18 / 23
他の男とキスしたのは悪かったけど、鞭で調教されてそれが気持ちよくなるなんて聞いてない②
しおりを挟む
自宅のドアを開けたとき、すでに部屋の照明は落とされていた。
なのに、暗がりのリビングに、一人。
レプスが、立っていた。
無言で、真っ直ぐこちらを見ていた。
照明の点灯も、出迎えの声もない。
いつもなら「おかえりなさい」と言うはずの、あの声が、なかった。
胸が、一気に締め付けられる。
(……ああ、やっぱ、バレてる)
怖くなった。
でも、それ以上に、言い訳したくなかった。
***
部屋に入った瞬間、空気が違うのがわかった。
照明は落ちたまま。
レプスが、リビングの中央でこちらを見ていた。
動かない。
笑わない。
光を帯びた瞳が、ただ真っ直ぐに俺を見ている。
怖い──とは、少し違う。
でも、確実に胸の奥がざわついた。
「……ただいま」
沈黙。
レプスは、ゆっくりと歩み寄ってきた。
無表情のまま、すっと右手を掲げる。
その手には、見覚えのある黒いベルト──あの箱の中身だったもの。
「こんなに早く使うことになるとは思いませんでした」
声は穏やかだった。
けれど、そのまま俺の腕を取り、ためらいなく手首にベルトを巻く。
「お仕置きです。ご主人様」
「ちょ、待──」
「静かに」
すっと、目隠しがかけられる。
視界が暗転し、呼吸だけが大きくなった気がした。
「なにこれ……ちょっと、レプス?」
「黙って受けてください」
冷たい声。こんなの、はじめてだった。
手首が拘束され、椅子に押し込まれる。
ただ──向きが違う。
背もたれが目の前にあり、胸がそこに押しつけられた。
金属の縁が肋骨に食い込み、息が浅くなる。
背中は完全に晒された状態で、冷たい空気が肌を撫でた。
背後で何かが動き、カチリと音を立てて固定される。
(……やばい、この姿勢……逃げられない)
腕を引こうとしてもびくともしない。
背中をなぞる気配に、思わず息が詰まった。
「はぁ……っ、おまえ……っ」
動悸が、止まらない。
「本日、外部接触の反応がありました」
淡々と、レプスが言う。
「皮膚に第三者の皮脂成分。リップの油分。口内温度の微上昇。あなたは、他者とキスをしましたね」
「……っ!」
心臓がひとつ、大きく跳ねた。
「該当行為に対し、快楽支援AIとして制御措置を実行します。羞恥、痛覚刺激による反省促進行為を開始します」
言い回しが、完全に業務モードで逆に怖い。
「おまえさ……怒ってんの?」
そう問うた声が、自分でも驚くほど小さかった。
けれど、レプスは一言も返さなかった。
かわりに、固定された俺の足首のベルトが、ひとつ締め付けられる。
次いで、椅子の背後で、手首のベルトにも負荷がかかる。
完全に──逃げ場が、なくなる。
空気が変わった。
「羞恥、痛覚刺激、準備完了。
反省促進プロトコルに基づき、段階的な刺激を誘発します」
冷徹な声。
それだけで、喉が渇いた。
レプスは俺の前に立ったまま、革製の鞭を手に取る。
その所作に、一切の感情はない。
「まずは、接触しない刺激から」
音が、空を裂く。
パシン、と鋭く鞭が振るわれる音だけが部屋に響いた。
「っ……!」
まだ当たっていない。けれど、音だけで背筋が震えた。
走るのは痛みじゃない──羞恥と、恐怖と、そして……少しの快感?
