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第三章 平民の実習期間
49 手にとることのできる本
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『何をしに来た。――ここは探求者にのみ許された場所だ』
『その本をどうするつもりだ』
興味があって手を伸ばした瞬間、あいつはこう言った。
どうするも何も、私はただ興味があって手に取ろうとしただけだ。表題に、テーマに、誰かの噂話に。
少しの興味のまま、手を伸ばしただけだ。
警戒心をそのまま隠そうとせずに、嫌悪を露骨に眉根に表して、彼は私を睨んだ。
書籍は貴重なものだ。知識の体現だ。後世に伝えるべきものだ。
暗記系オンリー、思考がままならないお馬鹿さんの私。
記憶にある本は、整然と並んでいる。皮で豪奢に装丁された貴重書の類。持つというよりは抱えるくらい大きなものもあった。
でも私が欲しかったのは、それじゃないの。
いま目の前にある書籍は、大小様々でどれもが使い古されている。
誰かが読んで、そのまま押し込んだものだってある。
表紙は日に焼けて、ページの端は擦り切れて、手の垢で色が変わって、だからこそ私は安心して手にとることができる。
『街の図書館なんて、こんなものですよ』
ヨーイ君はそう言って、私に児童向けの本を一冊手渡した。
最初に、緊張して息を止めていた私は、震える手でそれを受け取った。
ちょっと怖いの、と言うとよくわからないという顔をした。スタくんと、テルくんとは別に、ヨーイ君はそうですよねーと相づちを打った。
『弁償するとなると怖いですし。なんか上から目線、って感じがにじみ出てて……僕も字を覚えるまでは嫌でした』
ああ、同じ感覚を持つ人がいたのか。
そうして、周囲を見渡すと、いろいろな人が図書館にいることがわかった。
難しい顔をして、恋愛小説を読むおばあさん。
大切に絵本を抱えて、母親のもとに走り出す小さな子供。
働く合間に、専門的な知識を深めるためにメモを取る男の人、裾も手もインクで汚れている。
持ち出しはできないから、皆必死だ。
平民の識字率はそこそこ高い。そして探究心や必要性に応じて、彼らの知識は深まっていく。
平日は人が少ない図書館の片隅で、三人組は私がかつて手に取っていたような、豪奢な装丁の本や、ぼろぼろになった巻物を手に取っている。
「ここ、じゃないか?」
「一応メモしとこう」
検索システムの確立していないこの世界では、実地で調べることが推奨される。王立図書館や、総教会の図書館もあるにはあるけれど、一般的に開けているところではないし、今回調べる書籍は総教会にはないものらしい。目録から検討をつけて、目的の箇所を探り出している、みたいだ。
「サラさん、来たんですか」
「うん」
ヨーイ君が気がついて、声をかけに来てくれた。
スタ君、テル君も調べ物をしながら、こちらに目を向ける。
「今日はどんな本ですか」
「『優しい魔法のはじめ方』、ずっと前から見たかったの」
「おー、って言うことは、前の世界の成り立ちの本は読めたんですね」
恋愛小説も手に取りたいところだけれど、最近その一角に追加された『魔法学園の平民姫』とか、『愛され少女は魔法に目覚める』とか、あきらかに嫌なタイトルが目に入ったので辞めた。あとこの三人に恋愛小説読まれているところはあまり見られたくない。それはもっとずっと後でも良い。タイトルを見ても、笑えるようになってからでいい。
「一度ではわからなくて、違う本を読んでからまた読むの」
そう言うと、ヨーイ君は深く頷いた。
「わかります」
最高峰の学園を卒業――はしてないのか、あれは中退扱いになるんだろうか――した身としては、このレベル?! と非難されることを覚悟していた。でも実際はそんなこともない。この子達の判定基準がよくわからない。でも勉強できるから嬉しいしいいけど。
貴族の時の領地運営や国防面でのお勉強は苦痛な部分が多かったけど、こうして色々な分野の基礎知識を攫っていくと、その時わからなかった言葉の意味が分かるような気がする。
そして、精霊や加護、魔法のイレギュラーな部分も。
どうしてこうなった? 加護のせいです、魔法のおかげです、で粗方矛盾点が片付いている。怖い。思えば春先にリンゴとかおかしかったのにその感覚ですら無かった。図鑑を見て、初めて季節を知った。リンゴは冬。前世みたいに通年採れるのは、加護のせいだ。天変地異の少なさも、加護に由来するらしい。え、戦闘においては加護によって存命率が変わるって? イレギュラーすぎるわ!
