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第1章 宇宙回廊の修理者
10: 美男子ヘンデルと人造神グレーテル
しおりを挟む呼び出しに応じてヘンデルの執務室に向かう事になった護は、その途中、レズリー・ローと出会った。
執務室に向かう廊下は、構内で徐々に絞られていき、最後は一通路しか残らない。
レズリー・ローと出会ったのは、正にその通路の入り口だった。
「偶然?」
「偶然じゃないわよ。」
護はレズリー・ローと肩を並べながら、機構本部の中で最もセキュリティの高い廊下を歩く事になった。
その視線は、どうしてもレズリーの胸元、そしてその長い脚に吸い寄せられてしまう。
黒色の次世代ラバー生地によって、ぴったりと覆われたレズリーの身体は申し分のない魅力的な曲線を描いていた。
こいつ本当に男なのか?
それにどうして、この「女」は真っ昼間から、しかも軍隊や警察機構に近いこの本部の中で、こんな挑発的なスタイルを周囲に晒せるのだろう。
時たま、二人とすれ違う職員達も、目のやり場に困っているようだった。
「ドクターヘンデルが呼んだのは君と私。・・どちらかと言うとメインは私の方かしら。君、聞いてなかったの?」
「俺はてっきり、ヘンデルに今度のへまを叱責されるもんだと思いこんでいたから、、。」
「呼び捨てじゃなく、ドクターを付けなさい。それにドクターヘンデルはリペイヤーの細かなミスにいちいち関わっていられる程、暇じゃないわ。多分、君が気にしてる特異点の安定ラインの変動だって、何がその本当の原因になっているのかなんて人間には誰も判らない。その事を一番理解してるのもドクターヘンデルよ。」
レズリーがまなじりが切れ上がった目でこちらを見る。
その目線が護の高さと一致している。
二人の背の高さは殆ど変わらない。
護が平均的な成人男性の身長よりやや高い程度だから、レズリーは女性として相当背が高いのだ。
その菫色の瞳が神秘的だった。
「しかしあんたは俺を助けてくれて、俺は銃を盗まれた上に、夾雑物を捕り逃がしてしまった。ゲッコに聞いたら俺のターゲットは、ジッグラトを少し離れた所で捕捉出来なくなったそうだ。つまり力を得たんだ。安定ラインが大きく揺れたのが、そのせいだとするなら、奴は相当な力を手に入れているのかも知れない。・・話を聞くとすれば、誰が考えても、この俺だろう。あんたはその証人だ。あんたに、お褒めの言葉をかけるつもりなら、もっと違うやりかたがある。それとも俺の前で、わざわざあんたを褒めて、イヤミたらしくやりたいのか、、」
護は拗くれていた。
「いい?藍沢護君。君、イライラするんだけど。」
レズリーは急に立ち止まると護に向き直った。
「なっ、なんだよ急に、俺は今まで他人にイライラするなんて言われたことないぜ。」
「まず、その口の効き方。わたしレズリー・ローは、君にとって何?」
「・・命の恩人。」
「私はそんな恩着せがましい人間?そんなことを、聞きたいんじゃないわ、」
「、、同僚、同じリペイヤー。」
「そうね、でもそれだけじゃないでしょ。私、君が青白い顔してこの機構に入って来たのを知ってるのよ。」
「自分は、先輩っだってことを言いたいのか、、。」
「そうよ、そして先輩に対する口の効き方を覚えなさいって言ってるの。君、このままドクターヘンデルにあったら今と同じ様な調子で接するんじゃない?」
「ヘンデル、いやドクターヘンデルは、サバけた人間だって聞いている。」
ヘンデルとグレーテル。
勿論、本名ではないが、皆はそう呼んでいる。
機構のトップにして、神のような存在、特異点に関して総てを見通し、知っている、、。
そのくせ彼らは、神と同じように、人間にはこの世の真理、つまり特異点の真の姿を決して語らない。
「そうよ、ドクターヘンデルは、そんなちっぽけなこと気にされる方じゃないわ。君に腹が立つのは、私なの。人間には格がある。その格は、判る人間には判るはず。君にも人を見る目は、多少はあると思う。だからそれに即した言葉遣いをしなさい。見境なしに、お前と俺みたいな言い回しをいつまでも癖にしちゃだめ。それ偉ぶってるの?一匹狼気取り?」
護は、ヘンデルとレズリー・ローが出来てるという噂話を思いだしたが、「腹が立つのは、私なの」という言い回しに奇妙な暖かさを覚え、その噂話を自分の中から打ち消した。
「判った、、急には変えれないと思うけど、努力するよ。」
「じゃ、それでいい。行くわよ、後輩君。」
『はいはい、先輩』と言いながらレズリーの形のいいヒップを撫で上げ、その途端に肘鉄を食らっている自分を思い浮かべながら、護は先を行くレズリーの後を追った。
厄介なのは、ヘンデルらがいる執務室に辿り着くまでに通過しなければならない数々の「フィルター」の存在だった。
正に人間を濾過するのだ。
細胞レベルまでの人物照合が数メートルの廊下を歩く中でスキャニングされ、問題有りと判断されれば、その時点でスキャニングは、人体の解体行為に切り替わる。
後には色の濃いスープしか残らない。
・・・フィルターが故障しないと、誰が言い切れる。
これほどの警備網が引かれるのは、ヘンデルとグレーテルが、特異点の価値と並ぶ程の重要人物だったからだ。
今では特異点同様、彼らの存在自体が、国家の秘匿対象と成っている。
