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33 王子の名前が出てこない
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青空の下、馬車が走る。
車輪が石畳を叩く音が、一定のリズムで続く。窓の外には、なだらかな丘と、刈り揃えられた草原と、遠くに青く霞む山並み。風は軽く、雲は高い。太陽が眩しくて、目を細めると世界が少しだけやさしく見えた。
(……この世界、絵本みたいだな)
俺は窓枠に肘をついて、景色を眺める。芝の緑は濃く、並木は影を落とし、街道の端には野花が点々と咲いている。中世ヨーロッパの物語に出てくる“旅”って、たぶんこういう匂いがする。土と草と、乾いた石と、遠い水の気配。
「道、綺麗になってきましたね」
俺が言うと、向かいのガルドが窓の外を一瞥した。
「……整備されている」
「整備っていうかさ」
俺は身を乗り出す。
「人、多すぎない?」
街道の先に、作業している人影が見える。いや、人影どころじゃない。列になっている。鍬を振る者、石を運ぶ者、溝を掘る者、杭を打つ者。真剣な顔で、道を“増やしている”。
「あれ庭師ですか?」
俺は思わず聞いた。
ガルドは短く答える。
「……庭師だ」
「ただし、国家の」
「庭師っていうか土木作業員だろ」
「……似ている」
隣でリリアーナ姫が、窓の外を嬉しそうに見つめた。お忍びの旅装だが、顔がもう観光客のそれだ。
「平和になりました」
姫は小さく言う。
「こうして道が整うのが……嬉しいです」
「だよね」
俺は頷いた。
「道が綺麗になるって、国が栄えてるってことだ」
ガルドが補足するように言った。
「……庭師とともに兵士も整えている」
「魔族との戦いが減ったからだろう」
そう言われて、俺は少しだけ背筋を正した。
戦いが減ったから、道が増える。
道が増えると、荷が増える。
荷が増えると、町が育つ。
町が育つと、芝が守られる。
(……この世界、ちゃんと回り始めてる)
馬車は、風を切って進んだ。
⸻
漁村に着いた瞬間、俺は口が開いた。
「……え、ここ、港じゃん」
前に来たときは“湖の村”だったはずだ。
なのに今は、桟橋が伸び、荷車が行き交い、帆を張った船が何艘も並んでいる。湖の水面は穏やかなのに、潮の匂いが混ざっていて、空気がほんの少し塩辛い。
大地震で陸が裂け、湖に海水が入り込んだ——日本でいう浜名湖みたいな汽水湖。
その“割れ目”が、今はこの村の宝になっている。
市場はさらにすごかった。
俺たちは、たこ焼き買う。食べ歩きってやつだ。
「うーん、トロピカルな香り……」
南国の果実が山になって積まれている。香辛料の匂いが鼻をくすぐる。袋に入った黒い板みたいな菓子が並んでいて、甘いのに苦い香りが漂っていた。
「チョコレートだよ!」
「一欠片で世界が変わるぞ!」
「香辛料! 今日は舌が冒険する日だ!」
商人の客引きがうるさい。いい意味で。
外国語も混ざっている。服の色も違う。肌の色も違う。目の色も違う。
(……国が膨らんでる)
「ナオキさん」
姫が小声で言った。
「こんなに発展するなんて……」
「俺もびっくりしてる」
俺は正直に言った。
「地震って怖いけど、たまに世界を繋げるんだな」
ガルドが淡々と口を挟む。
「……繋がったのは海だ」
「お前のゴルフではない」
「やめろ、突っ込むな」
俺は笑った。
「罪悪感があるだろ」
そのとき、少年が走ってきた。
「おじさーん!」
リオだ。目がきらきらしてる。
「魚が! 魚がすごいんだ!」
「海の魚も入ってくるし、船も来るし!」
「見て! あそこ!」
指差す先には、湖畔の芝地。
そこに——ずらりと並んだ打席。
「……打ちっぱなしだ」
俺は反射で言った。
