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第5章 輪廻転生の旅/天山山脈を渡る因果

混じり合う現在.32: 地図 突然、空を飛ぶ

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 先ほどから、太陽の舌がGの身体を嘗め上げている。
 Gの五感は、無論の事、幾多の修羅場を抜け、磨き上げられてきたその超常能力がもたらす拡張感覚も、この太陽エネルギーの前にはなんら機能する事はなかった。
 さながら太陽の表面に浮かんだ黒い革の棺に納められた形のGは、ウマーの暗黒の中で、必死に絶対的な孤独に耐えていた。
 だが、時空さえ飛び越えるウマー自体は強靱で、太陽の熱も物理的な驚異にはなり得ないようだ。
 ウマーの全身を包むハードレザースーツの見栄えなど、もちろん表面上のものにしか過ぎない。
 「ウマーの鎧」に物理的な属性の制限はない。

 Gの頭の中に、大蜘蛛が入り込んできた。
 蜘蛛といっても、真っ黒な球体に8本の長い関節枝があるだけの生き物に見える、単なる「モノ」に過ぎない。
 Gは、その姿にどこか見覚えがある気がしたが、只でさえ、幾つもの「生」を生き、そのそれぞれの記憶をなくしているGには、「記憶」ほど曖昧なものはなく、その8本脚の「見覚え」を記憶から回収することは放棄していた。
 大蜘蛛が喋っている。
 それは、長い孤独に耐えきれなかったGが生み出した幻影なのだろうか?

「オペレーターに告ぐ。作動に必要なエネルギー充填完了まで後二十相対分。作動準備をされたし。」
「今、何と言った?喋っているのは君?作動準備とはどうやるの?」
「オペレター指示確認不可。原因、存在レベル。エネルギー充填完了まで後十九相対分。作動準備をされたし。」
「僕には君の言葉が判る。君が僕の言葉が判らない筈はない。答えて、作動準備とはどうするの?」

「オペレーター指示確認不可。原因、存在レベル。エネルギー充填完了まで後十八相対分。」
 ウマーの鎧、それは恐らく惑星浄土への超空間ゲートを設置した文明が生み出したものだろう。
 Gは、蚊龍やΩとの戦いの中で、ウマーに巡り会い、そしてウマーはGを操作者と認めている。
 その出会いは、不死に近い身体を持ち、それ故、常に自分の記憶をリセットし続けなければならないGを、更に遠くの転換点に運ぶための運命とも呼べる必然だったのかも知れない。
 いや、長い生を生きる者にとっては、偶然と必然は紙一重のものなのだろう。


    ・・・・・・・・・

「こりゃ、クラインの壺に落ち込んだ蝿だな。ただ、同じ場所を這い回っているだけだ。」
 アタッカーのTバーハンドルを跳ね上げて、白竜が呻いた。
  フロントガラスの向こうにあるのは、荒涼とした砂漠の広がりだけだ。
 先ほどからアッタカーは、黒木達が野営した丘を中心に半径二十キロの円を描いて堂々巡りをしている。

「この事も、Ωスクワッドのデータに入っていたのか?」
 それでも白竜には、まだ黒木をからかうだけの余裕がある。
「いや。すぐに手を打つ。」
 黒木は唇を嘗めながら、汗に滲んだ手でインカムのスイッチを繋ぐ。
「和音、今の状況は判っているだろう?あれを頼む。」

 三号車に同乗しているシグモント大佐は、通信を受けた大道和音がその後に見せた不審な行動を発見して、とがめる様に言った。
「そいつはパミータだろう。そんなモノをこの状況で射った日にゃ、一発で廃人になっちまうぜ。」
 制止の言葉を無視して、和音は幻覚薬パミータが入った黒い円筒状の射出器を、プロテクトスーツの袖を外し、素肌に押し当てようとした。
 シグモントは、その射出器を取り上げようとしたが、後部座席にいたシャイニィと呼ばれる無口な巨漢の圧倒的な力で、それを阻まれてしまった。

「ボスの命令だ。お前に止める権限はない。」
 普段、無口なシャイニィが氷の静けさで言った。
 パミータを自分で注射し終わった大道は、目を開けたままぐったりと座席のシートに倒れ込む。
 シグモントはグローブボックスをかき回して、煙草のパッケージ大の救急キットを見つけだし、PK46、俗にいう万能解毒剤を取りだした。

 ちらりとシャイニィの方を見ると、今度は腕を組んだままでこちらの様子を見るつもりらしい。
 パミータは顔面の筋肉の緊張を誘導するのか、堅く閉ざされた大道の口を開かせるのにシグモントは、自分の機械化された力の方を使うかどうかまよった。
 軍供給のパーツは、微妙な力加減が出来ない。
 シャイニィの妨害を許してしまったのも、サイボーグ化された軍人は不注意に相手を傷つけないという、陸軍での習い性の為だった。
 シグモントが、自分の手の力を軍事用のものに切り替える事を決意した時、アッタカーに、その車体が丸ごと穴に落ちたような衝撃がはしった。
 すると同時に、大道和音の瞼が開いた。

