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ここは何処?
09: 自転車オンナと薔薇の名前、そして他世界間移動ドライブ装置
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色々と配慮をして、それなりのロケーションを選んでいる筈なのに、撮影中たまたま通りかかる通行人が邪魔になる時がある。
一番問題なのは子どもで、彼らは遠慮がないから思ったことをすぐ口にする、こちらに絡んで来る時さえある。
それとは逆に、おおかたの大人は、こちらの側を通過する時も、眉をしかめて通り過ぎるか、無関心を決め込むのが普通だ。
まあ激しい方のリアクションでも、こちらを振り返ったり、ヒソヒソ話をする程度だ。
これが普通の撮影ならそうでもないんだろうけど、、何分エロだから、、反応すると自分まで変態だと周囲に思われるという気になるのだろう。
その反応は、人前で堂々とキスをするような若い世代でさえそうなのだ。
ビデオカメラの力って、いやアダルトビデオの野外撮影の破壊力って凄いと思う。
AV撮影といっても、こっちは販売ルートもなく、ヴィヴィアンガールズ主催の内輪向けのプロモビデオみたいなもので、本当に極少数の撮影クルーによる内職程度のものなのに、これだもの。
で、その「問題の通行人」が、立ち止まった。
いや正確に言うと、彼女は自転車に乗っていたから停止したと言った方がよいのか。
身体の線が相当崩れ初めているけれど、年齢はこっちと同じ歳くらい。
彼女が数メートル離れたところで自転車を止め、こちらを振り向いたのが見えた。
剣道で言うと、正眼の構えみたいな、揺るぎない視線というのか、、。
そしてその後、どういう訳か彼女は、首だけを捻じ曲げ、こちらに背中を向けたままピクリとも動かないのだ。
浮世絵の「見返り美人」か、映画「エクソシスト」の首が回った少女リーガンみたいだ。
あくまで自転車の前輪は「向こう」をむいている。
もちろん、こちらだって彼女の事をじっと観察していた訳じゃない。
相手の娘と絡みながら薄目を開けると、その彼女が時々こちらの視界に入るという事なのだが、ただでさえ恥ずかしい路上でのディープキス、、演出上で相手の鼻だって大きく口に含んだりするのにだ、、、気持ちが覚めてしまうと何も出来なくなる。
それに次の鼻フェラシーンは、女性の顔にある鼻を男性のペニスに見立てて、それをレズビアンキスするという一番フェチ濃度の高いものだから失敗できない。
でも依然として彼女は、ぜんぜん動かないでこちらを睨み続けている。
こちらの方は彼女が気になり過ぎて、変な風に緊張して来くるし、次はいよいよ相手の鼻を口の中に全部含んで舐める段取りになっていたので、二つの緊張が重なって思わず吹きだしそうになった。
やばいよ。きっと顔がゆるんで映ってるって、、。
それにしてもなんなの?あのオンナは?
ひょっとして頭がオーバーワーク気味の百合の人なんだろうか?
それともまさかのアリウス?