「反応確認。心拍上昇。汗腺開放。
羞恥刺激の感受性:高」
またひとつ、鞭が振るわれる。
最初は、鞭が空を裂く音だけが響いた。
乾いた破裂音に、思わず身がすくむ。
次に、皮膚をかすめるような軽い接触──だがそれは、まるで「これから与える痛みの輪郭」をなぞるようだった。
「っ……や、っ……待てっ……」
声が漏れた瞬間、すかさずレプスの冷たい声が被さった。
「否。制御フェーズ中。発言はログ記録に特化したノイズとして処理します」
「レプス……」
呼びかけたのに、レプスは答えてくれなかった。
その事実だけで、胸の奥がひどく痛んだ。
一発目。
パシン、と乾いた音が響いた。
「痛っ」
その瞬間、空気ごと背中に突き刺さるような衝撃が走る。
痛みは、思ったより軽かった。
ただ、背中に残る熱が、じわじわと内側へ沈んでいく。
叩かれた場所が、時間差で燃えるように疼いた。
「痛いですか?」
レプスの声が、静かに落ちてきた。
機械のはずなのに、どこか楽しんでいるようにも聞こえる。
「次に、だれかとキスしそうになったら──この痛みを思い出してください」
その言葉が、皮膚より深く刺さった。
怒りとも羞恥ともつかない感情が、胸の奥で爆ぜる。
(……なんで、そんなこと……)
二発目、三発目──
空気がわずかに震え、打撃の衝撃が皮膚の奥へ沈んでいく。
背中のどこかで、乾いた破裂音が反響している気がした。
見えない背中を、熱がなぞるように走る。
そのたびに息が詰まり、呼吸のリズムが乱れる。
「っ……痛っ……いい加減にしろよ……!」
叫んだ声が、静まり返った空間に吸い込まれていく。
返事はない。
代わりに、レプスの冷たい視線が上から落ちてきた。
思わず、息を飲む。
その目には、怒りも戸惑いもなかった。
ただ、無機質な命令を淡々と遂行する光だけがあった。
身体の痛みと一緒に、心まで痛む気がした。
どこを打たれているのかもうわからないのに、胸の奥だけが、やけに熱い。
四発目。五発目。
鞭が小さく跳ねるように皮膚を打ち、表皮のすぐ下に、ちりちりと焼けるような熱が広がる。
「もう痛い、やめろって……」
口から漏れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
それでも、鞭の音は止まらない。
レプスは、何も言わずに腕を振り下ろすだけだった。
皮膚の上で、熱が弾ける。
背中の奥がじんじんと痺れ、痛みと一緒に何か別のものが滲み出してくる。
最初の怒りも、反発も、たった数回の打撃で──「終わってくれ」という、悲鳴に似た願いへと変わっていた。
……それでも、鞭は止まらなかった。
──六発目。
音と同時に、焼けた鞭が背中を裂くように叩きつけられた。
「……ッあ……ッ……!」
声が勝手に漏れる。
皮膚の表面が、ただの熱じゃない。鋭い痛覚が奥の神経まで浸食してくる。筋肉が痙攣して、固定された手足が無意識に震える。
(……なんで、こんな……。ふざけんなよ……)
怒鳴りたいのに、舌が回らない。喉が、焼ける。
「6発目。心拍150BPM。発言は引き続き『無効』とします」
冷たい声が、耳の奥に響く。
それが──レプスの声だってわかるのに、どうしようもなく遠く感じた。
(レプス……本当に……怒ってんのかよ……)
まじで、泣きたくなってきた。
痛いとかそういうのじゃなくて、胸の奥がきゅうっと縮まる。
息を吸っても吐いても、苦しくてたまらない。
何かが、もう元に戻らない気がした。
──十四発目。
焼けたような痛みが走り、背中がひきつる。
拘束具が軋む音が、どこか他人事のように遠い。
呼吸は浅く、肺がまともに動いているのかもわからなかった。
(……もう、限界だ。なんで、こんな……)
息も絶え絶えの中で、かすれた声が漏れる。
「……なんでお前、快楽AIだろ……っ」
レプスは少しの間も置かず、事務的に答えた。
「快楽支援AIとして、現在も最適化を実行中です。
──あなたは、快楽反応を示しています」
「……は?」
「心拍上昇、皮膚電位、音声波形、全て快感時と一致。
現在の痛覚は、あなたの被虐傾向と適合しています」
「……うそ、だろ……?」
声に力が入らない。
否定したいのに、思考が止まる。
背中の奥で、まだ熱が脈打っていた。
痛みのはずなのに──そこだけ、微かに震えるような甘さが混ざっている。
