宇宙は巨大な幽霊屋敷、修理屋ヒーロー家業も楽じゃない

Ann Noraaile

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最終章 アタラクシア

53: 失ったものと得たもの

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「このコーヒーは、美味いな。一体、何が起こったんだ?」
「見れば判るだろ。私が直接、お前さんの為に入れてやったからさ。」
 後処理にかかっているネルドリップを持ち上げて、ホテル・アタラクシアの支配人はそう言った。
 おそらく支配人は、久しぶりに顔を見せた護の為に、自分の手でコーヒーでも振る舞ってやろうと思ったのだろう。

「今までのは、なんだったんだ?」
「内の料理人がコーヒーサーバーに入れてたんだよ。」
「あのボルシチか?、、、それくらい、あんたがやれよ。」
 何故か護は、コーヒーだけは、この支配人が用意していたものと思いこんでいた。
 自分の趣味に合ったことは、トコトン拘りをみせる男だったからだ。

「基本、私は酒の担当だ。それとトイレの掃除だな。他にやることが色々あるんだよ。」
 嘘か本当か、支配人が笑いながらそういった。
 健康な人々が朝食を取るような時間帯で、護がこのホテルにいる事自体が珍しかったから、そんな時刻に見る支配人は別人のように見えた。
 普通の、ちょっと気障でオシャレな初老の男が、カウンターの向こうにいるだけだった。

「で、今日はなんの用事で碇に来た?又、このホテルに泊まりたくなったのか?」

「冗談だろう。温水にしても、時々冷たい水がでるシャワー付きのホテルに、誰が好き好んで泊まるんだ。今日は蘭丸家の墓参りに来たんだよ。」

「蘭丸家?それは丹治の弔いでもあるんだな?」

「止めてくれ、丹治さんが死んだとは、まだ決まっちゃいない。俺はただ、俺が犯したミスで、こうなった事をようやく蘭丸家の人達に詫びる所までこぎ着けたから、碇にやって来たんだ。」

「、、、そうか。、、しかし丹治の事は、誰も振り返らないと思っていたが。、、、やっぱりみんな、奴の事を憶えて居るんだな。悪党のくせにな、、、。あいつは、ある意味、このホテルみたいな奴だったからな。」

「アタラクシア?」

 古代ギリシャの哲学者エピクロスは、人間にとっての最大の快楽を、「心の平静不動」、つまりアタラクシアに求めたが、そのアタラクシア状態にとっての最大の敵は「死」だった。
 その為、エピクロスは、当時では異端、今では現代科学の基本的な考えに近い原子論的自然観を持ち出して、その「死」の恐怖感を克服しようとしたらしい。
 つまり死の恐怖を克服する為に、死を理解し、死を単なる「出来事」として受け入れ平静を得ようとしたのだ。
 今の護には、その程度の知識はあった。

「いや、それに近いが、少し違うな。丹治は、ほんとに、複雑な奴だった。」
 支配人はそう言って暫く遠い目をした。


    ・・・・・・・・・


 蘭丸家の墓参りに訪れた護、その側には、響児と香坂がいた。
 丹治とカルロスが「行方不明」になった数週間後、警察へ蘭丸親子を弔いたいと申し出た護に、案内役を買って出たのが彼ら二人だった。

 墓地のある丘の上に吹き上げてくる風には、微かだが潮の匂いが混じっていた。
 昼下がりの風は、海のある方向から吹いてくる。

「警視殿、丹治警部は死んだんですかね?」
 響児が聞いた。
 機構から警察に対して、丹治警部の幕切れについては、正確な所がまったく連絡されていなかった。
 事が「国家レベルの極秘事項」に属するからである。
 おおまかな事の経緯については、この墓地に来る道すがら、護が彼らに語って聞かせていた。

 そのやり取りの中で、現実世界の香坂、特異点の丹治、この二人の間に緊密な連絡があり、更にカルロス確保の為の大まかな打ち合わせまであった事を知った響児は、かなりのショックを受たようだ。

 ただ響児のショックは、そういった内容を、今まで香坂が自分に告げなかった事ではないようだ。
 丹治と香坂の秘密の計画が進む中で、ジョンリーのせいとはいえ、イレギュラーな存在になってしまった自分の突発行動が、丹治の死に結びついたのではないかと、響児は悔やみ初めていたのだ。

 しかし、それを言うなら護も、丹治が一旦、機構のプラットホームに帰還した時点で、つまり二回目の複製地球への侵入前に、丹治が香坂と連絡を取り合っていた事を知らなかったのだ。
 それに、あの屋敷内の出来事にしても、もし丹治がカルロスと最初に出会っていたら、香坂との連携作戦が上手く展開した可能性もあるのだ。
 もしそうなっていたなら、丹治の相打ち覚悟の攻撃は、なかったかも知れない。
 先のことは、誰にも判りはしないのだ。

「申し訳ないけど、瞬間移動中に移動者自体が死亡するケース、あるいはそれに巻き込まれる形で移動してしまった人間のケース・・それ自体が初めてなんだよ。機構の調べでも、二人の死体はどこにも見つかっていない。俺が何を言っても、それは憶測でしかない。グレーテルという人工知能なら、君の疑問に答えられる可能性があるが、グレーテルは、この件に関して沈黙を守ったままだそうだ。」

 護は、一般人には伝えてはならないギギギリの線まで喋っていたが、もうそんな事を気にするような事はなかった。
 護にとって「仲間意識」という意味では、機構の多くの人間より、響児や香坂に対するものの方が、遙かに強くなっていたのだ。

「響児、お前まだ、丹治さんの事をよく判っていないようだな。丹治さんは、とてつもなくタフな男だ。死んだりはしないよ。」と香坂が二人のやりとりに感想を述べた。

 その言葉に対して、響児と護は心の中でそれぞれ違うことを応えていた。

『・・・そう。丹治警部は死ねないだろう。おそらく、次元と空間の狭間の中に落ちて、永遠にさまようことになる。一種の幽霊だ。俺達リペイヤーが、自分の身体の変容以上に怖れる状態。だが俺が、リペイヤーをやり続けるなら、何処かで、丹治警部と再会できる可能性がないわけではない。その時は、必ず丹治警部を連れ戻して見せる。』

『香坂先輩、貴男こそ、丹治警部の事を判っていない。奴はやっぱり、最悪の男だ。俺のヘマでこうなったのは寝覚めが悪いけれど、、結局、カルロスの野郎と相討ちで良かったのかも、、、丹治警部が碇に戻って来ても、奴が碇にもたらすのは、殺戮と混乱だけだ、、。』


 護はもう一度、蘭丸親子の墓に向かって手を合わせた。

「修羅王の方は、どうなんです?俺が署にいた頃、お二人が追いかけていた奴、いや一応、あの時点では、修羅王じゃなくて、ジョーキングでしたか、、。」

 話の方向を変えようと、護が香坂に聞いた。
 響児は黙っていたが、これについても響児はある程度の彼なりの答えを得ていた。

 修羅王としてのジョーキングは、確かに途中まで存在したが、最後まで「本物の修羅王」を育て上げたのは、丹治警部とエマーソン製薬だ。
 最初のジョーキングが、どうなったのかは、未だに判らないし、わかりたくもなかった。
 あと、わかりたくもない事が、もう一つあった。
 それは、香坂刑事が、そのカラクリに付いてどれぐらい真実を知っていたかという事だった。
 響児と香坂はペアで、ずっと修羅王を追っていたのだから。