参加したいんなら、ここの監督に言えば?、、こいつなんでもOKな、アバウトな奴なんだから、、とかなんとか考えている内に、ようやくその自転車女は立ち去ってくれたのだが、、世の中には色んな人がいるもんだなぁと、再認識した次第だった。
このお仕事の帰り、所用で難波の少し入り込んだ裏通りを歩いていたら、知り合いの殿方にばったり出くわした。
一旦化粧を落とした後で、こっちはまだ化けていない遅い昼下がりだったから、向こうはまったく鯉太郎に気が付かない様子。
化けると言えば殿方の方も化けていた。
普段の彼は、背が高くて彫りの深い顔をした家族思いのナイスガイで、さらにとても折り目正しい品行方正な立派な人なのだ。
その殿方が、まるでやくざのような服装で、派手な格好をしたお水の若い女の子をつれて、やに下がりながら肩で風を切って歩いていた。
四十代後半、分別盛り、、浮気が余り似合わぬ人なので、正直言って鯉太郎は出来の良い不倫ドラマを見てるみたいで、少し興奮してしまった。
ジェットコースターは「墜ちる恐怖」を楽しむ遊具だけど、彼の姿を見て、ついつい引きこまれるは、その落差のせいだ。
「落ちたいなら、墜ちてしまえ!」と心の中で呪詛の言葉を吐きながら、その実、鯉太郎は興奮しているのだった。
道を歩いていて発見すると言えば、こんなファッションの類がある。
黒のニーソックスの脹ら脛の部分に、真っ赤な紐がクロスで編み上がったデコレーションとか。
多少は可愛さを加味してるものの、これって丸ごと「女王様ブーツ」紋様だ。
目の前を歩いてた女の子の足元ファッションなんだけど、自分のお仕事ユニホームを思い出してついニヤりとしてしまう。
鯉太郎なんかが、お仕事でしか使わないようなビザールファッションも、味付け一つで日常の中に潜り込ませる事が出来るという事だ。
目立つって事は、バラの花みたいに、綺麗さの中にちょと痛い毒があるってことかも知れない。
そうそう薔薇と言えば、「この漢字書ける?の代名詞」なのが「薔薇」だ。
キーボード依存症の鯉太郎なんて、まったく書けない字。
でも「薔薇」って漢字自体は好きだ。
画数とか姿形自体がバラそのものだし、花びらの重なり具合とか、棘とか文字の雰囲気が似てる。
ところで鯉太郎のマンション近くにある公園横に、鯉太郎が密かに「薔薇屋敷」って呼んでるお屋敷がある。
お屋敷の庭に、毎年この時期になると綺麗な薔薇が沢山咲く。
お散歩の時とか凄く楽しみにしてるんだけど、それがこの前通ったら玄関越しに小さな立て看板が見えて、「お庭の薔薇を見ながらお茶しませんか。紅茶400円」って書いてあった。
このお屋敷、フェンスが結構重厚で、庭の中で咲き誇ってる薔薇の総てが外から眺められるわけじゃないので、確かに中に入ったら眺めはいいだろうなとは思うのだけど、気持ち的には「素人さんが商売かよ~」とは思ってしまう。
薔薇が似合う深窓の令嬢がお茶のサービスしてくれるならまだしも、鯉太郎が時々見かけるこの屋敷のご主人は結構庶民的な香りのする老年夫婦だし、、。
家の近いことだし、この時期だけ頼み込んで、昼間のバイトでもしちゃおうかしら、「薔薇のニューハーフメイドカフェ」なんて、いや昼間はかえってNGかも知れないけれど、、。
しかし丹誠込めて育てられた薔薇ってやっぱり綺麗だ。
薔薇って、綺麗に咲くために生まれてきたって感じがする。
薔薇は歌の「百万本のバラ」とか、ミステリーの「薔薇の名前」とか、結構ゴージャス、あるいは神聖な愛のイメージで使われる花だけど、自分の中では余り健康的なイメージがない。
かと言って、その不健康さは隠花植物程でもなく、薔薇は不思議な花だ。
植物というより何故か、「肉」を連想させるところがあるからだろうか。
鯉太郎の場合は、この甘い香りが女装を本格的に始めた高校時代の記憶と結びついている所があって、断続的にあの頃の様々なシーンを思い出してしまう。
○○公園の植え込みの陰で、友達の生臭いペニスに何故か猛烈に欲情して、ゲロを吐きながら口に咥えたこととか。
元いた世界での、ウンベルト・エーコが書いたミステリーの「薔薇の名前」に使われる結びは、
stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.だ。
つまり和訳すると、「過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり」となる。
ゲスっぽくこれを意訳すると、「(薔薇)は神がその花に与えた名前だから、君の移ろい消えゆく記憶にある薔薇には、特別な名前なんてあってないようなものでしょう?それでも君はその特別な薔薇を愛してるよね、愛せるよね。」って感じ。
人が、世界の中の何かの一物、あるいは事柄に、「名前」を与えると言う行為は、今まで人間にとっては意識もされない無形のものだったものに、生命を与えることと等しい。
名前を付けるとは、見えない世界から見える世界へと、橋をかける行為でもある。
「名前」という枠を与えることで、人間は物事を、自分に引き寄せ認識するのだ。
なら人智の及ばぬ神が、物事に付けた「名前」については、どうだろうか?