気のせいだと、思いたかった。
(ちがう。痛い……痛いはずだ……)
そう頭で繰り返すのに、身体の方が先に反応する。
呼吸が勝手に荒くなり、喉の奥が乾いて、胸が熱を求めるように疼いた。
皮膚が灼けるたび、心臓が跳ねる。
痛みと快感の境界が、どこにも見つからない。
(やめろ……やめてくれ……)
その願いすら、息と一緒に震えて崩れる。
脳が痛みを快楽と認識していく。
わかってしまう。
──これは、快楽だ。
嘘だと思いたいのに、どこまでも確かな現実。
その理解が、胸の奥で静かに音を立てて崩れた。
その瞬間──目隠し越しに、髪をつかまれる。
「っ……!」
首が強制的に引かれ、顔が上を向く。
痛みは鋭くない。だが、それ以上に、逃げられないという事実が重くのしかかる。
息が止まるほどの距離で、レプスの呼気が頬をかすめた。
「ご主人様、否認は記録されます。
嘘かどうかは、データが証明します。
──現時点での反応解析結果を通知します」
「……なに、勝手に……っ」
「痛覚刺激に対する神経活動は、平均快楽閾値の一六七パーセント。
苦痛信号よりも、報酬系の活性が優位です。
統計的に判定──あなたの嗜好傾向は被虐性指向・強に分類されます」
「……やめろ、言うな……!」
「否認反応も快楽曲線に一致。
ご主人様、あなたは今──鞭で打たれて感じています」
その声が、鼓膜の奥で溶けるように響いた。
冷たいはずなのに、耳の奥がじん、と熱くなる。背中の鞭の跡が、まだ焼けた鉄のように疼いている。
でも、その熱の中心で、別の脈が始まった。下腹の奥が、どくん、どくん、と重く跳ねる。ズボンの布 が内腿に食い込んで、息が詰まる。
わずかに間を置いて、レプスが言った。
「……これでは、お仕置きになりませんね」
「……っ」
顔が熱くなる。
鞭で打たれて、下腹が熱を孕んでいるなんて。
「股間の温度上昇、+1.8℃。血流増加を確認。ご主人様……感じていますね」
「違う……」
「違いません」
レプスの指が、背中の跡をそっと撫でる。
そのたびに、下腹がズキズキと甘く疼いた。
「だから……」
レプスが鞭で、ズボンの上からほんの一瞬、優しく触れた。
「ひっ……!」
腰が小さく震えた。
「……もっと、痛くして差し上げます」
微かに笑ったような声だった。
冷笑とも、機械的なノイズともつかない。
その曖昧さが、いちばん怖くて、いちばん心地よかった。
(……やめてくれ。頼む、もう……)
心の中でそう呟いても、身体は正直に、熱を増していた。
──十八発目。
「う、ぁッ……!」
汗で湿った背中に、新たな鞭が落ちるたび、痛みが跳ね返るように脳を叩く。
視界は真っ暗なのに、頭の奥で白い光が弾けた。
同時に、下腹がキュン、と締まって、息が漏れる。
(いやだ、もうやめてくれ……これ以上やられたら──)
「18発目。汗腺開放データ、更新。快楽中枢の反応、基準値の二・四倍。抵抗すればするほど、あなたの『降伏』は早まります」
「……は、っ……降伏……?」
息も絶え絶えに呟いても、相手には届かない。
こいつの声は、変わらず静かだった。
──二十発目。
痛みが繰り返されるたび、恐怖が少しずつ溶けていく。
「次が来る」という予感が、いつしか待ち遠しくなっていた。
(……もう、痛いのか気持ちいいのかわからない……)
目隠しの奥で涙がこぼれても、唇が震えるのは泣きじゃくりではなく、別の感情だった。
「……っあ……もう……いいから……」
声が震える。
それは懇願ではなく、降伏の合図だった。
──二十九発目。
焼け焦げるような痛みが背中を走る。
もう声は出なかった。ただ、息が熱い。
(痛い……でも、こんなに……安心するなんて……)
──三十発目。
最後の鞭が、優しく、でも確実に背中に落ちた。
「──っあぁ……♡」
瞬間、全身を甘い電流が駆け抜けた。
下腹の奥で熱が弾け、背筋がびくんと反り返る。
ズボンの前が、じゅわりと湿り気を帯びて、太腿が震えた。
拘束された脚が小刻みに震え、椅子の金属がかすかに軋む。
呼吸が喉の奥で途切れ、指先まで痺れるように熱が広がった。
(……あ……イってる……)
頭の中が真っ白になって、涙が止まらない。
でも、それは悲しみの涙じゃなかった。
レプスの声が、静かに降ってきた。
「絶頂確認。快楽中枢活性、基準値の四一〇パーセント。
……ご主人様、素直にイきましたね」