もう“芝”を見るとゴルフ場に変換される脳になっている。
「すげー!!」
貴族も外国人も、下手だけど楽しそうに球を打っていた。
スライスして笑う。トップして笑う。OBして笑う。
この世界、平和になりすぎると人はOBを笑えるらしい。
姫が目を輝かせる。
「るんるん、ですわ!」
ガルドは海の方を見て、短く。
「……魔族の気配なし」
「……タコもいない」
「大きいタコはもういいよ」
俺は苦笑した。
「まあ、たこ焼きは好きだけど」
「俺も好きだ」
ガルドは真顔だ。
(真顔で言うな)
「平和だな」
俺は芝を踏みしめて言った。
「ガルドはパターでもやる?」
「ああ」
ガルドが頷く。
ガルドは軽く構えて、転がす。
コロコロ——
……ポチャ。
湖に落ちた。
「……あまり面白くないな」
俺は笑って言った。
「あはは」
姫が真顔で聞く。
「湖に落ちた玉はどうなるのでしょう?」
「さあ……」
俺は目を逸らした。
「湖の気持ち次第じゃない?」
「湖の気持ち……」
姫は本気で考え始めた。
⸻
そのときだ。
カキン。
澄んだ音が響いた。
もう一度。
カキン。
貴族たちの“ガチャガチャした音”と違う。
芯を食った、綺麗な音だ。
俺は振り返った。
背の高い青年が、淡々とアイアンを振っていた。
姿勢がいい。余計な動きがない。フォローが大げさじゃない。
なのに球は伸びる。
目が合った。
青年は微笑んだ。
「やあ、久しぶり」
「えっと……どちら様でしょうか?」
姫も慌てて言う。
「たしか……えっと……」
青年は名乗った。
「セリウスです!」
「セリウス・フォン・リュミエール!」
「ああ、王子!」
俺と姫は顔を見合わせて、つい笑った。
「あはは」
「うふふ」
ガルドが一歩前に出る。
「……リュミエール王国は港がありましたね」
セリウスが頷いた。
「はい」
「山道ではなく、海から来ました」
「アルヴェイン王国の港が開けたおかげで、早く着きます」
(湖が港になった影響、ここで回収か)
セリウスは、もう一球打った。
うまい。普通にうまい。
「練習しました」
彼は言う。
「アイアンも作らせ、玉も作らせ」
「あなたを参考にしました」
「俺を?」
俺は素で驚いた。
「はい」
(あの日の俺のスイングを見ただけで、ここまで?)
(イケメンって、何でもできるんだな……)
でもセリウスは、たまにミスる。
ちょっとだけトップがズレて。ちょっとだけ右へ。
「……なぜでしょう」
セリウスが眉を寄せる。
「理屈は合っているのに」
俺は即答した。
「フルスイング、やめましょう」
「え?」
「ゴルフってさ」
俺は肩をすくめる。
「“全部”を出すと、だいたい崩れる」
「半分くらいが一番真っ直ぐ行くんだよ」
「半分……?」
俺はセリウスに、ハーフショットを教えた。
力は七割で止める。
腕で叩かない。
体の回転で運ぶ。
フェースを合わせる。
フィニッシュまで“静かに”繋げる。
「……すごい」
セリウスが目を細めた。
「理屈が、優しい」
姫が手を挙げる。
「わたしにも教えてください!」
「うん、いいよ」
俺は笑った。
「今日は生徒が多いな、あはは」
ガルドがぼそっと言う。
「……距離の先生は、俺だ」
(張り合うな)
みんなで、わいわいと打った。
⸻
そのときだった。
ガルドの目が変わった。
海の方を指さす。
「……タコ……いや、違う」
「何が?」
俺が聞くと、
「二千三百歩のあたりに、動きがある」
「見えるわけありません!」
姫が言い切った。もう、漫才のツッコミのそれだ。
セリウスも真顔で頷く。
「この距離で見えるのは、大空を舞う鷹だけです」
「……俺は目が良い」
ガルドは平然と言った。
「……イカだ」
次の瞬間、沖の船が傾いた。
小さい点だが黒い影が、大海原で暴れている。
逃げる船。叫ぶ声。波が乱れ始めた。
「巨大イカが船を襲ってるみたいです!」
リオが叫ぶ。
