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弐.再会
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「じ…!」
ジジイ。
柚月は思わずそう言いそうになったのを、咄嗟にこらえた。
なぜこんなところに。
旧都のはずれの農村で、あばら家に一人で暮らしていた老人だ。
確かに、そのあばら家には不釣り合いな、立派な刀を持ってはいた。武士だとも言っていた。
だが。
目をまんまるに見開く柚月の前で、ケン爺は堂々と剛夕の前に座った。そしてさらに、剛夕は居住まいをただすと、驚くべきことを口にした。
「冤罪を見抜けなかったばかりか、そのことから、目を背けて参りました。これまでの政府の非礼、何卒お許しいただきたい。栗原権十郎様」
そう言って、深々とケン爺に頭を下げる。
それに倣い、一同頭を下げた。
その中で、ケン爺はすっと背筋を伸ばし、座している。
その様子は、かつて、宰相を務めた栗原権十郎の姿、そのままだ。
「もったいないお言葉でございます」
栗原は手をつくと、一礼した。その所作も、柚月が知るケン爺からは想像もできない。
あのただの頑固ジジイからは。
柚月が驚きの中にいるうちに、会は進み、散会となった。
柚月は廊下に飛び出し、栗原を追った。
「ケン爺!」
その声に、栗原は振り向いた。
見覚えのある顔が、駆けてくる。
思わず目を細めた。
「ケン爺! なんか、すっげえ人だったんだな!」
感動のまま口にする柚月に、周囲の者は肝を冷やした。
栗原権十郎は、その名を知らぬ者などいない名宰相。冤罪による退陣、という曰く付きの人物ではあるが、それとともに、その功績も語り継がれている。
声をかけるのも恐れ多い。
ましてこんな、近所のじいさんに声をかけるような調子で。
だが、栗原の方は気にしていない。
「まあ、お前よりはな」
そう言って、笑った。
そこに雪原もやってきた。
「ご無沙汰しております」
そう言って頭を上げる姿は堂々としているようで、その顔は少しはにかんでいる。
「何かと大変でしょう、麟太郎殿」
などと応える栗原には、旧知の仲のような親しさがある。
柚月は二人の様子に目を丸くした。
「え、雪原さん、知り合いなんですか?」
間に挟まり、二人を交互に見ている。
「ええ、まあ」
雪原はあいまいに答えると、柚月の背に手を当て、まるで栗原に紹介するようにしっかりと栗原の方に向かせた。
「すみません、勝手に紋をお借りしました」
栗原は、改めて柚月を見た。
きょとんとした顔をしている。
だが、その紋付き袴を着た姿。
立派に見える。
栗原は目を閉じ、黙ってうなずいた。
「構いませんよ」
そう漏らした。
目頭が熱くなっている。
柚月一人、事情が分からない。
二人を交互に見た後、やっと、栗原の裃の紋と、自分が来ている着物の紋が同じだ、ということに気が付いた。
柚月が着て、問題ない物。
雪原が言ったように、確かに、問題ない。どちらも栗原だ。
正確に言えば、同じ栗原姓でも、家紋が同じとは限らない。だが、この二人の場合は、確実に同じだ。
この三人の内、柚月だけがその事実を知らないだけで。
だが、柚月は深く考えなかった。
同じ栗原の紋だからいいのだろうと受け取り、疑問が一つ溶けて、すっきりしたような笑顔になった。
雪原が栗原を本宅に招く、というので、柚月は供をして、初めて雪原の本宅を訪れた。
柚月が間借りしている別宅も十分立派な邸だが、本宅はさすが。門構えから、比べ物にならないほど立派だ。
多くの使用人が出迎え、玄関には雪原の妻、節子と、息子の章太郎がかしこまって、雪原と、雪原の大事な客人を出迎えた。
これが、雪原の家族なんだな。柚月は敷居を跨げなかった。
「では、ここで」
玄関の手前で頭を下げると、雪原はグイと柚月の背中を押して中に押し入れた。
「小姓の、柚月一華です」
雪原の視線の先に、節子がいる。
柚月が慌ててかしこまると、節子はこの女にしては珍しく、微笑んだ。
「よろしくお願いします」
そう言って頭を下げるそのしぐさは、品がよく、いかにも武家の妻といった感じだ。
だが、改めて節子を見て、柚月はおや、と思った。
雪原はてっきり面食いだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
節子が不細工と言うわけではない。
だが、見るからに美人な鏡子とは違い、それこそ、武家の妻らしい、質素な女だ。
そう思ったのが顔に出たのだろう。
「節子とは、親が決めた結婚でしてね」
雪原が耳打ちする。
「でも、私にはもったいない、よくできた妻ですよ」
今度は節子にもよく聞こえるような声でそう言うと、微笑んだ。
本心だ。
だが、節子は「とんでもない」と謙遜した。
いい夫婦なんだな。鏡子のことを思うと複雑ではあったが、雪原と節子を見ていると、自然とそう思える。
「失礼します」
柚月は二人に一礼すると、雪原家を後にした。
その背中を、雪原はずっと見送った。その隣で、節子も見送っている。
「私に、もしものことがあったら」
ふいに雪原は口を開いた。その視線は、柚月の背中を見つめたまま。
節子はゆっくりと雪原の横顔に視線を移したが、雪原は振り向かない。
「あの子のことも、椿と同じように、わが子と思って面倒を見てやってほしい」
ずっと柚月の背中を、見守るような目で見つめている。
節子は何も問わず、ただ、
「承知しました」
