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29 修正のパー
しおりを挟むガルドの家に帰ってきた瞬間、美味しそうな匂いが鼻につく。
煮込みの湯気。焼き目の香ばしさ。刻んだ草の青い匂い。
戦場の焦げた匂いでも、工房の金属の匂いでもない。ちゃんと生活してる匂いだ。こういう匂いを嗅ぐと、人は勝手に「今日も生きた」って思える。
「おかえりなさいませ。昼食ができてます」
ローナがいつもの顔で言う。
この“いつも”が最近やたら強い。強いってのは、派手な剣でも魔法でもなく、同じように昼が来ることだ。
「……ただいま」
ガルドが当たり前みたいに言った。
(今の、聞いた?)
俺は心の中で拍手した。
本人は気づいてないふりだ。距離の人は、こういう距離の縮まり方に弱い。弱いのに、なんで弱いのか分かってないところが一番弱い。
「待ってました!」
リリアーナ姫が机の前で立ち上がる勢いで言った。目が輝いている。
そして――よだれ一歩手前。
(わんちゃんかな?)
「失礼ですわ!」
反射でツッコミが返ってくる。聞こえてたのか、俺の心の声。
姫の距離感、たまに壁を貫通してくる。
梁の上からシルフィが降りてきて、机の上でふわふわする。
「ごはん」
「ごはん!」
「君は完全に犬だね」
「ちがう」
「妖精」
「妖精犬」
「ちがう!」
(今日も平和だ)
「いただきます」
俺たちは、手を合わせる。
スープを一口。
あったかい。腹の底に灯りがともる。パンはふわっとして、噛むと甘い。肉は柔らかくて、噛むたびに香りが戻ってくる。
「うまい」
俺が言うと、ローナは少しだけ嬉しそうに目を細めた。
ガルドはフォークを動かしながら、ぼそっと言う。
「……問題ない」
(最大評価きた)
姫はパンをちぎって、もぐもぐして、目を輝かせた。
「幸せですわ」
「幸せが口から漏れてる」
「漏れます」
シルフィが頷く。
「しあわせ」
「ぬくい」
「それ味の感想じゃなくて人生の感想だよ」
昼食は、世界を丸くする。
食べ終えたあとの空気がふわっと柔らかくなって、誰も急がない。急ぐ理由が、今ここにはない。
⸻
芝域に出ると、風は穏やかだった。
木々が揺れ、土が匂い、木漏れ日が地面に模様を落とす。
芝は生きている。踏まれても戻る。揺れても折れない。
こういう場所に立つと、戦いのことも魔族のことも、いったん遠くなる。遠くなるからこそ、見えるものがある。
庭師たちが作ったパターコースが三つ並んでいた。全部パー3。
カップには赤い旗。風でひらひらしている。
「パターゴルフ場できたね」
俺が言うと、ガルドが頷いた。
「ああ、とりあえず三つ」
「庭師に作らせた」
「全部パー3?」
「……ああ」
ガルドは頷く。
「ナオキが言った通りのコースだ」
(仕事が早い。距離の人、土木も動かすのか)
姫が胸を張る。
「わたし、初めてパーを取りました」
「え? 本当かなぁ」
俺が笑うと、ガルドも言った。
「……信じられん」
姫が即座に噛みつく。
「はー?」
「そんなに言うなら勝負です!」
ローナがくすっと笑う。
姫は言う。
「ローナさんもです」
「わたしは……」
ローナが困ったように首を振る。
「やったことがないので」
「コツを掴めば簡単です」
姫は自信満々だ。
「教えます」
(姫がもう教える側に……)
俺がぽつりと呟くと、姫がにこっと笑った。
「何か言いました?」
「いや……」
シルフィが言う。
「姫、つよい」
ガルドが、小さく笑った。
「……ふっ」
姫が即座に反応する。
「ガルドもですよ」
「え?」
「いま、わたしを笑いました」
姫は真顔だ。
「王家を愚弄するなど許しません」
「理屈が飛んだな」
俺が言うと、ガルドは諦めたように言った。
「……やるしかない」
右手の拳を握る。
その動きが、ほんの少しだけ固い。俺は見逃さない。
