたと落ちていく。
「オメガのフェロモンでアルファを落とすのも楽勝」だって? あの時西河達にフェロモンのことを散々嘲笑されてから、僕は自分がフェロモンを発するのが怖くて仕方ないのに。まるで汚いものみたいに罵られて、自分の匂いも相手の匂いも恐怖でしかなかったのに……。

「息、できな……」

 ぐちゃぐちゃの思考と息苦しさをどうにかしたくてカバンの中を漁ってみても勿論マスクは入っていない。その代り内ポケットに入っていた小さな紙切れを見つけた。

「これ――」

 隆之介と再会したときにもらった連絡先のメモだった。

「こんなことになるなら、誘いを断らなければよかった……」

 メモを顔に近づけると、かすかに彼の匂いが残っているような気がして少しだけ呼吸が楽になった。『また遊ぼう』という文字が涙で滲む。今すぐ隆之介に会いたい。

 スマホを取り出し彼の番号を表示してみて、自分から彼を誘ったことが無いのに気づいた。そもそも今日は会えないと自分で断っておきながら、急に来て欲しいなんて言っていいのか――?
 迷惑だと思われたら……そう思うと怖かった。だけどあまりに苦しくて僕は通話ボタンを押した。

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