「この車の責任者は、私よ。貴方じゃないわ。余計な事はしないで!」
 シグモントが見た事がない程の回復力を示して大道は起き上がり、補助席に設けられた予備のTバーハンドルを操作し始めた。
 シグモントが、車外の風切り音に気づいてフロントを見た時、先ほどまでの荒涼とした大地が消え、新しい景色がそこに広がっていた。
 だが、何処かおかしい。
 光景の、すべてが下に見える!
 シグモントが、その異常に気づいたのは数秒遅れての事であった。

「この車は空を走っているぞ!」
 確かに四台のアッタカーは、間近に噴火する火山を幾つも見ながら、壮烈な夕焼けに赤く輝く空を、緩やかに地表と平行して滑空していたのだ。
 夕焼けの空には、遠くに黒いシルエットになってみえる有翼の生物が飛んでいるのも見えた。
 もちろん正確には、空を飛ぶためのなんの推力も揚力も持たない地上用車両が、自力で空を飛べる筈はなく、それは浄土の力が車を浮かせているのに、過ぎなかった。

 三号車の様子をモニターしていた白竜は、突然、固めた拳を立てるようにして身体の後ろの黒木に鋭く振った。
 片手はハンドルから離せない。一号車も空を飛んでいるからだ。
 もちろんハンドルから手を離そうが、アタッカーは大道が招いた想念の中で飛び続けるだろうが、人の通常感覚はそんな事を受け付けない。

「おまえ、彼女の頭を直接、細工したなッ。パミータの幻覚作用だけで、浄土がこれ程強く反応する訳がない!彼女の脳髄の一部を、そのまま半結晶体にしたんだろうが?」
 黒木は、この手法をニルス事件から学んだのだろう。
 それは白竜が、ニルス事件で封印したかったものの内の一つだった。

 黒木は、白竜の甲打ちで、打たれた鼻を押さえて呻いた。
 避けようと思えば避けられるような何の技もない白竜には似合わぬ感情まかせの甲打ちであった。
 それを敢えて黒木は顔面で受けた。
 鼻から吹き出る血を止めようともせず、黒木は言った。

「結晶化は私がやれと言った訳じゃない。彼女が自分からすすんで処置を受けたんだ。処置を受けた事を和音から聞かされたのは、出発の前夜だ。あれは、ああいう女なんだ。」
「お前、、自分がやった事に責任を取れよ。人間は人間に対して責任を取るもんだ。」
 白竜はプロテクトスーツの小袋からハンカチを取りだし黒木俊介に投げ与えた。
 黒木はそのハンカチで鼻血を拭きながら黙りこくった。

 二号車では、海渡が車の外の風景を、持参してきた小型立体映像記録装置のスイッチを連続シャッターにして、貪欲に撮りまくっていた。
「シィ、、飛んでるよ。翔んでる。いいね、いいわね。いいよ。」
 海渡の口元からは小さな喘ぎ声が聞こえてくる。
『この女は、ホログラフィを撮る事で、性的な興奮を得る事が出来るんだろうな、、?』
 李は奇妙な冷静さで海渡を眺めている。

「李さん。この世界は、何なんです?」
 補助席の若水が勢い込んで李に聞いた。
 若水は、アタッカーが空を飛ぶという現在の状況を、比較的冷静に受け入れているようだった。

「和音が創り出した世界、いや、和音の精神に呼応して呼び出された浄土の力の一部。和音はそういう事が出来ると、俺は黒木の若からそう聞いている。」
 李が言った内容は、若水には余り理解できなかったが、変わりに、高校時代にむさぼる様にして見た古代フイルムライブラリーの事を思いだした。

 赤国には昔、赤マフィアと呼ばれるサムライ達がいたのだ、そのサムライの詳しい名前は確かヤクザ、そうヤクザだ。
 李と言う男の喋り方、物腰は、そのヤクザそっくりだ。

「ぼんやりしてねぇで、通信を送ってくれないか。定時連絡の時間だ。」
 若水は思わず「ガッテン、ショウチノスケ。」と言いかけて止めた。
 冗談が通じる相手では無い事と、そんな状況では無い事を思い出したのだ。
 もちろん、若水は和音の脳の部分結晶化処置など知るはずがない。

「黒木、これからどうするんだ?」
 残り三台のアタッカーからの定時連絡で受けた質問を、もう一度、白竜が黒木に確認した。
 その質問とは、現在の「対処」ではなく、先の「見通し」だ。
 黒木は、それには直接答えずインカムで指示を流した。

「これでループからは脱出出来ただろう。全車、地表に降りる。着地の為の先導操縦は引き続き三号車に任せる。地上に降りたら車外には出ないで指示があるまで待機だ。」
「地上専用車が空を飛べ、飛行操縦まで出来る。いやまったく便利な世界だ。」
 白竜の軽口を聞いて、後部座席で悲鳴が上がった。
 パスカル神父だった。

「この車は空陸両用では無かったのですか?」
「そう言う事ですね。」
 黒木が冷ややかに言った。

「では何故、今、空を飛んでいるのです?」
「此処が夢の国だからでしょう。」
 今度は、うんざりと黒木が答える。
 黒木はどんどん不機嫌になって行くようだ。
 神父が十字を切った。

「神父。祈るなら、神ではなく大道和音という女性に祈って下さい。」
 白竜はそう言った。
 今更、結晶体や浄土の仕組みを、初めての人間に説明しようとは思わない。
 説明しようにも、自分の理解も又、真実を言い当てているとも思えなかったからだ。


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