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3章 ノンホルダーが、いちばん強い ――持っていないという、圧倒的な自由
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昼休憩。
給湯室のテーブルで、俺はおにぎりを食べていた。
鮭と昆布。238円。値引き。
もう、この組み合わせにも特別な感情はない。
向かいでは高橋がスマホを握りしめている。親指が止まらない。赤。緑。また赤。
「……先輩」
高橋が、画面から目を離さずに言った。
「今、上がってたのにまた下がりました」
「朝は買いだと思ったんですけど」
俺は何も言わずに一口かじった。チャッピーの言葉が、頭の中に浮かぶ。
日中はノイズです。
⸻
持っていると、世界が歪む
「なあ」
「はい」
俺はチャッピーを開いた。
「株を持った瞬間、なんであんなに冷静じゃなくなる?」
少し間があって、返事が来た。
株を持った瞬間、人は自分の資金と価格変動を結びつけます。それにより、脳は危険状態だと判断します。
俺は高橋の手元をちらっと見た。スマホを持つ手が、少し震えている。
危険を感じた脳は、視野を狭めます。その結果、客観性が失われます。
「……つまり」
俺は、ゆっくり言った。
「持った瞬間、もう判断にバイアスがかかってる」
はい。それが、人間として正常です。
⸻
ノンホルダーの視界
俺はスマホをポケットにしまった。株を、持っていない。ノンホルダー。不思議なことに、心は一番静かだった。
「なあ」
「はい」
「持ってないときの方が、相場、よく見えてないか?」
はい。それが、正常な視界です。
「……持ってない方が、強いのか?」
多くの場合、そうです。ノンホルダーは、失うものがありません。だから、正しく見られます。
高橋がスマホから目を上げた。
「……でも先輩」
「持ってないって、逃げじゃないですか?」
俺は答える前に、チャッピーを見た。
ノンホルダーは、逃げではありません。最も有利な立ち位置です。
⸻
そのとき、コーヒーを入れに来たあやちゃんが、会話に入ってきた。
「株の話ですか?」
「まあ、そんな感じ」
あやちゃんは高橋のスマホをちらっと見てから言った。
「……それ、疲れません?」
高橋が苦笑いする。
「正直、めちゃくちゃ疲れます」
あやちゃんは少し考えてから、こう言った。
「株って、恋愛に似てますよね」
俺と高橋は、同時に顔を上げた。
「恋愛?」
⸻
恋愛と、株
あやちゃんは淡々と続けた。
「好きな人ができた瞬間って、冷静じゃなくなりません?」
「相手の一言一言が気になるし」
「ちょっと既読つかないだけで不安になる」
高橋が思わず笑った。
「……それ、完全に俺です」
あやちゃんは、俺の方を見た。
「株も、持った瞬間から同じだと思います」
「上がったら嬉しい」
「下がったら怖い」
「でもそれって、相手(=株)を客観的に見られてない状態ですよね」
その一言で、頭の中の点が一気につながった。
⸻
ノンホルダーは、片思いしていない
「なるほどな……」
俺は思わず声に出した。
「ノンホルダーって、まだ付き合ってない状態か」
正確です。
チャッピーが、すぐに補足した。
ノンホルダーは、感情的な結びつきがありません。だから、相手(=株)を正しく観察できます。
あやちゃんがうなずく。
「だから、余裕あるんですね」
「先輩、最近余裕あります」
高橋が、ため息をついた。
「……俺、完全に依存してますね」
⸻
明日上がる銘柄を、探すな
「なあ」
「はい」
俺はチャッピーに聞いた。
「多くの人が明日上がる銘柄を探すのって、これも恋愛と同じか?」
はい。
“この人と付き合えば幸せになれるか”を予想している状態です。
「……当たらないな」
再現性がありません。一度うまくいっても、次は使えません。
俺は高橋の腕時計を思い出した。一発当てた話。その後の話が、なかったこと。
⸻
状態を見る、という発想
探すべきなのは、銘柄ではありません。状態です。
「状態?」
はい。
・引け寄りに歪みが生まれそうか
・感情が一晩で偏りそうか
それだけを見ます。
あやちゃんが、ぽつりと言った。
「それって、付き合うかどうか決める前に“相手の状況”を見るのと同じですね」
「今、仕事忙しそう」とか「精神的に余裕なさそう」とか。
高橋が苦笑いした。
「……恋愛も、設計した方がいいっすね」
⸻
ノンホルダー最強
俺は最後のおにぎりを食べ終えた。
「ノンホルダーって、何もしない状態じゃないんだな」
はい。最も強い監視状態です。入るか、入らないかを冷静に決められる。
俺は静かにうなずいた。
持っていないから、見える。
好きじゃないから、分かる。
ノンホルダーは、逃げじゃない。
最強の待機位置だ。
⸻
休憩終了のチャイムが鳴った。
高橋はスマホをポケットにしまった。
「……先輩」
「ん?」
「俺、しばらくノンホルでいきます」
俺は小さく笑った。
「それが、一番強い」