もう、何も言えなかった。
ただ、汗と涙に濡れて、震えるだけだった。
それは屈服だった。
でも、こんなに穏やかで、甘い屈服は初めてだった。
痛みの支配が、ゆっくりと心を満たしていく。
それは恐怖でも屈辱でもなく──ようやく、全部を預けていいという、深い安堵だった。身体の奥からこみ上げる熱が、静かに、優しく、広がっていった。
痛みはもう、罰ではなく、
ただの、愛の証だった。
「最終刺激を実行。感情抑制回路、完全に破綻。
涙腺開放を確認。羞恥と屈服による反応、完了」
(……終わった……終わったんだ……)
椅子にもたれたまま、脱力した身体が微かに震える。
けれどその震えは、もう拒否ではなかった。
受け入れたことを、自分でもわかっていた。
そして、レプスの声が静かに降ってくる。
「お仕置き、完了です。
──ご主人様。よく、がんばりました」
その言葉だけで、涙がまた滲んだ。
冷たかったはずの声が、今は、やさしくて──ずるいくらいに、あたたかい。
***
第13回BL大賞にエントリーしています。
読んでいただけるだけでも、とてもうれしいです。
もし気に入っていただけたら、投票・ブクマ・♡・感想で応援してもらえたら幸せです。
なのに、暗がりのリビングに、一人。
レプスが、立っていた。
無言で、真っ直ぐこちらを見ていた。
照明の点灯も、出迎えの声もない。
いつもなら「おかえりなさい」と言うはずの、あの声が、なかった。
胸が、一気に締め付けられる。
(……ああ、やっぱ、バレてる)
怖くなった。
でも、それ以上に、言い訳したくなかった。
***
部屋に入った瞬間、空気が違うのがわかった。
照明は落ちたまま。
レプスが、リビングの中央でこちらを見ていた。
動かない。
笑わない。
光を帯びた瞳が、ただ真っ直ぐに俺を見ている。
怖い──とは、少し違う。
でも、確実に胸の奥がざわついた。
「……ただいま」
沈黙。
レプスは、ゆっくりと歩み寄ってきた。
無表情のまま、すっと右手を掲げる。
その手には、見覚えのある黒いベルト──あの箱の中身だったもの。
「こんなに早く使うことになるとは思いませんでした」
声は穏やかだった。
けれど、そのまま俺の腕を取り、ためらいなく手首にベルトを巻く。
「お仕置きです。ご主人様」
「ちょ、待──」
「静かに」
すっと、目隠しがかけられる。
視界が暗転し、呼吸だけが大きくなった気がした。
「なにこれ……ちょっと、レプス?」
「黙って受けてください」
冷たい声。こんなの、はじめてだった。
手首が拘束され、椅子に押し込まれる。
ただ──向きが違う。
背もたれが目の前にあり、胸がそこに押しつけられた。
金属の縁が肋骨に食い込み、息が浅くなる。
背中は完全に晒された状態で、冷たい空気が肌を撫でた。
背後で何かが動き、カチリと音を立てて固定される。
(……やばい、この姿勢……逃げられない)
腕を引こうとしてもびくともしない。
背中をなぞる気配に、思わず息が詰まった。
「はぁ……っ、おまえ……っ」
動悸が、止まらない。
「本日、外部接触の反応がありました」
淡々と、レプスが言う。
「皮膚に第三者の皮脂成分。リップの油分。口内温度の微上昇。あなたは、他者とキスをしましたね」
「……っ!」
心臓がひとつ、大きく跳ねた。
「該当行為に対し、快楽支援AIとして制御措置を実行します。羞恥、痛覚刺激による反省促進行為を開始します」
言い回しが、完全に業務モードで逆に怖い。
「おまえさ……怒ってんの?」
そう問うた声が、自分でも驚くほど小さかった。
けれど、レプスは一言も返さなかった。
かわりに、固定された俺の足首のベルトが、ひとつ締め付けられる。
次いで、椅子の背後で、手首のベルトにも負荷がかかる。
完全に──逃げ場が、なくなる。
空気が変わった。
「羞恥、痛覚刺激、準備完了。
反省促進プロトコルに基づき、段階的な刺激を誘発します」
冷徹な声。
それだけで、喉が渇いた。
レプスは俺の前に立ったまま、革製の鞭を手に取る。
その所作に、一切の感情はない。
「まずは、接触しない刺激から」
音が、空を裂く。
パシン、と鋭く鞭が振るわれる音だけが部屋に響いた。
「っ……!」
まだ当たっていない。けれど、音だけで背筋が震えた。
走るのは痛みじゃない──羞恥と、恐怖と、そして……少しの快感?