セリウスが顔色を変えた。
「遠すぎる……無理でしょう」
姫が俺を見る。
「ナオキさんなら大丈夫です」
「え?」
(いや、そんなに期待されても……普通にゴルフするだけ)
俺はため息を吐いた。
「……打ちます」
バッグからドライバーを出す。
セリウスの目が丸くなる。
「それは……?」
「ドライバー」
シルフィがどこからともなく飛んできて言った。
「ゴルフ」
「最強の武器」
「武器じゃない」
俺は即ツッコむ。
「距離の道具だ」
ガルドが言う。
「千八百ヤード」
「やや西」
「船がやられる、急げ」
「了解」
打席に立つと、視線が集まった。
貴族も外国人も、全員が見ている。
(思えば、見られながら打つの、本当に慣れたな)
俺は深呼吸する。
ティーアップ。
素振り。
足を置き、構える——アドレス。
クラブを引く——テイクバック。
止まる——トップ。
息をひとつ、切り返し。
振り下ろす——ダウンスイング。
当たる——インパクト。
抜ける——フォロースルー。
そして、止まる——フィニッシュ。
この一連は、剣の型みたいに美しい。
でも剣と違って、相手を切らない。
距離の向こうに、ただ届かせるだけ。
シルフィが言う。
「いま!」
俺は振った。
カキィン。
玉は青空へ、海へ。
広い海へ吸い込まれていく。
ガルドが目を細めた。
「……命中した」
「よし!」
姫が跳ねる。
「やった!」
セリウスが息を呑む。
「す、すげぇ……」
貴族たちがざわめく。
「今の何だ!?」
「距離が狂ってる!」
「いや、世界が狂ってる!」
ガルドが続けた。
「……イカは逃げていく」
そして、眉を動かす。
「……一本、足が流れてくるぞ」
波に揺られて、太い足が岸へ寄ってくる。
漁村の人たちが歓声を上げた。
「食えるぞ!!」
「大王イカだ!!」
リオが両手を上げて跳ねる。
「イカ焼き! イカ焼き!!」
姫もわくわくしている。
「イカ焼き……最高ですわ!」
「最高かはまだ食べてないだろ?」
俺が言うと、
「最高になる予定ですわ!」
姫が言い切った。
(強い)
⸻
その夕方。
炭火の上で、イカが焼ける。
香りが立ち、脂が落ちて、火がぱちぱち鳴る。
海の匂いと煙が混ざって、腹が勝手に鳴る。
姫が一口食べて、目を輝かせた。
「海の味がお口の中で踊ってます! 最高ですわ!」
ガルドが頷く。
「……問題ない」
シルフィが踊る。
「うまうま」
セリウスが俺の前に立ち、深く頭を下げた。
「玉を打つ人」
「あなたは素晴らしい!」
「あ、ども」
俺は照れて目を逸らした。
「普通にゴルフしてるだけなんだけど……」
セリウスが顔を上げた。
「師匠になってください!」
「え?」
「お願いします」
「普通に教えるならいいけど」
「ありがとうございます、師匠!」
(なんか決まった)
姫が笑った。
「弟子ができましたわね」
湖が赤く染まる。
水面は静かで、空の色をそのまま映している。
ふと見ると、湖の上に白い点が浮かんでいた。
ゴルフボールだ。俺が落としたやつも、誰かが落としたやつも、いくつも。
小舟が出て、それを静かに回収している。
網ではなく、手で。丁寧に。
湖の青。
夕日の赤。
ボールの白。
その三色が、水の上でゆっくり混ざっていく。
セリウスが、隣で言った。
「……美しいですね」
「うん」
俺は頷く。
「平和って、こういう色なんだな」
姫が小さく笑う。
「ナオキさん」
「明日も、打ちますか?」
「はい、普通にゴルフするだけ、です」
俺は肩をすくめて、笑った。
「あはは」
たこ焼きを買っているガルドの姿が、夕日に染まっていた。
車輪が石畳を叩く音が、一定のリズムで続く。窓の外には、なだらかな丘と、刈り揃えられた草原と、遠くに青く霞む山並み。風は軽く、雲は高い。太陽が眩しくて、目を細めると世界が少しだけやさしく見えた。