その名前は絶対的であり、その絶対性故に、「神が名付けた名前」は、人を拒絶するのではないか?
それを考えると、人は、自らも名付ける力を持ったが故に、神に拒絶された生き物なのではないか?
鯉太郎がいた世界のウンベルト・エーコは、そんな提起をしていた。
この世界では、中世ヨーロッパ哲学における唯名論と実念論という2つの対立する考え方が、「普遍論争」というものを巻き起こしたそうだ。
ウンベルト・エーコのミステリー「薔薇の名前」は、二重構造になっていて、その一つがこの「普遍論争」に関係すると言われている。
簡単に言えば「普遍というものは実在するのか、それとも人間の頭の中にしかないのか」といった論争である。
例えば、古代ギリシャのプラトンは,個別の存在物の背後にはイデアという普遍が実在すると考えた。
これは一種の「実念論」である。
逆に、現在の我々の「ものの分類というのは人間が考え出しただけのものだ」という考えは、唯名論的な発想となる。
鯉太郎のいた世界では、この「普遍論争」が途切れることなく続き深化し、ついにそれが量子力学の分野に結合した結果、多世界間移動ドライブの発見・発明に至ったとされている。
ところで人の記憶とは不思議なものだ。
無意識の内に勝手に捏造されたり消されたりする事はあっても、本人の意思では、記憶自体は制御できない。
過去の惨めな記憶に苦しめられて、現在も苦しみ続ける人々も多くいる。
又、薔薇の香りがきっかけになって思い出すような記憶もあれば、逆に本当は事実として存在するのに、すっぽりと完全に抜け落ちているような記憶もあったりする。
鯉太郎のようなアリウスは、装備した緊急キットで、他人の記憶を操作する事が出来るが、実は、記憶の持つこのルールから、それる事は出来ない。
やはり「薔薇は神が与えた名前」なのだ。
「薔薇の名前」の名が出たところで、銀河高速夜行バスの多世界間移動ドライブを基にした時空移動用エンジンの仕組みについて、少し触れておきたい。
「銀河高速夜行バス」の移動システムの理解は困難を極めるので、ここでは鯉太郎の世界で子ども達によく使われる例え話を紹介しておきたいと思う。
まずその前の前提として、「多世界」の可能性を頭の中に収めて貰いたい。
この世、この現実は、一つではない、簡単な事だ。
可能性もなにも、鯉太郎自体が実証例なのだから「多世界」が存在することは事実なのだが、そこから外に移動した事のない人間には難しい認識だろうからだ。
ここに一冊の非常に分厚い神聖なる本がある。
無限のページ数を持つかのような神の本なのだが、その事は、ここではそれ程、重要ではない。
憶えておかなければならないのは、この見開き二ページに書かれた世界が、多世界の一つに該当するという事である。
ページ自身は自らをめくることは出来ないから、そのページの最初の書き出しから始まった物語は、そのページの中で永遠に終わりのない物語を紡ぎ続けることになる。
どんな結末になるのかは、問われない。
「結末」とは、終わりを意味するものだが、読者を持たず決して捲られる事のない一枚のページは、それ自体で閉じられていて、そこに出口はない、つまり結末に相当するものがないのだ。
ただし、人ではない神は、この本を読み進め、その物語の意を汲みながら次のページをめくる事が出来る。