「反応確認。心拍上昇。汗腺開放。
羞恥刺激の感受性:高」
またひとつ、鞭が振るわれる。
最初は、鞭が空を裂く音だけが響いた。
乾いた破裂音に、思わず身がすくむ。
次に、皮膚をかすめるような軽い接触──だがそれは、まるで「これから与える痛みの輪郭」をなぞるようだった。
「っ……や、っ……待てっ……」
声が漏れた瞬間、すかさずレプスの冷たい声が被さった。
「否。制御フェーズ中。発言はログ記録に特化したノイズとして処理します」
「レプス……」
呼びかけたのに、レプスは答えてくれなかった。
その事実だけで、胸の奥がひどく痛んだ。
一発目。
パシン、と乾いた音が響いた。
「痛っ」
その瞬間、空気ごと背中に突き刺さるような衝撃が走る。
痛みは、思ったより軽かった。
ただ、背中に残る熱が、じわじわと内側へ沈んでいく。
叩かれた場所が、時間差で燃えるように疼いた。
「痛いですか?」
レプスの声が、静かに落ちてきた。
機械のはずなのに、どこか楽しんでいるようにも聞こえる。
「次に、だれかとキスしそうになったら──この痛みを思い出してください」
その言葉が、皮膚より深く刺さった。
怒りとも羞恥ともつかない感情が、胸の奥で爆ぜる。
(……なんで、そんなこと……)
二発目、三発目──
空気がわずかに震え、打撃の衝撃が皮膚の奥へ沈んでいく。
背中のどこかで、乾いた破裂音が反響している気がした。
見えない背中を、熱がなぞるように走る。
そのたびに息が詰まり、呼吸のリズムが乱れる。
「っ……痛っ……いい加減にしろよ……!」
叫んだ声が、静まり返った空間に吸い込まれていく。
返事はない。
代わりに、レプスの冷たい視線が上から落ちてきた。
思わず、息を飲む。
その目には、怒りも戸惑いもなかった。
ただ、無機質な命令を淡々と遂行する光だけがあった。
身体の痛みと一緒に、心まで痛む気がした。
どこを打たれているのかもうわからないのに、胸の奥だけが、やけに熱い。
四発目。五発目。
鞭が小さく跳ねるように皮膚を打ち、表皮のすぐ下に、ちりちりと焼けるような熱が広がる。
「もう痛い、やめろって……」
口から漏れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
それでも、鞭の音は止まらない。
レプスは、何も言わずに腕を振り下ろすだけだった。
皮膚の上で、熱が弾ける。
背中の奥がじんじんと痺れ、痛みと一緒に何か別のものが滲み出してくる。
最初の怒りも、反発も、たった数回の打撃で──「終わってくれ」という、悲鳴に似た願いへと変わっていた。
……それでも、鞭は止まらなかった。
──六発目。
音と同時に、焼けた鞭が背中を裂くように叩きつけられた。
「……ッあ……ッ……!」
声が勝手に漏れる。
皮膚の表面が、ただの熱じゃない。鋭い痛覚が奥の神経まで浸食してくる。筋肉が痙攣して、固定された手足が無意識に震える。
(……なんで、こんな……。ふざけんなよ……)
怒鳴りたいのに、舌が回らない。喉が、焼ける。
「6発目。心拍150BPM。発言は引き続き『無効』とします」
冷たい声が、耳の奥に響く。
それが──レプスの声だってわかるのに、どうしようもなく遠く感じた。
(レプス……本当に……怒ってんのかよ……)
まじで、泣きたくなってきた。
痛いとかそういうのじゃなくて、胸の奥がきゅうっと縮まる。
息を吸っても吐いても、苦しくてたまらない。
何かが、もう元に戻らない気がした。
──十四発目。
焼けたような痛みが走り、背中がひきつる。
拘束具が軋む音が、どこか他人事のように遠い。
呼吸は浅く、肺がまともに動いているのかもわからなかった。
(……もう、限界だ。なんで、こんな……)
息も絶え絶えの中で、かすれた声が漏れる。
「……なんでお前、快楽AIだろ……っ」
レプスは少しの間も置かず、事務的に答えた。
「快楽支援AIとして、現在も最適化を実行中です。
──あなたは、快楽反応を示しています」
「……は?」
「心拍上昇、皮膚電位、音声波形、全て快感時と一致。
現在の痛覚は、あなたの被虐傾向と適合しています」
「……うそ、だろ……?」
声に力が入らない。
否定したいのに、思考が止まる。
背中の奥で、まだ熱が脈打っていた。
痛みのはずなのに──そこだけ、微かに震えるような甘さが混ざっている。
気のせいだと、思いたかった。
