異世界で魔族が全滅してるらしいが、俺は普通にゴルフしてるだけ ~無能扱いされた男が 、距離だけで世界を変える話~

ぬこまる

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32 開拓される王国

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朝の森を、風が低く渡っていった。

夜露の残る草の上をすり抜け、若い葉の影を揺らし、土の匂いと青い香りを連れていく。空は澄みきって青く、太陽はきらきら眩しい。小鳥が鳴き、小動物が枝の下を駆け、世界は「今日も普通だ」と言っているようだった。

その風の中を、小さな影が飛んでいた。

妖精シルフィ。

透ける羽で空気を切り、芝を撫でるように、木々の間を滑るように進む。飛び方は軽いのに、視線だけは真剣で、森の息づかいを一つひとつ確かめている。

「へいわ」
「まぞく、いない」
「へった」

短い言葉のあと、シルフィはにこにこした。胸の奥が、少しだけ温かくなるような笑い方だった。昔はもっと、森の奥が荒れていた。枝は折れ、地面は抉れ、風は苦く、獣は姿を消していた。今は違う。鳥が歌い、草が揺れ、小さな命が当たり前に動いている。

だが、風はいつまでも同じ匂いではない。

森の端に近づいた瞬間、香りが変わった。草と土の匂いの向こうに、ほのかな塩気。胸の奥をくすぐる、潮の匂い。

「……しお」

シルフィは羽を震わせ、木々を抜けた。

視界が開ける。

そこにあったのは、湖だった。

ただの湖ではない。水面は穏やかで、鏡のように空を映しているのに、どこか海の気配が混じっている。淡水の柔らかさの中に、潮の重さがある。風が吹くたび、波は大きくならないのに、流れだけが確かに「海へ向かう」かたちをしていた。

湖の向こう――陸の一部が裂けている。

大地震の爪痕だ。

かつて陸だった場所が割れ、細い水路が生まれていた。そこから海水が入り、湖と海がつながった。まるで、世界の呼吸が変わったみたいに。海と湖の境目は、地図の線ほどはっきりしていない。ただ、潮の匂いと、魚の動きと、人々の目が「変わった」と教えてくれる。

湖の中には、魚影が群れていた。

小さな銀の群れがきらきら光り、もう少し大きな影がゆったり泳ぐ。淡水の魚も、海の魚も、同じ水に混じっている。水は混ざり、命も混ざり、境界は薄れていく。

岸では漁村の人々が笑っていた。

網を投げる腕が忙しい。桶がすぐ満ち、驚きの声が上がる。

「また入ったぞ!」
「今朝だけで三度目だ!」
「海の魚だ! 湖に来るなんて!」

「湖が……港みたいになってきたな」
誰かがそう言うと、周囲がどっと笑った。

笑いの中に、興奮がある。期待がある。暮らしが、少しだけ上向く予感がある。魚が増えるだけじゃない。潮が入るということは、外と繋がるということだ。

湖面には、小さな船が増えていた。

漁船だけではない。見慣れない形の帆、違う国の色、積み荷の多い商船。湖はまだ静かなのに、そこに集まるものが変わっていく。

南国の果物の香りが、岸の市場に流れていた。赤く熟れた実、甘い匂い。香辛料の刺激が鼻をくすぐり、噛めば舌が目を覚ます。見たこともない包みが開かれ、黒く艶のある菓子が現れる。

「これが……チョコレートだってさ」
「甘いのに、苦い……なんだこれ」
「金が動く匂いがするな」

商人たちが目を光らせる。村人たちが少し背伸びして買う。子どもが目を丸くして笑う。国が、戦ではなく交易でふくらみ始める音がする。

シルフィは湖の上をくるりと回った。

「せかい、ひらいた」
「いい、におい」

そのとき、湖に向かって球が飛んだ。

コツン、と乾いた音。続けて、また音。規則正しく、でも楽しそうな音が並ぶ。

湖畔に視線を落とすと、芝の上に打席がずらりと並んでいた。湖へ向かって玉を打つ人々。笑い声。肩の力の抜けたフォーム。真剣な顔。貴族の服、商人の服、旅人の服――全部混ざっている。

