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しおりを挟む「ふぅ、食べた食べた~」
ぽんぽんになったお腹をさする僕は、ゆったりとした歩調で広間を出たのだが……。
「あれ? 僕のスリッパがない……」
キョロキョロと首を振って、履いていたスリッパを探したが、見つからない。
「んもう、誰が履いていった?」
おそらく、先に出ていった蝙蝠人たちの誰かが間違えて履いていったのだろう。
宿のスリッパはどれも同じなために起こる現象。虎視眈々と取り返したい気持ちもあるが、僕のスリッパが見つかることは、ないだろう。
「旅館、あるあるだな……」
そう呟きながら、仕方なく誰かが履いていたスリッパを履いて歩く。行燈が灯る温もりある暖色の廊下、外は真っ暗で何も見えない。黒い窓に映るのは、僕の浴衣姿と磨かれた木造の内装。ああ、僕は完全に旅行気分……。
「うーん、いっそ泊まっちゃおうかなっ」
そう独りごちりながら歩いていると、赤と青の暖簾を見つけた。
「おや? ここが温泉か……」
ふと、首を振って、キョロキョロと辺りをうかがう。
誰もいない……。
暖簾の青には男、赤には女と書いてあり、ふと、困惑する。
「どっちにしよう……」
とかいいながら、ドキドキしつつ、赤い暖簾をくぐる。
おもむろに引き戸を開いていくと、女の声が聞こえた。
おずおず、のぞいてみると蝙蝠人の女たちが、ぬぎぬぎと水着のトップスを取ったり、パンツを下ろしたりしていた。
みずみずしい果実のようなおっぱいとお尻が、ぷるんっと目に飛び込んできたのは、言うまでもない。
「あ……」
小さな声を漏らした僕は、そっと引き戸を閉めた。
とてもじゃないが、入れない。
僕の見た目は女だが、ちゃんと立派な息子がついている。蝙蝠人のお姉さんたち男だとバレたら、どうなるのだろう?
きゃあぁぁ、痴漢っ! とか叫ばれて殺られちゃう?
それとも、あらぁ、大きなおちんちん、とかいわれて……。
「僕もついに童貞卒業か?」
困ったな、それでも温泉には入りたい。
男湯か女湯かの葛藤に苦しむが、ここは正々堂々と男湯に入ろうと僕は決心し、青い暖簾をくぐる。
「失礼しまーす」
と声をあげてみたが、返事はない。
「よし、誰もいないな……」
僕は思い切って引き戸を開け、脱衣所のなかに入る。
「ささっと温泉はいって出よう」
そう自分に言い聞かせた。
はらり、と浴衣を脱いでカゴにしまい、すっぽんぽんになる。
一応、タオルで胸と下半身を隠して、いざ洗い場へ。
「おっと、すべるぅ」
温泉の成分なのだろう。
足下がぬるついたので、滑らないように慎重に歩く。
さて、まずは熱い泉温に身体を慣らすため、足下、太もも、腰、肩から胸に、ざばっとかけ湯する。
「うーん、なかなか、いい湯加減だ」
少し熱いくらいがちょうどいい。
ぎゅっとタオルを絞って折って頭にのせた。
僕の目の前にはヒノキ風呂の大浴場が広がっている。
ちょぽんと足先を湯につけると、
「あっ、あちぃ……ふぅ……」
思わず、吐息が漏れた。
ゆっくりと足を踏み入れ、腰を曲げ一段目のところで座って足湯をする。
ヒノキの香りに、ほっと自律神経がゆるみ、リラックスしてきた。
だんだん、身体が温かくなってきたので、ゆっくりと湯船に浸かっていく。
たっぷん、と温泉口から出てくる湯の流れが、悠久を時を感じさせた。
「はあ、生き返るなぁ」
とろっとした湯をすくってみる。
美肌効果のある、ナトリウムイオンと炭酸水素イオンを多く含んだ温泉成分なのだろう。
お肌がつるつる、すべすべしてきて、思わずにんまりと笑みがこぼれる。
「ああ、いい湯だ」
すると、涼しさを感じた。
顔をあげると、ヒノキ風呂の奥のほうから、さやさやと風が吹いていることがわかった。
どうやら向こうは屋外で露天風呂になっているようだ。
木々を揺らす緑風、灯りでライトアップされた赤と緑の葉、それらが混じったモミジの彩りを眺めながら、まったりと湯を楽しむ。
「ああ、仕事の疲れが癒やされるなあ……」
さて、身体が温まったところでいったん湯からあがる。
洗い場で髪を洗おうと思ったが、シャンプーとコンディショナーが置いてない。
「え? ボディソープもないじゃん」
あるのは石鹸のみ。
これですべてをやれ、ということなのだろうか。
とりあえず、僕は石鹸を手に取り泡立ててみる。
「おお、意外と泡立つ。うん、香りもいい。ラベンダーっぽい。しっとりしてて保湿成分もあるなぁ。まあ、ずっとここに泊まるわけでもないし、今日はこれで我慢するか」
独り言が加速している。興奮している証拠だ。
僕は身体を洗う、腕、足、太もも、お尻、胸……と、洗っていく。
すると、お肌がぷるぷるの艶々になっていた。
やがて、蛇口をひねりお湯を出して、優しく洗い流す。
「うーん、さっぱりした。この石鹸いいかも。獣人旅館の魔界石鹸。覚えておこう」
僕は再び温泉に足を入れ腰まで浸かる。
今度は露天風呂のほうに行こうと、湯のなかを泳ぐ。
視界が開け、荒涼とした枯れ野原がつづいていた。
息吹のない不毛な大地、あるのは岩や砂のみで、地平線から上は、ひたすらに真っ暗な闇が広がっている。
見上げれば、きらめく星々と月、じっと眺めていると熱くなってきた身体が溶けて飲みこまされそうになっていく錯覚に襲われ、身がすくんだ。
改めてここが魔界であることに、はたと思い知らされ、戦慄が走り、あわてて湯を顔にかける。
「こわっ」
温まったら出よう、と思っていたそのとき、引き戸が開く音が脱衣所から聞こえた。
「やばい、誰かくる!」
ちょっと、調子にのって温泉を満喫しすぎたと後悔したが、もう後の祭り。
人影が湯に入ってきて、一直線に露天風呂に向かっている。
「ど、どうしよう?」
僕は狼狽えた。
首を振ってみるが、辺りには隠れる場所はない。
とりあえず、全身を湯にしっかりと肩まで浸かって彼の様子をみる。
やがて、向こうは僕の存在に気づいたようで、呆然と立ち尽くしたまま口を開いた。
「アヤ……なぜここにいる?」
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