その2ページ目が、貴方が属する多世界かも知れないし、130ページ目がそうなのかも知れない。
とにかく重要なのは、この無限と思える各ページごとに、それぞれの世界があるということだ。
神は時間の流れと共に、この無限にあるページを読み進める。
時々、何かを確認するために、ページを戻す事もあるが、これは時間を遡る事を意味するわけではない。
それは現在において、「過去の物語」を読み直しているのに過ぎないのだ。
つまり時間は、未来に向かって一方向にしか進まない。
これは神とて同じ制限下にある。
かくして多世界は、神がその物語を読むのに飽きない限り、未来に向かって永遠に、その頁数を増殖し続ける。
さてここで、次の事態が発生する、神ではない誰かが、この分厚い本を特殊な短剣で突いた。
各ページは、その短剣の鋭利な刃先によって貫かれてしまった。
今度は、その短剣の表面に水を垂らしてみよう。
その水は、今まで飛び越えられなかった各ページに染み渡って、下へと移動していくことが出来るだろう。
一ページの内の住人でしかない君が、どうしてもページ間を移動したければ、その水になれば良い。
・・・まあ矛盾だらけのたとえ話なのだが、これが多世界間移動ドライブの基本的な原理だ。
この多世界間移動ドライブは、副次的な効果として時空を一気に短縮して移動することを可能にする。
分厚い本を何冊も積み重ね、その本を短剣で刺し貫いて出来た穴を伝い、水になった貴方は、本の厚みの分だけをページをめくることもなく一気に移動するのである。
一冊目の本の厚みは、「第一無限」、二冊目の厚みは「第2無限」と解釈されるが、その短剣自体は、神という読み手、つまりページをめくる手を必要としない。
つまり神の視線の別名でもある「距離」が、実質上なくなってしまうのだ。
この多世界間移動ドライブを手に入れた人間は、他の世界には興味を示さなかった。
興味を示したのは「距離」を飛び越える、その一点だけだった。
多世界の一ページの住人にしか過ぎない人間には、他の世界がいくら存在しようと、そこに大きな価値や利益は見いだせなかったのだ。
なぜなら、そこにあるのは「あり得たかも知れない自分自身」達の姿ばかりだからだ。
少し違うだけの自分に、物を売りつけても利益はでない。
少し違うだけの自分から何かを強奪しても富とは言えない。
むしろ多世界間移動ドライブの副次的な時空短縮移動効果の方に利用価値があったのだ。
遠くにある他世界を侵略支配して、自分たちの世界を潤そうという馬鹿げた考えがなくはなかったのだが、「多世界に住んでいる人間は、もしかしたら、こうだったかも知れない自分自身なのだ」という認識は、何にも勝った。
多世界間移動ドライブを運用するにあたってのルールは一つだけ、他世界には関わらない、という事だった。
その為、多世界間移動ドライブを使って、不幸にもどこかの他世界に紛れ込んでしまうという事故対策の為に、最低限の救命装置が、旅行者に取り付けられるようになった。
多世界間移動ドライブの超簡易版をネット状態にし、旅行者の頭蓋の内に挿入するのだ。
もちろん、これが挿入されたからといって、その人間が単独で他世界にジャンプ出来るわけではない。
ただ紛れ込んだ先の世界内という限定で、「もしかしてこうだったかもしれない世界」を小規模で擬似的に発生させる事が出来るのだ。
