異世界で魔族が全滅してるらしいが、俺は普通にゴルフしてるだけ ~無能扱いされた男が 、距離だけで世界を変える話~

ぬこまる

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34 赤い翼

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朝の森を、風が荒く引き裂いていた。

いつもなら、葉の隙間をくぐるだけの風が、今日は違う。枝を揺らし、幹を鳴らし、影をずらし、獣たちの匂いを消していく。小鳥は鳴かなかった。鳴く前に逃げた。巣の中で息を潜め、羽音さえ立てない。小動物は落ち葉の下に潜り、目だけを閉じて世界をやり過ごしている。

空は青い。太陽も出ている。それなのに、森の奥が暗い。

自然が、はっきりと「異変だ」と言っていた。

その風の中を、小さな影が飛んでいた。妖精だ。

シルフィはいつもより低く、木々の間を縫うように進む。羽は透けていて、朝の光を拾うはずなのに、今日は光が薄い。風が冷たい。匂いが苦い。

「……いや」

短い言葉が、空気に落ちる。

「こわい」

理由は言えない。言葉にする前に、森が答えを出している。枝が折れる前兆。草が伏せる前兆。命が静かになる前兆。

シルフィは、風を切って進んだ。

魔族の気配を探す。いつもの巡回だ。  
だが、いない。

「いない」
「へった」

本当だ。減っている。森の奥まで探しても、あの無機質な気配がない。鉱物の匂い、踏み荒らす足音、掘る音。全部、薄い。

「へいわ」

シルフィは、少しだけ口元を緩めた。

だが、その瞬間——森が鳴った。

バキリ。

太い枝が折れる音。  
ドン、と地面が踏まれる衝撃。  
風が乱れ、小動物たちが一斉に逃げ出す。

シルフィの羽が、ぴくりと止まる。

「……!」

木々の向こうに、影が落ちた。

黒い。重い。動くたびに森が軋む。  
それは魔族ではない。魔族のように小さくない。世界の方が、そいつを避けている。

シルフィは本能で身を翻した。

「にげる」
「しらせる」

羽を震わせ、逃げる。

後ろで、木が折れ続けていた。



同じ森を、人間たちが歩いていた。

ブロック、カイ、エルネス。

三人の足取りは軽いはずだった。だが今日は重い。敵がいないのに重い。探すという行為が、妙に疲れる。

「魔族……いませんね」
エルネスが杖を握り直しながら言った。

「……ああ、くそ」
ブロックが舌打ちする。
「嫌いだったのに、いないと腹が立つ」

カイが弓を背負ったまま、空を見上げた。

「まさか、魔族を探す側になるとはな……」

三人は歩きながら、ため息をついた。

魔族がいない。平和だ。  
それは良い。良いはずだ。

だが——魔族がまったくいないと。

ブロックが肩を落とす。

「これじゃあ、今日も宝石なし、だな」

エルネスは淡々と言った。

「魔族が城に襲ってきた日が……懐かしいです」

「懐かしいって言うな」
ブロックが即ツッコむ。
「それ、絶対に城で言っちゃいけないやつだろ」

カイが真顔で言う。

「転職しようかな……」

「何にだよ」
ブロックが呆れる。

カイは少し考えてから言った。

「港ができたらしいし」
「船関係とか……」

エルネスがふっと笑う。

「じゃあ私は、温泉を広める仕事をしようかな」
「……ははは」

「お」
ブロックが乗る。
「いいなそれ」
「湯は、世界を救う」

カイが口元を緩めた。

「王様が温泉村にゴルフコースを作る計画があるらしい」
「平和だな」

「それだ!」
ブロックが拳を握る。
「もう、戦うのやめて芝の管理でもするか!」

「剣士が芝管理はやめてください」
エルネスが言う。

「なんでだよ」
「芝に剣刺さないから大丈夫だろ」

「刺しますよね」
「絶対刺します」

そんなふうに笑っていた、そのときだった。

エルネスが足を止めた。

「……いますね」

空気が変わった。

ブロックが鼻を鳴らす。

「……匂いだ」

久しぶりの匂い。  
宝石の匂い。鉱物の匂い。  
あの“稼ぎの匂い”だ。

「まってました」
ブロックの歩みが速くなる。
「よし、今日は——」

木々の隙間から見えた。

