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22 お金がない!
しおりを挟む朝の漁村は、音から始まっていた。
湖のはずなのに、波がある。
小さく、細かく、水面がざわざわしている。
そして何より、匂いが違う。
塩だ。
鼻の奥に引っかかる、あの海の匂い。
昨日までここは湖だったはずなのに、今は海が混ざっている。
(……異世界の地図を書き換えちゃった)
俺がそんなことを考えている間にも、村はもうお祭りだった。
「網! 網持ってこい!」
「桶が足りねえ!」
「また跳ねたぞ、でけぇ!」
大人が走り、子どもが走り、犬まで走っている。
誰も落ち着いていない。いや、落ち着く必要がないのだ。
魚が多い。多すぎる。
湖の魚じゃない。
銀色が強い。体が締まっている。
跳ね方が、いちいち派手だ。
「……おいおい」
俺は呟く。
「これ、海の魚だろ」
隣でシルフィが胸を張った。
「いっぱい」
「知ってる」
「見ればわかる」
シルフィは得意そうに言う。
「ナイスバーディー」
「いや、何がバーディーなんだよ」
「俺、今、何も打ってないんだが」
「いいこと」
「いっぱい」
(妖精の評価軸、全部ゴルフだな)
◆
村人たちは完全に喜んでいた。
「これ売れるぞ!」
「干せ! 塩を持ってこい!」
「今日は祭りにするか!」
経済って、こういう時に回る。
悲しいくらい分かりやすい。
ガルドだけが、騒ぎの外に立っていた。
半歩後ろ。
いつもの距離。
視線は魚ではなく、水の流れを見ている。
「……水路ができた」
「うん」
「……海と繋がった」
「うん」
ガルドはさらに続ける。
「……外国に渡航できるようになる」
「……え?」
俺が聞き返すと、ガルドは淡々と言った。
「船が出せる」
「海へ行ける」
「へえ」
俺はとりあえず頷く。
「ふーん」
本気で興味がないわけじゃない。
ただ、話がでかすぎて、今の俺の胃に入らない。
シルフィが湖面を見て言った。
「みず、かわった」
「だね」
◆
姫が湖を見つめて、ぽつりと言った。
「……外国に行ってみたいです」
姫の言葉は軽いのに、内容は重い。
王城の外に出るだけでも事件だった姫が、外国。
それはもう、距離の桁が違う。
俺は湖面に浮かぶ船を見た。
小さく、堅牢な船。
揺れている。
水面が少し変わっただけで、船の揺れ方も変わる。
その船を見ているうちに、ふと考えが滑った。
(……俺)
(日本に帰れるのかな)
口にすると一気に暗くなるやつだ。
だから俺は、会話に変換した。
「あの船って、どこに行くんですかね」
姫が首をかしげる。
「どこ……?」
ガルドが即答する。
「漁船だ」
「魚を獲るだけ」
「ですよね」
俺は笑った。
「そりゃそうか」
姫も、くすっと笑った。
「うふふ」
(危ない危ない、急に帰還とか考え始めると、気が遠くなる……)
◆
湖の騒ぎは昼まで続いた。
魚は桶に積まれ、塩が振られ、干され、運ばれ、売る算段が始まっている。
村人の顔が明るい。
困ったら黙る人間が、儲かりそうだと喋るようになる。
「いい日だな」
誰かが言った。
「いい日だ」
別の誰かが言った。
俺も同意したいが、胃の中は焼き魚で満たされていた。
(……さて)
ここで俺はようやく思い出す。