国家の存続さえ危ぶまれる程、弱体傾向にあった極東のこの島国には、奇跡的も二つの僥倖があった。
一つは人類にとっての最大の発見となるだろう特異点が、この国のある地域に停留したこと。
二つめは、特異点が何であるかを理解でき、ある程度、その機能を把握制御することを可能にした頭脳の持ち主が、この国の国籍を持っていた事である。
その頭脳の持ち主こそが、ヘンデルとグレーテルだった。
むしろ特異点は、故障した船が近くの港に修理の為に立ち寄るように、ヘンデルとグレーテルの側に身を寄せようと、この島国に停留したのではないかという説もあるぐらいだった。
「ヘンデルとグレーテル」とは勿論、コードネームである。
噂話にしか過ぎないが、二人の実像はウアンとイアンという天才一卵性双生児だと言う話もある。
この噂話には続きがあって、イアンは酷い奇形を持って生まれ、それ故、人に交わらず深い思索に優れ、ウアンは天才科学者に似合わぬ眉目秀麗な姿形を持った為に、二人の共同思考を表現する為のスポークスマンの役割を果たしたというものだ。
ちなみに、イアンはもう人間としての姿形をとどめていない。
彼は「キューブ」と呼ばれる姿で、特異点と現世の境目に「スーパーコンピューターのように設置」されている。
そのヘンデルが二人を、執務室の応接セットの奥にある壁際に来るよう手招きをしていた。
二人が揃ったタイミングで、長身のヘンデルが右手を軽くあげると、壁が左右二つに割れ、左右にスライドしていく。
そこに現れたのは壁一面の大きなガラス壁だった。
ガラスの向こう側に、海と、今まさに暮れていこうとする夕焼けの空が見えた。
特異点本体は、その海の何処かに存在する。
真下には、この建物が小高い丘に作られているのを示すように、森の光景が広がっている。
「どうだい、素晴らしいだろう。」
ヘンデルのさわやかで軽やかな声。
ヘンデルの視線はレズリーではなく護に止まっている。
レズリーはこの光景をもう何度も見ているに違いなかった。
・・・確かに美しいが、箱庭みたいだ。
壮大さにかけると護は思った。
フルコンタクト空手の世界大会で、海外遠征の経験がある護は、これよりもっと壮大な夕焼けを何回か見ている。
それを口に出しかけた護だが、レズリーとの約束を思いだし、曖昧な笑みを浮かべるに止めた。
「なんだ、こじんまりしすぎだって顔してるね。世界中、どこを探しても、こんなに四季と自然の包み込むような穏やかさを感じさせてくれる夕日はないと私は思っているんだがね。我が先人、ラフカディオハーンは出雲の国の夕焼けにそれを見た。私はここだ。」
ヘンデルは渋い笑みを浮かべると、二人に席に付くよう勧めた。
そして自らも長い脚を優雅に組みながらソファにその身を沈める。
「宇宙空間に出れば、地球上では絶対に見られない、此処は神の隣の席かと言うほどの壮絶な光景にいくつも出会える。最初は、度肝を抜かれるが、その内、気が付くんだ。・・ここには何もないと、それ故の美しさだとね。われらがサトゥルヌスもそれを知っている。だから、この大宇宙に存在するなけなしの生命を繋ぐための回廊を造った。私はそう思う。いや、そう思うようにしているんだよ。」
現代は宇宙衛星での実験や研究が盛んだが、ヘンデルの言葉には、そういったものの体験者としてのリアリティが感じられた。
四十代後半か、いやもう少し若いのかも知れない。
学術の世界にいる人間なら、この隠れたる天才の本名を聞けば、その存在に思い当たる人間の数も多いのだろうが、護にとってヘンデルは、自分とは全く肌合いの違う気取った只の男に過ぎなかった。
「さあ、本題に入ろうか。レズリー・ロー、まずは君からだ。藍沢君を、君の持ち場から移動してまで、救出に向かおうと思った所から報告をしてくれたまえ。出来るだけ詳しくだ。」
「お言葉ですが、この件につきましては、報告書を上げています。仕事熱心なドクターヘンデルがお読みにならなかった筈はないと思うのですが。、、二度手間だとは申しませんが、ドクターにとっての貴重な時間が失われるのは確かです。」
報告書についてレズリーが言ったことは、当てこすりではなかった。
ヘンデルは、特異点に関することなら労を惜しむことなく、ありとあらゆる事を知りたがり、実際にそう努力する人間だというのが機構内の一致した意見だった。
勤勉なる神というわけだ。
「報告書は確かに読んだ。実に正確で精緻なものだったよ。しかし君の肉声にはかなわないんだ。それに、今のこの会話はグレーテルにも届いている。彼は君の肉声から、報告書以上の情報を得る能力を持っている。君から直接報告を聞くべきだと言ったのは、グレーテルだ。グレーテルは、強い順応力を持ったリペイヤー同士が、特異点内部の世界で行き来したこのケースに、非常に強い関心を持っている。特異点は、強力なリペイヤーに対しては、それぞれ違う顔をみせる、逆に言えば、その二人は同時に特異点内部では存在できない、、今まではそう考えられてきた。」
護は息をのんだ。
機構にいて、ヘンデルとグレーテルの名を知らぬ者はいない。
特にグレーテルは、機構の人間達にとって、未来を見通す目を持った「神」と呼ばれる存在だった。
今回の呼び出しは、その「神」が行ったのだ。
そして、その二人は護と同じ疑問を抱いていた。
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