小型の魔族が、三体。

岩の隙間に手を突っ込み、鉱物を漁っている。  
虫が樹液を吸うみたいに、本能だけで集めている。拾い、飲み込み、また探す。

カイが弓を引いた。

「……落とす」

ブロックが剣を握り直す。

「久しぶりの——」

その瞬間。

空が暗くなった。

影が落ちた。

ドン。

地響き。

森が震えた。

三人の視線が、同時に上を向く。

赤い。

赤い鱗。

翼が広がり、光を遮る。  
呼吸だけで空気が熱くなる。  
目が、金色に光る。感情がないようで、全てを測っている目。

ドラゴン。

「……」

言葉が出ない。

恐怖は、説明より速い。

ドラゴンは人間を見なかった。  
見たのは魔族だけだ。

大きな顎が開く。

魔族を掴む。

バリバリ。

鉱物ごと噛み砕く音がした。  
宝石が歯の間で砕け、光が散る。  
魔族の身体が、簡単に消える。

「……魔族が減った理由……」
エルネスが小さく呟いた。

ブロックの顔が青くなる。

「に、逃げろー!」

カイが即座に後退する。

「早く!」

ドラゴンの視線が、ようやく人間に向いた。

その目は「敵を見る目」じゃない。  
「どうでもいいものを見る目」だ。

だが、どうでもいいものに向けられる目ほど恐ろしい。

口の隙間から炎が漏れた。  
熱が空気を歪ませる。  
森の匂いが一瞬で焼ける匂いに変わる。

エルネスが杖を突き出した。

「結界——!」

魔法陣が展開する。  
青い光が薄い膜となり、三人を包む。

ドラゴンが口を開いた。

炎が、森へ放たれる。

世界が白くなった。

熱。風圧。轟音。

シルフィが遠くで風に叩かれ、吹き飛ばされる。  
視界が回転し、木々が逆さになり、地面が空になる。

それでも、ドラゴンは長居しなかった。

何事もなかったかのように翼を打ち、空へ上がる。  
風を切り、森を離れ、どこかへ消える。

残ったのは——焼け焦げた匂いと、折れた木と、立ち尽くす人間たち。

炎が去ったあと、森には奇妙な静けさが残っていた。

焼け焦げた土から、まだ熱が立ち上っている。
木々は黒く縁取られ、風にきしむ音だけが響いていた。

ブロックは膝をついていた。
肩口から血が滲み、剣を地面に突いて、なんとか身体を支えている。

「……くそ」
「さすがに、でかすぎたな」

カイも近くで息を荒くしていた。
弓は握ったままだが、腕が震えている。
火炎の余波で、前腕の皮膚が赤くただれていた。

「魔族を食らう者か……」

二人とも、生きてはいる。
だが、立っているとは、とても言えない。

その少し後ろで、エルネスが立っていた。

結界は、跡形もなく消えている。
魔法陣は途中で崩れ、空中に残った光の欠片が、ゆっくりと消えていく。

エルネスは、自分の両手を見つめていた。
指先が、かすかに震えている。

「……止められなかった」

誰に言うでもなく、ぽつりと漏れる声。

「結界が、薄かった」
「魔力も……足りなかった」

ブロックが、かすれた声で言う。

「いや、十分だ」
「助かった」

カイも、苦笑して続ける。

「生きてるだけで上出来だろ」

だが、エルネスは首を振った。

「……違います」
「“足りない”のが、分かってしまったんです」

彼女は、夜空を見上げた。
ドラゴンが飛び去った方向。
はるか上、雲の向こう。

「このままじゃ」
「次は、守れない」

小さく、息を吸う。

「……師匠に」
「会いにいかなきゃ……」

その言葉は、決意というより、確認だった。

風が、焦げた匂いをさらっていく。
森はまだ生きている。
だが、世界は確実に次の段階へ進み始めていた。





露天風呂って、反則だと思う。

湯船に足を入れた瞬間から、身体の芯がほどけていく。熱いのに痛くない。重いのに苦しくない。肩の奥に引っかかっていたものが、湯の中で静かに溶けていく。湯気が頬を撫で、硫黄の香りが鼻の奥をくすぐる。

ぽちゃん。

源泉が、たれ流しで落ちてくる。
そのたびに小さな波紋が広がって、湯の表面が太陽の光りを揺らす。

風が冷たい。山の風だ。
でも湯が熱いから、その冷たさが気持ちいい。

(旅行雑誌に「温泉は温度差がごちそう」って書いてあったけど)
(ほんとだな)