俺、何しに漁村に来たんだっけ。
「ん?」
俺がぼんやりしていると、シルフィが肩の上で跳ねた。
「鉱物」
「シャフト」
「強化」
「あ、そうだった」
(危ない、完全に魚に飲まれてた)
◆
そこに、少年が現れた。
「ナオキさん!」
リオだ。
目がきらきらしている。
今日の村は、きらきらが伝染している。
「魚、すごいですね!」
「すごいな」
俺は頷く。
「で、リオ」
「聞きたいことがある」
「はい!」
「炭素っぽい鉱物、知らない?」
一瞬、リオの顔が止まった。
「……たんそ?」
「しなる素材にしたいんだ」
「ゴルフの――」
言いかけて、やめた。
この村でゴルフはまだ通じない。
リオは正直に首を振った。
「分かりません」
「でも、鍛冶屋なら知ってるかも!」
「鍛冶屋か」
「はい!」
リオは元気よく言う。
「村の奥にいます!」
ガルドが、短く言った。
「……案内させろ」
姫が、嬉しそうに言った。
「行きましょう」
シルフィが、当然のように言った。
「いく」
俺は頷いた。
(よし、やっと本題だ)
湖が海になった日。
魚が増えた日。
世界が広がった日。
でも俺は、相変わらず。
ゴルフの道具を強化したいだけ。
◆
鍛冶屋は村の奥、木々の影が濃くなるあたりにあった。
近づくほどに熱が増す。
焦げた木の匂い、油の匂い、鉄の匂い。
そして――
カン、カン、カン。
一定のリズムで鳴る金属音が、胸の奥まで響く。
「……ファンタジーだな」
俺が思わず呟くと、シルフィが頷いた。
「かんかん」
「すき」
「君、なんでも好きだな」
工房の中では、赤くなった鉄が炎に浮かび、槌が振り下ろされるたびに火花が散った。
熱で空気が揺れて、壁の影も揺れている。
話しかけにくい。
あの「今、声かけたら人生の何かを失う」感じがある。
俺が戸口で足を止めていると、リオが小声で言った。
「今の人、若旦那です」
「すごい人です」
「若旦那?」
俺は思わず聞き返す。
「鍛冶屋って若旦那とかあるの?」
「あります!」
(あります、じゃないんだよな)
ガルドは黙って工房の壁際に目を向けた。
そこには飾られた剣が並んでいた。
派手ではない。だが、どれも無駄がなく、刃が薄く、線が美しい。
武器というより“美術品”に見える。
ガルドの視線が、そのうちの一本に止まる。
(……あ)
俺はなんとなく分かった。
ガルドの目が“測っている”ときとは違う。
それは、記憶を触っている目だった。
姫が、無邪気に聞いてしまう。
「ガルド」
「振らないのですか?」
ガルドの肩が、わずかに動いた。
「……過去のことだ」
姫は首をかしげる。
「でも」
「誰もあなたに勝てなかったのに」
空気が、ほんの少しだけ止まる。
(姫、直球すぎる……)
ガルドは答えないかと思ったが、低く言った。
「神様は気まぐれですから……」
それだけ。
そして、グッと右手を拳にして、少しだけ見つめる。
(……何かあったのかな?)
俺は心の中で思った。
声には出さない。ゴルフと同じで、余計な検索は邪魔だ。
◆
「いらっしゃい」
若い男が、槌を止めてこちらを見た。
汗が頬を伝い、腕は太く、目は真っ直ぐだ。
年は二十前後に見える。
「ようこそ」
男は言った。
「俺はレオン」
(レオン? 王様と被ってない?)