(あ、やっぱりその手、何かある……)
そのとき、芝域の端から声がした。
「おいおい、揃ってるな」
ドランだ。
工房主ドランがパターを三本、抱えてきた。いや、四本だ。
「姫様用は特別だ」
ドランが言う。
姫に渡された一本は、装飾が控えめで、品がある。王家仕様。
ローナとガルドに渡された二本は質素だが、握ると手に吸い付く。
そして俺の一本は、見た目が一番地味なのに、なぜか一番重心が落ち着いている。勝手に俺のパターが強化された。
「こんなこともあろうかと、だ」
ドランが言った。
「どんなことだよ」
俺が突っ込むと、
「王家の気まぐれだ」
ドランが即答した。
姫が微笑む。
「気まぐれではありません」
「必然です」
(姫の圧、強い)
昼下がりの芝域。
風がやわらかく抜けて、木漏れ日が芝に細い模様を落としている。
俺はパターを肩に乗せたまま、三人の顔を順番に見た。
リリアーナ姫は真剣な顔でパターを握っている。
ローナは少し緊張して、でも興味が勝っている顔。
ガルドは腕を組んで、遠くを見る癖を我慢している顔。
シルフィは俺の肩でふわふわしながら、短く言った。
「点数」
「だいじ」
「そう、点数」
俺は頷いた。
「みんなさ、パーとかバーディとか言ってるけど、意味は分かってる?」
姫が胸を張る。
「分かっています」
「パーが一番よいのですわね」
「惜しい」
俺は笑った。
「リリアーナ姫、惜しい」
「はー?」
姫の眉がぴくっと動く。
「惜しいとはなんですの」
ローナが小声で言う。
「姫様、怒ると芝が……」
「怒ってません!」
シルフィがぼそっと言った。
「怒ってる」
「怒ってません!」
(妖精、火力高いな)
ガルドが低く言う。
「……説明しろ」
「はいはい」
俺は咳払いして、芝を指さした。
「まずパーってのは、鳥じゃない」
「基準。想定通り。無理してない状態」
「“同等”“適正”って意味だ」
姫が首をかしげる。
「鳥ではない……?」
「では、なぜ皆、そんなに喜ぶのです?」
「喜ぶっていうか」
俺は言葉を探す。
「ゴルフって、基本的に失敗するんだよ」
「だから“想定通りに戻せた”だけで嬉しい」
ガルドが眉をわずかに動かす。
「……失敗が前提?」
「そう」
俺は即答した。
「ボールは小さいし、穴も小さいし、芝は嘘つかないし」
「人間の方が嘘つく」
ローナが苦笑する。
「耳が痛いです」
シルフィが頷く。
「人間」
「よく、うそ」
「うるさい」
姫が腕を組む。
「つまり」
「失敗しても良いのですか?」
「むしろ失敗する」
俺は笑った。
「だから“修正するゲーム”なんだよ」
姫の目が少しだけ柔らかくなる。
「修正……」
「素敵ですわ」
(姫、いいところ拾うな)
「で、パーより一つ悪いのが――ボギー」
俺が言うと、姫が露骨に嫌な顔をした。
「悪い響きですわ」
「悪い」
シルフィが即答する。
「即答すな」
俺は続ける。
「ボギーはね、昔は“化け物”みたいな意味から来てる」
「bogeymanってやつ」
「要するに“うわ、出た”って感じ」
ローナが小さく身を縮める。
「こわい……」
「でも大丈夫」
俺は手を振る。
「ボギーは“やっちまった”の中では軽い」
「パーより一つズレただけ」
ガルドがぼそっと言った。
「……一つのズレは、積むと崩れる」
「そう」
俺は頷く。
「だから修正する」
「ボギーを打ったあとに、落ち着いてパーに戻す」
「それが一番かっこいい」
姫が真顔で言う。
「では、いつもボギーばかりのわたしが今日パーを取れたのは――」
「すごい」
俺は即答した。
「だから、たまたまラッキーじゃないかって疑ってる」
「はー!?」
姫が噛みつく。
ガルドが淡々と言う。
「……信じられん」
ローナが笑う。
「姫様、可愛いです」
「可愛くありません!」
(いつもの流れ)
俺は話を戻す。
「で、ボギーが二つ悪いとダブルボギー」
「三つ悪いとトリプルボギー」