(……この世界、絵本みたいだな)
俺は窓枠に肘をついて、景色を眺める。芝の緑は濃く、並木は影を落とし、街道の端には野花が点々と咲いている。中世ヨーロッパの物語に出てくる“旅”って、たぶんこういう匂いがする。土と草と、乾いた石と、遠い水の気配。
「道、綺麗になってきましたね」
俺が言うと、向かいのガルドが窓の外を一瞥した。
「……整備されている」
「整備っていうかさ」
俺は身を乗り出す。
「人、多すぎない?」
街道の先に、作業している人影が見える。いや、人影どころじゃない。列になっている。鍬を振る者、石を運ぶ者、溝を掘る者、杭を打つ者。真剣な顔で、道を“増やしている”。
「あれ庭師ですか?」
俺は思わず聞いた。
ガルドは短く答える。
「……庭師だ」
「ただし、国家の」
「庭師っていうか土木作業員だろ」
「……似ている」
隣でリリアーナ姫が、窓の外を嬉しそうに見つめた。お忍びの旅装だが、顔がもう観光客のそれだ。
「平和になりました」
姫は小さく言う。
「こうして道が整うのが……嬉しいです」
「だよね」
俺は頷いた。
「道が綺麗になるって、国が栄えてるってことだ」
ガルドが補足するように言った。
「……庭師とともに兵士も整えている」
「魔族との戦いが減ったからだろう」
そう言われて、俺は少しだけ背筋を正した。
戦いが減ったから、道が増える。
道が増えると、荷が増える。
荷が増えると、町が育つ。
町が育つと、芝が守られる。
(……この世界、ちゃんと回り始めてる)
馬車は、風を切って進んだ。
⸻
漁村に着いた瞬間、俺は口が開いた。
「……え、ここ、港じゃん」
前に来たときは“湖の村”だったはずだ。
なのに今は、桟橋が伸び、荷車が行き交い、帆を張った船が何艘も並んでいる。湖の水面は穏やかなのに、潮の匂いが混ざっていて、空気がほんの少し塩辛い。
大地震で陸が裂け、湖に海水が入り込んだ——日本でいう浜名湖みたいな汽水湖。
その“割れ目”が、今はこの村の宝になっている。
市場はさらにすごかった。
俺たちは、たこ焼き買う。食べ歩きってやつだ。
「うーん、トロピカルな香り……」
南国の果実が山になって積まれている。香辛料の匂いが鼻をくすぐる。袋に入った黒い板みたいな菓子が並んでいて、甘いのに苦い香りが漂っていた。
「チョコレートだよ!」
「一欠片で世界が変わるぞ!」
「香辛料! 今日は舌が冒険する日だ!」
商人の客引きがうるさい。いい意味で。
外国語も混ざっている。服の色も違う。肌の色も違う。目の色も違う。
(……国が膨らんでる)
「ナオキさん」
姫が小声で言った。
「こんなに発展するなんて……」
「俺もびっくりしてる」
俺は正直に言った。
「地震って怖いけど、たまに世界を繋げるんだな」
ガルドが淡々と口を挟む。
「……繋がったのは海だ」
「お前のゴルフではない」
「やめろ、突っ込むな」
俺は笑った。
「罪悪感があるだろ」
そのとき、少年が走ってきた。
「おじさーん!」
リオだ。目がきらきらしてる。
「魚が! 魚がすごいんだ!」
「海の魚も入ってくるし、船も来るし!」
「見て! あそこ!」
指差す先には、湖畔の芝地。
そこに——ずらりと並んだ打席。
「……打ちっぱなしだ」
俺は反射で言った。
もう“芝”を見るとゴルフ場に変換される脳になっている。
「すげー!!」
貴族も外国人も、下手だけど楽しそうに球を打っていた。
スライスして笑う。トップして笑う。OBして笑う。
この世界、平和になりすぎると人はOBを笑えるらしい。
姫が目を輝かせる。
「るんるん、ですわ!」
ガルドは海の方を見て、短く。
「……魔族の気配なし」
「……タコもいない」
「大きいタコはもういいよ」
俺は苦笑した。
「まあ、たこ焼きは好きだけど」
「俺も好きだ」
ガルドは真顔だ。
(真顔で言うな)
「平和だな」