と一瞬思ったが、この世界ではよくあるのかもしれない。
「えっと」
俺は一歩前に出る。
「しなりのある鉱物、ないですか?」
レオンは一拍置いて、にやりと笑った。
「ある」
「炭素系だろ?」
「……あるんだ」
「ある」
レオンは迷いなく言う。
「しなる。戻る。割れにくい」
「それが欲しいなら、これだ」
棚の奥から、黒っぽい鉱物の塊を出す。
見た目は地味だが、妙に“締まった”感じがある。
俺の心が踊った。
「おお……!」
シルフィが即座に言う。
「それ」
「いい」
ガルドが、無言で頷く。
(全員一致、強い)
「ください」
俺が言うと、レオンは即答した。
「百万金貨だ」
「え?」
俺は固まる。
「……金貨、そんなに?」
「相場だ」
レオンは平然と言う。
「しなる鉱物は高い」
「安売りしたら、俺の工房が死ぬ」
(商売の倫理が正しい……)
「えーっと」
俺は財布を探すフリをする。
当然ない。
「金、ないです」
レオンは首を振った。
「じゃあ無理だ。帰れ」
早い。話が早い。現実は厳しい。
そのとき、姫が指輪を外そうとした。
「……これなら」
「売れますか?」
レオンが目を見開いた。
「それを売るなんてとんでもない」
「王族の指輪だろ!?」
「でも……」
「そんなもん売りさばいたら兵士に捕まるぜ」
レオンは真顔だ。
「俺の工房も燃える」
「みんな不幸だ」
「すごい正論……」
俺は思わず呟く。
シルフィが小声で言った。
「どらくえ」
「うん、ドラクエっぽい」
ガルドが低く言う。
「……リリアーナ姫」
「やめろ」
姫は指輪を握りしめ、しゅんとした。
(この子、行動力だけは勇者だな)
◆
困っていると、外で馬車の音がした。
ガラガラ、と、やけに存在感のある車輪。
工房の前に止まり、聞き覚えのある豪快な声が響く。
「おーい!」
「いるか、レオン!」
レオンの顔が一瞬で変わった。
「……師匠だ」
扉が開き、工房主ドランが入ってくる。
「おう」
ドランは俺を見て笑った。
「来てたのか、ナオキ」
「え、なんでここに」
「ザクザクと鉱物の匂いがした」
ドランは平然と言った。
「あと、金が動く匂いもな」
(嗅覚が商人すぎる)
レオンが頭を下げる。
「師匠」
「……お疲れ様です」
「疲れてねえ」
ドランは即答する。
「鍛冶屋は疲れたら負けだ」
(パワハラっぽいが、師弟の信頼が見える)
俺が言う。
「欲しい鉱物があるんですけど」
「百万金貨だって」
ドランが笑った。
「がはは!」
「お前ら、どうせ金ないだろ」
ガルドがぼそっと。
「……悪かったな」
俺がつい言う。
「ガルド」
「独身なのに何に金使うんだよ」
ガルドは一拍置いて言った。
「異世界人が知ることでもない」
「ああ、そうですか」
姫が小さく咳払いをする。
「……仲良くしてください」
シルフィも言う。
「なかよく」
ドランが手を振る。
「分かった分かった」
「金は俺が払う」
「えっ」
俺は目を丸くする。
「いいんですか?」
「当たり前だ」
ドランは胸を張る。
「その鉱物があれば、シャフトっつうもんが強化できる。そいつで魔族を倒して大稼ぎだ」
「やっぱり」
俺は苦笑する。
ドランはレオンの肩を叩いた。
「こいつは俺の弟子だ」
「値段は正しい」
「ただし、俺が払う」
レオンは真顔で頷く。
「ありがとうございます」
ドランが俺を見る。
「礼なら鉱物で返せ」
「もっと強化しようぜ」
「それが狙いね……」
俺はため息をつく。
姫が、場をまとめるように言った。
「鉱物も手に入りましたし」
「……よかったです」
ドランが、ふと姫を見て言う。
「姫」
「帰りますよ」
「王様が泊まりは聞いてないと、ご立腹です」
「……あちゃあ」
俺が言うと、姫が顔を赤くする。
「し、知っています」
「でも……今だけです」
ガルドが短く言った。
「……帰りは馬車だな」
そうして、馬車での帰路が決まった。
俺は鉱物を受け取り、手の中で転がした。
地味だ。だが、確かに“しなり”の未来がある。
(これで、シャフトが変わる)
(距離も、変わる)
ただし――
俺は知っている。
距離が伸びると、世界も伸びる。
それが良いことかどうかは、まだ分からない。
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