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一章
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美味しい美味しいと、笑顔で食べる玲奈を見つめた。
私は、手元にあるケーキを数秒眺め、口を開いた。
「私のも食べる?」
「えっ、いいの! でも……なんで? すごい美味しいのに」
少し間を置いてから答える。
「なんか、急にお腹いっぱいになっちゃって」
ケーキを目にしたら相馬さんの姿が思い浮かび、食欲が失せてしまったのだ。
喜びの声をあげる玲奈に渡し、立ち上がる。床に散乱しているバッグのひとつを持ち上げ、「食べ終わったら少し片付けない?」と提案した。
「う~ん、えー、めんどくさいよぉ、すぐこうなるよ」
「過ごしにくくないの?」
「うん!」
「じゃあ、私がやってもいい?」
頬にクリームをつけたまま頷いてきたので、苦笑してしまう。
玲奈の部屋は別にゴミ屋敷とかの汚さはないのだが、物が多い。
私は片付けの優先順位を決め、最初に、部屋の角にある服を移動させることにした。
両腕で持ち上げる。その瞬間バサリと音がした。
続けて、バサ、バサ、バササと何かが落ちる。布ではないことはすぐにわかった。
違うものが紛れ込んでいたのだろう。正体はなんだと下を向く。
床にあったもの、それはお金だった。一万円の紙だった。数えきれないほどの量。
予想外の結果に喉が鳴る。声が出ない。ゆっくりと振り返り、玲奈を見た。気づいていないのか、二つ目のケーキを食べようとしていた。
私は震える声で玲奈の名前を呼んだ。
「ん~? なにー」と場にそぐわない返事。
「これ、どうしたの」
尋ねると、玲奈は目を瞬かせた後、答えた。
「それはねー、汚いお金」
驚いた様子もなく、玲奈は再びフォークを動かし始めた。
どういうこと?
意味がわからないので、私は持っていた服を傍に置き、紙幣をじっと観察した。十秒、二十秒と経っても、私は理解出来なかった。お金に、目立ったよごれはない。汚いお金って、なんだ。
頭を悩ませ、最終的に、不正な方法で入手したものなのでは。という結論に至った。
「だ、ダメだよ、盗んだりしちゃ……」
「え? ……ぷっ、あはは、違うよ!」
お腹をかかえて笑いだした玲奈を、じゃあこれは何? という目で見る。
「もー、酷いよ! 私はそんなことしないもん。これはね、汚いお金。 バイトしたり自分で稼いだお金は、普通のお金か、綺麗なお金なんだよ」
説明をしてくれてるのは分かったが、内容が頭に入ってこない。区別なんてあるのか、と質問したくなってくる。
私は傍に落ちている一万円と玲奈を交互に見て、「じゃあ、ぱ、パパ活とかは?」と聞いた。
「……うーん、普通? ホストに行くためには、お金が必要だから稼がなきゃなんだもん。だけど、その汚いお金は絶対使いたくないの、それにパパ活って言っても、赤の他人だし、本当の娘とか関係ないし、自分で稼いだお金だし」
発せられる言葉に違和感があり、口を挟もうとしたら、それよりも先に玲奈が立ち上がった。
「やっぱり片付けなんてつまらないから違うことしよ!」
ね? という圧に、私は小さく頷いた。
最終的に、カードゲームをして残りの時間を過ごした。
早い解散になり、私は今帰路についている。バス停から十分ほど歩いた場所にある家に向かっていると、突然肩を叩かれた。
振り向いて、思わず固まった。
「……よ、良かった。あ、あってた。か、佳代ちゃん」
「そ、相馬さん? なんで」
何度も見た姿。
興奮した様子で、目を合わせてくる。どうしてここに?