「ここまで来ると、だいたい“無理した”か“考えすぎた”」
シルフィが言う。
「やりすぎ」
「だめ」
「そう」
俺は頷く。
「力むと大体そこに落ちる」
姫が眉をひそめる。
「……わたし、さっき怒りかけました」
「それもボギー寄りです」
俺が言うと、姫が睨む。
「何か言いました?」
「いや……」
ローナがくすっと笑った。
「姫様、ボギーも可愛いです」
「ローナさんまで……!」
ガルドが小さく言う。
「……修正は大事だな」
(距離の人が、人生の話し始めた)
「じゃあ、良い方ね」
俺はパターを軽く持ち上げた。
「パーより一つ良いのがバーディ」
姫が少し顔を上げる。
「小鳥ですわね」
「正解」
俺は頷く。
「軽やかに一つ得した感じ」
シルフィが跳ねる。
「小鳥」
「ぴょん」
「で、二つ良いのがイーグル」
俺は少しだけ声を落とした。
ガルドが反射的に遠くを見る。
姫もローナも、なぜか黙る。
シルフィは、両手を広げた。
「たか」
俺は頷く。
「鷹だ」
「高く、遠く、強く」
「決定打ってやつ」
姫が小さく息を呑む。
「……格好いいですわ」
「でもな」
俺はここを強く言う。
「イーグルが一番大事ってわけじゃない」
「ゴルフは、イーグルを狙うゲームじゃない」
姫が首を傾げる。
「……では、何を狙うのです?」
俺は芝を見下ろした。
「修正だよ」
「ボギーでも崩れない」
「ミスしても戻せる」
「それが一番強い」
ガルドが、静かに言った。
「……距離も同じだ」
「外したら、戻す」
「近づきすぎたら、離す」
ローナが頷く。
「料理も……焦がしたら、次は火を弱くします」
「それ」
俺は笑った。
「それがゴルフだ」
シルフィが頷く。
「なおき」
「まとめ」
「うまい」
「まとめたつもりはないけど……あはは」
姫がパターを握り直す。
「では」
「わたしは今日、ボギーを恐れずに打ちます」
「いいね」
俺は頷く。
「失敗してもいい」
「芝は嘘をつかないから、修正できる」
姫が少し笑う。
「……芝が先生ですわね」
「先生はシルフィもいるけどな」
シルフィが胸を張る。
「先生」
「すき」
ガルドがぼそっと言う。
「……先生役が多いな」
「あなたも先生ですよ」
姫が即答する。
「距離の先生です」
ガルドが固まる。
「……俺は」
「はい、では行きましょう」
姫が勝手に締める。
俺は笑ってパターを地面に置いた。
「じゃあ、今日の目標」
「一回ミスして、一回修正する」
「それができたら、勝ち」
シルフィが言う。
「修正」
「だいじ」
「そう」
俺は芝を踏みしめて息を吐いた。
「ゴルフは、失敗を前提にして」
「静かに直すゲームなんだよ」
そして、打順が決まった。
姫→俺→ローナ→ガルドの順番だ。自然な流れだった。
「勝負、ですわ」
姫が言う。
「勝負だな」
俺が言う。
ガルドは短く。
「……うむ」
⸻
一番ホール。
素直な直線。わずかに下り、最後に少し上る。赤い旗が風で揺れている。
優しいホールだ。初手としては最高。余計なことをしなければ入る。
姫が構える。
「見ていてください」
パターのヘッドが芝をかすめる。
コロコロ……真っ直ぐ伸びる。
最後の上りで少し減速して、惜しくも外れた。
姫が芝を睨む。
「芝が悪さしました」
「芝のせいにするな」
俺が言うと、シルフィが頷いた。
「しば、わるくない」
次、俺。
軽く打つ。
コロコロ……ストン。
「……!」
姫が悔しそうに拍手する。
「今の、普通にすごいですわ!」
「普通に転がしただけだよ」
ローナ。
肩が上がっている。緊張が見える。
姫が横で言う。
「押すように」
「優しく」
ローナが頷き、打つ。
コロコロ……止まる。
「すごいです!」
姫が褒める。
「今の、いいです!」
ガルド。
静かに構える。
打つ。
カップに寄る。
「……問題ない」
ガルド。
(また最大評価)
結果。
姫、ボギー。
俺、バーディ。
ローナ、ダブルボギー。