俺は芝を踏みしめて言った。
「ガルドはパターでもやる?」
「ああ」
ガルドが頷く。
ガルドは軽く構えて、転がす。
コロコロ——
……ポチャ。
湖に落ちた。
「……あまり面白くないな」
俺は笑って言った。
「あはは」
姫が真顔で聞く。
「湖に落ちた玉はどうなるのでしょう?」
「さあ……」
俺は目を逸らした。
「湖の気持ち次第じゃない?」
「湖の気持ち……」
姫は本気で考え始めた。
⸻
そのときだ。
カキン。
澄んだ音が響いた。
もう一度。
カキン。
貴族たちの“ガチャガチャした音”と違う。
芯を食った、綺麗な音だ。
俺は振り返った。
背の高い青年が、淡々とアイアンを振っていた。
姿勢がいい。余計な動きがない。フォローが大げさじゃない。
なのに球は伸びる。
目が合った。
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「やあ、久しぶり」
「えっと……どちら様でしょうか?」
姫も慌てて言う。
「たしか……えっと……」
青年は名乗った。
「セリウスです!」
「セリウス・フォン・リュミエール!」
「ああ、王子!」
俺と姫は顔を見合わせて、つい笑った。
「あはは」
「うふふ」
ガルドが一歩前に出る。
「……リュミエール王国は港がありましたね」
セリウスが頷いた。
「はい」
「山道ではなく、海から来ました」
「アルヴェイン王国の港が開けたおかげで、早く着きます」
(湖が港になった影響、ここで回収か)
セリウスは、もう一球打った。
うまい。普通にうまい。
「練習しました」
彼は言う。
「アイアンも作らせ、玉も作らせ」
「あなたを参考にしました」
「俺を?」
俺は素で驚いた。
「はい」
(あの日の俺のスイングを見ただけで、ここまで?)
(イケメンって、何でもできるんだな……)
でもセリウスは、たまにミスる。
ちょっとだけトップがズレて。ちょっとだけ右へ。
「……なぜでしょう」
セリウスが眉を寄せる。
「理屈は合っているのに」
俺は即答した。
「フルスイング、やめましょう」
「え?」
「ゴルフってさ」
俺は肩をすくめる。
「“全部”を出すと、だいたい崩れる」
「半分くらいが一番真っ直ぐ行くんだよ」
「半分……?」
俺はセリウスに、ハーフショットを教えた。
力は七割で止める。
腕で叩かない。
体の回転で運ぶ。
フェースを合わせる。
フィニッシュまで“静かに”繋げる。
「……すごい」
セリウスが目を細めた。
「理屈が、優しい」
姫が手を挙げる。
「わたしにも教えてください!」
「うん、いいよ」
俺は笑った。
「今日は生徒が多いな、あはは」
ガルドがぼそっと言う。
「……距離の先生は、俺だ」
(張り合うな)
みんなで、わいわいと打った。
⸻
そのときだった。
ガルドの目が変わった。
海の方を指さす。
「……タコ……いや、違う」
「何が?」
俺が聞くと、
「二千三百歩のあたりに、動きがある」
「見えるわけありません!」
姫が言い切った。もう、漫才のツッコミのそれだ。
セリウスも真顔で頷く。
「この距離で見えるのは、大空を舞う鷹だけです」
「……俺は目が良い」
ガルドは平然と言った。
「……イカだ」
次の瞬間、沖の船が傾いた。
小さい点だが黒い影が、大海原で暴れている。
逃げる船。叫ぶ声。波が乱れ始めた。
「巨大イカが船を襲ってるみたいです!」
リオが叫ぶ。
セリウスが顔色を変えた。
「遠すぎる……無理でしょう」
姫が俺を見る。
「ナオキさんなら大丈夫です」
「え?」
(いや、そんなに期待されても……普通にゴルフするだけ)
俺はため息を吐いた。
「……打ちます」
バッグからドライバーを出す。
セリウスの目が丸くなる。
「それは……?」
「ドライバー」
シルフィがどこからともなく飛んできて言った。
「ゴルフ」
「最強の武器」