不気味で、ひっと、声が出そうになった。
「なんでって……あっ……えっと……、た、たまたま? 用事があってここら辺にきたら、えっと、佳代ちゃんがいて」
視線を散らしながら、理由を述べている。
けれど私は、何一つ信じられそうになかった。だって、ここら辺は、少し田舎っぽいから、お店などはないし、賑わっているわけでもない。用事なんてあるはずない。
何も言えずにいると、相馬さんは名前を呼んできた。
「あのさ、も、もしかして今から帰るの? えっと……それなら、俺送るよ」
少し照れながら腕を伸ばしてくる。叫びそうになったのを耐え、無理やり口角を上げた。
「あ、いえ、ま、まだ帰るつもりなくて」
家を知られちゃダメだと、反射的に思った。
何を考えているのか分からないから怖い。ストーカーみたいだ。
片方の手で、自分の二の腕を掴み、グッと耐えた。とりあえず離れよう。
「前にいただいたケーキのかわりに、ち、ちょっと遠いんですけど、近くのカフェで、私が奢るので、行きませんか?」
震える声を誤魔化すように、勢いよく喋った。相馬さんは、えっ、とつぶやき、「い、行く! もちろん行きたい」と同意して笑った。
私が足を進めると、相馬さんは隣にピッタリとくっついてきた。手を繋いでこようとしたのがわかったので、両手でバッグのハンドルを握った。
徒歩で約二十分。その間に、相馬さんが話しかけてきた。
「えっと、あのさ、佳代ちゃんは、どうしたら嬉しい? ……何が嫌? と、友達のこと、俺が悪く言っちゃったでしょ、い、嫌な気持ちにさせて、もう、会えなくなるのかなって……お、思って、それは嫌だなって」
嬉しいとか、嫌とか、そんなことはいいから関わらないでほしい。だけど、伝えられない。怖い。
「……玲奈に、強くあたったり、しないでください。優しくしてください」
危害を加えられたら困るから。何とか発した言葉に、相馬さんは首を縦に振った。
「わ、わかった。し、しないから、優しくするよ、そしたら、佳代ちゃんは、嫌じゃないんだよね」
黙って頷いた。
そこからカフェにつくまで、相馬さんが喋りかけてくることはなかった。
お店のなかでも、少しだけ会話をしたくらいで、一時間もしないうちに帰ることになった。
私が二人でいるのに耐えられなくなったのだ。
お金を払おうとしたら、いつのまにか相馬さんが財布を持っていたので、阻止した。
外に出てすぐ、相馬さんと別れようとしたら、会った時と同様に、送るといいだした。
大丈夫と断っているのに、引きさがらないので、私は言葉を詰まらせた。
下を向く。急に手首を掴まれたので体がはねた。
「じ、じゃあ、また、またホストクラブでいいからきてよ、夜だったら、学校も終わって、時間合うよね? いつも会えないのは、い、忙しいからだろうし、ね、お願い」
会わないのは、忙しいからではなく単純に会いたくないからなのに。勝手に勘違いをしている。
今家についてこられるよりマシだろうと思い、私は「分かりました」と答えた。喋る隙を与えたら、振り切れないと思い、腕をひきぬいて、後ろを向く。
曲がり角まで早足で進み、その後走った。
背後に、相馬さんの姿はなかった。
数日後、玲奈と授業が被った時に「最近はホストクラブに行ってるの?」と尋ねた。
「うん! え、佳代も行く? 今週も行く予定なんだ~!」
相変わらずニコニコと楽しそうにしている玲奈を見ていると、気が抜ける。
「あー……えっと迷ってて」
「え! なんで、行こうよ!」
相馬さんとの約束があるけれど、正直行きたくない。けれど、別れた日から催促してくる連絡が絶えない。
それに、また家の近くに来られたりしたら……。
「うーん、じゃあ、私も次の時行こうかな」
玲奈は、やったーと、両手を上げた。
お酒を飲んですぐ帰ればいいだけだろうし、きっと大丈夫だろう。
***
ホストクラブに行く日はすぐにやってきた。
相変わらず治安の悪い道を二人で歩く。
お店につき、中に入り、席へ案内される。椅子に座ってから数秒もしないうちに相馬さんたちはやってきた。
「佳代ちゃん。きてくれたんだ! な、何飲む? お金とかは俺が払うからさ、好きなの頼んでいいよ」
初対面の時と同じくらいの距離感。なのに、気分が悪くなって「御手洗行ってきます」と伝え、立ち上がった。