打ちっぱなし場。

それも、ただの遊び場ではなかった。芝は刈り揃えられ、土が均され、危険な方向には柵が立っている。現場の匂いがする。土木の匂いだ。

庭師たちが動いていた。

その真ん中にいるのが、ミグル。

腰に道具袋、日に焼けた腕、現場の目。彼は客に向かって、田舎言葉で言う。

「んだべ、そこさ、玉買ってけ」
「打席は順番な」
「怒るのは芝だ。人じゃねぇ」
「踏み荒らすと、戻らんからな」

貴族が苦笑いしながら頷く。

「芝が怒る……なるほどな」
「この国は、芝が偉いのか」

「偉いべ」
ミグルは真顔だ。
「芝は嘘つかん」

芝の横には、店もできていた。

ゴルフ用品店。

木製のアイアン、金属玉、木の玉、革の玉。布袋のバッグ、磨き布、油。小さな木製ティー。並べ方が妙にきれいで、ここだけ秩序がある。

シルフィは空中で足をぶらぶらさせながら、満足そうに頷いた。

「まわる」
「おかね」
「たのしい」

湖が、港になっていく。

その港に、ひときわ大きな船が入ってきた。

帆が大きい。船体が重い。湖に浮かぶには存在感が強すぎる。船首には紋章が刻まれている。光の意匠。秩序の印。

リュミエール王国。

甲板に、ひとりの青年が立っていた。

背筋が真っ直ぐで、風を受けても揺れない。服は旅装のはずなのに、乱れていない。顔立ちは整い、目は静かに遠くを見ている。湖の港、芝の打席、笑い声の輪――すべてを観察している目だ。

セリウス・フォン・リュミエール。

山道ではなく、海が開けたことで、船で来た。距離を越える手段が変わった瞬間に、彼は最初にその道を選んだ。国として、王子として、見るべきものがあるから。

シルフィは、その青年を見て、羽をぴんと立てた。

「ふね、いっぱい」
「ひと、いっぱい」
「……いけめん、きた」

そして一拍置いて、焦るように言った。

「しらせる」
「いそぐ」

湖の上を駆ける風に乗り、シルフィは飛び立った。

港ができる。交易が回る。芝が遊び場になる。王子が船で来る。

世界は、静かに変わっていく。

――芝の人に、知らせなければならない。

この“ひらいた世界”が、次にどこへ向かうのかを。





 いつもの朝だ。

 小鳥が鳴いて、芝が光っていて、空は気持ちの良い青空が広がっている。
 俺は芝の端で、何も考えずに素振りをしていた。

 シュッ、シュッ。

 クラブの風切り音だけが、朝の空気を切る。
 肩は軽いし、足裏の感触もいい。今日の芝は元気だ。

「……魔族の気配、なし」

 少し離れた場所で、ガルドが遠くを見て言った。
 相変わらず物騒なことを、天気の話みたいに言う男だ。

「了解。じゃあ平和ですね」

「……平和だ」

 その声のトーンが、少しだけ柔らかい。

 家の中から、明るい声がした。

「朝ごはんですよー!」

 ローナだ。
 この声を聞くと、戦争が終わった気分になる。

「いただきます!」

 食卓には、湯気の立つ皿が並んでいた。
 白身魚に、香草。にんにくの匂い。果実から搾った植物油が、朝の光を弾いている。

「今日はアクアパッツァにしました」

「なにそれ?」

「煮魚です」

 即答だった。
 もう少し夢のある説明を期待してた俺が悪い。

 一口食べる。

「……うまっ」

「問題ない……」

 ガルドが、ぼそっと言った。
 この人の「問題ない」は、最高評価だ。

 その向かいで、フードを被った少女が、もぐもぐしている。

「あっ」

 リリアーナ姫が、慌てて立ち上がった。

「手を洗います!」

「……偉い」

 ガルドが即座に褒めた。
 父親かな?

 戻ってきた姫は、再びもぐもぐ。

(わんちゃんかな?)

 そこへ、扉がノックされた。

「よっ」

 工房主ドランだった。

「ちょっと相談がある」

「ん?」

「王様の命令でな。温泉村にゴルフコースを作りたい」

「……急に?」

「急だ」

 ドランは胸を張る。

「庭師ミグルが作る。だが、設計はお前とガルドだ」

「俺もか?」

 ガルドが眉をひそめる。

「距離が命だろ?」

「……そうだな」

 納得するなよ。

「ミグルは今どこです?」

「漁村だ。港と、湖の打ちっぱなし場を作ってる」

「湖の……打ちっぱなし?」

 俺の頭の中で、何かが弾けた。

「……行きたい」

「顔に出てるぞ」

 ガルドが言った。

 姫が首をかしげる。

「湖に玉を打ったら、玉を回収できないのでは?」

「どうなんだろ?」

「行って、その目で見てこい」

 ドランが即決した。

「行きましょう!」

 姫が即答する。

「お弁当は?」

 ローナが聞く。

「漁村でたこ焼き食べます」

「たこ焼き?」

「持って帰ろう」

 ガルドが自然に言う。

「ありがとうございます」

(もう夫婦だろ)

 姫が立ち上がった。

「馬車を用意します!」

 俺はゴルフバッグを担ぐ。

「それ、だいぶボロいな」

「布製の限界です」

「新作、考えとく」

「助かります」

 そのとき、妖精が窓から飛び込んできた。

「ふね、いっぱい」
「いけめん、きた!」

「はいはい、いつもの意味不明やつね」

 俺は笑った。

 こうして、
 俺とガルドとリリアーナ姫と妖精は、
 馬車に乗って漁村へ向かうことになった。

 湖の打ちっぱなし。
 港。
 たこ焼き。

 今日も、異世界は平和だ。

 ……たぶん。
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