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第2章 漂流、相互干渉多世界

19: 溶解する二つの現実と仮想

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 俺は事務所でテレビの再放送ドラマを、ぼんやり眺めていた。
 空振りの可能性は高かったが、沢父谷姫子の行方を知っている人物とのアポがとれていて、それまでの時間つぶしだった。
 映し出されているのは、堺正章主演の「西遊記」だ。

 「西遊記」は娯楽ドラマとして、それなりのエポックメイキング的な作品で今も多くの人々の記憶に残っている。
 俺もこれが好きで、何度も見ている。
 初回では、なんとあの元祖ニューハーフのカルーセル麻紀が女妖怪で登場して、如意棒を前にけっこう際どいギャグを飛ばしたりするような、今でも「飛ばしてる」感が伝わってくるドラマだ。

 と言っても、俺が「西遊記」を、わざわざDVD-BOXを入手してまで見たのは、このドラマで三蔵法師役を演じている夏目雅子のファンになったのがきっかけだった。
 別に若き日の堺正章の顔を見たかったワケじゃない。

 更に言えば、俺が夏目雅子のファンになったのは、27歳という若さで急性骨髄性白血病を因に逝去した彼女のはかなさ、故だ。
 又、彼女の夫である小説家が書いた作品を読む中で、彼女が俺の中のファム・ファタールの一パターンに成長していったからでもある。
 そして俺は「西遊記」の中の夏目雅子が、というよりも彼女が演じる三蔵法師が、なんとも言えず好きになっていた。
 夏目雅子の人間的な中身もだが、その外見でも、ツルツルの禿ヅラを被ってこれほど自然に綺麗に見える女優は数少ないと思っている。

 、、人間、無駄な時間があると、ふとした弾みで普段考えない余計な物思いに耽ることがあるものだ。
 例えば、この時もそうだった。

 俺は昔から、映画やTV等に登場するゴーゴンとかの女怪物や女妖怪の類が好きだった。
 思えば、俺が「オカルト探偵」なる珍妙な職業に落ち着いたのも、それが遠因だったのかも知れない。
 最近、リアルで出会った女怪物は、江夏由香里先生だった。

 特に最後に見た江夏先生の姿は、強烈だった。
 夏目雅子が着けていた坊主頭に見せかける為の「禿ズラ」のようなヘッドギアに、直径1センチ程の半透明チューブを沢山生やしてそれを肩まで垂らしたモノを、江夏先生は被っていた。
 夏目雅子の禿ズラは優しげな三蔵法師を生みだしたが、江夏先生のは同じ西遊記でも、そこに登場するアダっぽい女妖怪になっていた。

 ブランブランするチューブの先端には、丸い形状のリングが付いていたが、恐らくそれは、何かのコネクターの類だろう。
 そういう頭にピッタリくっついた怪しげなヘッドギアを被って入る江夏先生は、何だか肉食系のゴーゴンみたいに見えたものだが、先生の怪物属性は、石化能力の怪物ぶりより、妖怪「サトリ」に近いものだっただろうと俺は思っている。


     ・・・・・・・・・


「香代の意識が戻ったと、病院から呼び出しがあった時には小躍りして駆けつけたよ。それがココについた途端に、面会謝絶だ。、、、私の人生の中でも、あの時ほど浮き沈みの激しいものはなかった。」
 兄の宗一郎が消沈した様子で俺に言った。

「けどその時に、香代の第二人格らしいリョウとかの視覚的な記録は見れたんだろう?」
 バーチャル映像と、俺は敢えて言わなかった。
 それに『視覚的な記録』と、言っても大したものじゃない。

 香代の内面世界を医師達が文章で掘り起こしたものは、表現としてはそれなりなのだろうが、映像の方は、人の顔にしたって警察の復顔術やモンタージュ技法の方がずっと優れているといったレベルの代物だ。
 香代とマシンが上手くシンクロしてる時でも、そこで展開される内容は、レベルの低い製作会社の3Dアニメに届くかどうかだ。
 とても昏睡状態にある患者の意識世界を探り当て、その世界を細密にバーチャル映像化した代物とは呼べない。

 それは植物人間の患者にも意識があるという確実な証明と言うより、患者親族の気休めの為にある様なモノで、気難しい人間には、返って逆効果になるほどの完成度だった。
 このシムテムの名前が非公式ながらゴォークであり、その中心エンジンが「コギト」と呼ばれている事からも、そのポンコツ振りが、お察し可能だった。

「、、ああ、岸先生を初め医者達は、あれはまだ実験段階だとか、それを見た私の態度が昏睡中の香代に新しい刺激を与えるのではないかとか、私にあれを見せる事を、あれこれ心配していたようだが、そんな事は糞くらえだ。病院に圧力をかけた。見たよ、、あのリョウとやらは、私の香代じゃない。第一、何故、香代が別人格を生み出す必要があるんだ?」
 俺は思わず『そりゃあるだろうさ、香代は今、必死に戦ってるんだ。その原因を作ったのは銭高零だけとは限っちゃいないんだぜ。それが判らないのか、兄貴。』と応えそうになったのを堪えた。

