50 / 59
番外編【マルセル視点】
歪んだ真珠の肖像(7)
しおりを挟む
「このまま立っていても眠れませんね。あそこが横になるのにちょうど良いでしょう」
オットーが指したのは本来獲物を置くための台だ。狩りに来て鹿を屠った私達がまさかこんな所で寝ることになろうとは。
横になったオットーが言う。
「まるで解体される獲物になった気分ですね」
「私も全く同じことを考えていた」
オットーは当然のように私の頭を自分の腕に乗せると埃っぽい毛布で二人の身体を覆った。なるべく羞恥心を感じないで済むように私は目を瞑る。しかし目を閉じるとその分他の感覚が鋭敏になってしまい、私はオットーの身体から立ち昇る微かな匂いに気づいてしまった。それは蕾がほころびかけて花開く直前のような青く甘い香りだった。
婚約者のオメガ女性が発情したときでさえ全く心が動かされなかったというのに、今鼻をくすぐる匂いは微かだが確実に私を芯から燃え上がらせようとしていた。この瞬間、私は年若い同性の友人に対して特別な感情――それも性的な意味で――を持っていたのだと悟って息を呑んだ。
愕然として目を見開くと心配そうに私を覗き込むオットーと目が合った。
「どうかしましたか? もしかして具合が悪いのですか?」
「あ……いや、なんでもない」
狩りで歩き回った疲れから身体は鉛のように重たく動かない。寒さで頭がおかしくなったに違いない。
「しかし頬がとても赤いです。身体が冷えたから熱が出ているのかもしれない」
オットーが無遠慮に私の額に自分の額を押し当てた。
「まだ熱は無いようですね……。でもこのままここで一晩明かしてからでは身体に障ります。私がこれから馬車を呼んできます」
起き上がろうとするオットーの腕を掴んで引き止める。
「いいんだ、大丈夫だから」
「しかし……」
「体調は悪くない。ただ……恥ずかしくて頬が熱くなっただけだ」
オットーは私が嘘を言っているのではないかと疑うように眉を顰めてこちらをじっと見つめた。
「本当ですね?」
「ああ」
「どこも悪くないのですね?」
「ああ、そうだと言っている!」
私はついむきになって大きな声を出してしまった。
「よかった。本当に元気そうですね」
「疲れただけだ。もう寝よう」
私は無意識のうちにオットーの腕を引き寄せて勝手に頭を乗せていた。しまったと思って彼の顔を見たがオットーはニヤッと頬を緩ませた。
「私の腕枕がお気に召したようで何よりです」
「……そういう言い方はよせ」
恥ずかしさを紛らわせるため強めの口調になってしまったがオットーは気にしておらずむしろ機嫌が良さそうだった。
「まだ言う気はなかったのですが、言っても良いですか?」
「何をだ?」
何かを言われるのに許可など求められたことは無く、なんのことかと少し身構えてしまう。
「あなたのことをずっとお慕いしていました。愛しています」
「あ……何……?」
疲労で鈍った頭には理解しがたい発言だった。
「口付けしても良いですか?」
口付けだと……?
「だ、だめに決まってるだろう。冗談もほどほどに……」
――急に何を言い出したんだ? 大人をからかうにしてはたちが悪い。
それとも若者の間でこのような冗談が流行しているのか?
「マルセル、あなたは私の成人のお祝いに来てくださらなかったでしょう?」
「それは申し訳なかったが……」
「あなたが来てくださらなくて私がどれだけ傷ついたかわかりますか」
こんなことまで持ち出すとは、彼にしては意地が悪すぎる。これまでこんな風にこちらを追い込むような物言いはされたことがなかったので私は戸惑った。
飄々としていて掴みどころがない彼だが、私を困らせるようなことは言わなかった。だからこそこうして長く友人関係を続けられていたのだが。
「オットー、それは本当に申し訳ないと思っていると何度も言って――」
「その穴埋めに、一度だけ許してください」
仰向けになっている私に覆いかぶさるような体勢で迫られ、どうにか逃げ道を探ろうとするが頭が回らない。
――どうしたらこの悪ふざけをやめてくれるんだ?
「あ……穴埋めだと? そんなのは……」
「これで無かったことにして差し上げます」
「な、んっ……!」
抵抗しようと彼の胸を押し戻していた両手をあっさり掴まれて顔の横に縫い付けられ、体重をかけられたらこちらはもう身動きはできなかった。
そのままオットーの端正な顔が近づいてきて私の唇を塞いだ。
初めての口付けに私は驚き、唇が触れただけなのに背筋に甘い痺れを感じた。その罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられる。
――こんなことで悦びを感じるなんて……!