というわけで、日々人々は女神や精霊のお力――それを民に還元する「貴族」という役割に、大きな敬意を抱いている。
そして能力のないものは、疑問もなく下克上もない。
なんて変化のない世界だ。
「本は人みたいに、怒ることはありませんよ。そりゃあ汚したらダメですし、その道の方に教えを請うことも重要です。書かれていることと、現実は違うことがありますから――サラさんは、知っているかもしれませんけれど」
ふんふんと、ヨーイ君は饒舌に教えてくれる。
「読まれるために、本っていうのは作られてるんですよ」
「そうだね」
私はちょっと涙ぐんだ。
「本って、噛みつかないし、触っても怒らないものなんだね」
膨大な知識の、その集約はそっと私に寄り添う。
知りたいという欲求に、応えてくれる。
それが、当たり前なんだ。
「あれ?」
ヨーイ君が、肩越しに視線を移した。
振り向くと、そこにはネネルちゃんがいた。
「サラちゃん」
ネネルちゃんは大きな袋を抱えている。
「忘れ物……あったから」
ついでに頼まれていた、収穫用の布だ。
ギルドに登録して、夕方に町外れで薬草を見分けてとってくるように言われてたの、忘れてた!
「届けに来てくれたの?」
そう言うと、ピン、と尻尾が立つ。そしてふわふわと横に揺れるのだ。ああかわいいい!
ネネルちゃんは表情がないんだけど、その分耳や尻尾、態度で感情表現をしてくれる。とても愛らしい存在だ。だからこそ、私も嬉しくなる。
「ほんとは、一緒に……」
「夕方は危ないから」
ネネルちゃんみたいに可愛い子は、人さらいに会う可能性がある。私は修道士の三人と一緒にいるし、体力には自信がある。ネネルちゃんはこんなに可愛い容姿で、体力がない。危険だと思う。
「一緒に、絵本見る?」
「……うん!」
魔法の本はやめにして、冒険用の絵本でも一緒に読もうかな?
そう、移動しようとした時。
「獣人が勉強なんて、ここはどんだけ低級なんだ」
そうつぶやいたのは、良い身なりをした青年だった。
びり、と緊張が走る。周囲の人達が、ネネルちゃんに視線を送る。ネネルちゃんはそれに萎縮して、ビリビリと毛を逆立てた。
「ひどい」
小さくそう言ったのは、絵本を抱えた母親だ。だけれど青年が鋭い視線を向けるとそそくさと退場する。巻き込まれたくない、当たり前だ。
こんな昼間から、どうしてこんなところにいるんだろう。調べ物をしている風でもない。見ると少し顔が赤くなっていて、息が浅い。お酒、飲んでる?
ネネルちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「勉強、しちゃいけないの」
ネネルちゃんが、私のスカートの中でつぶやいた。
「ちがう」
うまく紡げない言葉が歯がゆい。非難を体全体で表しても、私たちを上から下まで眺めたこいつは、たっぷり間を置いて鼻で笑った。
「公に規定はないけれど――わかるだろう?