ガルド、パー。
⸻
二番ホール。
難易度が上がる。軽い曲がりと、途中の段差。まっすぐ打つと勝手に右へ逃げる。
距離だけじゃなく、性格がいるホールだ。
姫が攻めて外す。
「これは……!」
姫が芝を睨む。
「うっ……また芝が……」
「芝のせいにするな(二回目)」
俺が言う。
ローナがくすっと笑った。
「姫様、可愛いです」
「可愛くありません!」
姫が赤くなる。
ガルドが淡々と言う。
「……右に逃げる」
(距離の人、転がりも読むのか)
俺はローナにだけ一言。
「強く打たない」
「下りで勝手に行く」
ローナが頷く。
姫も真似してうまくいく。
ガルドは相変わらず淡々と寄せる。
ここまでで、姫は負けたくない顔、ローナは楽しくなってきた顔、ガルドは無表情だが参加している顔。俺は普通に楽しい。
三番ホールへ。
結果。
姫、ボギー。
俺、バーディ。
ローナ、ボギー。
ガルド、パー。
⸻
三番ホールは、一番美しい場所だった。
木漏れ日が揺れ、風が静かに抜ける。芝の色が少しだけ濃く、影の線が柔らかい。
カップは少しだけ遠い。でも怖くない距離。
(ここだな)
俺は構える。
打つ。
コロコロ……ストン。
「……イーグル!」
シルフィが跳ねる。
姫が両手を頬に当てる。
「1打で入れるなんて……ああん、すごいですわー!」
「言い方」
俺が言うと、姫は赤くなる。
ローナが笑顔で言った。
「さすがです」
ガルドは小さく。
「……あの距離を、信じられん」
ローナは惜しくもカップ手前。
「難しいです……」
芝の上を、風がすっと抜けた。
次はリリアーナ姫の番だ。
赤い旗がひらりと揺れて、カップの縁が小さく光る。
姫はパターを握ったまま、真剣な顔でそこを見つめていた。
「……距離」
ぽつり。
隣でガルドが腕を組む。
「……落ち着け」
「強く打つな」
「分かっています」
姫はきっぱり言う。
「これは、王家の勝負ですわ」
(勝負の種類が違う気がする)
ローナが小声で。
「姫様、がんばってください……!」
シルフィが俺の肩でふわふわしながら言った。
「いける」
「ちょうど」
姫が構える。
素振りは一回。呼吸は浅くない。
芝を信じて、ただ押すように打つ。
コロコロ……。
玉はまっすぐ伸びて、上りで少しだけ減速して――
ストン。
カップイン。
一瞬、静かになってから、姫が跳ねた。
「……っ!」
次の瞬間、両手をぎゅっと握って叫ぶ。
「やりました!」
「パーですわ!」
ローナがぱっと笑う。
「すごいです、姫様!」
ガルドが視線を逸らしながら言った。
「……問題ない」
(最大評価だ)
シルフィがくるっと回る。
「ないす」
「ぱー」
姫は胸を張って俺を見る。
「見ました?」
「これが、修正ですわ」
「えらいえらい」
俺は拍手した。
「芝の先生、喜んでるよ」
姫は得意げにカップを見つめて、もう一度だけ笑った。
そして、最後はガルド。
カップ手前。
コツンと打てば入る。
“距離の人”なら、ここは一番簡単なはずだ。
――なのに、打てない。
ガルドの右手が止まっていた。
握ろうとして、わずかに震える。
俺は気づいた。
「大丈夫か?」
「問題ない」
いつもの言葉。
でも今日は、少しだけ違う。
ガルドはパターから右手を離した。
左手だけで握り直す。
構える。
静かに。
そして打つ。
コロコロ……ストン。
カップイン。
いい音が響いた。
その音が、やけに胸に残った。
勝負の音じゃない。
“生きてる”音だ。
ローナが、その右手を見ていた。
「……ガルドさん」
「その右手……」
ガルドは一拍置いて言った。
「ああ」
「昔、怪我をした」
「少女を魔族から助けて」
ローナの顔が赤くなる。
震える声で言った。
「……その少女は」
「わたしです!」
一瞬、世界の音が消えた。
風だけが芝を撫でる。
旗だけがひらひら揺れる。
ローナがガルドに抱きついた。
「ずっと……」