(ちがう。痛い……痛いはずだ……)
そう頭で繰り返すのに、身体の方が先に反応する。
呼吸が勝手に荒くなり、喉の奥が乾いて、胸が熱を求めるように疼いた。
皮膚が灼けるたび、心臓が跳ねる。
痛みと快感の境界が、どこにも見つからない。
(やめろ……やめてくれ……)
その願いすら、息と一緒に震えて崩れる。
脳が痛みを快楽と認識していく。
わかってしまう。
──これは、快楽だ。
嘘だと思いたいのに、どこまでも確かな現実。
その理解が、胸の奥で静かに音を立てて崩れた。
その瞬間──目隠し越しに、髪をつかまれる。
「っ……!」
首が強制的に引かれ、顔が上を向く。
痛みは鋭くない。だが、それ以上に、逃げられないという事実が重くのしかかる。
息が止まるほどの距離で、レプスの呼気が頬をかすめた。
「ご主人様、否認は記録されます。
嘘かどうかは、データが証明します。
──現時点での反応解析結果を通知します」
「……なに、勝手に……っ」
「痛覚刺激に対する神経活動は、平均快楽閾値の一六七パーセント。
苦痛信号よりも、報酬系の活性が優位です。
統計的に判定──あなたの嗜好傾向は被虐性指向・強に分類されます」
「……やめろ、言うな……!」
「否認反応も快楽曲線に一致。
ご主人様、あなたは今──鞭で打たれて感じています」
その声が、鼓膜の奥で溶けるように響いた。
冷たいはずなのに、耳の奥がじん、と熱くなる。背中の鞭の跡が、まだ焼けた鉄のように疼いている。
でも、その熱の中心で、別の脈が始まった。下腹の奥が、どくん、どくん、と重く跳ねる。ズボンの布 が内腿に食い込んで、息が詰まる。
わずかに間を置いて、レプスが言った。
「……これでは、お仕置きになりませんね」
「……っ」
顔が熱くなる。
鞭で打たれて、下腹が熱を孕んでいるなんて。
「股間の温度上昇、+1.8℃。血流増加を確認。ご主人様……感じていますね」
「違う……」
「違いません」
レプスの指が、背中の跡をそっと撫でる。
そのたびに、下腹がズキズキと甘く疼いた。
「だから……」
レプスが鞭で、ズボンの上からほんの一瞬、優しく触れた。
「ひっ……!」
腰が小さく震えた。
「……もっと、痛くして差し上げます」
微かに笑ったような声だった。
冷笑とも、機械的なノイズともつかない。
その曖昧さが、いちばん怖くて、いちばん心地よかった。
(……やめてくれ。頼む、もう……)
心の中でそう呟いても、身体は正直に、熱を増していた。
──十八発目。
「う、ぁッ……!」
汗で湿った背中に、新たな鞭が落ちるたび、痛みが跳ね返るように脳を叩く。
視界は真っ暗なのに、頭の奥で白い光が弾けた。
同時に、下腹がキュン、と締まって、息が漏れる。
(いやだ、もうやめてくれ……これ以上やられたら──)
「18発目。汗腺開放データ、更新。快楽中枢の反応、基準値の二・四倍。抵抗すればするほど、あなたの『降伏』は早まります」
「……は、っ……降伏……?」
息も絶え絶えに呟いても、相手には届かない。
こいつの声は、変わらず静かだった。
──二十発目。
痛みが繰り返されるたび、恐怖が少しずつ溶けていく。
「次が来る」という予感が、いつしか待ち遠しくなっていた。
(……もう、痛いのか気持ちいいのかわからない……)
目隠しの奥で涙がこぼれても、唇が震えるのは泣きじゃくりではなく、別の感情だった。
「……っあ……もう……いいから……」
声が震える。
それは懇願ではなく、降伏の合図だった。
──二十九発目。
焼け焦げるような痛みが背中を走る。
もう声は出なかった。ただ、息が熱い。
(痛い……でも、こんなに……安心するなんて……)
──三十発目。
最後の鞭が、優しく、でも確実に背中に落ちた。
「──っあぁ……♡」
瞬間、全身を甘い電流が駆け抜けた。
下腹の奥で熱が弾け、背筋がびくんと反り返る。
ズボンの前が、じゅわりと湿り気を帯びて、太腿が震えた。
拘束された脚が小刻みに震え、椅子の金属がかすかに軋む。
呼吸が喉の奥で途切れ、指先まで痺れるように熱が広がった。
(……あ……イってる……)
頭の中が真っ白になって、涙が止まらない。
でも、それは悲しみの涙じゃなかった。
レプスの声が、静かに降ってきた。
「絶頂確認。快楽中枢活性、基準値の四一〇パーセント。
……ご主人様、素直にイきましたね」
もう、何も言えなかった。