落ち着けるかなと思っていたトイレにも、高級そうな装飾があり、リフレッシュはできなかった。手を洗って身なりを整えて、そうしてからテーブルに戻った。
すると、人の配置が変わっていた。どういう経緯でそうなったのかは分からないが、相馬さんと玲奈が喋っている。春樹さんはいないみたいだ。
ソファの端に座ると、私に気づいた相馬さんは、チラチラとこちらに目を向けた。けれど、玲奈とは喋り続けたままだった。
玲奈は笑っているし、楽しそう。私はひとりになれるし、正直助かった。
数分くらいして、相馬さんが私に声をかけてきた。でも、タイミングよく誰かが私の隣に座った。
「あ、えーと、佳代ちゃん? だっけ、黒金さんから聞いてます! いやぁごめんね、俺が席外してたせいで。喉乾いたりしてたでしょ~、今ちょっと忙しくてさ」
歯を見せて笑い、話しかけできたのは、春樹さんだった。
大丈夫ですと答えれば、ありがとう!と元気よくお礼を言われた。ほんのちょっとだけ玲奈と似ていて、肩の力が抜ける。
「玲奈ちゃんお待たせ~! ……あれ、黒金さんどうしたんですか?」
玲奈たちの方を向く。
「……いや、別に」と言った相馬さんの目が一瞬、春樹さんを睨んでるように見えたが、多分気のせいだろう。私に喋りかけてきた時には、いつもの顔だったから。
「佳代ちゃん。お、俺、さっき喋ってた時、悪口とか言ってないからね。ちゃんと楽しくしたつもりだし……、み、見てたよね?」
聞いてもないのに、相馬さんはグイグイと近づきながら説明してくる。私は曖昧に頷いた。
終わりまで、話が途切れることはなかった。それが逆に苦痛だった。
会計が終わり、出入口に向かっている時、相馬さんが次の予定を決めようとしてきたので、適当な理由を作り、玲奈を連れて店からでた。
玲奈とは途中でわかれ、私はそのまま家に向かった。
それから一週間後、休日の夜、家にいたら、インターホンが鳴った。ドアスコープを除けば、見知った桃色の髪に、フリルの付いた洋服。玲奈だと気づき、私は扉を開けた。
「どうしたの、こんなじかん……」
口を閉じる。
目に涙をためて、嗚咽を漏らす玲奈が居たから。
「ひっ……ひぐっ……は、春樹ぐんが、も、もぅ、か、かがわらないっで……な、なんか、お前らにかがわるど、ろ、ろぐなこどがないがらって……」
声を上げて泣き始めたので、私は慌てて腕を引っ張った。ティッシュを取りに行き、玲奈に渡す。
「落ち着いて、とりあえずこれで拭きな」
玲奈は鼻を啜りながら、うん、と首を振った。
手を引き、リビングに連れていく。机の近くに座らせてから、私はお湯を沸かしに台所へ向かった。
ココアを作り、玲奈用に持っていく。
「……それで、何があったの」
こっぷを渡して尋ねると、玲奈は小さな声で喋りだした。
「な、なんか……この前、佳代と一緒に行った時は普通だったのに、今日会いに行ったら、急に……なんか、もうかかわんないでって、言ってきて」
「急に?」
「……うん」
ちびちびとココアをすすっている玲奈。私は隣に腰を下ろし、「本性が分かって良かったって思おう……。ホストクラブがある場所も、夜だと危ないし、もう、行かない方がいいんじゃないかな。玲奈にはちゃんと好きになった人と、幸せになってほしい」と言った。
数秒の沈黙が流れる。先に口を開いたのは玲奈だった。
「うん。払い終わってないお金だけ返しに行ったら、これからは行かない。ねぇ佳代……好きって何?」
突然の質問に、頭が混乱した。
好きなんて、私も分からない。でも、何かを言わなければ。
「なんだろうね……。楽しいとか幸せとか思ったら、好きなんじゃないかな。人でも物でも。あんまりわかんないけど、でも、私は玲奈のこと好きだよ」
視線を向ければ、玲奈は私の顔を見て固まっていた。そして直ぐに、泣いてるのか笑ってるのか分からない表情で抱きついてきた。
危なっかしくて、目が離せない玲奈。
これからもずっと親友でいたい。そう思いながら、私も抱きしめ返した。
***
「お、お母さん。……えっとね、き、今日テストがあったんだ。それでね――」
「佳代! 今お母さん忙しいの分からない? そんなこと報告してくる暇があったらさっさと宿題やりなさい!」