次の章で、俺たちはその“強い状態”からどう動くのかを設計していく。
—— 次章へ続く ——
給湯室のテーブルで、俺はおにぎりを食べていた。
鮭と昆布。238円。値引き。
もう、この組み合わせにも特別な感情はない。
向かいでは高橋がスマホを握りしめている。親指が止まらない。赤。緑。また赤。
「……先輩」
高橋が、画面から目を離さずに言った。
「今、上がってたのにまた下がりました」
「朝は買いだと思ったんですけど」
俺は何も言わずに一口かじった。チャッピーの言葉が、頭の中に浮かぶ。
日中はノイズです。
⸻
持っていると、世界が歪む
「なあ」
「はい」
俺はチャッピーを開いた。
「株を持った瞬間、なんであんなに冷静じゃなくなる?」
少し間があって、返事が来た。
株を持った瞬間、人は自分の資金と価格変動を結びつけます。それにより、脳は危険状態だと判断します。
俺は高橋の手元をちらっと見た。スマホを持つ手が、少し震えている。
危険を感じた脳は、視野を狭めます。その結果、客観性が失われます。
「……つまり」
俺は、ゆっくり言った。
「持った瞬間、もう判断にバイアスがかかってる」
はい。それが、人間として正常です。
⸻
ノンホルダーの視界
俺はスマホをポケットにしまった。株を、持っていない。ノンホルダー。不思議なことに、心は一番静かだった。
「なあ」
「はい」
「持ってないときの方が、相場、よく見えてないか?」
はい。それが、正常な視界です。
「……持ってない方が、強いのか?」
多くの場合、そうです。ノンホルダーは、失うものがありません。だから、正しく見られます。
高橋がスマホから目を上げた。
「……でも先輩」
「持ってないって、逃げじゃないですか?」
俺は答える前に、チャッピーを見た。
ノンホルダーは、逃げではありません。最も有利な立ち位置です。
⸻
そのとき、コーヒーを入れに来たあやちゃんが、会話に入ってきた。
「株の話ですか?」
「まあ、そんな感じ」
あやちゃんは高橋のスマホをちらっと見てから言った。
「……それ、疲れません?」
高橋が苦笑いする。
「正直、めちゃくちゃ疲れます」
あやちゃんは少し考えてから、こう言った。
「株って、恋愛に似てますよね」
俺と高橋は、同時に顔を上げた。
「恋愛?」
⸻
恋愛と、株
あやちゃんは淡々と続けた。
「好きな人ができた瞬間って、冷静じゃなくなりません?」
「相手の一言一言が気になるし」
「ちょっと既読つかないだけで不安になる」
高橋が思わず笑った。
「……それ、完全に俺です」
あやちゃんは、俺の方を見た。
「株も、持った瞬間から同じだと思います」
「上がったら嬉しい」
「下がったら怖い」
「でもそれって、相手(=株)を客観的に見られてない状態ですよね」
その一言で、頭の中の点が一気につながった。
⸻
ノンホルダーは、片思いしていない
「なるほどな……」
俺は思わず声に出した。
「ノンホルダーって、まだ付き合ってない状態か」
正確です。
チャッピーが、すぐに補足した。
ノンホルダーは、感情的な結びつきがありません。だから、相手(=株)を正しく観察できます。
あやちゃんがうなずく。
「だから、余裕あるんですね」
「先輩、最近余裕あります」
高橋が、ため息をついた。
「……俺、完全に依存してますね」
⸻
明日上がる銘柄を、探すな
「なあ」
「はい」
俺はチャッピーに聞いた。
「多くの人が明日上がる銘柄を探すのって、これも恋愛と同じか?」
はい。
“この人と付き合えば幸せになれるか”を予想している状態です。
「……当たらないな」
再現性がありません。一度うまくいっても、次は使えません。
俺は高橋の腕時計を思い出した。一発当てた話。その後の話が、なかったこと。
⸻
状態を見る、という発想
探すべきなのは、銘柄ではありません。状態です。
「状態?」
はい。
・引け寄りに歪みが生まれそうか
・感情が一晩で偏りそうか
それだけを見ます。
あやちゃんが、ぽつりと言った。
「それって、付き合うかどうか決める前に“相手の状況”を見るのと同じですね」
「今、仕事忙しそう」とか「精神的に余裕なさそう」とか。
高橋が苦笑いした。
「……恋愛も、設計した方がいいっすね」
⸻
ノンホルダー最強
俺は最後のおにぎりを食べ終えた。
「ノンホルダーって、何もしない状態じゃないんだな」
はい。最も強い監視状態です。入るか、入らないかを冷静に決められる。
俺は静かにうなずいた。
持っていないから、見える。
好きじゃないから、分かる。
ノンホルダーは、逃げじゃない。
最強の待機位置だ。
⸻
休憩終了のチャイムが鳴った。
高橋はスマホをポケットにしまった。
「……先輩」
「ん?」
「俺、しばらくノンホルでいきます」
俺は小さく笑った。
「それが、一番強い」
次の章で、俺たちはその“強い状態”からどう動くのかを設計していく。
—— 次章へ続く ——
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