異世界で魔族が全滅してるらしいが、俺は普通にゴルフしてるだけ ~無能扱いされた男が 、距離だけで世界を変える話~

ぬこまる

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35 破れた羽

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まぶしい光だ。

空は晴れている。雲は薄く、太陽はきらきらと無邪気に輝いている。穏やかな風が葉を揺らし、湿った土の香りが鼻をくすぐった。小鳥が遠巻きに枝へ止まり、小動物が草陰からこちらをうかがっている。心配そうな目だ。だが、森は生きていた。燃え尽きていない。まだ呼吸している。

——その中心で、妖精は目を覚ました。

シルフィ。

視界が揺れる。世界がまだ回転しているような感覚が残っていた。身体の奥に、風圧の記憶が刺さっている。赤い影。圧倒的な熱。森を裂く炎。あの瞬間、空そのものが敵になった。

ドラゴン。

思い出した途端、胸の奥がぎゅっと縮む。

「……ッ」

声を出そうとして、出ない。

喉が痛い。炎の風圧に焼かれたのだろう。息を吸うだけで、乾いた痛みが走る。シルフィは焦った。

ナオキに知らせなきゃ。

飛ばなきゃ。

羽を動かそうとした。

だが、身体が浮かない。

羽音が立たない。いつもの軽さがない。背中の感覚が、ひどく重い。シルフィはゆっくりと自分の羽を見る。

破れていた。

透けて美しかった膜が裂け、光を通さない影になっている。羽の縁がちぎれて、細い糸みたいに揺れていた。

——飛べない。

その事実が、喉の痛みより先に心を刺した。

ナオキに会いに行けない。

悲しい。悔しい。怒りたい。泣きたい。  
なのに空は青い。太陽は眩しい。森は美しい。

世界は、何もなかったみたいに続いている。

シルフィは地面に手をついた。土の冷たさが指先に伝わる。草が揺れ、小鳥が一羽だけ、距離を取りながら鳴いた。

——平和な朝だ。

平和なのに、自分だけが壊れている。

そのとき、足音がした。

ゆっくり。軽い。だが、踏みしめる音が妙に静かで、森の気配を乱さない。近づくにつれて、空気が少し変わる。花の香りとも違う。冷たさでもない。澄んでいて、夜の匂いが混じるような、不思議な気配。

そして、透き通った声。

「懐かしい魔力がしたと思えば……」

シルフィは目を上げた。

日傘を差した少女が立っていた。

太陽の光が強いのに、彼女はその光を避けるように傘を傾けている。白い肌は日差しに負けないほど透明で、長い紫の髪が風に揺れた。耳は横に長く、つんと尖っている。月を思わせる淡い瞳が、森の中の小さな命を静かに見下ろしていた。