つまりアリウスと呼ばれる遭難者は、このネットを使って、自分の周囲にいる人間に対して、自分に有利に働く擬似的な過去を造り出すことが出来た。
これは相手の人間への記憶の改ざん行為ではなく、実際に「もしかしたら」ありえた記憶だから、他世界に与えるインパクトは少ないと考えられていた。
そして同時に、この他世界に影響を及ぼす小さいが異質なエネルギーは、大型の多世界間移動ドライブから探知できた。
つまり遭難信号がわりにもなるのだ。
遭難者はそれを使って、他の世界で社会的に生き延び、救出を待つ事が可能になるのだ。
ただ多くのアリウス達は、長くは救出を待てず、その世界に同化してしまう事が多いのだが、、、。
一番問題なのは子どもで、彼らは遠慮がないから思ったことをすぐ口にする、こちらに絡んで来る時さえある。
それとは逆に、おおかたの大人は、こちらの側を通過する時も、眉をしかめて通り過ぎるか、無関心を決め込むのが普通だ。
まあ激しい方のリアクションでも、こちらを振り返ったり、ヒソヒソ話をする程度だ。
これが普通の撮影ならそうでもないんだろうけど、、何分エロだから、、反応すると自分まで変態だと周囲に思われるという気になるのだろう。
その反応は、人前で堂々とキスをするような若い世代でさえそうなのだ。
ビデオカメラの力って、いやアダルトビデオの野外撮影の破壊力って凄いと思う。
AV撮影といっても、こっちは販売ルートもなく、ヴィヴィアンガールズ主催の内輪向けのプロモビデオみたいなもので、本当に極少数の撮影クルーによる内職程度のものなのに、これだもの。
で、その「問題の通行人」が、立ち止まった。
いや正確に言うと、彼女は自転車に乗っていたから停止したと言った方がよいのか。
身体の線が相当崩れ初めているけれど、年齢はこっちと同じ歳くらい。
彼女が数メートル離れたところで自転車を止め、こちらを振り向いたのが見えた。
剣道で言うと、正眼の構えみたいな、揺るぎない視線というのか、、。
そしてその後、どういう訳か彼女は、首だけを捻じ曲げ、こちらに背中を向けたままピクリとも動かないのだ。
浮世絵の「見返り美人」か、映画「エクソシスト」の首が回った少女リーガンみたいだ。
あくまで自転車の前輪は「向こう」をむいている。
もちろん、こちらだって彼女の事をじっと観察していた訳じゃない。
相手の娘と絡みながら薄目を開けると、その彼女が時々こちらの視界に入るという事なのだが、ただでさえ恥ずかしい路上でのディープキス、、演出上で相手の鼻だって大きく口に含んだりするのにだ、、、気持ちが覚めてしまうと何も出来なくなる。
それに次の鼻フェラシーンは、女性の顔にある鼻を男性のペニスに見立てて、それをレズビアンキスするという一番フェチ濃度の高いものだから失敗できない。
でも依然として彼女は、ぜんぜん動かないでこちらを睨み続けている。
こちらの方は彼女が気になり過ぎて、変な風に緊張して来くるし、次はいよいよ相手の鼻を口の中に全部含んで舐める段取りになっていたので、二つの緊張が重なって思わず吹きだしそうになった。
やばいよ。きっと顔がゆるんで映ってるって、、。
それにしてもなんなの?あのオンナは?
ひょっとして頭がオーバーワーク気味の百合の人なんだろうか?
それともまさかのアリウス?