お前、獣人だろ……本読めるのかよ」
ゲラゲラ、一人でわらう。
文字の習得速度に、獣人とそうでない種族の違いはない。
獣人は狩猟を得意としていたから、長らく文字が必要でなかっただけだ。あわせて、確かに獣人を主体にした国では、あまり教育が進んでいるわけではない。
それでも領主や族長に類する者たちはきっちり勉強している。冒険者だって同じだ。
「ふざけるな」
その声は、思ったよりドスが効いていて、私自身も驚いたし、近くにいたヨーイ君も驚いた。息を吸い込む。ネネルちゃんをギュッと抱きしめて、私はもう一度声を上げた。
「ここは本を読む場所なんでしょ! ぎゃあぎゃあ喚かずおとなしく本を読みなよ!」
『その本をどうするつもりだ』
興味があって手を伸ばした瞬間、あいつはこう言った。
どうするも何も、私はただ興味があって手に取ろうとしただけだ。表題に、テーマに、誰かの噂話に。
少しの興味のまま、手を伸ばしただけだ。
警戒心をそのまま隠そうとせずに、嫌悪を露骨に眉根に表して、彼は私を睨んだ。
書籍は貴重なものだ。知識の体現だ。後世に伝えるべきものだ。
暗記系オンリー、思考がままならないお馬鹿さんの私。
記憶にある本は、整然と並んでいる。皮で豪奢に装丁された貴重書の類。持つというよりは抱えるくらい大きなものもあった。
でも私が欲しかったのは、それじゃないの。
いま目の前にある書籍は、大小様々でどれもが使い古されている。
誰かが読んで、そのまま押し込んだものだってある。
表紙は日に焼けて、ページの端は擦り切れて、手の垢で色が変わって、だからこそ私は安心して手にとることができる。
『街の図書館なんて、こんなものですよ』
ヨーイ君はそう言って、私に児童向けの本を一冊手渡した。
最初に、緊張して息を止めていた私は、震える手でそれを受け取った。
ちょっと怖いの、と言うとよくわからないという顔をした。スタくんと、テルくんとは別に、ヨーイ君はそうですよねーと相づちを打った。
『弁償するとなると怖いですし。なんか上から目線、って感じがにじみ出てて……僕も字を覚えるまでは嫌でした』
ああ、同じ感覚を持つ人がいたのか。
そうして、周囲を見渡すと、いろいろな人が図書館にいることがわかった。
難しい顔をして、恋愛小説を読むおばあさん。
大切に絵本を抱えて、母親のもとに走り出す小さな子供。
働く合間に、専門的な知識を深めるためにメモを取る男の人、裾も手もインクで汚れている。
持ち出しはできないから、皆必死だ。
平民の識字率はそこそこ高い。そして探究心や必要性に応じて、彼らの知識は深まっていく。
平日は人が少ない図書館の片隅で、三人組は私がかつて手に取っていたような、豪奢な装丁の本や、ぼろぼろになった巻物を手に取っている。
「ここ、じゃないか?」
「一応メモしとこう」
検索システムの確立していないこの世界では、実地で調べることが推奨される。王立図書館や、総教会の図書館もあるにはあるけれど、一般的に開けているところではないし、今回調べる書籍は総教会にはないものらしい。目録から検討をつけて、目的の箇所を探り出している、みたいだ。
「サラさん、来たんですか」
「うん」
ヨーイ君が気がついて、声をかけに来てくれた。
スタ君、テル君も調べ物をしながら、こちらに目を向ける。
「今日はどんな本ですか」
「『優しい魔法のはじめ方』、ずっと前から見たかったの」
「おー、って言うことは、前の世界の成り立ちの本は読めたんですね」
恋愛小説も手に取りたいところだけれど、最近その一角に追加された『魔法学園の平民姫』とか、『愛され少女は魔法に目覚める』とか、あきらかに嫌なタイトルが目に入ったので辞めた。あとこの三人に恋愛小説読まれているところはあまり見られたくない。それはもっとずっと後でも良い。タイトルを見ても、笑えるようになってからでいい。
「一度ではわからなくて、違う本を読んでからまた読むの」
そう言うと、ヨーイ君は深く頷いた。
「わかります」
最高峰の学園を卒業――はしてないのか、あれは中退扱いになるんだろうか――した身としては、このレベル?! と非難されることを覚悟していた。でも実際はそんなこともない。この子達の判定基準がよくわからない。でも勉強できるから嬉しいしいいけど。
貴族の時の領地運営や国防面でのお勉強は苦痛な部分が多かったけど、こうして色々な分野の基礎知識を攫っていくと、その時わからなかった言葉の意味が分かるような気がする。
そして、精霊や加護、魔法のイレギュラーな部分も。
どうしてこうなった? 加護のせいです、魔法のおかげです、で粗方矛盾点が片付いている。怖い。思えば春先にリンゴとかおかしかったのにその感覚ですら無かった。図鑑を見て、初めて季節を知った。リンゴは冬。前世みたいに通年採れるのは、加護のせいだ。天変地異の少なさも、加護に由来するらしい。え、戦闘においては加護によって存命率が変わるって? イレギュラーすぎるわ!