見た目は人間なら十五歳ほど。

だが、空気が違う。

時間の流れ方が違う。

感情があるようで、ないようで。  
優しいようで、冷たいようで。  
その声は、森の奥に眠っていた古い頁をめくるみたいに静かだった。

「……妖精」

少女は、そう言ってしゃがむ。

傘が揺れ、傘の影がシルフィの上に落ちた。影の中は少しだけ涼しい。日差しが遠のくだけで、胸の痛みが軽くなる気がした。

「羽が裂けてる」

少女は淡々と確認するように言った。

「妖精の羽を修復する古文書……あったかな……」

その言葉に、シルフィは反応した。助けてくれる。分かってくれる。  
声を出したい。ありがとうと言いたい。

だが、喉が動かない。

息だけが漏れる。

少女は、その沈黙を責めなかった。

そっと両手を差し出し、壊れものを扱うみたいにシルフィを包んだ。掌は温かい。だが熱くない。温度が一定で、安心する温かさだった。

シルフィは目を閉じた。

心の中で、ありがとう、と言った。

その瞬間、風がひとつ吹いた。

木々の葉を揺らすだけの小さな風。  
それでも少女は気づいたように、僅かに口角を上げた。

「……うん」

彼女は顔を上げ、空を見た。

遠い。ずっと遠い。  
森の上、雲の向こうに、赤い翼の気配がまだ残っている。

「赤いのが来たのね」

言葉は柔らかいのに、意味は重い。

「なるほど……」
「これは、あの子が来る」

“あの子”。

その声に、確信が混じった。

少女は日傘を持ち直し、シルフィを抱えたまま立ち上がる。  
傘の縁に、太陽が当たってきらりと光る。だがその光は、どこか月光に似ていた。

森は美しい。

そして、世界はまた動き始める。

少女は静かに歩き出した。

妖精を抱いて。

誰にも聞こえないくらい小さな声で、最後にこう呟いた。

「……エルネス」





 ゴルフコースって、不思議な場所だと思う。

 戦う場所じゃないのに、ちゃんと「戦略」がある。勝ち負けがあるのに、心は落ち着く。芝は手入れされ、池は空を映し、バンカーは白い砂で曲線を描き、フェアウェイはなだらかにうねって、目線を自然に次の景色へ運んでくれる。

 ——挑戦しつつ、癒される。

 この矛盾を成立させてるのが、ゴルフ場なんだと思う。

 俺はガルドと並んで、ホールとホールをつなぐ小径を歩いていた。

 木漏れ日が道に落ち、風が芝の先を撫でる。池の縁には石が並び、少し離れた場所に小さなバンカーが見える。白い砂は光を受けて眩しいのに、うるさくない。必要なところにだけ、必要な分だけ置かれている感じがする。

「いいホールだな」

 思わず口に出る。

「……無理がない」

 ガルドが短く言った。

 この人の「無理がない」は、最大の褒め言葉だ。

 フェアウェイは優しい。曲線は柔らかく、狙い所が自然に見える。でも、油断すると池が待っている。手入れの行き届いた芝は踏み心地が良いぶん、ミスが目立つ。バンカーも、意地悪ではないが、落ちたらちゃんと「出し方」を考えさせられる。

(挑戦と優しさのバランス、ってやつだ)

 遠くを見ると、雲海が薄く棚を作っていた。高所の風は澄んでいて、日常の匂いを一枚ずつ剥がしていくみたいだ。夕方になれば、海の方が赤く染まる。そんな景色が「おまけ」みたいに付いてくる。

 これ、貴族が来るわ。

 ゴルフして、温泉入って、夕日見て、帰りに土産を買う。国は勝手に回る。王様がご機嫌で「どうじゃ!」って言うのも分かる。

 ……と、のんびり考えていた、そのとき。

 ガルドが立ち止まった。

 指が、前方を指す。

「あれは……エルネスだ」

「え?」

 視線の先。ホール間の小径の向こうから、誰かが歩いてくる。足取りは重く、背中が小さく見える。けれど、両手で杖を握りしめる姿勢は崩れていない。弱々しいのに、目だけが折れていない。

 エルネスだ。

 俺は駆け出した。ガルドも同時に動く。足音が芝を叩き、風が頬を切る。

「エルネス!」

 近づいて、俺は息を呑んだ。

 エルネスは、仰向けの男を二人、魔法で浮かせて運んでいた。

 地面すれすれ。まるで棺を運ぶみたいに、静かに、揺れないように。青い光が薄く伸びて、二人の身体を支えている。

「……ドラクエかよ」

 つい言ってしまった。

 ガルドは俺の軽口を無視して、即座に問う。

「何があった?」

 エルネスが唇を開く。

「……ドラゴンが……」

 それだけ言って、膝が崩れた。

「エルネス!」

 俺が受け止めるより早く、ガルドが支えた。体温が冷たい。魔力を使い切ったときの、あの感じだ。

 幸い、近くに馬車が停めてあった。コース整備のための荷車だろう。俺たちはブロックとカイを浮かせたまま馬車へ移し、エルネスを抱えて乗せた。

「温泉宿へ」

 ガルドが短く言う。判断が速い。距離だけじゃなく、場を動かすのも上手い。

 馬車は揺れた。小径の木々が流れ、芝の海が後ろへ遠ざかる。平和な景色が、いまだけは少し怖い。景色が綺麗すぎるときほど、嫌なことが起きる。

 そんな気がした。



 温泉宿は、想像よりずっと“高級旅館”になっていた。

 入口の灯りが柔らかい。木の香りがする。床は磨かれていて、歩くと足音が静かに吸われる。湯の音が遠くから聞こえる。空気に、硫黄の匂いが混じっている。ああ、ここは癒しのために存在してる場所だ。

(居心地、良すぎる)