俺は肩まで沈み、ふぅ、と息を吐いた。

隣にはガルドがいる。
湯船の端に背を預け、腕を組んで、いつもの顔で湯に浸かっている。

「ぬくいな」

「……問題ない」

(問題ない=最高、の男)

「お前、温泉入っても距離とか測ってそうだな」

「……測っていない」

「珍しい」

「……湯は、測れん」

(湯だけは別枠らしい)

しばらく黙って、湯の音だけを聞く。
戦場の音が遠い。芝の音も遠い。
人間って、こういう静けさのために生きてるんじゃないかと思う。

そのとき、湯けむりの奥から声がした。

「がはは!」

俺は肩をびくっとさせた。

「……え?」

湯気の向こうに、王様がいた。
しかも普通に浸かっている。首まで。

「ナオキ殿」
王様はご機嫌で言った。
「温泉は良いなあ!」

「いや、王様って」
俺は反射で言った。
「ここ、普通に入るんですか?」

「普通だ」
王様は胸を張る。
「王も人だ」

(確かにそうだけど)
(家来は知ってるのか?)

王様は湯をばしゃ、と軽く叩いて続けた。

「で、ナオキ殿」
「ゴルフコースだが、どうだ?」

(温泉で国家会議が始まった)

俺は湯に浮かぶ花を眺めながら答えた。

「うーん」
「とりあえず三ホールを作りました」

「三ホール?」
王様が眉を上げる。

「はい」
「いきなり全部作ると管理が大変です」
「続けられる距離で、少しずつ」

ガルドが頷いた。

「……理にかなっている」

王様が満足そうに頷いた、その瞬間。

「ふぅ……」

また別の声がした。

湯気の向こうから、肩に手ぬぐいを乗せた男が現れる。

ドランだ。

「……え、ドランもいるの?」

「いる」
ドランは真顔で言った。
「湯は商売の基本だ」

(意味が分からん)

ドランは湯に沈み込み、息を吐いた。

「客が増えたら、ホールを増やす計画か?」

王様が即答する。

「その通りだ」
「まずは三ホール」
「評判が立てば、五ホール、九ホール……」

「百まで行けば貴族は泣くな」
ドランが笑った。
「泣いて金を落とす」

「あの、十八ホールで終わりです」
俺が突っ込むと、

「そうか……だが、金は回る」
ドランは平然と言う。
「回らせまくる!」

王様も頷く。

「ゴルフして温泉に入れる」
「それだけで貴族は動く」

「他国の王家も呼べる」
王様の声が、少しだけ低くなる。
「港ができた今ならな」

湯の上で国家戦略が回っている。
しかも、誰も難しい顔をしていない。
温泉ってすごい。

ガルドがぽつりと言った。

「……働き手が少ない」
「森の開拓は難しい」

王様は、のんびりと言う。

「よいよい」
「まずは三ホールで“遊べれば”よい」

(王様、すごいな)
(国を回すのに“遊び”って言い切れるの、強い)

ドランも頷く。

「小さく始めて、育てる」
「道具と同じだな」

(ゴルフクラブみたいに言うんだ)

俺は湯に肩を沈めながら思った。

(温泉に入って、ゴルフして)
(それで国が回るって)
(意味分からんけど、なんか正しい気がする)

そのときだった。

ざばっ。

ガルドが立ち上がった。

湯が肩から落ち、湯気の中で彼の影が立ち上がる。
空に向かって、顔が上がる。

「……遠くの空で、何かあった」

王様もドランも、口を閉じた。

「何が?」
俺が聞く。

ガルドは、眉をひそめたまま言う。

「分からん」
「距離がありすぎる」
「だが……何かが動いた」

仁王立ちだ。
裸で仁王立ち。

俺は一拍置いて言った。

「……てか」
「タオル巻けよ」

ガルドが、静かに頷いた。

「……うむ」

立派すぎて、誰も笑えなかった。
湯気の中で、世界の空気がほんの少しだけ変わった。

さっきまで、ただの温泉だったのに。

俺は湯を見下ろして、息を吐いた。

「……ま、普通にゴルフするだけさ」

ぽちゃん。

源泉が落ちる音だけが、答えみたいに響いていた。
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