つり上がった眉。への字の口。眉間によったシワ。
お母さんはいつもこの顔をしていた。忙しい、忙しい、忙しいと常に喋っている。
看護師のお母さんと、出張が多いお父さんが家にいることは少なかった。三人でどこかに出かけた記憶はない。自分のことは全部自分でやらなきゃいけなかったから、あゆみに書いてある先生からの評価には、真面目で責任感の強い子、なんてふうにかかれていた。
弱みを見せちゃダメだと言われていたから、なんでもできるふうに装っていた。本当は、お母さんのご飯が食べたかったし、もっといっぱい喋りたかった。
「そんな泣き虫な子は、私の子じゃありません。わがままもいい加減にして! 」
小学校六年生の時、友達のいなかった私は、学校に行くのが辛くなって、一度だけ休みたいと、お母さんに伝えた。
クラスの子が、「うちのママは優しくて、休みたいって言ったらそういう日もあるよね、気分展開にお出かけしよっか! って、言ってくれるんだよ~!」と話していたのを私は聞いていた。だから、もしかしたらお母さんもそう言ってくれるんじゃないか、なんて、思ってしまったのだ。
結局、学校には行くことになった。
中学生になっても、相変わらず私はひとりだった。自分の存在意義が分からなくて、人から嫌われたくなくて、少しでも誰かの役にたとうと思った。だから、とにかく人助けをした。困っている人がいたら、声をかけるようにした。でも、みんな曖昧に笑って離れていった。
中学二年生の夏。転校生がやってきた。
第一印象は派手な子だな、という感じで、一生関わらないだろうと思っていた。
国語のグループ発表で、私含め五人でのチームになった。
話し合いの時、隣の女の子が、筆箱を漁っているのに気づき、机の上のシャーペンと、書きかけの紙を見て、消しゴムを忘れたんだとわかった。
「良かったら、これ使って」
そう言って持っていた新しい消しゴムを渡せば、女の子はポカンとしたあと、苦笑いをした。
「……え、あ、ありがとうー。でもこれ新品だしさ、別にいいよ。……なんか前から思ってたんだけどさ、佳代ちゃんって、全部自分でやろうとしたり、何考えてるかわかんないよね。急に現れたりして、ずっと誰かのこと見てるの、ちょっと変……というかきもちわるい、かも……」
女の子は、近くの子とすぐに会話を始めた。私は動けなかった。手に持っていた消しゴムが、やけに重く感じた。
そっか、私は変なんだ。だからみんないつも、私が喋りかけるとよくわからない顔をするんだ。
奥歯を噛み締める。指先の震えは、力をいれて誤魔化した。
「私今日鉛筆とか全部忘れちゃって、貸してほしい!」
元気な声だった。顔を上げれば、転校生がいた。びっくりして固まっている私を気にせず、続けて話しかけてくる。
「あ、私はね~、玲奈って言うんだー、なんて名前?」
「し、清水佳代」
「じゃあ佳代ね! よろしくね!」
今思えば、あの時玲奈は、私に気を使ってくれていたんだと思う。
それから、次の日も、その次の日も、玲奈は私に話しかけてきた。嫌な顔なんてしなくて、ずっとにこにこしている玲奈といるのは楽だった。私から声をかけることも増え、家族といるより、玲奈といる時間の方が長くなった。
しばらくしてから、「友達になってほしい」と私は玲奈に頼んだ。玲奈は目を丸くした。
「 え! 私はもう、友達だと思ってたよ」
「……え」
「だって、いつも一緒だし!」
友達だと思ってた。その言葉に、目頭が熱くなった。
「そっか、うん……そっか、確かに」
顔を背ける。喉から声が漏れそうになり、グッと口を閉じた。
「どうしたの? ……え、泣いてる? もしかして嫌だったの! 私と友達なの、えっと……えーと」
「ち、違うの……違う。私、今まで友達いたことなかったから、これからもずっと、ずっとひとりなんだって思ってたから」
「そうなの? でも私、佳代くらい優しい人今までみたことないよ。あ、じゃあ、私が友達第一号ね! それでー、親友になろう! 親友第一号!」
「ふふっ……なにそれ」
水が頬をつたって地面に落ちる。
笑い合う私たちの間に、暖かい風が通り過ぎた気がした。
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