参加したいんなら、ここの監督に言えば?、、こいつなんでもOKな、アバウトな奴なんだから、、とかなんとか考えている内に、ようやくその自転車女は立ち去ってくれたのだが、、世の中には色んな人がいるもんだなぁと、再認識した次第だった。
このお仕事の帰り、所用で難波の少し入り込んだ裏通りを歩いていたら、知り合いの殿方にばったり出くわした。
一旦化粧を落とした後で、こっちはまだ化けていない遅い昼下がりだったから、向こうはまったく鯉太郎に気が付かない様子。
化けると言えば殿方の方も化けていた。
普段の彼は、背が高くて彫りの深い顔をした家族思いのナイスガイで、さらにとても折り目正しい品行方正な立派な人なのだ。
その殿方が、まるでやくざのような服装で、派手な格好をしたお水の若い女の子をつれて、やに下がりながら肩で風を切って歩いていた。
四十代後半、分別盛り、、浮気が余り似合わぬ人なので、正直言って鯉太郎は出来の良い不倫ドラマを見てるみたいで、少し興奮してしまった。
ジェットコースターは「墜ちる恐怖」を楽しむ遊具だけど、彼の姿を見て、ついつい引きこまれるは、その落差のせいだ。
「落ちたいなら、墜ちてしまえ!」と心の中で呪詛の言葉を吐きながら、その実、鯉太郎は興奮しているのだった。
道を歩いていて発見すると言えば、こんなファッションの類がある。
黒のニーソックスの脹ら脛の部分に、真っ赤な紐がクロスで編み上がったデコレーションとか。
多少は可愛さを加味してるものの、これって丸ごと「女王様ブーツ」紋様だ。
目の前を歩いてた女の子の足元ファッションなんだけど、自分のお仕事ユニホームを思い出してついニヤりとしてしまう。
鯉太郎なんかが、お仕事でしか使わないようなビザールファッションも、味付け一つで日常の中に潜り込ませる事が出来るという事だ。
目立つって事は、バラの花みたいに、綺麗さの中にちょと痛い毒があるってことかも知れない。
そうそう薔薇と言えば、「この漢字書ける?の代名詞」なのが「薔薇」だ。
キーボード依存症の鯉太郎なんて、まったく書けない字。
でも「薔薇」って漢字自体は好きだ。
画数とか姿形自体がバラそのものだし、花びらの重なり具合とか、棘とか文字の雰囲気が似てる。
ところで鯉太郎のマンション近くにある公園横に、鯉太郎が密かに「薔薇屋敷」って呼んでるお屋敷がある。
お屋敷の庭に、毎年この時期になると綺麗な薔薇が沢山咲く。
お散歩の時とか凄く楽しみにしてるんだけど、それがこの前通ったら玄関越しに小さな立て看板が見えて、「お庭の薔薇を見ながらお茶しませんか。紅茶400円」って書いてあった。
このお屋敷、フェンスが結構重厚で、庭の中で咲き誇ってる薔薇の総てが外から眺められるわけじゃないので、確かに中に入ったら眺めはいいだろうなとは思うのだけど、気持ち的には「素人さんが商売かよ~」とは思ってしまう。
薔薇が似合う深窓の令嬢がお茶のサービスしてくれるならまだしも、鯉太郎が時々見かけるこの屋敷のご主人は結構庶民的な香りのする老年夫婦だし、、。
家の近いことだし、この時期だけ頼み込んで、昼間のバイトでもしちゃおうかしら、「薔薇のニューハーフメイドカフェ」なんて、いや昼間はかえってNGかも知れないけれど、、。
しかし丹誠込めて育てられた薔薇ってやっぱり綺麗だ。
薔薇って、綺麗に咲くために生まれてきたって感じがする。
薔薇は歌の「百万本のバラ」とか、ミステリーの「薔薇の名前」とか、結構ゴージャス、あるいは神聖な愛のイメージで使われる花だけど、自分の中では余り健康的なイメージがない。
かと言って、その不健康さは隠花植物程でもなく、薔薇は不思議な花だ。
植物というより何故か、「肉」を連想させるところがあるからだろうか。
鯉太郎の場合は、この甘い香りが女装を本格的に始めた高校時代の記憶と結びついている所があって、断続的にあの頃の様々なシーンを思い出してしまう。
○○公園の植え込みの陰で、友達の生臭いペニスに何故か猛烈に欲情して、ゲロを吐きながら口に咥えたこととか。
元いた世界での、ウンベルト・エーコが書いたミステリーの「薔薇の名前」に使われる結びは、
stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.だ。
つまり和訳すると、「過ぎにし薔薇はただ名前のみ、虚しきその名が今に残れり」となる。
ゲスっぽくこれを意訳すると、「(薔薇)は神がその花に与えた名前だから、君の移ろい消えゆく記憶にある薔薇には、特別な名前なんてあってないようなものでしょう?それでも君はその特別な薔薇を愛してるよね、愛せるよね。」って感じ。
人が、世界の中の何かの一物、あるいは事柄に、「名前」を与えると言う行為は、今まで人間にとっては意識もされない無形のものだったものに、生命を与えることと等しい。
名前を付けるとは、見えない世界から見える世界へと、橋をかける行為でもある。
「名前」という枠を与えることで、人間は物事を、自分に引き寄せ認識するのだ。
なら人智の及ばぬ神が、物事に付けた「名前」については、どうだろうか?