 中では、リリアーナ様とローナが術師の施術を受けていた。

 ……施術というか、ほぼ“整う”やつだ。

 ふかふかの椅子。温かい布。香草の香り。肌に当てられる蒸気。ほんのり甘い匂い。ローナが目を丸くして、ぽつり。

「こんな贅沢……していいのかしら……」

 姫は、うっとりした顔で頷く。

「整います……」

 その言い方、完全に常連だ。

 そこへ俺たちが駆け込んだ。

「すまない」

 ガルドが頭を下げた。

「エルネスを温泉に入れてくれ」

 俺は馬車からエルネスを抱えて降ろし、宿の玄関でようやく息を吐いた。ブロックとカイは別室へ。二人とも顔色が悪いが、目は開いている。

 ブロックが苦笑する。

「やられたぜ……」

 カイが、短く言った。

「魔族を食うドラゴンがいた」
「気をつけろ」

 言い方が淡々としてるほど、重い。

 術師が二人を診て、即答した。

「しばらく安静です」
「つまり、お休みです。出番なし」

「出番なしって言い方が急に舞台裏だな」
 俺が言うと、術師は真顔だった。
「事実です」

 ブロックが天井を見る。

「……芝野郎、代わりに稼いでくれ」

「誰が稼ぐんだよ」
 俺はツッコんだ。
「俺、ゴルフしてるだけだぞ」

 カイが小さく笑った。
「その“だけ”が、世界一重いんだよ」

 やめろ、急に名言みたいに言うな。



 エルネスは、湯に入れた。

 湯気がふわりと上がり、彼女の頬に血色が戻っていく。温泉は魔力を増やすわけじゃない。けれど、心と身体の「戻り」を早くする。回復って、そういうものだと思う。

 ……姫とローナも、もちろん温泉に入っていた。

 そこは、こう、あれだ。
 湯気が仕事をしてくれるやつだ。

 宿の中は妙に上品で、笑い声も柔らかい。男の俺が細かく語ると怒られそうなので、俺はここでは「湯気、ありがとう」とだけ言っておく。

 ローナが湯上がりに、ぽつり。

「温泉って……人を優しくしますね」

 姫が頷く。

「距離が……溶けますわ」

(距離が溶けるって表現、好きだなこの子)



 しばらくして、エルネスが目を開けた。

 起き上がる動作はまだ重い。だが、眼差しが違う。スイッチが入っている。そういう顔だ。

 エルネスは、俺を見て言った。

「付き合ってください!」

「え?」

 俺の頭が一瞬、変な方向に回った。

「いや、急にそういう……」

 エルネスは慌てて続ける。

「師匠のところへ、一緒に来て欲しいのです」
「ブロックもカイも怪我してて、わたし一人では道中不安です」
「お願いします。付き合ってください」

「あ、そういうことね」

「はい!」

「紛らわしい……」

 姫が、ほっとした顔をした。

「ナオキさん」
「王家からもお願いします」

 ガルドが湯上がりの髪を軽く拭きながら言う。

「魔族を食らうドラゴンか……」
「エルネスだけに任せる距離ではない」

「そこも距離なんだ」

 俺が言うと、ガルドは一拍置いて頷いた。

「……距離は全てだ」

 またそれかよ。

 でも、今回は反論できなかった。

「分かった」
 俺は息を吐いた。
「行こう」

 ゴルフバッグを担ぐ。布製で、あちこちが擦れてボロが出ている。最近、旅が多すぎる。

 ローナが小さな包みを差し出した。

「はい、お弁当です!」

「ありがとう」
 ガルドが自然に受け取る。

(夫婦かな)

 ローナが慌てて言い足す。

「ナオキさんの分もあります」
「……リリアーナ姫が作りました」

「え」
 俺は固まった。

 姫が胸を張る。

「練習しました」
「パターだけでは飽きるので」
「料理も、修正します」

(修正って言うな)

 俺は笑ってしまった。

「じゃあ、いただきますは帰りにするか」

「はい」
 姫は嬉しそうに頷いた。

 こうして、俺とガルドとエルネスは旅に出る。

 芝と距離と再現性の外側へ。

 ……ゴルフバッグを担いだまま。

 結局、俺はどこへ行っても、ゴルフしてるだけなんだけど。

 あはは。
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