とだけ言うと、再び、雪原とともに柚月の背中を見送った。
ジジイ。
柚月は思わずそう言いそうになったのを、咄嗟にこらえた。
なぜこんなところに。
旧都のはずれの農村で、あばら家に一人で暮らしていた老人だ。
確かに、そのあばら家には不釣り合いな、立派な刀を持ってはいた。武士だとも言っていた。
だが。
目をまんまるに見開く柚月の前で、ケン爺は堂々と剛夕の前に座った。そしてさらに、剛夕は居住まいをただすと、驚くべきことを口にした。
「冤罪を見抜けなかったばかりか、そのことから、目を背けて参りました。これまでの政府の非礼、何卒お許しいただきたい。栗原権十郎様」
そう言って、深々とケン爺に頭を下げる。
それに倣い、一同頭を下げた。
その中で、ケン爺はすっと背筋を伸ばし、座している。
その様子は、かつて、宰相を務めた栗原権十郎の姿、そのままだ。
「もったいないお言葉でございます」
栗原は手をつくと、一礼した。その所作も、柚月が知るケン爺からは想像もできない。
あのただの頑固ジジイからは。
柚月が驚きの中にいるうちに、会は進み、散会となった。
柚月は廊下に飛び出し、栗原を追った。
「ケン爺!」
その声に、栗原は振り向いた。
見覚えのある顔が、駆けてくる。
思わず目を細めた。
「ケン爺! なんか、すっげえ人だったんだな!」
感動のまま口にする柚月に、周囲の者は肝を冷やした。
栗原権十郎は、その名を知らぬ者などいない名宰相。冤罪による退陣、という曰く付きの人物ではあるが、それとともに、その功績も語り継がれている。
声をかけるのも恐れ多い。
ましてこんな、近所のじいさんに声をかけるような調子で。
だが、栗原の方は気にしていない。
「まあ、お前よりはな」
そう言って、笑った。
そこに雪原もやってきた。
「ご無沙汰しております」
そう言って頭を上げる姿は堂々としているようで、その顔は少しはにかんでいる。
「何かと大変でしょう、麟太郎殿」
などと応える栗原には、旧知の仲のような親しさがある。
柚月は二人の様子に目を丸くした。
「え、雪原さん、知り合いなんですか?」
間に挟まり、二人を交互に見ている。
「ええ、まあ」
雪原はあいまいに答えると、柚月の背に手を当て、まるで栗原に紹介するようにしっかりと栗原の方に向かせた。
「すみません、勝手に紋をお借りしました」
栗原は、改めて柚月を見た。
きょとんとした顔をしている。
だが、その紋付き袴を着た姿。
立派に見える。
栗原は目を閉じ、黙ってうなずいた。
「構いませんよ」
そう漏らした。
目頭が熱くなっている。
柚月一人、事情が分からない。
二人を交互に見た後、やっと、栗原の裃の紋と、自分が来ている着物の紋が同じだ、ということに気が付いた。
柚月が着て、問題ない物。
雪原が言ったように、確かに、問題ない。どちらも栗原だ。
正確に言えば、同じ栗原姓でも、家紋が同じとは限らない。だが、この二人の場合は、確実に同じだ。
この三人の内、柚月だけがその事実を知らないだけで。
だが、柚月は深く考えなかった。
同じ栗原の紋だからいいのだろうと受け取り、疑問が一つ溶けて、すっきりしたような笑顔になった。
雪原が栗原を本宅に招く、というので、柚月は供をして、初めて雪原の本宅を訪れた。
柚月が間借りしている別宅も十分立派な邸だが、本宅はさすが。門構えから、比べ物にならないほど立派だ。
多くの使用人が出迎え、玄関には雪原の妻、節子と、息子の章太郎がかしこまって、雪原と、雪原の大事な客人を出迎えた。
これが、雪原の家族なんだな。柚月は敷居を跨げなかった。
「では、ここで」
玄関の手前で頭を下げると、雪原はグイと柚月の背中を押して中に押し入れた。
「小姓の、柚月一華です」
雪原の視線の先に、節子がいる。
柚月が慌ててかしこまると、節子はこの女にしては珍しく、微笑んだ。
「よろしくお願いします」
そう言って頭を下げるそのしぐさは、品がよく、いかにも武家の妻といった感じだ。
だが、改めて節子を見て、柚月はおや、と思った。
雪原はてっきり面食いだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。
節子が不細工と言うわけではない。
だが、見るからに美人な鏡子とは違い、それこそ、武家の妻らしい、質素な女だ。
そう思ったのが顔に出たのだろう。
「節子とは、親が決めた結婚でしてね」
雪原が耳打ちする。
「でも、私にはもったいない、よくできた妻ですよ」
今度は節子にもよく聞こえるような声でそう言うと、微笑んだ。
本心だ。
だが、節子は「とんでもない」と謙遜した。
いい夫婦なんだな。鏡子のことを思うと複雑ではあったが、雪原と節子を見ていると、自然とそう思える。
「失礼します」
柚月は二人に一礼すると、雪原家を後にした。
その背中を、雪原はずっと見送った。その隣で、節子も見送っている。
「私に、もしものことがあったら」
ふいに雪原は口を開いた。その視線は、柚月の背中を見つめたまま。
節子はゆっくりと雪原の横顔に視線を移したが、雪原は振り向かない。
「あの子のことも、椿と同じように、わが子と思って面倒を見てやってほしい」
ずっと柚月の背中を、見守るような目で見つめている。
節子は何も問わず、ただ、
「承知しました」
とだけ言うと、再び、雪原とともに柚月の背中を見送った。
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