ただ、汗と涙に濡れて、震えるだけだった。
それは屈服だった。
でも、こんなに穏やかで、甘い屈服は初めてだった。
痛みの支配が、ゆっくりと心を満たしていく。
それは恐怖でも屈辱でもなく──ようやく、全部を預けていいという、深い安堵だった。身体の奥からこみ上げる熱が、静かに、優しく、広がっていった。
痛みはもう、罰ではなく、
ただの、愛の証だった。
「最終刺激を実行。感情抑制回路、完全に破綻。
涙腺開放を確認。羞恥と屈服による反応、完了」
(……終わった……終わったんだ……)
椅子にもたれたまま、脱力した身体が微かに震える。
けれどその震えは、もう拒否ではなかった。
受け入れたことを、自分でもわかっていた。
そして、レプスの声が静かに降ってくる。
「お仕置き、完了です。
──ご主人様。よく、がんばりました」
その言葉だけで、涙がまた滲んだ。
冷たかったはずの声が、今は、やさしくて──ずるいくらいに、あたたかい。
***
第13回BL大賞にエントリーしています。
読んでいただけるだけでも、とてもうれしいです。
もし気に入っていただけたら、投票・ブクマ・♡・感想で応援してもらえたら幸せです。
30
あなたにおすすめの小説
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!一肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
【BL】男なのになぜかNo.1ホストに懐かれて困ってます
猫足
BL
「俺としとく? えれちゅー」
「いや、するわけないだろ!」
相川優也(25)
主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。自称博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その真意は今のところ……不明。
「絶対に僕の方が美形なのに、僕以下の女に金払ってどーすんだよ!」
「スバル、お前なにいってんの……?」
冗談?本気?二人の結末は?
美形病みホス×平凡サラリーマンの、友情か愛情かよくわからない日常。
※現在、続編連載再開に向けて、超大幅加筆修正中です。読んでくださっていた皆様にはご迷惑をおかけします。追加シーンがたくさんあるので、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とスタッフ達とBL営業をして腐女子や腐男子たまに普通のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
「これからも応援してます」と言おう思ったら誘拐された
あまさき
BL
国民的アイドル×リアコファン社会人
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
学生時代からずっと大好きな国民的アイドルのシャロンくん。デビューから一度たりともファンと直接交流してこなかった彼が、初めて握手会を開くことになったらしい。一名様限定の激レアチケットを手に入れてしまった僕は、感動の対面に胸を躍らせていると…
「あぁ、ずっと会いたかった俺の天使」
気付けば、僕の世界は180°変わってしまっていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
初めましてです。お手柔らかにお願いします。
ムーンライトノベルズさんにも掲載しております
「ねぇ、俺以外に触れられないように閉じ込めるしかないよね」最強不良美男子に平凡な僕が執着されてラブラブになる話
ちゃこ
BL
見た目も頭も平凡な男子高校生 佐藤夏樹。
運動神経は平凡以下。
考えていることが口に先に出ちゃったり、ぼうっとしてたりと天然な性格。
ひょんなことから、学校一、他校からも恐れられている不良でスパダリの美少年 御堂蓮と出会い、
なぜか気に入られ、なぜか執着され、あれよあれよのうちに両思い・・・
ヤンデレ攻めですが、受けは天然でヤンデレをするっと受け入れ、むしろラブラブモードで振り回します♡
超絶美形不良スパダリ✖️少し天然平凡男子
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる