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第3章 竜との旅

42: シャドー 鏡面世界

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 眩しさで目が覚めた。
 日が昇っている。
 俺の世界に太陽が昇る事があるのか!?、、空は朝焼けだ。
 護は訳が分からず混乱した頭のまま半身を起こした。
 隣で寝ている筈のレズリーの姿がない。
 もっと驚いたのは、目の届く地面すべてに、桜色の花びらが撒き散らかされていた事だ。

「櫻?」
 朝焼けの空が見る間に澄み渡っていく。
 明るい日射しの中で周囲を改めて見てみると、護達が一晩を過ごした場所は、なだらかの丘の上に生えた一本の巨木の根本だったようだ。
 そしてこの丘を取り囲むように、四方には同じ様な丘が連なっていた。
 それぞれの丘との相違点は、護がいる丘には、一本の巨木しかないが、他の丘には沢山の櫻の木が生えている事だった。
 しかもそれら総てが、満開の花を咲かせており、風に散った花びらがそこらじゅうに舞い散っていた。
 いや舞い散ると言うより、花びらが吹き上がっていると言う方が正しいかも知れない。
 それらの光景は、悲しくなるような空の青と相まって、美しいというよりなにか壮絶さを感じさせた。

 護は身震いした。
 ここは自分の内部世界ではない、、護は既に、レズリーに導かれ、違うリペイヤーの内部世界に入り込んでいたのだ。
 遠くで鳴き声が聞こえた。
 虹色竜のものだった。

 虹色竜が鳴くところを見たことがなかったが、不思議な事にその声は虹色竜のものでしかないという確信が護にはあった。
 見つけた。二つ向こうのピンク色に染め上げられた丘の頂で、虹色竜は狼が遠吠えをするように喉をこちらに見せながら鳴いている。
 こっちに来いと護を呼んでいるようだった。
 そういえば、昨夜眠りにつく時、虹色竜は護達を守るように彼らの側にいたはずだが、、、、レズリーだ、単独行動をとったレズリーを追って虹色竜が移動したのだろう。
 しかもレズリー自身が連絡を寄越さずに、虹色竜が代わりに護を呼んでいる。

 非常事態だった。
 護は移動ディバイスに乗って、と一瞬思ったが諦めた。
 虹色竜がいる丘に繋がる舗装された道が見あたらない。
 昨夜までは、なんとか移動できる道があったのだが。
 何でも出来る筈の護のスーパーカーには、このような自然の丘の連なりでの登坂能力がない。
 ここは既に護の内部世界ではないのだ。
 護は走り出した。

    ・・・・・・・・・

 響児が推測したカルロスに訪れた転機とは「シャドー」の発見だった。
 カルロスが「シャドー」を手に入れたのは、瞬間移動の最中に失速した時だった。

 自分の思い浮かべた場所に転移できなかったのだ。
 なぜ失速したのかは未だに判らない。
 瞬間移動の最中に、何かの力に引っ張られたような気がしたが、カルロスは、元来、物事に対して「何故」という疑問を抱かない質だった。
 彼に関心があるのは、今がどうかという現実だけだ。

 最初は、その空間が、後に「シャドー」と名付ける事になる世界だとは判らなかった。
 失速して落ちた場所は、お馴染みの愛すべき悪徳の街・碇だった、、瞬間移動に失敗したのかと思ったほどだ。
 ジョンリーに依頼された殺しには、成功したが、意外にしつこい追跡と報復にあった。
 カルロスはいつものように瞬間移動で一気に逃亡しようと思ったのだが、その時、思い浮かべた去年の夏に行った海岸には飛べず、気が付いたら碇の江南ブロックの薄汚い裏通りに移動していたのだ。
 移動という程の距離でもなかった。
 そこは殺しをやった現場から走れば5分もかからずに行き着ける場所だ。

 だが彼は気が付いたのだ。
 いや正確に言えば彼の「力」が、それに気づいたのだ。
 これはいつもの瞬間移動ではない、俺はコインの裏側に来た。
 ここは鏡面世界なのだと、、光景が少し異なるのは、いつもの瞬間移動の力が慣性的に働いて、無理矢理、鏡面世界の中を少しばかり移動してしまったからだと。

 普段なら鼻に来る溝の匂いも、ゴミ箱を漁る野良犬も、大量の気配だけは分かる闇に潜んだどぶネズミ達も、ここにはない。
 まったく生気がない。
 ましてや人間の気配などあろう筈もなかった。
 命の抜け落ちた、碇のコピーのような街、そこにカルロスは瞬間移動、いや転移したのだ。

 そしてカルロスは、この気配に記憶があった。
 特異点だ、、夜の世界、、自分が力を得た場所。
 カルロスは推理した。
 リペイヤーどもは、自分専用の特異点を持っているという、つまりはそれが奴らの力の源なのだ。
 ひょっとすると、この俺も自分専用の特異点を持てるようになったのではないか、、この命の抜け落ちた碇の街の鏡面コピーが、それではないのかと、、。

 カルロスの推理は半分だけ、あっていた。
 この鏡面世界はリペイヤー達の内面世界のようなものではない。
 しかしカルロスにとって、現在の利さえあれば「半分」で充分だった。
 力を得るためなら悪魔に魂を売ってもよいと考える男なのだ。

 今までなら「飛ぶ」ときに、目的地をイメージする必要があった。
 さらにどこに「飛ぶ」かを考える必要も出てくる。
 それらをトータルすると瞬間移動するまでに結構な時間がかかるのだ。
 例えば、相手が自分の目の前に出現したカルロスに反射的に銃を発砲した場合には、勝負は単純に反射速度だけの問題になる。
 いくらカルロスが瞬間移動で相手の目の前から消えて無くなる力を持っていようが、その事実は変わらない。
 つまり、消えて無くなるまでの時間よりも、相手の放つ弾丸がカルロスの肉体に早く届けばカルロスは死ぬことになる。

 もしこの現実の鏡面世界である「シャドー」に、瞬間移動するのなら、カルロスは、「考える」必要さえないのだ。
 鏡に写っている自分の像が同時に動いているのと同じだ。
 やばいと思った瞬間に、鏡の中にいればいい。
 本当の意味での瞬間に行われる移動だ。
 いやこれは「移動」というよりも、二つの世界に二重存在している自分の立ち位置を切り替えると言った方が良いのかも知れない。

 これでもう、人が引き金を引く武器では、カルロスは死ぬことはない。
 そして、まだカルロスは気づいていないが、「シャドー」にはもう一つの秘められた力があった。
 まさにカルロスは、全能に近い「戦いの神」の領域に近付きつつあったのだ。


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