その名前は絶対的であり、その絶対性故に、「神が名付けた名前」は、人を拒絶するのではないか?
それを考えると、人は、自らも名付ける力を持ったが故に、神に拒絶された生き物なのではないか?
鯉太郎がいた世界のウンベルト・エーコは、そんな提起をしていた。
この世界では、中世ヨーロッパ哲学における唯名論と実念論という2つの対立する考え方が、「普遍論争」というものを巻き起こしたそうだ。
ウンベルト・エーコのミステリー「薔薇の名前」は、二重構造になっていて、その一つがこの「普遍論争」に関係すると言われている。
簡単に言えば「普遍というものは実在するのか、それとも人間の頭の中にしかないのか」といった論争である。
例えば、古代ギリシャのプラトンは,個別の存在物の背後にはイデアという普遍が実在すると考えた。
これは一種の「実念論」である。
逆に、現在の我々の「ものの分類というのは人間が考え出しただけのものだ」という考えは、唯名論的な発想となる。
鯉太郎のいた世界では、この「普遍論争」が途切れることなく続き深化し、ついにそれが量子力学の分野に結合した結果、多世界間移動ドライブの発見・発明に至ったとされている。
ところで人の記憶とは不思議なものだ。
無意識の内に勝手に捏造されたり消されたりする事はあっても、本人の意思では、記憶自体は制御できない。
過去の惨めな記憶に苦しめられて、現在も苦しみ続ける人々も多くいる。
又、薔薇の香りがきっかけになって思い出すような記憶もあれば、逆に本当は事実として存在するのに、すっぽりと完全に抜け落ちているような記憶もあったりする。
鯉太郎のようなアリウスは、装備した緊急キットで、他人の記憶を操作する事が出来るが、実は、記憶の持つこのルールから、それる事は出来ない。
やはり「薔薇は神が与えた名前」なのだ。
「薔薇の名前」の名が出たところで、銀河高速夜行バスの多世界間移動ドライブを基にした時空移動用エンジンの仕組みについて、少し触れておきたい。
「銀河高速夜行バス」の移動システムの理解は困難を極めるので、ここでは鯉太郎の世界で子ども達によく使われる例え話を紹介しておきたいと思う。
まずその前の前提として、「多世界」の可能性を頭の中に収めて貰いたい。
この世、この現実は、一つではない、簡単な事だ。
可能性もなにも、鯉太郎自体が実証例なのだから「多世界」が存在することは事実なのだが、そこから外に移動した事のない人間には難しい認識だろうからだ。
ここに一冊の非常に分厚い神聖なる本がある。
無限のページ数を持つかのような神の本なのだが、その事は、ここではそれ程、重要ではない。
憶えておかなければならないのは、この見開き二ページに書かれた世界が、多世界の一つに該当するという事である。
ページ自身は自らをめくることは出来ないから、そのページの最初の書き出しから始まった物語は、そのページの中で永遠に終わりのない物語を紡ぎ続けることになる。
どんな結末になるのかは、問われない。
「結末」とは、終わりを意味するものだが、読者を持たず決して捲られる事のない一枚のページは、それ自体で閉じられていて、そこに出口はない、つまり結末に相当するものがないのだ。
ただし、人ではない神は、この本を読み進め、その物語の意を汲みながら次のページをめくる事が出来る。
その2ページ目が、貴方が属する多世界かも知れないし、130ページ目がそうなのかも知れない。
とにかく重要なのは、この無限と思える各ページごとに、それぞれの世界があるということだ。
神は時間の流れと共に、この無限にあるページを読み進める。
時々、何かを確認するために、ページを戻す事もあるが、これは時間を遡る事を意味するわけではない。
それは現在において、「過去の物語」を読み直しているのに過ぎないのだ。
つまり時間は、未来に向かって一方向にしか進まない。
これは神とて同じ制限下にある。
