異世界で魔族が全滅してるらしいが、俺は普通にゴルフしてるだけ ~無能扱いされた男が 、距離だけで世界を変える話~

ぬこまる

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17 平和になったら、温泉に入りたくなった

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朝の芝域は、静かすぎた。

風が音を立てずに抜けていく。雲は高く、光は柔らかい。芝は夜露をまとい、一本一本の葉が朝日に反射して、まるで薄いガラスみたいにきらっと光っている。

(……またこれ、ゴルフ雑誌の巻頭グラビアじゃん)

現実世界なら、こういう写真の下に「朝露のグリーンは転がりが抑えられる」みたいなコメントが添えられる。俺は芝に足を置き、そっと踏み込んだ。

沈み込みは浅く、反発が均一。柔らかいのに、負けない。

「芝、今日もげんき、げんきー!」

隣で浮いている妖精シルフィが言った。

「きょう、へいわ」

シルフィは肩の高さでふわふわしながら、雑誌編集者みたいな口調で付け足す。

「朝露、ちょっと」
「転がり、すこし遅い」
「でも、芝、いたくない」

「最後の一言、個人的感情入ってるな」

「芝、だいじ」

短いが、強い。

俺は芝を見下ろして頷いた。ここが荒れれば、俺の気分が荒れる。そして妖精はたぶん、本気で怒る。

背後に、静かな気配。

振り返らなくても分かる。無口な兵士――ガルドだ。相変わらず無駄のない立ち姿で、芝域の向こうを見ている。剣には触れない。視線だけが遠くへ滑る。

「……静かだ」

「平和ってことですか」

「……油断するな」

「魔族、出てないのに?」

ガルドは返事をしない。返事の代わりに、半歩だけ位置を変える。俺の背中と芝域の端の距離が、ほんの少し短くなった。たぶん、守りやすい角度なんだろう。

(この人、距離で会話するんだよな……)



ガルドの家で朝飯になった。

家と言っても、兵士の家らしく必要最低限だ。派手な飾りはない。机は頑丈。椅子は硬い。余計な音がしない。だけど窓からは芝域が見える。俺にとっては、それが一番贅沢だ。

ローナが鍋を置いた。

湯気が立つ。匂いがちゃんとしてる。昨日まで「パンと水」だった世界に、突然“朝食”が現れた感じだ。

「おはようございます」
ローナは涼しい顔で言った。
「今日は、スープです」

「今日は、って何が変わったんです?」

「町が燃えていません」
ローナは即答した。
「なので、増えます」

理由が現実的すぎる。

「平和が献立に直結してるの、やっぱりすごいな」

「燃えた日は、水だけです」
ローナは淡々と言う。
「順番に理解すると、食べ物のありがたみが増えます」

(学びが重い)

シルフィが鍋の匂いを嗅いで言った。

「いい」
「ぬくい」

「ぬくいは正義だよね」

ガルドが皿を見て一言。

「……量が増えた」

「ガルド、感想それだけ?」

「必要量だ」

「味の評価は?」

ガルドは一拍置いた。

「……問題ない」

(ツンデレの最大評価)

ローナが少しだけ目を丸くして、すぐに戻す。

「それは、褒め言葉ですか?」

「……そうだ」

(今のは褒め言葉だった。絶対そうだ。見えた。いや、見えてない)

俺はスープを口に運ぶ。あったかい。普通にうまい。胃の奥が落ち着く。

その瞬間、ふと思った。

「……温泉、入りたいな」

三人の動きが止まった。

ローナが首を傾げる。

「おんせん?」

「湯が勝手に湧いてて、ずっと温かい場所です」
俺は短く説明した。
「汗流して、ぼーっとするやつ」

シルフィが即答する。

「すき」

「君は何でも芝基準だと思ってたけど、温かいのも好きなんだ」

「ぬくい」
「だいじ」

ガルドが、珍しく口を開いた。

「……風呂は、面倒だ」

「ですよね」

ローナが頷く。

「魔法で火は出せます」
「でも、続きません」

「魔力切れ?」

「はい」
ローナは真顔で言った。
「途中で倒れるので、危険です」

(風呂で倒れる世界、初めて聞いた)

「薪を使えば?」と聞く前に、ローナは言った。

「薪は高いです」
「湯を沸かすのは贅沢です」
「毎日は無理です」

ガルドが短く。

「……冬は地獄だ」

「地獄なんだ」

ローナが頷く。

「拭くだけの日が多いです」

「たしかに、異世界に来て汗ふきシートしかしてない」

シルフィが、少しだけ眉を寄せた。

「ナオキ、くさい」

「うるせぇ、しかたないだろ……」

俺はスープを飲み干して、芝域を窓越しに見た。朝の光が芝の上を滑っている。汗をかく未来が見える。汗を流せない未来も見える。

(温泉……欲しい)



芝域へ向かうと、外周に小さな屋台が並び始めていた。

焼き物。果物。簡単な木工品。布や紐。金属片。昨日までの緊張が嘘みたいだ。子どもが走り、兵士が立ち話をしている。

(うわ、これ……平和なときの異世界だわ)