オットーは私が抵抗できないのをいいことに更に深く口付けしてくる。唇を塞がれているので苦しくなり、鼻から息を吸い込むとオットーの体臭が鼻腔をくすぐった。唇を貪られながらその香りに包まれるのは眩暈がするほどの快感で、しばし我を忘れてされるがままになっていた。
「ん……っふぅ……っ」
「愛しています、マルセル……許してください」
激しい口付けに恍惚となっていたが、彼が身じろぎしたので上に乗っている男の身体の変化に気がついた。
「……!」
彼の肉体の中心が硬く勃ち上がっている。欲情しているのだ。これが冗談ではないとわかって私は途端に焦燥感に包まれた。
――すぐにやめなければ、彼に私の秘密が知れてしまう!
そしてとうとうオットーの手が私の下腹部に伸びた。
「だめだ……!」
「マルセル……」
私はたしかに口付けにより興奮し快感を得ていたが、肉体は静かに凪いだままだった。
オットーは私も彼と同じように感じて局部が変化していることを期待していたのだろう。予想が外れて彼はさっと身を引き、青い顔で謝り始めた。
「申し訳ありません。こんな真似をするつもりなど無かったのです。なんとお詫びすればよいか――」
「オットー……」
「私一人で熱くなって――あなたに触れたら理性がどこかへ行ってしまいました。本当に申し訳ありません」
「ち、ちがうんだ……」
オットーは台から降りて濡れたままの上着を羽織る。
「少し頭を冷やしてきます。――そうだ、鹿の腹抜きをしてきますね」
「待ってくれ」
「あなたは寝ていて下さい。おやすみなさいマルセル」
なんと言葉をかけてよいかわからず迷っているうちにオットーは外へ出ていってしまった。
気がつくと雨はもうほとんど止んでいた。
オットーが指したのは本来獲物を置くための台だ。狩りに来て鹿を屠った私達がまさかこんな所で寝ることになろうとは。
横になったオットーが言う。
「まるで解体される獲物になった気分ですね」
「私も全く同じことを考えていた」
オットーは当然のように私の頭を自分の腕に乗せると埃っぽい毛布で二人の身体を覆った。なるべく羞恥心を感じないで済むように私は目を瞑る。しかし目を閉じるとその分他の感覚が鋭敏になってしまい、私はオットーの身体から立ち昇る微かな匂いに気づいてしまった。それは蕾がほころびかけて花開く直前のような青く甘い香りだった。
婚約者のオメガ女性が発情したときでさえ全く心が動かされなかったというのに、今鼻をくすぐる匂いは微かだが確実に私を芯から燃え上がらせようとしていた。この瞬間、私は年若い同性の友人に対して特別な感情――それも性的な意味で――を持っていたのだと悟って息を呑んだ。
愕然として目を見開くと心配そうに私を覗き込むオットーと目が合った。
「どうかしましたか? もしかして具合が悪いのですか?」
「あ……いや、なんでもない」
狩りで歩き回った疲れから身体は鉛のように重たく動かない。寒さで頭がおかしくなったに違いない。
「しかし頬がとても赤いです。身体が冷えたから熱が出ているのかもしれない」
オットーが無遠慮に私の額に自分の額を押し当てた。
「まだ熱は無いようですね……。でもこのままここで一晩明かしてからでは身体に障ります。私がこれから馬車を呼んできます」
起き上がろうとするオットーの腕を掴んで引き止める。
「いいんだ、大丈夫だから」
「しかし……」
「体調は悪くない。ただ……恥ずかしくて頬が熱くなっただけだ」
オットーは私が嘘を言っているのではないかと疑うように眉を顰めてこちらをじっと見つめた。
「本当ですね?」
「ああ」
「どこも悪くないのですね?」
「ああ、そうだと言っている!」
私はついむきになって大きな声を出してしまった。
「よかった。本当に元気そうですね」
「疲れただけだ。もう寝よう」
私は無意識のうちにオットーの腕を引き寄せて勝手に頭を乗せていた。しまったと思って彼の顔を見たがオットーはニヤッと頬を緩ませた。
「私の腕枕がお気に召したようで何よりです」
「……そういう言い方はよせ」
恥ずかしさを紛らわせるため強めの口調になってしまったがオットーは気にしておらずむしろ機嫌が良さそうだった。
「まだ言う気はなかったのですが、言っても良いですか?」
「何をだ?」
何かを言われるのに許可など求められたことは無く、なんのことかと少し身構えてしまう。
「あなたのことをずっとお慕いしていました。愛しています」
「あ……何……?」
疲労で鈍った頭には理解しがたい発言だった。
「口付けしても良いですか?」
口付けだと……?