かくして多世界は、神がその物語を読むのに飽きない限り、未来に向かって永遠に、その頁数を増殖し続ける。
さてここで、次の事態が発生する、神ではない誰かが、この分厚い本を特殊な短剣で突いた。
各ページは、その短剣の鋭利な刃先によって貫かれてしまった。
今度は、その短剣の表面に水を垂らしてみよう。
その水は、今まで飛び越えられなかった各ページに染み渡って、下へと移動していくことが出来るだろう。
一ページの内の住人でしかない君が、どうしてもページ間を移動したければ、その水になれば良い。
・・・まあ矛盾だらけのたとえ話なのだが、これが多世界間移動ドライブの基本的な原理だ。
この多世界間移動ドライブは、副次的な効果として時空を一気に短縮して移動することを可能にする。
分厚い本を何冊も積み重ね、その本を短剣で刺し貫いて出来た穴を伝い、水になった貴方は、本の厚みの分だけをページをめくることもなく一気に移動するのである。
一冊目の本の厚みは、「第一無限」、二冊目の厚みは「第2無限」と解釈されるが、その短剣自体は、神という読み手、つまりページをめくる手を必要としない。
つまり神の視線の別名でもある「距離」が、実質上なくなってしまうのだ。
この多世界間移動ドライブを手に入れた人間は、他の世界には興味を示さなかった。
興味を示したのは「距離」を飛び越える、その一点だけだった。
多世界の一ページの住人にしか過ぎない人間には、他の世界がいくら存在しようと、そこに大きな価値や利益は見いだせなかったのだ。
なぜなら、そこにあるのは「あり得たかも知れない自分自身」達の姿ばかりだからだ。
少し違うだけの自分に、物を売りつけても利益はでない。
少し違うだけの自分から何かを強奪しても富とは言えない。
むしろ多世界間移動ドライブの副次的な時空短縮移動効果の方に利用価値があったのだ。
遠くにある他世界を侵略支配して、自分たちの世界を潤そうという馬鹿げた考えがなくはなかったのだが、「多世界に住んでいる人間は、もしかしたら、こうだったかも知れない自分自身なのだ」という認識は、何にも勝った。
多世界間移動ドライブを運用するにあたってのルールは一つだけ、他世界には関わらない、という事だった。
その為、多世界間移動ドライブを使って、不幸にもどこかの他世界に紛れ込んでしまうという事故対策の為に、最低限の救命装置が、旅行者に取り付けられるようになった。
多世界間移動ドライブの超簡易版をネット状態にし、旅行者の頭蓋の内に挿入するのだ。
もちろん、これが挿入されたからといって、その人間が単独で他世界にジャンプ出来るわけではない。
ただ紛れ込んだ先の世界内という限定で、「もしかしてこうだったかもしれない世界」を小規模で擬似的に発生させる事が出来るのだ。
つまりアリウスと呼ばれる遭難者は、このネットを使って、自分の周囲にいる人間に対して、自分に有利に働く擬似的な過去を造り出すことが出来た。
これは相手の人間への記憶の改ざん行為ではなく、実際に「もしかしたら」ありえた記憶だから、他世界に与えるインパクトは少ないと考えられていた。
そして同時に、この他世界に影響を及ぼす小さいが異質なエネルギーは、大型の多世界間移動ドライブから探知できた。
つまり遭難信号がわりにもなるのだ。
遭難者はそれを使って、他の世界で社会的に生き延び、救出を待つ事が可能になるのだ。
ただ多くのアリウス達は、長くは救出を待てず、その世界に同化してしまう事が多いのだが、、、。
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「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
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