「武器じゃない」
俺は即ツッコむ。
「距離の道具だ」
ガルドが言う。
「千八百ヤード」
「やや西」
「船がやられる、急げ」
「了解」
打席に立つと、視線が集まった。
貴族も外国人も、全員が見ている。
(思えば、見られながら打つの、本当に慣れたな)
俺は深呼吸する。
ティーアップ。
素振り。
足を置き、構える——アドレス。
クラブを引く——テイクバック。
止まる——トップ。
息をひとつ、切り返し。
振り下ろす——ダウンスイング。
当たる——インパクト。
抜ける——フォロースルー。
そして、止まる——フィニッシュ。
この一連は、剣の型みたいに美しい。
でも剣と違って、相手を切らない。
距離の向こうに、ただ届かせるだけ。
シルフィが言う。
「いま!」
俺は振った。
カキィン。
玉は青空へ、海へ。
広い海へ吸い込まれていく。
ガルドが目を細めた。
「……命中した」
「よし!」
姫が跳ねる。
「やった!」
セリウスが息を呑む。
「す、すげぇ……」
貴族たちがざわめく。
「今の何だ!?」
「距離が狂ってる!」
「いや、世界が狂ってる!」
ガルドが続けた。
「……イカは逃げていく」
そして、眉を動かす。
「……一本、足が流れてくるぞ」
波に揺られて、太い足が岸へ寄ってくる。
漁村の人たちが歓声を上げた。
「食えるぞ!!」
「大王イカだ!!」
リオが両手を上げて跳ねる。
「イカ焼き! イカ焼き!!」
姫もわくわくしている。
「イカ焼き……最高ですわ!」
「最高かはまだ食べてないだろ?」
俺が言うと、
「最高になる予定ですわ!」
姫が言い切った。
(強い)
⸻
その夕方。
炭火の上で、イカが焼ける。
香りが立ち、脂が落ちて、火がぱちぱち鳴る。
海の匂いと煙が混ざって、腹が勝手に鳴る。
姫が一口食べて、目を輝かせた。
「海の味がお口の中で踊ってます! 最高ですわ!」
ガルドが頷く。
「……問題ない」
シルフィが踊る。
「うまうま」
セリウスが俺の前に立ち、深く頭を下げた。
「玉を打つ人」
「あなたは素晴らしい!」
「あ、ども」
俺は照れて目を逸らした。
「普通にゴルフしてるだけなんだけど……」
セリウスが顔を上げた。
「師匠になってください!」
「え?」
「お願いします」
「普通に教えるならいいけど」
「ありがとうございます、師匠!」
(なんか決まった)
姫が笑った。
「弟子ができましたわね」
湖が赤く染まる。
水面は静かで、空の色をそのまま映している。
ふと見ると、湖の上に白い点が浮かんでいた。
ゴルフボールだ。俺が落としたやつも、誰かが落としたやつも、いくつも。
小舟が出て、それを静かに回収している。
網ではなく、手で。丁寧に。
湖の青。
夕日の赤。
ボールの白。
その三色が、水の上でゆっくり混ざっていく。
セリウスが、隣で言った。
「……美しいですね」
「うん」
俺は頷く。
「平和って、こういう色なんだな」
姫が小さく笑う。
「ナオキさん」
「明日も、打ちますか?」
「はい、普通にゴルフするだけ、です」
俺は肩をすくめて、笑った。
「あはは」
たこ焼きを買っているガルドの姿が、夕日に染まっていた。
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貯まるのは「ミッドナイトポイントカード(通称ナイポ)」。
集まるのは、どこか訳ありで、ちょっと不器用な異世界の住人たち。
そして、商品一つひとつに込められる、ささやかで温かな物語。
これは、世界の境界を越えて心を繋ぐ、コンビニ接客ファンタジー。
今夜は、どんなお客様が来店されるのでしょう?
※異世界食堂や異世界居酒屋「のぶ」とは
似て非なる物として見て下さい
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