 怒りに満ちていた兄貴の顔が突然歪んだ。
 沸き上がってくる悲しみが、兄貴の怒りの堤防を越えたのだろう。

「リョウは香代・・じゃないが、、出来る事なら、別人格でもいい、、目覚めた香代をこの手で抱きしめてやりたい。」
 俺は兄貴への批判を止めた。
 少なくとも兄貴の悲しみは本物だ。

 冷静に現在の兄貴と姪の香代、この二人の情況を考えてみよう。
 素人考えで言えば、理屈上、現在昏睡状態に陥っている香代が、兄貴の態度に影響される筈はないのだが、岸先生の言うとおり、多分、兄貴のそういった「気分」は、香代にプレッシャーを与える可能性はあるだろうと俺は思った。
 自分自身が幼い頃、兄貴にそういう無形のプレッシャーを与えられて育って来たから、それは肌感覚としてよくわかった。
 口には出した事はないが、それは俺が目川の家を出た大きな理由の内の一つだった。

「岸先生はリョウと名乗っている第二人格が、香代の目覚めに積極的だから、なんとかなるかも知れないと言ってくれている。」
 兄貴のこの言葉で、何故か俺は、この病院に駆け付けた時、上空に発見したUFOの姿を思い出した。
 病院の真上で、円盤の後ろに二本の筒を付けた形の白いUFOが浮かんで静止していたのだ。

「しかしそのリョウが、妙な事を口走っているようなんだ。」
 ゴォークで垣間見える昏睡状態の香代の意識か、、。

「あのレイプ事件の時に、もう一人いたらしいんだ。もしそうなら、お前には、そいつの方も頼む。」
「もう一人、、?」
 、、、香代をレイプした主犯格である銭高零以外に、もう一人いる。
 零さえ、本当は追い詰め切れたどうかも定かでないのに、、。
 俺はこの兄の狂気を押しとどめる為に、銭高零を仕留めたと思わせるような、報告をしていた。

「おまけにリョウとやらは、あの時、直接は何もしなかったその男に、香代は一番傷つけられたと話している。あいつが香代の心に最後のトドメを刺したと。そいつは額に奇妙な輪っかが浮き出た男だそうだ。私の方も、手をまわして、もう一度、追い込みをかけてやる。銭高の時が駄目だったからって、今度も駄目とは限らんからな。」

 ・・・ループ感が半端ない。
 今、起こっている事、これは、俺のどっちの記憶なんだろう。
 ゴォーク前か?ゴォーク後か?
 主治医が岸良平氏で、江夏先生が登場しないって事はそうなんだろうが、だとすると話の辻褄が微妙に合わなくなってくる。


『なんの目的か知りませんが、貴男のお兄さんは、金を払って香代さんの身体を拭いた看護士にその時の様子を細かく報告させている。勿論、厳重注意しましたよ、その看護士にはね。だが、お兄さんのやり方は、半分、看護士への恫喝が入っていたらしい。だからこそ、私たちにもその事実が判ったわけだが、、。普通の父親なら、そんな事はしない。私たちは、患者が目覚めを拒否しているのは、単にレイプ時の肉体的・精神的ショックだけではないと考えているのですが、、、つまり父親の存在ですよ。力が強すぎる、、色々な意味でね。それは私たちにとって、治療上の問題であると同時に、別の領域の問題でもある。判って貰えますか?』
 そんな事を、江夏先生は絶対に言わない。
 あの女ならこう言う。

「香代ちゃん、年とらなくて良いわねー。ずっと綺麗なままですもの。」

 ・・・ゴォーク前の世界の担当医である岸先生の兄貴に対する指摘は正しい。
 ・・・え?
 俺を香代のインナーワールドにゴォークさせたのは、ゴォーク前の担当医の筈だが、、それが岸先生?違うだろ。
 世界の何かが書き換わっていき始めているのだろうか?



「又、復讐かい。で兄貴は、その先、俺にどうしろと、、。それで香代が良くなるのか?」
 俺は内心の不服を隠さず言った。

「純。私が、、好きで今の私になったと思うのか?」
 『私が、、好きで今の私になったと思うのか?』・・そうじゃないのか、兄貴?

 記憶が混乱していた。
 こっちが現実なのか、向こうがゴォークの見せる仮想世界なのか、それともその逆なのか、もうわけが分からない。
 それに、こちらでの出来事が積み重なる毎に、自分自身が保持していた前の記憶が、どんどん書き換えられていく。
 いや、事は記憶だけの問題ではないのかも知れない。
 江夏先生は、香代のインナーワールドは、一つの小宇宙で、それは現実を変化させながら、どんどん膨張していくと言っていた。
 ・・・ってか、江夏先生って誰だっけ?

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