「ずっと、お礼を言いたかった……!」
ガルドは言葉が出ないまま、そっと抱き寄せた。
右手ではない。左手で。
でも、その抱き方は不器用で、優しかった。
距離の人が、距離を捨てた瞬間だった。
姫がぼろぼろ泣いた。
「今日は……!」
鼻声で叫ぶ。
「今日は宴です……!!」
「急だな」
俺が言うと、
「急です!」
姫が泣きながら言う。
「だって……幸せなんですもの……!」
走ってきたドランが目を光らせる。
「宴だと?」
「……金が動くな」
「料理、音楽、城を開きます!」
姫が即答する。
「お父様に宝箱を開けさせます!」
(姫、勢いが強い)
シルフィが言った。
「ないす」
「しょっと」
俺は喉の奥が熱くて、笑うしかなかった。
⸻
その夜、城で音楽が鳴った。
宴という舞踏会だった。
ドレス姿のローナは、光の中で揺れていた。
ガルドは落ち着かない顔をしているが、逃げない。逃げないだけで、この人は頑張っている。
王様は長い話をした。
俺を褒め、ガルドを褒め、庭師を褒め、ドランを褒め、芝域を褒め、最後に自分のことを褒めた。
シルフィが耳元で言う。
「王様」
「話」
「ながい」
「だな」
俺が頷くと、ガルドも頷く。
再び軽やかな音楽が始まる。
ドレスを着たローナは美しく、みんなの注目を集めていた。
普段のエプロン姿とはまるで違う。
布は静かに波打ち、肩口の刺繍が光を拾う。髪は丁寧にまとめられていて、首筋が白い。顔を上げるたび、彼女は少しだけ照れたように笑う。
「……似合いますね」
俺が言うと、ローナは小さく目を伏せた。
「ありがとうございます」
「でも……慣れません」
その横で、ガルドは立っていた。
鎧は装備してない。剣もない。
それでも姿勢だけで、彼が“守る人”だと分かる。
ただ――今日は、その足が少しだけ落ち着かない。
姫がぱっと前へ出て、両手を叩いた。
「さあ!」
「踊りましょう!」
場がわっと沸く。
ローナが一歩引きそうになるのを、ガルドが見た。
ほんの一瞬、迷うように視線を落として――それから、左手を差し出した。
「……手を」
短い言葉だった。
ローナが驚いて目を丸くする。
その手を取っていいのか、取ったら何が変わるのか、分からない顔。
ガルドは視線を逸らしたまま言った。
「……距離が、必要だ」
(そこで距離って言うのかよ)
ローナの唇がふっと緩む。
「……はい」
彼女はそっと、ガルドの手に手を重ねた。
ガルドの手は大きい。
戦うための手だったはずなのに、今日は震えていない。
握りしめるでもなく、離すでもなく、ただ支える。
音楽に合わせて、二人は一歩、踏み出した。
最初はぎこちない。
足が合わない。
一拍ずれて、また戻る。
でも、戻る。
ガルドは力で引かない。
ローナは怖がらない。
二人はただ、同じリズムを探している。
まるでパターの距離感みたいだった。
強く打たない。
焦らない。
外れたら、もう一度。
ローナのドレスがふわりと揺れて、蝋燭の光を受けて白く光る。
ガルドの視線が一瞬だけそこに落ちて、またすぐ前を向く。
姫が拍手をして、涙目で見つめていた。
「……尊いですわ……」
シルフィが言う。
「きれい」
「ローナ」
「あぶなくない」
俺はふっと息を吐いた。
「ああ」
「守られてるな」
姫が俺の横に来て、そっと言った。
「ナオキさん、ありがとうございます」
「あなたが来てから……すごく幸せです」
「え?」
俺は困った。
「いや、俺は……」
姫は笑う。
「はい」
「ゴルフしてるだけ」
「それでいいのです」
俺は頭を掻いた。
「あはは」
シルフィが言う。
「ナオキ」
「セリフ」
「言われた」
姫と俺は笑った。
宴は続いた。
芝の上で始まった距離が、今夜は音楽の中で結ばれていく。
そして明日もきっと、芝は嘘をつかない。
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