「・・・あまり、大きな声では言えませんが、エマーソンが碇から撤退した今となっては、修羅王なんてもうどうでもいいんですよ。最初から本当に存在したのかどうかも疑わしい男でしたからね。それより、今となっちゃ、個人的に気になるのは、エマーソンが、何故、あんなを事までして碇に食い込もうとしたかって、動機ですよ。犯罪者の間に出回ってるダイビングマップの向こう側に眠ってる特異点テクノロジー。それが目当て、、とは言われているが、今一つ、要領を得ない。私なりに、随分探りは、入れてみたんですがね。」

 香坂の言葉は、単なる感想というより、リペイヤーである護に探りを入れているようにも聞こえた。

 リペイヤーの間には、マップ流出に関しては、機構内の裏切者説以外に、決して表面化しない、もう一つの噂話がある。
 こちらの方は、余りに途方もない話で本気で信じている者は一人もいない。

 それは、マップを犯罪者達に流しているのは、機構自体ではないかという噂だ。
 『リペイヤーではない通常の人間を、特異点に投げ込んだらどうなるのか?』やって見なくては判らないことだが、これに関しては、志願者がいない限り、機構としては、実験のしようがない。
 そして特異点自体を、地球的規模で封印してしまった以上、志願者など、募りようがないのだ。

 だがそこに、一つの大きな抜け道がある。
 もし誰かが、密かに自分の意志で、特異点に潜り込もうとしたらという事だ、、、現にリペイヤーと夾雑物の追いかけっこから、様々なデータが、機構に蓄積されている。
 壮大な実験。
 そして、今以上の実験の拡充、、。
 実験の目的は、実に明確だ。
 特異点を、人間が自由に使えるようにすること。

 護はその噂と、自分自身の体験から、ある一つの推論を組み立てていた。
 この裏の実験につけ込もうとしたのが、エマーソンではなかったか?
 碇の犯罪者達を、修羅王の元で一つに束ねなおして、間接的に自分たちの意向が通る組織にする。
 禁断の知恵の泉に、自分専用のロープの付いた桶を投げ込むようなものだ。
 そうやってエマーソンは、子飼いの「裏リペイヤー」とも呼べる存在を組織しようとしていたのかも知れない。

 では、このリペイヤーしか知らない噂話、あるいは「事実」を、誰がエマーソンに漏洩したのか。
 少なくとも、丹治警部はこの容疑から除外される。
 丹治警部は、丹治警部で、別の思惑があって動いていたのだろう。
 やはり機構の誰かが、裏で大きく糸を操っている、、、。
 しかし、この疑念ばかりは、いくら護でも外部に漏らしてはならない内容だった。

「今度の件について、機構のトップが、今後一切の動きを止めるようにと、エマーソンに圧力をかけたという話を聞きました。言い換えれば、国家そのものが、エマーソンに口を出した。それで、一連の出来事も完全になかった事になる。今となっては、香坂さんの疑問に、答えられる人間は、どこにも存在しないでしょうね。」
 護は慎重に言葉を選んで、しかし、彼が出来る限りの事を、香坂に伝えた。

「なるほど、、、。ところで警視殿は、カルロスが盗んだ例の拳銃を、どうされました?そっち方面で動いていた同僚に聞いたら、カルロスのねぐらで発見した拳銃は、警視殿にお返ししたと。」

 香坂は、「エマーソンの巨大な謀略や、機構の秘密について喋りたくないのならそれでいい、で、お前の方のケリはついたのか?」と、そう聞いているのである。

 香坂も護も立場は違うが、所詮は巨大組織の下っ端に過ぎない。
 何を考えたところで、彼らの手が届かない事が多すぎる。
 残るのは、最前線で働いている者同士のお互いの「心持ち」だけだった。

「機構の俺の部屋の片隅に転がっていますよ。今は、もうなんの思い入れもない。普段使ってるのは、丹治警部から戴いたブロンコですよ。」

 護はそう応えると、視線を遙か向こうに移した。
 海の見下ろせる小高い丘の上にある墓地からは、海岸線にのびた「碇」の街が、見えていた。










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