芝域の端で、数人の男たちが鎌と鋤を使って芝を整えていた。刈りすぎず、踏みすぎず、傷んだところだけをならす手つき。

日に焼けた顔の男が、こちらに気づいて帽子を上げた。

「おう、今日もええ芝だべ」

「……ミグル?」

「んだ」
男は胸を張った。
「さ、仕事するべ! 王様にパター遊ぶ場所を頼まれただ」

シルフィがふわっと寄る。

「この人、芝にやさしい」

「お、褒められたべ」
ミグルは笑った。
「芝は生き物だで、無茶はさせねぇ。温泉もええけどな、まず芝だべ」

「温泉?」

俺が反応すると、ミグルが顎をしゃくる。

「温泉村、あるべ」
「昔は、湯が湧いて観光もあった」
「今は……まあ、行くやつ減ったべ」

ローナが小さく息を飲む。

「温泉村……?」

「知ってるの?」

ローナは少し考えてから言う。

「噂だけです」
「でも、行けるなら……」

ガルドが短く。

「……遠い」

「距離で語るな」

ミグルが笑った。

「距離は大事だべ」
「ガルドがそう言うなら遠いべ」

(みんな距離の話しかしないな)



そこへ、賑やかな声。

「おーい!」
「芝が観光地になってる!」

ユウマとアヤだ。相変わらず距離が近い。肩が触れている。というか、寄り添っている。

「温泉って聞いた!」
アヤが目を輝かせる。
「行きたい! 絶対!」

「俺も行く!」
ユウマが拳を握る。
「温泉で筋肉回復だ!」

「筋肉で何でも解決しようとするな」

シルフィが真顔で言う。

「筋肉、関係ない」

「妖精に否定された!?」
ユウマがショックを受ける。

アヤが追撃する。

「ユウマ、筋肉で湯は湧かないよ」

「それはそうだよ!」

ガルドが低く言った。

「静かにしろ」
「芝が驚く」

「芝が驚くの!?」

ミグルが肩を揺らして笑った。

「芝も生き物だべ」
「叫ぶなら、温泉で叫べ」



そこへ、私服の姫リリアーナが現れた。

ドレスではなく、動きやすい服。それだけで彼女が本気でここに遊びにきたってことが伝わる。

リリアーナは芝を見て、俺を見る。

「ナオキさん」
「今日も綺麗ですね、うふふ」

(姫の方が綺麗だよ、って、んなこと言えない)

「庭師のおかげですね」
俺は淡々と答える。

リリアーナは少しだけ笑う。

「ミグルは働き者ですから」

「はい」

「……ところで温泉の話をしていましたか?」

「してました」

「私、子どもの頃に行ったことがあります」

姫は少しだけ目を細めた。

「湯気が、空に溶けて……風が甘くて」

(芝以外もちゃんと感じるタイプだ、この子って当たり前か)

ミグルが口を挟む。

「姫さま、あの村だべ?」
「湯が出るときは、ええ匂いだべ」

姫が頷く。

「はい」
「……ですが、遠いです」

ガルドがぼそっと。

「……距離がある」

「ガルド、お前はずっとそれ言うよな」



芝域の隅では、見慣れた顔が休んでいた。

剣士ブロックは剣を地面に置き、肩を回している。
魔法使いエルネスは杖を膝に乗せて深呼吸。
弓使いカイは矢筒を外して座っていた。

ブロックがこちらに気づき、短く言った。

「……温泉の話か」

「知ってるの?」

ブロックは一瞬だけ目を逸らし、すぐ戻す。

「俺の村だ。険しい道だぞ」

アヤが身を乗り出す。

「え、ブロックの故郷!?」
「案内してよ!」

「……うるさい」
ブロックは顔をしかめる。
「ただ、今はお湯が……」

その先を言わずに、芝を見た。

カイが笑う。

「温泉か」
「弓を撃たない日があるなら、湯に浸かる日もあるな」

エルネスが小さく言う。

「……湯は、羨ましいです」
「魔力を使わずに、温かいのは……」

俺は頷いた。

「それな」

ローナがぽつりと言う。

「食材も、村のものが一番です」
「……届けば、ですが」

(届けば、か。温泉だけじゃなく、生活も繋がってる)

気づけば工房主ドランが俺の手元の木製クラブを見て言った。

「ナオキ……温泉より先に、強化しよう、な?」

「余った鉱物や宝石が欲しいんだろ?」

「んー、まぁな、がはは」
ドランは平然と言った。
「経済が回る。技術が磨ける。最高だ!」

(この人、欲望が正直で好きだな)

シルフィが一言。

「やりすぎ、だめ」

ドランが一瞬だけ黙り、それから鼻で笑った。

「……ほどほどにする」
「分かってる」

(妖精の一言で理性が出るの、面白い)



昼の芝域は、さらに人が増えた。
屋台が増え、子どもが増え、笑い声も増えた。

それでも芝は、ちゃんと戻る。
踏まれて、戻る。
踏まれて、戻る。

「芝、つよい」
シルフィが言う。

「庭師が手入れしてるからだよ」
俺が言うと、シルフィは頷いた。

「うん」

夕方、風が少し冷たくなる。
ローナが鍋を抱えて通り、ミグルが芝をならし、ガルドが遠くを見る。
ユウマとアヤは相変わらず近い。
姫は遠くから芝を見て、微笑んでいる。

俺は芝を踏みしめた。

(……温泉、行けたらいいな)

誰かに誓うでもなく、ただ思う。
平和になったら、湯に浸かりたくなる。
人間って、そういう生き物だ。

シルフィが言った。

「温泉」
「ぬくい」
「すき」

「だろうね」

ガルドが短く。

「……行くなら、準備だ」

ミグルが手を止めずに言う。

「険しい道なら整えたいべ」
「距離、測っといて欲しいさ」

ガルドは小さく頷く。

「理解した」

ローナが笑う。

「お弁当、作ります」
「遠いなら、なおさら」

ドランがぼそっと。

「帰りに鉱物でも拾ってこい」
「次の強化に使える」

(お前は最後までそれか)

今日の芝域は、守られている。
町も守られている。

俺の頭の中は、温泉の湯気でいっぱいだった。
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