というわけで、日々人々は女神や精霊のお力――それを民に還元する「貴族」という役割に、大きな敬意を抱いている。
そして能力のないものは、疑問もなく下克上もない。
なんて変化のない世界だ。
「本は人みたいに、怒ることはありませんよ。そりゃあ汚したらダメですし、その道の方に教えを請うことも重要です。書かれていることと、現実は違うことがありますから――サラさんは、知っているかもしれませんけれど」
ふんふんと、ヨーイ君は饒舌に教えてくれる。
「読まれるために、本っていうのは作られてるんですよ」
「そうだね」
私はちょっと涙ぐんだ。
「本って、噛みつかないし、触っても怒らないものなんだね」
膨大な知識の、その集約はそっと私に寄り添う。
知りたいという欲求に、応えてくれる。
それが、当たり前なんだ。
「あれ?」
ヨーイ君が、肩越しに視線を移した。
振り向くと、そこにはネネルちゃんがいた。
「サラちゃん」
ネネルちゃんは大きな袋を抱えている。
「忘れ物……あったから」
ついでに頼まれていた、収穫用の布だ。
ギルドに登録して、夕方に町外れで薬草を見分けてとってくるように言われてたの、忘れてた!
「届けに来てくれたの?」
そう言うと、ピン、と尻尾が立つ。そしてふわふわと横に揺れるのだ。ああかわいいい!
ネネルちゃんは表情がないんだけど、その分耳や尻尾、態度で感情表現をしてくれる。とても愛らしい存在だ。だからこそ、私も嬉しくなる。
「ほんとは、一緒に……」
「夕方は危ないから」
ネネルちゃんみたいに可愛い子は、人さらいに会う可能性がある。私は修道士の三人と一緒にいるし、体力には自信がある。ネネルちゃんはこんなに可愛い容姿で、体力がない。危険だと思う。
「一緒に、絵本見る?」
「……うん!」
魔法の本はやめにして、冒険用の絵本でも一緒に読もうかな?
そう、移動しようとした時。
「獣人が勉強なんて、ここはどんだけ低級なんだ」
そうつぶやいたのは、良い身なりをした青年だった。
びり、と緊張が走る。周囲の人達が、ネネルちゃんに視線を送る。ネネルちゃんはそれに萎縮して、ビリビリと毛を逆立てた。
「ひどい」
小さくそう言ったのは、絵本を抱えた母親だ。だけれど青年が鋭い視線を向けるとそそくさと退場する。巻き込まれたくない、当たり前だ。
こんな昼間から、どうしてこんなところにいるんだろう。調べ物をしている風でもない。見ると少し顔が赤くなっていて、息が浅い。お酒、飲んでる?
ネネルちゃんをぎゅっと抱きしめる。
「勉強、しちゃいけないの」
ネネルちゃんが、私のスカートの中でつぶやいた。
「ちがう」
うまく紡げない言葉が歯がゆい。非難を体全体で表しても、私たちを上から下まで眺めたこいつは、たっぷり間を置いて鼻で笑った。
「公に規定はないけれど――わかるだろう?
お前、獣人だろ……本読めるのかよ」
ゲラゲラ、一人でわらう。
文字の習得速度に、獣人とそうでない種族の違いはない。
獣人は狩猟を得意としていたから、長らく文字が必要でなかっただけだ。あわせて、確かに獣人を主体にした国では、あまり教育が進んでいるわけではない。
それでも領主や族長に類する者たちはきっちり勉強している。冒険者だって同じだ。
「ふざけるな」
その声は、思ったよりドスが効いていて、私自身も驚いたし、近くにいたヨーイ君も驚いた。息を吸い込む。ネネルちゃんをギュッと抱きしめて、私はもう一度声を上げた。
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