「だ、だめに決まってるだろう。冗談もほどほどに……」
――急に何を言い出したんだ? 大人をからかうにしてはたちが悪い。
それとも若者の間でこのような冗談が流行しているのか?
「マルセル、あなたは私の成人のお祝いに来てくださらなかったでしょう?」
「それは申し訳なかったが……」
「あなたが来てくださらなくて私がどれだけ傷ついたかわかりますか」
こんなことまで持ち出すとは、彼にしては意地が悪すぎる。これまでこんな風にこちらを追い込むような物言いはされたことがなかったので私は戸惑った。
飄々としていて掴みどころがない彼だが、私を困らせるようなことは言わなかった。だからこそこうして長く友人関係を続けられていたのだが。
「オットー、それは本当に申し訳ないと思っていると何度も言って――」
「その穴埋めに、一度だけ許してください」
仰向けになっている私に覆いかぶさるような体勢で迫られ、どうにか逃げ道を探ろうとするが頭が回らない。
――どうしたらこの悪ふざけをやめてくれるんだ?
「あ……穴埋めだと? そんなのは……」
「これで無かったことにして差し上げます」
「な、んっ……!」
抵抗しようと彼の胸を押し戻していた両手をあっさり掴まれて顔の横に縫い付けられ、体重をかけられたらこちらはもう身動きはできなかった。
そのままオットーの端正な顔が近づいてきて私の唇を塞いだ。
初めての口付けに私は驚き、唇が触れただけなのに背筋に甘い痺れを感じた。その罪悪感で胸がぎゅっと締め付けられる。
――こんなことで悦びを感じるなんて……!
オットーは私が抵抗できないのをいいことに更に深く口付けしてくる。唇を塞がれているので苦しくなり、鼻から息を吸い込むとオットーの体臭が鼻腔をくすぐった。唇を貪られながらその香りに包まれるのは眩暈がするほどの快感で、しばし我を忘れてされるがままになっていた。
「ん……っふぅ……っ」
「愛しています、マルセル……許してください」
激しい口付けに恍惚となっていたが、彼が身じろぎしたので上に乗っている男の身体の変化に気がついた。
「……!」
彼の肉体の中心が硬く勃ち上がっている。欲情しているのだ。これが冗談ではないとわかって私は途端に焦燥感に包まれた。
――すぐにやめなければ、彼に私の秘密が知れてしまう!
そしてとうとうオットーの手が私の下腹部に伸びた。
「だめだ……!」
「マルセル……」
私はたしかに口付けにより興奮し快感を得ていたが、肉体は静かに凪いだままだった。
オットーは私も彼と同じように感じて局部が変化していることを期待していたのだろう。予想が外れて彼はさっと身を引き、青い顔で謝り始めた。
「申し訳ありません。こんな真似をするつもりなど無かったのです。なんとお詫びすればよいか――」
「オットー……」
「私一人で熱くなって――あなたに触れたら理性がどこかへ行ってしまいました。本当に申し訳ありません」
「ち、ちがうんだ……」
オットーは台から降りて濡れたままの上着を羽織る。
「少し頭を冷やしてきます。――そうだ、鹿の腹抜きをしてきますね」
「待ってくれ」
「あなたは寝ていて下さい。おやすみなさいマルセル」
なんと言葉をかけてよいかわからず迷っているうちにオットーは外へ出ていってしまった。
気がつくと雨はもうほとんど止んでいた。
26
あなたにおすすめの小説
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【運命】に捨てられ捨てたΩ
あまやどり
BL
「拓海さん、ごめんなさい」
秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ノエルの結婚
仁茂田もに
BL
オメガのノエルは顔も知らないアルファと結婚することになった。
お相手のヴィンセントは旦那さまの部下で、階級は中尉。東方司令部に勤めているらしい。
生まれ育った帝都を離れ、ノエルはヴィンセントとふたり東部の街で新婚生活を送ることになる。
無表情だが穏やかで優しい帝国軍人(アルファ)×明るいがトラウマ持ちのオメガ
過去につらい経験をしたオメガのノエルが、ヴィンセントと結婚して幸せになる話です。
J.GARDEN58にて本編+書き下ろしで頒布する予定です。
詳しくは後日、活動報告またはXにてご告知します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる